命がけで作ろう、命のパンを(もうあかんわ日記)
毎日だいだい21時更新の「もうあかんわ日記」です。もうあかんことばかり書いていくので、笑ってくれるだけで嬉しいです。日記は無料で読めて、キナリ★マガジン購読者の人は、おまけが読めます。書くことになった経緯はこちらで。
イラストはaynさんに描いてもらいました。
幸福な家庭を思い浮かべると、どれも似たようなものになる。
しかし不幸な家庭を思い浮かべると、それぞれに違っている。
トルストイが「アンナ・カレーニナ」でつづった言葉だ。その通りである。ちょっと最近はもうあかんことが続きすぎているので、幸福な家庭を思い浮かべてみよう。
これを読んでるあなたも、ちょっと、思い浮かべてほしい。
どうだろう。
そこにはパンを焼いている親子が登場したと思う。
この日記においてはわたしがルールなので異論は認めない。幸福な家庭を思い浮かべると、どれもパンを焼いている親子になる。
不幸な家庭はパンを焼かない。米は炊く。だからパンを焼けばみんな幸福な家庭になれる。これはライフハックとして覚えておいてほしい。
「パン、焼こう」
わたしが呼びかけると、母は驚愕した。
「なぜ?」
「幸福な家庭を目指して」
「いま何時やと思ってんの?」
「23時30分」
母の表情が解せぬ一色になってしまったので、わたしは弟を巻き込み、パワープレイでパンを焼くことにした。
こういうこともあろうかと、デニッシュの冷凍生地セットをぬかりなく購入していたのだ。
「ふつうパンって朝に焼くんじゃないの?」
母は心配性で細かいことがひっかかる、気の毒な性質だ。父とわたしとは真逆である。だからわれわれは家族になった。
「ちゃうわ。パンは深夜に焼くねん」
「聞いたことないねんけど」
「深夜に焼いた方がええもんはいっぱいある。クッキー、ケーキ、そしてパンや」
「聞いたことないねんけど」
ベランダから車のエンジン音、散歩中の犬の声、インターフォン、いろんな音がならないから、無心になれる深夜はいいのだ。月の光を浴びると、なんか神秘的なパワーが宿る気もする。カーテンで締め切っとるけど。
「そういやあんた、昔から深夜にいろんなもん焼いてたな」
それはわたしが横着なうえに不器用すぎて、バレンタインや誕生日パーティーの前日になにひとつ間に合わず、泣きながら深夜までかかっていたからであるが黙っておいた。
深夜のハッピー・パティシエール・ファミリー、今日からそれが岸田一家だ。Wikipediaにだれか追記してくれ。
わたしが大雑把に解凍した生地を、母が折り紙の要領でたたんでいく。解凍しすぎるとデロデロに溶けるので、ちょっと硬いくらいがベスト。
気の毒なことにこまかい作業が得意な母にとって、絶好の見せ場だ。
母と得意分野が似ている弟が、カスタードをていねいに絞っていく。
すきあらばペロンチョしようと二足歩行でうかがっている梅吉も、彼の集中の前にして眼中にない。
これはもともとわたしが担当していた作業だが、盛大に服の袖口と腕にベチャッとしてしまい、早々に退場した。戦略的撤退だ。幸福な家庭は、それぞれの役割を自覚している。
ちなみに、どういう原理かまったくわからないけど、なぜか顔面にもカスタードが飛び散っていたので、見かねた弟が拭いてくれた。
もうベテランのオペ室看護師の様相だ。見る人が見ればこれはバチスタ症例の記録写真かと思う。深夜につきスッピンだけど、幸福な家庭なので写真も勇気を持って載せる。
「おい昨日ハト救出作戦で着てたパジャマと同じやんけ」と思うかもしれないが、同じ柄の二着目だ。三年前に彼氏とおそろいで着ていたが、わたしがフラれて自宅に置いていかれたやつだ。悲しいことを説明させないでほしい。
この時点ですべて作ったはいいが、オーブンの天板ではなくなぜかまな板に並べていたことが発覚したため、デロデロになった生地を母が悪戦苦闘しながらフライ返しで天板に移した。
それもまた人生。
190℃のオーブンで、15分焼く。
オーブン機能つきのレンジは十年間ずっと給水機能がぶっ壊れてぜんぜんヘルシーじゃないヘルシオを使っていたのだけど、母が入院していよいよウンともスンとも言わなくなったので、新品に買い替えた。
すべてはこのパンづくりのための布石だった。
ちなみにオーブンには予熱という機能があって、あらかじめ190℃に温度が上がるのを待たなければいけない。
「これ、予熱まだなんかな?」
せっかちなわたしはそわそわして、何度もオーブンを見に行った。
「予熱できたら音鳴るやろて」
「ほんまかな」
「アッ!いま開けたやろ!あかんで、それでまた温度下がるやん!」
母に注意されたが、どうにも気になって、三回くらい開けてしまった。モワッとわずかな白い煙がたちのぼる。その度に温度が下がり、予熱完了の音が鳴るのに15分くらいかかってしまった。焼くより時間かかっとる。
生地を入れている間も、わたしはずっとガラス窓にへばりついていた。焼き目がついて、ムクムクと盛り上がってく様子は見ていても飽きない。
そういえば、幼いころ、わたしはアンパンマンが大好きだった。でも一曲だけどうしても怖くて泣いてしまった挿入歌がある。
ご存知だろうか。
「生きてるパンをつくろう」という、ジャムおじさんとバタコさんが歌う曲だ。
子ども向けにしてはめずらしい構成だと思うのだが、パイプオルガンを模したシンセサイザーが響く荘厳な賛美歌風パートと、ちょっと恐ろしくなるほど元気なポップミュージックパートが、交互に入れ替わる。
おいしいパンをつくろう。
生きてるパンをつくろう。
ジャムおじとバタコの、そんな語りかけから歌ははじまる。パン工場でたくさんの美味しいパンをつくり、住民たちから愛される、二人の信念が重く、まっすぐ、高らかに歌いあげられる。
問題はその先だ。
いのちがけでつくろう。
いのちのパンを。
「あっ、今日はパンでも買って食べよっかな」の、パンの意味がまるで変わってしまった。ものすごく重い。
どんなにえらい人だって
食べずにいれば死んでしまう
死んでしまう
死んでしまう
駆け込んだ立ち食い蕎麦できつねそばを気軽に頼んだら、店の奥からヨボヨボでガタガタの大将が出てきて、口の端から血をにじませながら浅い呼吸で蕎麦を打ちはじめたようなものだ。
そこまでせんでええ。普通にランチパックとか薄皮あんぱんとかも置いといてくれ。
あの優しかったジャムおじとバタコさんから、とつぜん「死んでしまう」と諭されるのだ。めちゃくちゃ怖かった。
懐かしいなと思っていまもう一度聞こうとしたら、なんと歌詞が「死んでしまう」から「生きられない」とマイルドな味つけに変わっていた。
大人になったら、戦争で悲しい体験をしたやなせたかしさんが、この詞を書いた意味が少しわかるけど。
だからわたしたちは、つくって、食べなければいけないのだ。いのちのパンを。
良いのではないか?
良すぎるのではないか?
ブルーベリージャムデニッシュと、ハムチーズデニッシュだ。焼き立てはまぎれもなく幸せの匂いがする。
ひとつずつ食べて、まだ食べたいねと満場一致したけど、さすがに時間は0時をまわっているので控えなければならない。
ひとつのパンをそれぞれ二口ずつかじっていこうと決めたが、わたし、弟、母の順でかじったら、母はほとんどハムもチーズもないカリカリの端っこをかじることになった。わたしは三口いったし、弟は四口いった。
幸福な家庭では、好きなだけ食べていいのである。
満腹になっていると、すでに21時に就寝していた祖母が、のそのそと起きてリビングにやってきた。
「あんたら、まだ起きとんか!」
事情を説明するとややこしくなりそうだったので、即座にわたしたちは解散した。
パンはすべてなくなり、幸福な家庭の名残はサーカスが次の街へ旅立つかのごとく、夜の静寂のなかへ消えた。小麦の香りだけが、焚き火のように漂っていた。
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パンを焼いてる間に、幸福な家庭で話したことをいくつか。
お医者さんのかけ声
「はいー、しぼってー、しぼってー、止めて!」
弟がカスタードをしぼっていくので、わたしが指示を出していた。すると、母が思い出したように言った。
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