
ライターじゃなく作家って名乗る理由と、林家ペーと、喫茶店のマスター
9月23日に、わたしの1年間のムニャムニャが詰まった本「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」を出版することになった。
トレンディーな時代に生きた遠縁の親戚から「あんた本が出るんだってねえ、なんだっけ、ほら、“愛していると言ってくれ”みたいなやつ、予約するからねぇ」と連絡をもらった。
わたしの人生のどこに北川悦吏子イズムを感じたのかはわからんけども、そんなもんの予約を命じられた書店員さんは気の毒だと思う。
それで、本が出るとなったら、ものすんごくありがたいことに、いろんな取材や出演のチャンスをもらいまして。

こんな感じで、いることもいらんことも、喋り散らかさせてもらっています。数にしてなんと、一週間で9件。
最後に受けた新聞の取材では、もうなにをどこまでしゃべったかわかんなくなっちゃって。
関西にある実家の話をしていたはずが、水を一口飲んだあと急に「おばさんより、おばばより、オバハンという響きには図々しさとたくましさと面白さが余すところなく詰まっているので、そういうものにわたしはなりたい」という話を始めたらしい。
どうして、浪速の宮沢賢治方面に急ハンドルを切ったのか。
話は変わるけど、関西では「意識が高くて優秀な人」のことを「いしきたかじん」と言う。マジで脈絡がなさすぎる。人前で話す回数が極端に増えると、脳みそから話の種を垂れ流す状態になんのよ。全自動種まき器として、ヤンマーあたりに売り込みてえな。
それでは、今日も本題。
岸田奈美、なんで作家って名乗ってんだっけな
取材でこれ、めちゃめちゃ聞かれた。
「なんでライターや文筆家じゃなくて、作家なんですか?」
そう。
わたしは自分の肩書を、作家と名乗っている。
そこに崇高な思想や固い決意があるわけではなく、ただ「なんとなく」なのである。会社を辞めて独立するときに、なんとなく選んだ。裸で出っ歯の鼠を見て、ハダカデバネズミと名づけた人もこんな気持ちだったと思う。
だから、たずねられると、恥ずかしくなった。
ヘラヘラと薄笑いを浮かべながら「あっ、いや、ハハッ、なんでもいいんスよ、はい、ライターでも、note軽率に書きまくる芸人でも、ハイ」と答え、すべり倒していた。
なんでもいいのは本当だけど、さすがにこれを何度も繰り返すのは苦しいので、ちゃんと考えてみることにした。
そしたら、結論、作家って名乗ってめっちゃハッピーだったって話なんだけど。(ライターや文筆家より優れているとかそういう話では一切ないマジで)
そもそも、最初に数ある肩書のなかから、よく調べもせずに作家を選びとったのには、わたしの中に、わたしですら気づかんかった、なにかしらの理由があったんちゃうかと。思って。
「家」って言葉はもともと「めちゃ難しい知識や技巧を持ってる人たちの流派」という意味があるらしい。ふ〜ん。
中国の儒家、道家とか。
華道の表千家とか裏千家とか。かっけェ〜。
転じて「その道にすぐれて、仕事にしてる人」になり、作家、写真家、陶芸家が生まれたとな。
じゃあなぜ、たけし軍団はたけし家にならないのか、林家ペーとパーは林の道にすぐれているのか、いろいろ疑問は出てくるけども。
ついでに、家にはもう一つ意味があって「その気質がとても強い人」も指すそうな。愛妻家、情熱家、努力家とか。
作家を名乗るわたしは「作品を生むことにすぐれて仕事にしている人」か「作品を生みたいという気質がとても強い人」のどちらかということだ。
あっ、なんか、後者の方はしっくりくるぞ。わたしは好きなことを文章を書いて、人に見せびらかして、残していきたい。
エッセイを、作品と言うにはちょっと違う
そんなら、わたしにとっての作品ってなんだっけ。
やっぱりエッセイか。
でもなんか、しっくりこない。最近、小説を書いたり、ラジオに出たり、グッズを作ったり、文章コンテストや読書感想文コンクールを主催してるし。

イームズのロッキングチェアで読書をしようとするが、鼻が刺さって一生読めないカジキの絵も描いたりしてるし。やりすぎ。
じゃあマルチクリエイターって名乗りゃいいじゃんって手もあるけど、それもなんかなあ。
煮え切らない理由はたぶん「ほとんどが、わたしが確固たる意志と計画性を持って、わたしがやろうと決めたもの」ではないからだと思う。
1ヶ月先の自分が、予想できない人生だった。
偶然に奇跡や悲劇が重なって、わけわからん人に会えたり、わけわからんことが起きたり、わけわからん熱量の応援を受けたり、その結果「書いてみっか」「やってみっか」でエイヤッと始めたことばかりだ。
でも、そういうことがあるから、わたしはおもしろい体験を数え切れないほどさせてもらって、おもしろいエッセイになっている。
みんながおもしろがって見守ってくれている作品は、岸田奈美のエッセイではなくて、たぶん、岸田奈美の人生なのだ。
周囲は、数え切れない編集者であふれている
わたしの人生には、いろんなことが起こる。
父が亡くなり、母が病気になり、弟は障害を持って生まれてきた。
ルンバがスズメバチを食べ、櫻井翔さんと対面し、ブラジャーで黄泉の国から戦士たちが戻ってきた。
人より「なんでやねん」な出来事が多いとは思うけど、「なんでやねん」は純然たるツッコミなので、誰かが聞いてくれないと成り立たない。
わたしには、わたしの人生を編集してくれる人たちがたくさんいる。
文章を書く才能を褒めてくれた人がいたから、「その話いいじゃん」と言ってくれる人がいたから、じゃあいっちょ、エッセイにしてみっかと思えた。
エッセイにしたら「ここがよかった」「ここで泣いた」とコメントをつけてシェアしてくれる人がいたから、なるほどこういうのが良いのかと気づけた。
「岸田がこんなことしたらおもしろそう」「この人と会ったら楽しそう」と、わたしという存在で大喜利をしてくれる人がいたから、やってみたらまたおもしろいことが起きた。
たまーに批判されたり非難されたりして悲しいときもあるけど、それはそれで、また自分が書くものを考え直す機会になることもある。
わたしがnoteやTwitterでつながっている人たちはみんな、編集者であり、監督であり、プランナーであり、脚本家であり、イラストレーターであり、アニメーターであり、リスナーであり、観客であるのだ。
それすなわち、わたしの人生におもしろさを見出してくれて、それぞれの視点や才能で、舵切りを手伝ってくれる人たちのことだ。これを読んでいるあなたも。
この人たちがいなければ、なーんにもできなかった。ぼーっと生きて、尻を掻いてやしきたかじんの番組を眺めて茶をすする毎日だった。書いてみようなんて、思わなかった。
不幸か幸福か、おもしろいか平凡かなんて、自分だけじゃわからないからね。それが当たり前だもん。
でも、二人以上から同じことを言われたら、それはたぶん真実だから。特に良いことにおいては。才能とか、チャーミングポイントとか。
肩書きは押し付けるんじゃなく、背中を押すためにある
わたしはエッセイを書くから作家なのではなく、人生を作品として切り出していくから作家だ。
切り出し方はエッセイかもしれないし、むしろ文章じゃなくて、喋る、描く、動く、踊る、いろんな手段がある。
ときには、今やっている手段が、人生や時代にそぐわなくなる時もあるかもしんない。
そういう時、とらわれたくないな、と思う。「いままでエッセイ書いてバズってきたんだから、そうしないと」とか「わたしは文章を書く人なのに、広場で踊れなんて!失礼な!(どんな場面なのか)」とかで、目的を見失いたくない。
いざとなれば、書くことすら、手放せるようになりたい。
そんなアマゾネスみたいに強い存在になれてるかわかんないけど、とりあえず、なりたいと強く思う。
「作家」という肩書は、わたしをハッとさせ、目的を思い出させてくれ、勇気を持たせてくれるはずなのだ。手放したり、掴み取るための勇気を。
わたしはすごく、流されやすくて、テキトーで、弱い人間だから。肩書に引っ張られるくらいが、ちょうど良い。
だからね、みんなも「実績があるかどうか」「自信があるかどうか」じゃなくて、好きに肩書を決めたらいいと思うんだよ。
人から見られるかじゃなくて、自分がこれからどうやって生きていきたいかだからさ。
あと「あいつ、めちゃくちゃ写真撮るの下手なのに写真家だって」とか、言うのはやめよう。いしきひくじんだよ。いしきたかじんになろう。
なんでそういう肩書を選んだのか、そっちに目を向ける方がたぶんおもしろいと思う。
うちの近所に喫茶店があって、そこの物静かなマスターはものすごくコーヒーを淹れるのが上手で、パンとサラダとゆで卵がついてくるモーニングセットがイケてるの。でもね、そのマスターの名刺には「農家」って書いてあんの。意味わかんないじゃん。喫茶店なのに農家って。でも理由聞いたらね、「裏庭で野菜を育てはじめたんです。先代のマスターが残していった土地でね、プチトマトがたくさんあって。先代はサラダが好きな人でしたから、いつか、先代をうならせるような甘い甘いプチトマトを育てて、それに合うコーヒーを淹れて、最高のモーニングセットを出せる男になろうって決めてるんです。だから、僕は、農家」って笑ったんですよ。いい話でしょう。これは一から十まで嘘なんですけど、まあ、肩書で人を勝手に判断しなけりゃ、こういうおもしろい話を聞けるかもしんないじゃん。知らんけど。
ってかわたしの周りにいる、尊敬してやまない人は、なんか肩書と見た目と仕事が絶妙にアンバランスで調和してたりする。
「めちゃくちゃ頭が良くて敏腕経営者なのに、なぜか編集者って名乗ってる」とか「ポップでエロくてどうしようもない話を書きまくってるのに、なぜか僧侶」とか「最高にイカれてて息を吐くように爆笑のパンチラインを繰り出すのに、なぜか秘書の名刺持ってる」とか。会いたくなるよね。
そんなわけで、今日も作家やらせてもらってます。幸せでしかないのよ。
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