泣きながら進め、七実ちゃんと奈美ちゃんの巻(ドラマ見学3日目)
早朝、まだ冷たい空気のこもっている地下駐車場で。
ぽつんと離れて立ってるわたしを見つけ、跳ねるように駆けてきてくれた河合優実さんの姿が、ずっと目に焼きついている。
「奈美さんだ!」
彼女の人柄が、岸本家を岸本家たらしめていると、その瞬間に思った。
そういう“結び目”みたいな人って、本当にいる。
愛想がいいとか、元気がいいとか。そういう言葉では、あの時の河合さんの良さが表せられない。
わたしの中学生のときによく似た、もっさりした前髪で、もっさり立ってる。無理に笑ったり、声のトーンを上げたりすることなく、普通にヌッと隣にいる。
ドラマは撮影より、段取りの方がうんと長いことをわたしは最近知った。1分のシーンのために、15分、30分……と役者さんは集中を切らさず、じっと待機する。
ぐったりしてるに違いないのに、この“ヌッ”ができる。
立食パーティでよくやるグワーッと最短で最高潮に盛り上げ早々に「ほな!」と解散や、エネルギーを温存するために塩対応してもいいのにさ。
河合さんは、ヌッと。
そこにいる。
いてくれる。
目に見えないなにかをゆるく、たしかに結ぶ。
お気に入りのセリフがある。
台本で見たときは流したのに、撮影現場ではちがって聴こえた。
主人公・七実(河合優美さん)が、ものすごく嬉しいことを家族の前で発表するシーンのセリフだ。
みんなが喜ぶなか、母・ひとみだけは、喜びと戸惑いがハーフ&ハーフの表情を浮かべる。七実から事前に聞いていた話と違うからだ。
そんなひとみに、七実が言う。
『そんな話もありましたなあ』
他人事のように目を細め、ニヤリと笑うのだ。
照れ笑い、苦笑い、ごまかし笑い、してやったり笑い。いろんな笑いをぜんぶ含めた、歌うような一言。
なぜかわからないけど、それがものすごく印象に残った。
「あれ、あの一言。すごくよかったです」
河合さんへ、ヌッと伝えた。
「七実のセリフっておもしろいですよね。どんな苦しい展開でも、みんながクスッと笑ってくれる。自分の言葉で笑わせるって、すごく新鮮で、すごく嬉しい」
救うつもりでひねり出したユーモアに、自分も救われる。
その嬉しさをわたしはよく知っていたのに、河合さんみたく、まっさらな言葉にできなかった。
数ヶ月前、編集の佐渡島さんと話していた。
「他人だから、本質をつかめることってあるよね」
自分が大切にしていること、表現したいことをわかりやすく言葉にできないわたしは、深く納得した。
100文字で伝わることを2000文字で書いてきたけど、その2000文字もマトの中心を射抜いているかと言われると。蚊取り線香のようにぐるぐる外周してるような気もする。
「本質をつかむには、何十年もかけて自分が他人になるか、他人と出会うかだよ」
「つかんでくれる他人って、どうやったら出会えるんでしょう」
「期待しないほうがうまくいくかも」
奇跡。
そんな他人に出会うのは、よっぽど奇跡にも等しいというわけだ。
河合さんが静かに喜んでいる姿は、わたしの本質だと思えた。
歩けなくなった母から「死にたい」と打ち明けられたときも、祖母が一日に何度も食事をつくるようになって冷蔵庫が破滅したときも。
絶望的な気持ちのなかで、わたしは呼吸するみたいに、ヤケッパチなギャグやホラを飛ばした。
ずっと昔からそうだった。
父の受け売りで、父の代わりぐらいにしか考えてなかった。
取材では理由を「おもしろく語ることで、自分が救われる」と言ったこともあるけど、本音はもっとずっと、その手前にあって。
目の前にいる人を、笑わせられるのが嬉しかった。
悲しみのズンドコでもバカらしくなって、天を仰いでしまうような。そんな風に笑わせるのが、嬉しかった。
覚えておこう。ちゃんと。迷ったら、いつでもここに戻ってこよう。奇跡が見せてくれた、わたしの原点。
『そんな話もありましたなあ』って、わたしも普段で使っていいか、河合さんに聞いた。まさかの逆輸入がおかしくて、ふたりで笑った。
地下駐車場は、まだまだ寒かった。
「連続ドラマの撮影って、しんどいですか?」
河合さんはこれが初めてのドラマ主演だ。もう3ヶ月も、朝から晩までみっちり撮影してる。スケジュール表を見せてもらい、卒倒しそうになった。
「休みの日は、ブワーッって泣いてます」
「泣いてんの!?」
「えっ、泣きません!?」
当然のような爆弾返しだった。そうなのかな。役者さんってみんな泣くのかな。知らない世界の話だな。
数秒考えて、やっと気づいた。
岸田奈美だったら、泣くんだと信じてた。
そういう意味だ。
これは。
「泣き……ますわ」
「あははは」
泣きます。泣きますわ。ベンチャー企業で会社員やってたとき、ちょうど今の七実と同じぐらいの歳なんて、休みの日、だいたい泣いてましたわ。
なんでわかるんだろう。
「泣ききったあとに、よーしガンバロ!ってなりますよね」
「なる、なる」
「だから、泣きます。休みの日は」
まわりからすれば、かなり心配されそうな営みである。若き主演が休みの日、ブワーッと泣いてるのだから。
ただ河合さんとわたしだけは、その一点において、ものすごくわかりあっていた。涙を流す。再生のために。プールの底へタッチする。浮かぶために。
光を探しにゆく、前向きな絶望。
目を腫らして歩く、まぶしい朝の街。
「泣いてるときはよく、岸田さんのことを考えます」
大九さんの声が聞こえる。撮影が再開される。河合さんはまた、跳ねるように駆けていった。家族のところへ、まっすぐと。
わたしは、あなたのことを考えます。
きっと、これからは。