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知らないおじさんに、家の鍵をわたした(もうあかんわ日記)

毎日だいたい21時更新の「もうあかんわ日記」です。もうあかんことばかり書いていくので、笑ってくれるだけで嬉しいです。日記は無料で読めて、キナリ★マガジン購読者の人は、おまけが読めます。書くことになった経緯はこちらで。

神戸から大阪へ向かう、普通電車のなかでこれを書いている。

東京に住んでいたころは、電車のなかでパソコン開いてる人って、一車両に一人くらいはいた気がするけど。

スマホの電波も届かない山道をざくざく通っていくこの路線では、わたししかいない。というかそもそも人がぜんぜんいないので、大注目を浴びてる。

パソコンを操作してるからか、MacBookAirの背面に「内閣官房長官 巨大不明生物特設災害対策本部 矢口蘭堂」というでっかい名札が貼ってあるからか、どっちかはわからんけども。


今日は、大阪へ行った。

わたしのもうひとつの家に二年前から住んでいるおじさんに会うためだ。

正確にはわたしのばあちゃんの家で、相続してない。だけど大学生のときから六年間、「あの家は誰も住んでへんから、あんたが好きにしてええ」と一人で住ませてもらっていた。

ふたをあけてみれば、築 70年を越す昔ながらの長屋の一角。柱自体が歪んでいて、あちこちドアは閉まらないし、天井にはアクティブなネズミが住み着いている。隣に住むじいさんばあさんの、毎日プログラムでセットされたかのような同じ会話が7.1chサラウンドで聴こえてくる。

耐震性も、たぶんやばい。断層の真上に建ってるし。

一度、震度4の地震がきたとき、廊下の照明がガタンッと落ちてきた。ユニバのジュラシック・パーク・ザ・ライドでコンテナが落ちてくるのを思い出した。

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のん気に歯磨きをしていたので

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あわてて写真をおさめるわたしが鏡に映っていた。

ばあちゃんは「あんたがお嫁に行くときは、この家をあげるからな」と、わたしの成長を祝うつもりで、何度も何度も言ってくれたのだけど、嫁入り前の孫がこんな顔をする家である。

というか、「嫁入り前の手土産」感が出ているが、相続税ならびに耐震工事や大がかりなリフォームやネズミおさらば作業を含めると、下手すりゃえらいことになる。嫁入り、即、負債。展開が最近のジャンプ漫画並みに速い。望まぬ人気が出てしまう。

それでも、大阪の心斎橋に歩いて行けるし、街はそれなりに静かで歴史の古い商店街や、新進気鋭のおしゃれレストランなんかもたくさんできているという立地のよさから、わたしはありがたく住み続けた。

四年前。
勤めていた会社で、東京転勤を言いわたされた。

ばあちゃんは足腰が悪く、とても長屋に戻れる体力はなかったし、路地が狭すぎるので車いすの母も近づけなかった。

長屋の面倒を見る人がいなくなってしまったのだ。

半年に一度はわたしが様子見に帰ってこれるし、とりあえず置いとけば、と言ったのだが、ばあちゃんと母から大反対された。

「そんなに長く家をあけて、火でもつけられたらどうすんの!隣もその隣もじいさんばあさんたちが住んでるから、大惨事やで!」

びっくりした。

「泥棒とかじゃなくて?」

「まあ、盗るもんないしな」「なあ」

ばあちゃんと母は、顔を見合わせた。それもそれでどないやねんと思った。

「せやから、盗るもんなくて、怒った泥棒が腹いせに火をつけるかもしれへんやろ」

泥棒、性格、やば!


火事場泥棒と聞いたことはあるけど、泥棒火事場はない。

身内に泥棒がいないので彼らの心理はよくわからんのだけど、そういうこともあるんだろうか。あるんだろうな。泥棒は根絶しなければならない。

よくよくばあちゃんの話を聞いてみたら、放火に限らず、古い家だからコンセントから漏電すると危ない、ということだった。なるほど。


ほな売ろか、という方向で団結した。

あの土地なら1000万円くらいにはなるというのが、ばあちゃんの目論見だった。

家族はだれも不動産を売買した経験がないので、とりあえず長屋のポストに入っていた「家、お売りください!女性スタッフがていねいに査定します」というチラシの電話にかけてみた。


プルルルル、プルルル、ガチャッ。

「はい、○△不動産です」

おっさんだった。


「チラシ見て連絡しました、家を売りたいので査定してほしいんですけど」

「あー、はいはい。住所どこですかいね?」


おっさんが査定するのかよ。


仰天した。なにが女性スタッフだ。声の感じと、バチバチの関西弁からして、思い浮かぶビジュアルはナニワ金融道一択だ。

ドキドキしながら、住所を伝えた。

坪数や法務局で確認できる建ぺい率などを聞かれたが、無知すぎるわたしはどれも確認してなかった。なんか、Google Mapとかでわかるんかと思っていた。

その時点で、おっさんは「めんどくさい」スイッチが入ったみたいだ。声のトーンがあきらかに変わった。

「お姉さんいくつ?」

「25歳です」

「はんっ」

まだ若いのに家売るって言ったからびっくりして声が出たのかなと思ったけど

「お嬢ちゃん、親切で言うけどなあ」

いきなりお嬢ちゃんに変わったので、鼻で笑いやがったなこのおっさん、と気づいた。だれがお嬢ちゃんや。

「お嬢ちゃんのお家はメンテナンスもいるし、たぶんそない値がつかへんで。あたしらでも見積もりすんのも無理やから、他あたってもらえる?」


あたしら?

あれっ。そういえば酒焼けしてるけど声がちょっと高い。

おばさんや、この人。


捉えようによってはお姉さんだ。お姐さんかもしれないが。チラシはウソじゃなかった。わたしは自分を恥じた。

そのあとすぐに思い直した。いや、優しいっていう部分は、ウソやないか。

「ほなね」

ガチャッ。

ほなねで切られた。友達か。

見積もりすらしてもらえない土地があるのか。驚愕だった。あとあと考えたらたぶん、隣とくっついてる古い長屋だし、わたしが初心者すぎるし、持ち主がばあちゃんだったので、無駄骨も多そうでめんどくさかったんだろうなあと思う。

丸腰でなにわの不動産屋に挑んだわたしもばかだった。ええ勉強させてもらいましたわ。


どうしたもんかなと思いつつ、すぐに結論は出ないまま、とりあえずわたしは東京で暮らしはじめた。三ヶ月に一度は、出張もかねて、長屋の様子を見に行って。

そのころわたしは、六本木のバーでバーテンダーをしていた。気が効かない上に一滴も酒が飲めないので、愉快そうにすることしか能のないバーテンダーだった。

その日、はじめて会った男性のお客さんが言った。40歳手前くらいで、営業だというのにロン毛だった。

「俺、大阪支社の支社長になったんだよ。来週から大阪」

上場こそしていないが、巨額の資金調達をし、業界ではベテランにも若者にも知られている、勢いのあるベンチャー企業だった。

「おめでとうございます!わたしも大阪の中央区に住んでたんですよ」

「住みやすいところとか知ってる?来週から転勤なのに、まだ家決めてなくて」

「えー!じゃあ来週はどうするんですか?」

「しばらくホテル住まいかなあ」

「へえ。わたしのばあちゃんちが空き家になっててそのままだと危ないから、そこ住みます?」

「そうなの?」

「って言っても、築70年でボロボロの長屋ですけどね。鍵もいまありますよ」

冗談のつもりだった。

しかし、次の瞬間、お客さんは身を乗り出していた。

「いいよ、いいよ」

「えっ、でも、めっちゃネズミとか虫とか住んでますよ」

「キャンプが趣味だから、いいよ、いいよ」

「壁が異常に薄くて、となりに声がだだもれだから、友達とかと騒げませんよ」

「騒ぐより寝ときたいから、いいよ、いいよ」

「絶対もっとちゃんとしたとこ住んだ方がいいですって」

「あんまり家に頓着ないし、俺、お寺に毎月手伝いに行くくらい古い木造建築好きだから、いいよ、いいよ」

「手すりとかドアとか、壊れて外れてるかも」

「工務店やってる叔父さんいるから、直しとくし、いいよ、いいよ」

お客さんは、ぱっと手の平を出した。鍵を所望していた。

「火の元でも、郵便でも、なんでも見るから、いいよ、いいよ」

ほんとになんでもよさそうだった。

一瞬だけ迷ったが、わたしだって、いつまでもあの家を放置しておくのはよくない。家は住む人がいないとだめになる。

その場で母とばあちゃんに連絡をしたら、まあ、空き家で火事になるくらいならいいんじゃない、とのことだった。

「じゃあ、とりあえず二年ってことでいいですか」

「うん、こっちもそれまでには別に住む家見つけるわ」

わたしはお客さんに、長屋の鍵をわたした。

それを横目に見ていたバーのマスターは、おもいきり困惑していた。

「えっ、いいんすか?マジでいいんすか?えっ、えっ?家ですよ?鍵ですよ?」

と、ひたすら尋ねていた。そんなもん、わたしもわからない。だけどこの人の「いいよ、いいよ」には不思議な引力があった。


わたしがおじさんを信用したのは、いくつか理由がある。

このバーは会員制で、しかもNewsPicksの幹部や社員の人たちがポケットマネーで出資して開かれていて、お客さんも見知った界隈の人たちがほとんど。なにかまずいことをすれば、すぐに話が伝わるので、誠実な対応をしてくれるお客さんが多かった。実際、このお客さんは、同僚や部下とよく訪れてくれた人らしく、信頼されているとマスターから聞いた。

そこそこ有名で大きい会社なので、名前もすぐでてくるし、身元もはっきりしている。

バーで鍵を渡したあとに、「心配だったら内見とか、簡単に覚書とか、ルールの確認とかしようか。奥さんも連れていくよ」と言ってくれた。

まあ、だからといって、世の中には詐欺とか泥棒とか、する人はいるんだけどね。いるんだけど。

なにより、いい人だったのだ。

テンションは低いところでずっと一定だったけど、言葉の節々にものごとをやわらかく見る視点が入っていて、この人なら古い家も大切にしてくれそうだなと思った。

お金を払うよと言われたけど、ただでいいと言った。こうしてわたしは、おじさんを家の守り神に据えた。


そして、約束の二年が立った。

おじさんから「そろそろ、奥さんと住む家をこっちで借りようと思うよ。ありがとうね」と連絡がきた。

今日はそのお祝いと、鍵の受け渡しで、いっしょにご飯を食べた。

「どうでしたか、大阪は」

「もう東京に戻りたくないね!」

おじさんは言った。だから東京で働いていた奥さんを、こっちに呼び寄せるのだ。

わたしも大阪が好きだ。仕事と実家の都合で、いま住むことはできないけど、でもわたしの代わりに空いた家に住んで、わたしの代わりに夫婦で街を愛してくれたなら、鍵を渡した選択はとてもよかったなと思う。

さて。

おじさんの住んだ家を、これからどうしようか。


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家への野望

おじさんのおかげで2年という猶予を安心して過ごせたものの、空き家をそのまま置いておくわけにはいかない。

売ろうか、建て替えようか。

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。