一週間休んだら、二週間倒れた人間の話
こう、なんか、しんどいなーとか、さぼったろかなーとか、ダラダラしたくなって「そこんとこ、あともう一押し!ちょうだい!」ってときに、いつもこっそり、読んでるものがあり。
そこに突如として己が出現したときの、おどろきったら!恐れ入るような喜ばしいような恥ずかしいような!
や、休んでよかった〜〜〜〜!
尊敬するしいたけ占いのしいたけ.さんが、休みについて本気で考えてらしたので、わたしも本気で休みについて振り返ろうかと思います。
えっとですね。
一週間休んで、二週間しんどくなりました。
ど、どぼぢで……?(どうして……?)
寝込みながら、キツネにつままれたあとタヌキにドロップキックされたような顔を、ずっとしておりました。度しがたくて。
布団の中で、何度ぼろぼろ泣いたことか!
結論としては、三週間使いもんにならんくなっても、休んでよかったという話です。
順を追って、わけを話します。
わたしが2月のなかば、一週間のお休みをもらうことになった理由は、ここで書いたとおりです。
元気なのに、休んだんです。
元気じゃなくなる前に。
これがですね、思ってたよりハチャメチャに応援してもらえまして、もう、御旗カチ上げて、馬引き連れて、甲冑着込むような気概で、向かったんです。
いざ休暇へ!
んで、本当に一週間、まるっと休ませていただきまして。
ありがたかったねえ、もう本当に。
新刊作らんとあかん時期やったんですが、締め切りも延ばしてもろて。いつも出てるテレビも、代打やってもうて。noteも書かず、SNSもほぼ開かず。
仕事、なーんもしなかった。
じゃあ、なにやってたかって言うと、まとめます。
● 8時間寝る。いつもは6時間で、めちゃ眠い。
● 食事は3食、油多すぎないよう食べる。
● 起きたら深呼吸、ストレッチ。
● 一時間ずつお散歩、お昼寝、お風呂でボーッとする。
● 楽しみたくなったら、家で読書か映画。
● ひとりで過ごすか、少しなら家族と過ごす。
どうですか?
言っちゃナンですが、良くないですか?
当初は、播州あたりに旅行したる!ヒャッホイ!なんて考えてたんですけども、旅行はどんなに楽しくてもストレスをためてしまうと知って、やめました。
播州に申し訳ないな……?
そしたら、播州の人から
「大丈夫です!播州はいつでも空いてますから、大丈夫です!」
って言われたので、播州に甘えさせてもらった。
このへんの休み方もですね、ちゃんと、本で予習してたんですよ。
これとか、すごく良かったです。
もうね、休む前から、ワクワクしてた。
今までは、限界てっぺん超えて、メタメタになったところをドックに放り込まれる、っていう宇宙戦艦みてえな休み方しかしてなかったもんだから。
休んだら何しよっかなとか、考えられなかったわけ。寝溜めと家事と買い物したら、日が暮れてっから。
今回は、小学生の夏休みみたいなもんで。
なんもしないで、自分をいたわる計画だけしていいんだから。最高。
みんなも、騙されたと思って『お昼寝の予定』とか、カレンダーに書いてみ?
超ワクワクすっぞ!
おおよそ計画どおりに、全力で休めまして。
一日だけ実家に戻ったけど、なーんも、疲れることなく。
むしろ終盤なんか、元気いっぱいすぎて、早く書きたーい!喋りたーい!仕事したーい!で、ギンギンみなぎってた。
「ああ、しっかり休んだら、むしろ働きたくなるんだなあ……」
感慨もひとしお、だったわけです。
休み明けの初日を終えるまでは。
体が……痛い……?
腰がじんじん痛い。
なんでだろう。
座って集中するのが久しぶりだからかなあ。まあ、明日から東京出張だから、立ってる方が多くなるぞ。会いたい人に会えるし、楽しもう。
翌日。
頭が……痛い……?
翌々日。
全部……痛い……!
頭も首も肩も腹も、なにもかもが痛い。特に腰がやばい。腰が痛いとね、もう、すべてのやる気が干し柿みたいにしぼむんだ。知らなかった。
だるくて、起きられなくなった。
悲しかった。
ちょうど、2月から3月になるから、気温や気圧の変化もあるのかな。それにしても、薬もあんまり効かないなんて、めずらしい。
悲しい、悲しい、と寝込んでいたら、休み明け一週間目で。
パッ!と治った。
なんだったんってくらい、きれいさっぱり、痛みも飛んだ。
健康!
はしゃいだのも束の間、今度は、
心に荒波がきた。
心っていうか、情緒だよね。情緒のことって、言葉でうまく説明できないんだけども。ムカムカして、クサクサして、メソメソしてた。
たとえば、編集者さんと打ち合わせしても、
「ワーッ!これ書きたいです!これとこれも!全然できます、っていうかもう考えてて、こんな話とこんな話があるんですけど、めっちゃ良くないですか!?!?!!はやく進めたいんで、どしどし言ってください!でへへへ!」
みたいなことを、ニッコニコしながら、ダーッとしゃべるわけ。
もう雪崩みたいに。脳が直接しゃべる。
こえーよ!
このへんまでは、普段のわたしっぽくもあるんですけど。
その数時間後に、
「ごめんなさい、なんかぜんぶダメに思えてきて、っていうかさっきのわたし、図々しいし、恥ずかしい……泣けてきた……ピギャ」
ど、どうした?
どうしたとしか言えんほどの高低差。
これね、怖いのが、頭ではわかってるんですよ。なにをどう準備して、選んで、話して、進めていけばいいか。冷静なんです。
なのに、気持ちが勝手にずんずん進んでいく。
嬉しい方へも、悲しい方へも。
わたしが、わたしのいうこと、聞いてくんないの。
情緒というか脳というかはわからんけど、いったん、心としましょう。わたしの心の不調、ハイテンションとローテンションが、同時に襲ってくる。
ハッスルした犬ぞりに乗せられて、雪山をすべり降りながら、凹凸で尻がもげそうになってる人間とでも言いましょうか。
これのつらいところは、ハイの時の罪悪感を、ローの時の自分が引き受けるということでした。
「なんであんなこと言ったんだろう……約束しちゃったんだろう……バカッ」
自分のことが、信じられなくなってくるわけです。
謎に10グラム5,000円のお茶とか、注文しちゃってたし。淹れらんねえよ。これはつらかった。完全に忘れてるわけでもないのがつらい。
そのうち咳するように、ヤなこと言っちゃう。
思ってもないのに。
今はどうかわからんけど、取り返しのつかんケンカしたら大変やぞと、あんまり誰とも会わないようにした。自分を信用できなかった。
毎日、ドカ笑いして、ボロ泣きしてた。あー、いやだったなあ。
心の不調っていうのは、体の不調よりもわかりづらくて。だいたい体がわかりやすくブッ壊れたあとに、心がブッ壊れるんだよ、とウワサには聞いていた。ほ、ホンマにその順番なんやね。
一週間、元気に休んで。
一週間、体が絶不調で。
一週間、心が絶不調で。
結局、三週間も、休む羽目になりました。大誤算です。
んで、ピタッと、治りました。
ピタッ!パッ!
「あれ……なんか……いける……?」
いけた。
嘘みたいな話ですけど。テンションも少しずつ、荒波が凪いでいって、今や鼻歌まじりにサーフィンよ。乗りこなしてる。己が日常を。
なんだったんだ?
もうね、そういう時は、アホがうろたえるよりも、自律神経の専門家に聞くのがいいよね。
聞いた。
「えっ、休み明けにいきなり東京きたの?」
「はい」
「急に働いたら、あなたそれ、ぎっくり腰みたいになるよ」
ぎっくり腰て、そこまで痛くないよ!と謙遜したけど、これは例えの話だった。いきなり休んだ人が、いきなり働くと、心身ともにぎっくりするらしい。
「今まで岸田さんの体は“なにが起こってもなんとかしたる!”って感じで、戦闘態勢だったわけよ。アドレナリンがドバドバで」
「たしかに、漏水のときも、なんとかしてました」
「それで……えっ、漏水?」
自宅の天井から汚水が降り注いでくる動画を見せた。先生、自律神経が来るって、爆笑してた。
「インフルエンザの時に見る夢みたいな動画をいきなり見せるのはやめてください」
「はい」
「それで、えっと、なんの話だ……そうそう、アドレナリンっていうのは、体を緊張させて、痛みをごまかす作用があるの」
生き物ってのはよくできてて、このアドレナリンがドバドバの時は、骨折しててもなんか動けたりするらしい。
「急ブレーキ踏むみたいに休んで、緊張が解けて、今までごまかしてた痛みが一気に出てきたのかもね」
「えーっ!じゃあ、休まない方がよかったってことですか!?」
「いや、そしたら、何年後かに特大のがガーンッてくるだけ。倒れてそのまま死ぬかもしんないし」
一週間休んで、二週間苦しむなら、まだマシだったんか……?
いま思い出しても、倒れてた二週間は、わたしゃ情けなかったんですよ。
月に二度か三度、弟の送り迎えをしているわたし。
ふだんは福祉グループホームで暮らす弟が、オカンが作る、回数を重ねるごと豪華になっていくサグラダファミリアみたいなカレー目当てに、帰ってくるので。
夜の22時ぐらいになったら、弟を車で帰すんです。
母と交代で運転して。
「ほなねー!がんばるわー!がんばれー!」
ほっくほくで帰ってゆく弟の背中を見ると、まだ、キューッてなる。わたしよりも全然多い友だちに出迎えられてるのを見ると、スンッてなる。
だから、それだけはね。
姉ちゃん、やってやりてえんだ。
でも、今回、初めてドタキャンした。
しんどすぎて。
てか、キャンすらしてない!ドタしてしまった!
布団にくるまって、起きたらもう24時で。
「うわっ!やば!送り迎え!」
スマホを見たら、母から、
「さっき送ってきたよー!ゆっくり寝ときや!」
聞けば、弟はわたしがいなくても、せっせこせっせこリュックに荷物をつめて、あっさり帰っていったらしい。
あれ。
「大丈夫やった?」
「なんもなんも。わたしら、一人でぜんぜん行けるし」
歩けない母は、家を出る準備に、二時間ぐらいかかるので。しんどいだろうな、助けたほうがいいだろうなと。
心のどこかで思ってたんです。
わたしが、なんとかしないとな、って。
父から受け継いだ責任感と瞬発力みたいなもんが、ずっと、わたしの中で大樹の根を張ってて。その根が、別に助けられなくてもやっていける母と弟を、勝手に守っていたのかもしれない。
誰かが急にいなくなって、うろたえるけども、
「あ、わりといけるやん」
って思えることも、あるんですね。
ちょっと、いきなり、思いついただけの変な話をしますけども。
病気って、ちょっと、必要なのかもしんない。
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