きみが家族じゃなかったらよかった(姉のはなむけ日記/第8話)
送迎車のためならエンヤコラと大分県別府市の車屋さんまで行ったら、なんと、ほぼ新車のセレナと出会えたのだった!
車屋の馬〆さんから、くわしい仕様や納期の説明を受けていると。
電話が鳴った。
グループホームの責任者、中谷のとっつぁんからだ。ちょうどよかった。セレナを入手できたって言おう。喜ぶぞォ。
「もしもし、お姉さんですか」
「はーい!ちょっと聞いてくださいよ、中谷さん。ありましたよ!車!セレナ!ほぼ新車!7人乗り!」
「えっ、はっ……ええ……!?」
興奮のあまりたたみかけてしまった。しかし、中谷のとっつぁんの反応が予想と違う。ここは「ええっ!?」ではないのか。
いやな予感がした。
「あの、それはもう、本当に、ありがとうございます……そんないい車を……」
「どうしました?」
「ええ、あのですね、お姉さんのお耳に入れておきたいことが」
基本的にわたしのお耳には普段、右から左に抜けていくザルの役目しか持たせてないので、動揺した。
「近隣住民の方から、グループホームに強い反対がありまして」
「反ッ!?対ッ!?」
仮面ライダーの変ッ身ッくらい、声にスタッカートを刻ませてしまった。
ニコニコと電話を見守っていた山本社長と馬〆さんの表情が一変した。
「いや、反対っていっても、ほんの一部ですよ!ほとんどのみなさんはそんなことなくて」
中谷のとっつぁんのグループホームは、物件の契約や支払いをとっくに終えて、家具を運び入れている。開設の手続きもして、自治体の審査で承認された。近隣住民の方々への説明も、物件の管理会社を通して、終わったのではなかったのか。
開設は来月からだぞ。
今さら、反対なんて。
「自分たちが住んでいる地域に障害者がいるなんて、気持ち悪いし、トラブルがあったら怖いから、といわれてしまって……」
気持ち悪いだと。
まったく予想できない言葉ではなかった。なんならいつも、頭の片隅に、消えない塵みたいにこびりついてる言葉だった。言うてくるヤツはおったしな。なんも知らんねんからしゃーない。
けど、まさこのタイミングで言われると思っていなかったので、絶句してしまった。
ものすごく言いづらそうにしている中谷のとっつぁんによると。
グループホームがある地域は、鉄道の駅からも離れていて、緑でいっぱいの閑静な住宅街だ。一軒一軒の敷地が広い。車は二、三台停められる家が多いし、公園かと見紛うような大きな庭もめずらしくない。
先日通りがかったとき、庭にブランコやすべり台が置いてあって、うらやましいなァと思った。
休日はウッドデッキのハンモックで昼寝したり、バーベキューをしたり、という家族団らんの風景も浮かんでくる。うらやましいなァ。
反対をしている住民の方も、そんな時間を楽しみにして、マイホームを建てたのだろう。
けど、近所に弟たちが住むグループホームができることになった。
「反対のご意見としては『うちは庭でバーベキューをするんです。障害のある人って、きっとお肉とかをジーッと見るでしょう?家族も怖がるし、困るんですよ』……って」
お肉とかを!?
ジーッと!?
見る!?
見るわけないでしょうが!
声を荒げてしまったが、弟との日々を思い出す。
すたみな太郎の焼き肉コーナーで皿いっぱいに生肉を盛る弟。マクドへ行くと自分の分を早々にたいらげ、姉がお楽しみに最後までとってるナゲットを眺める弟。元町中華街の広場に置いてある肉まん持ったブタの人形をそっとなで続ける弟。
見……る……わけ……ある……かもな……?
ちょっと弱気になってしまったが、うまそうな肉があれば見てしまうのは、はじめ人間ギャートルズの時代から続く人間の性である。なにも強奪しようってんじゃないんだからさ。っていうか、あれだろ。バーベキューなんてさ、食うものが食わざるものに見せつけてナンボなところあるんじゃないの?ねえ?(※社交性がなさすぎてバーベキューをろくにやってこなかった大人のハードコアな偏見)
それにグループホームで精進料理ばかり食べるわけじゃない。夕飯に肉が出るし。そんな、よその肉ばっか、ジーッと見ないやろ。
庭でバーベキューやってる家があったとしても、ジロジロ見ないように、とルールを作れば済む話ではないのか。
済む話ではないのか!?
はじめ人間ギャートルズに出てくるマンモスみてえな肉を焼いてたとしたら、ちょっと自信ないけど。そんなもん誰でも見るわ。
「障害者を見ると怖がる子どももいるし、間違いがあったら困るから、グループホームの周りを壁と柵で見えないように囲って、カギをつけてほしい……っていうのが、あちらさんの希望です」
弟を。
3年間、中学校に通いながらずっと、通りがかるコンビニの店員さんたちにあいさつをしていた弟を。うまく喋られないのにそれだけで仲良くなって、コーラの買い方を教えてもらった弟を。すれ違ういろんな人から“キッシー!”と名前を呼んでもらい、まんざらでもなさそうにペコッとしてにやける弟を。
誰にも見られないように、柵のなかに入れて、カギをかける。
胃の端っこのあたりがギュンッと掴まれたようになった。ってかバーベキュー、関係ないやん。
隣に座っていた弟が言った。
「どしたん」
空気を読む。相手の感情に寄り添う。弟が、26年かけて、前向きにこの世界で生きていこうとしたから、身につけたスキル。
どうしたんやろうね。
わたしはきみに、なんて説明したらええんやろうね。
涙がにじんだ。電話の向こうの中谷のとっつぁんに言う。
「ほんで、もう、カギつけるしかないんですか?」
「いいえ。それを……それをしたらもう、あかんと思ってます。それはもう、暮らす、ってことじゃないです」
柵やカギがついている施設というのは、ある。けどそれは、障害や病気によって、自分や他人を傷つけてしまったり、外へ飛び出していなくなってしまったりするのを防ぐためだ。
安全のために柵やカギをつけたとしても、施設で過ごしながら行動の原因をじっくり探って、その人にあった支援を整えて、落ち着いて暮らせるようになるのを目指している。
中谷のとっつぁんのグループホームに入居するのは、障害があっても、親元を離れて、誰かを助けたり、助けられたりしながら、生きる力を身につけたいと願う人たちなのだ。
わたしの弟みたいに。
直接、弟の口から聞いたことはないけど。コンビニからコーラを持って帰ってきたあの日から、わたしは、知っている。
「行政にも相談したんですけど、住民とグループホーム、どっちかだけの味方はできないから、まずは話し合いで解決してほしいと」
話し合いで解決できんかったらどうなるんだろう。拳か。バーベキュー闘争か。
「それって法律的にはどうなんです?弁護士に相談するとか」
Ladies and gentlemen of the jury…I rest my case……リーガル・ハァイ!どこからともなくイントロが聴こえてくる。気がする。
「あっ、それはもちろん、もう相談していて。グループホームの開設は自治体からもう許可が降りてるし、裁判になっても、こちらが負けることはなさそうで」
「よかった」
「いやー……でも、裁判になったらもう、おたがい敵じゃないですか。勝っても負けても。そうなったら、良太さんたちは暮らしにくいでしょうし。裁判はやっぱり、できないですよ」
そうか。そりゃそうか。わたしは己の浅はかさを反省した。
「とにかく、明日にでもくわしい話をわたしが聞いてきますわ。せっかくええ車を見つけてもらったのに、こんなことになってすんません」
「中谷さんはなんも……あっ、わたしも話しに行きましょか?」
「お姉さんがですか?」
「やっぱ、家族の話があった方が説得力あるかもなんで」
正直、ちょっとだけ下心が出た。
わたしの地元は、一時期、闇金ウシジマ君における刈べー激アツメソッド(高額マルチ商法)みたいなもんがマイルドヤンキーたちの間で流行ったことがある。
だからといっては失礼かもしれんが「noteでエッセイを書いて収入を得ています」と言うと、ポカンとする人も多い。ばあちゃんの介護保険の手続きで役所に行ったときは「はァ……あなた、家族のためにもちゃんと就職した方がいいですよ」と親身になって叱られた。一理ありすぎるが。
けど、そんなわたしを見る目が変わったのが、2021年の日本テレビ「スッキリ」への出演だ!
“たまに加藤浩次さんの隣にいる女”というだけで、田舎における信頼株が急上昇した。スタンド・バイ・コウジカトー戦法。虎の威を限度額いっぱいまで借り、近隣住民を説得するだけに留まらず、マジックを点灯させてセリーグ優勝まで狙う魂胆である。
中谷のとっつぁんは言った。
「あー……そうですね。ちょっと、相手がどういう方がまだわからないので、一度わたしが聞いてみて、どうにもならなかったら、お姉さんを頼らせてください」
食い下がろうとして、はた、と気づいてやめた。
中谷のとっつぁんに任せることのして、電話を切る。
山本社長と馬〆さんが、わたしのことを心配そうに見ていた。打ち合わせの最中だったのに、電話が長くなってしまったことを謝った。
謝ったら、ドバドバドバッと涙がこぼれた。
もらったばかりのセレナのパンフレットが無残に濡れた。
弟はびっくりするかと思ったが、ぶっとい手でわたしの背中をさすりながら「だいじょうぶ、だいじょうぶ。すみません」と、待ち構えていたように言った。なにをきみが謝ることがあるんだい。
結局、車の契約は、もう少し待ってもらうことにした。
市場に出せば飛ぶように売れてしまうほどの希少車なので、迷惑をかけてしまうことはわかっていた。
「とっておきます。大丈夫です。ぼくらは、岸田さんみたいな人に車を届けたくて、この仕事をしてるので」
別府で泊まるホテルまで、送ってもらいながら、山本社長がぽつりと言った。
「こんなんばっかですよね。本当に」
「こんなんとは?」
「僕もね、障害のある人が運転できるように車を改造してるでしょう」
山本社長のニッシン自動車工業関西は、その改造を専門にしている。わたしはてっきり、普通の車の修理なんかがメインだと思っていたが、そうではない。
日本全人口のたった7%ほどしかいない障害のある人のうち、自分で車が運転できる人なんて、果たして何人だろう。
そんな商売、成り立つわけがないのに、苦しくとも成り立っている。それだけ山本社長を頼って、全国から障害のある人が車の改造を頼むのだ。
「こないだも、わざわざ遠くの県から若い女の人が来てくれて。彼女は両手が動かないから、足だけでハンドルもブレーキも操作できるようにしようって。実際、できるんですよ。メッチャうまい。どうしても車が乗りたい、生きる希望がほしいって、ものすんごい練習したんで」
うちの母は両足が動かないから手で運転するのだが、彼女と同じ気持ちだった。とてもよくわかる。運転できることのありがたさを身にしみて知っているから、母は10年以上、ほぼ毎日乗っているが無事故だ。
「けどね、いざ車を申請しようってなったら、免許センターで断られた。運転はたしかに上手くて、安全だとしても、前例がないからって。おかしいでしょう?」
「そんでどうしたんですか」
「僕、むちゃくちゃ腹が立ってね。何回も免許センターに行って、設計図とか安全仕様とかのプレゼン資料作って、えらい職員さんを集めてもらって、説明したんです。そしたら免許証が交付されて」
「わあ」
「人間が線引きしてるから、ひっどい理不尽だらけですよ。ほんまに。けどね、岸田さん。人間やから、諦めずに何度も話したら、わかることもある。一回でも突破口を開けたら、それが前例になる。そう信じへんかったら、この仕事、やっていけません」
山本社長には、今回、わたしが車を買ったとしても、一円も入らない。いつも忙しいのに。せめてお礼をしようとしたら、固く辞退された。仕事じゃない。
人間だから、別府まで、来てくれた。
「僕たちは、車のことしかわからないけど。岸田さんたちが笑って車に乗ってもらえるように、なんぼでも応援しますから」
さっきやっと止めたはずの涙が、またコンニチワしそうになった。けど、弟が「ほな僕、帰りますわ……ってなんでやねん!」と、馬〆さんの車に乗りこもうとするというノリツッコミを突然かましたので、涙は引っ込んでいった。よかった。
ホテルの部屋に入ると、弟は腹を丸出しにして、昼寝をはじめた。別府まで来てなお、実家の空気が漂う。
猛烈な怒りと、強烈な悲しみがピークを越えて、虚無になりそうだったので、このあとの夕食ブッフェで本気を出すべく、思い立ったすべてをメモしておこうとわたしはパソコンを開いた。
書きながら、感情が収まってくる。
そして、別の感情がわきあがる。
悔しかった。とても。
本当なら今すぐにでも神戸に帰って、反対をしている住民の人に、説明をしにいきたい。怒らずに。悲しまずに。ただ冷静に。
弟も連れていこう。うちの弟は、ノリツッコミもできるのだ。相手に気をつかわせないボケができるやつは、優しさの象徴なのだ。
そうだ、そうだ。
障害者を怖い人ばかりだと思いこんでるだけなんだろう。だったら、うちの弟を見てもらおうじゃないの。それがいい。
姉だって、そこそこのモンですし。地元で唯一、あの加藤浩次さんの横にいる女ですし。ねえ。
けど、ダメなのだ。
だって、わたしは、家族だから。
障害のある弟と、一緒に育ってきた、姉だから。
家族だから、感情がこもる。切羽がつまる。熱意が伝わる。
それらがすべて
「だってそりゃアナタ、家族だからでしょう」
という一言に呆気なく収束してしまう。
親の欲目、子の欲目。温かい家族の物語は、冷たい一笑に付されることもあるだろう。
刑事ドラマでも、家族によるアリバイ証言は、信ぴょう性が低いとされる。わたしはマジで一日の大半を家にこもってすごしてるので、いつか金田一や江戸川の連中による騒動へ巻き込まれたときのために、もう少し他人と会っておかなければならない。
弟の、平和に上下する腹のデベソを見ながら、わたしは思った。
家族じゃなかったら、よかったのに。
わたしが、きみの家族じゃなかったら。きっと信じてもらえただろう。きみの優しさを。ままならないこの世界で、生きていきたいという思いを。ごめんな。姉ちゃん、言い返せずに、ほんとにごめん。
チキンマックナゲットの残った最後の1ピースを躊躇なく譲れるくらいに、愛している弟に、家族じゃなかったら、よかったなんて、思ったのは生まれて初めてだった。
弟を起こさないように、顔を枕に押し付けて、ワンワン泣いた。母が心配して電話をかけてきたので、母も神戸でズビズビ泣いた。
きみの家族だから、わたしはこんなにも幸せで、こんなにも悔しい。