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飽きっぽいから、愛っぽい|混浴のバスケットボール@岩手県の老舗温泉旅館

キナリ☆マガジン購読者限定で、「小説現代1・2月合併号」に掲載している連載エッセイ全文をnoteでも公開します。


表紙イラストは中村隆さんの書き下ろしです。

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温泉の季節がやってきた。

わたしは無類の風呂好きである。

昔の平城京のごとく病魔に襲われまくっている家系である岸田家では、健康一番、カステラ二番。母は「食事と睡眠と風呂だけはしっかりしとき」と耳にタコができるほど言う。わたしが実家で暮らしていたころは、シャワーだけで済ませようものなら、風呂場でキュッと蛇口をしめる音を聞きつけて「湯船に浸かりや」と鬼の刺客みたいに現れたものだ。

最初は面倒で仕方がなかったが、二十代後半にさしかかった頃から、もう湯船に浸からずして気が済まなくなった。いきすぎた反動で、ユニットバスに恐怖すら覚えている。ゆっくり浸かるように考慮されていないあの構造に身体がむずむずしてしまう。出張の際はかならず大浴場のあるホテルか、バス・トイレが別々で分かれているホテルを血眼になって探す。宿泊予約サイトの検索項目では「大浴場あり」は用意されているが、「バス・トイレ別」はあまり見かけない。掲載されている写真を、一枚、一枚、なめるように見て、風呂の形状を確かめる。もはや部屋の値段と面積を見ただけで、どんな風呂が備え付けられてるのか大体わかるようになってきた。

大浴場のあるビジネスホテルに泊まったとき、脱衣所にでっかく人工温泉という看板が掲げられていて、「なんと気の利いたことでしょう!」と感激した。湯にあとから天然鉱石をぶち込んでいるらしいが、へとへとに疲れた心身には嬉しいサプライズだ。

天然温泉なら、なお良い。

ところでさっきから感激だとか良いとかえらそうに語っているが、料理の繊細な味覚に疎い「子ども舌」があるように、わたしは「子ども肌」だ。湯質の良し悪しなどわからない。目隠しをされた状態で「草津の湯だよ」とささやかれて湯船に放り込まれたとすれば、たとえそれが「旅の宿にごり湯シリーズパック」を溶かした湯であっても気づかず、「いい湯だな」と満足げに堪能すると思う。真偽は問わずともとにかく温泉だと言われるだけで、身体が芯まであったまり、肩こりや腰痛が消え失せるような気がする。

そんなわたしが、唯一、つま先を入れただけで「これは本物のいい湯だ」と雷に打たれたような温泉があった。

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。