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他人のためにやることはぜんぶ押しつけ(もうあかんわ日記)
毎日21時更新の「もうあかんわ日記」です。もうあかんことばかり書いていくので、笑ってくれるだけで嬉しいです。日記は無料で読めて、キナリ★マガジン購読者の人は、おまけが読めます。書くことになった経緯はこちらで。
今回特にもうアカンし、書いてる方も読んでる方もモヤモヤするしんどい内容なので、元気で余裕があってつまらんボケにもツッコミできるくらい元気なときに読んでください。
弟の健康診断の結果が返ってきた。
Cと書いてある。つまり再検査だ。原因は肥満。
「あんた、やばいって!太りすぎやで!」
あわてて弟に伝えるが、彼はキョトンとしている。
「太りすぎっていうのは、ええと、いろんな病気になるねん」
「うーん?」
それでもわからない。病気って、ピンからキリまであるもんね。
「ええと、あのな」
「うん」
「し、死ぬど!」
この状況で縁起でもなかったが、ここは砲弾ストレートを打ち込むしかない。弟は絵に描いたように「ガビーン!」となった。
そして弟は「今からプールに行って泳ぐ!」とパニックになって準備をはじめた。もう20時だ。待て待て待て、と今度はなだめるのが大変だった。
人は、想像できる未来の日数が、それぞれ違う。
弟の場合、一週間先の未来が限界だ。それより先は、宇宙の果てのように見当もつかないものが広がっている。
だから弟には、健康維持という発想がそもそもない。健康は、数年、数十年先の未来を想像できる人だけが考えられる。せいぜい、来週の遠足に行けるよう、風邪をひかないようにするくらい。
祖母の場合はもっと短い。きっかり一日。起きて、寝るまで。
朝何時に起きて、昼何時に食べて、夜何時に寝る。その絶対的なルールを守ることだけが重要で、明日のことなんて考えられない。
だから冷蔵庫でわたしが作り置きしているご飯はすべてその日のうちに食べるか、捨ててしまう。わたしが〆切に追われて夜ふかしで仕事をしていると、なにがなんでも寝かせようと、電気を消してくる。夜19時以降にお風呂に入っても、怒ってガスの元栓を閉める。シャワーから冷水が降り注ぐ。
弟が太りすぎたのは、このばあちゃんとのコンボが原因だ。
五年ほど前から、母の仕事が急激に忙しく、人手も足りなくて全国を飛び回りはじめ、ばあちゃんが留守中の家事を担うようになった。そこからだ。
「19時には寝なさい!」と、布団まで追いかけ回して、ガミガミ言う。
まだやることがあるからと説得すると、一度は自分の寝室に引っ込むが、5分後には忘れて「なんで寝えへんねん!」とまた怒鳴り込んでくる。
電気もガスも消されるので、わたしと弟は、しぶしぶ布団に入る。わたしはタヌキ寝入りができるが、弟はけっこう寝てしまう。
毎日19時に寝る、健全な成人男性はどうなるか。
深夜1時ごろに目が覚め、のっそりと起き出すのだ。人は、寝ているときにカロリーを消費するらしい。クマと同じだ。腹が減った弟は、冷蔵庫をあけて、母が料理を作れない時のために置いてある冷凍チャーハンや冷凍そばめしに手を出す。
そりゃあ、太るわ。
一度、母が目撃して、叱り飛ばした。すると今度は、忍び足でキッチンに向かい、チン!と音が鳴る直前で電子レンジから取り出すという、間者の技を編み出してしまった。
それが積もり積もって、健康診断のC判定。
かつて父は言った。
「好きなもん我慢して長生きするんやったら、好きなもん食べまくって死んだ方がマシや!」と。チキン南蛮やUFOを浴びるほど食べていた。
それで健康だったなら、いい民話のひとつにでもなりそうだが、彼は39歳で心筋梗塞を起こして死んだ。とんでもねえ。例が極端すぎる。子が受け継いではいけない民話だ。どっちかっていうと教訓だ。
22時とか23時に寝れば、途中で起きることはない。だけど、ばあちゃんは19時に寝ないと許してくれない。
それだけじゃない。
すでに風呂に入ってる弟に「風呂に入れ!」とばあちゃんは何度も怒り、弟が入らずにいると、「あんたはなにもわからへん!」「耳聞こえてないんか!」とばあちゃんがヒートアップし、最終的には言ってはいけないことを言う。
絶対にここでは書けないが、なんというか、一部の年配世代が使ってしまう障害者への差別用語みたいなのも連発する。
わたしが「なんてことを言うねん!」と止めに入っても、すでに遅し。弟は悔し涙を流し、地面をドスドス踏み鳴らして、自室に閉じこもる。弟の怒りは正しいと思う。
わたしだって今日はしんどかった。
仕事で、人に送る荷物をダンボールに詰め、集配を待っていた。大きく張り紙で「さわらないで」と書き、リビングのホワイトボードにも残し、ばあちゃんに何度も「これは送るやつだから置いておいて」と口すっぱく言った。
一時間後、クロネコヤマトの人が来たら、その荷物はすべて取り出され、生ゴミと一緒に捨てられたり、戸棚の奥に詰め込まれたり、ダンボールは解体されてベランダに投げられていた。ばあちゃんだ。
「張り紙に書いて、部屋に置いてたのに!なんで勝手に入って、触るん!?」
「うるさいな!ここはわたしの家や!」
うるさくないし、ここは母の家である。
でもそんなの、話してわかるもんじゃない。ばあちゃんに悪気はこれっぽちもない。
孫のためにわたしが世話してあげにゃという善意で動いている。わたしたちに向けられた愛だ。物忘れがひどいので、やったことも忘れている。言っても、わからない。
そして、そういうばあちゃんの事情を、弟はわからない。
もう、離すしかない。
人を愛するとは、自分と人を愛せる距離を探ることだと思う。
わたしはばあちゃんを愛している。だけど、このまま一緒に暮らしていたら、愛せない。だってばあちゃんは、わたしと弟を悲しませ、ばあちゃん自身も悲しませるのだから。怒りは悲しみと似てる。
ゆっくり話しても、忘れてしまうばあちゃんを変えることはできない。
実際、弟はグループホームに二泊三日で行ってみたら、食事も睡眠も、リズムが整ったのだ。栄養士さんがつくるご飯を食べて、ぐっすり寝て、みんなで散歩に行っている。
「家に帰りたくない」と電話がかかってきたくらい。こりゃいい。
さてさて、問題はばあちゃん。
福祉の相談に乗ってくれている、公的な立場の方々が何人かいるのだけど、そのうちの一人に「しんどいんです」と相談した。
「週に二度、デイサービスに行くようになって、少しは楽になりましたよね?」
その人は、嬉しそうに聞いてきた。デイサービスは、朝9時から夕方7時まで、おばあちゃんを預かって外出させてくれるやつだ。同じ年代の他の利用者さんと交流したり、食事や入浴をしたり、リハビリもできる。
そりゃあ楽にはなったが、ばあちゃんのカオスは、夜からが本番なのだ。前と比べれば少しは楽になったが、根本的なことはなにも解決してない。
「いやあ、けっこう、しんどいんですよね」
「週に二度以上行きたいなら、自費で行けますよ。そうします?」
「デイサービスじゃなくて、サービス付き高齢者住宅なんかを考えてます」
ばあちゃんの介護認定のレベルでは、国が運営する特別養護老人ホームなどには行けない。ばあちゃんは身の回りのことはめちゃくちゃだけど一応一人でできてるし、足腰も悪くないからだ。
あくまで部屋で一人暮らしをしつつ、すぐそばでヘルパーさんや看護師さんが待機しているマンションに住むのが良さそうだと思った。
「それっておばあさんを施設に入れるってことですか?」
「はい」
「うーん、もう一度考えなおしませんか?」
その人は、ちょっと渋い顔をした。
「いまはコロナ対策で、施設に入ると面会ができなくなります。おばあさんも寂しい思いをしますよ」
「はあ」
「お姉さんは、ご自宅でできる仕事なんですよね。弟さんも、おばあさんと一緒にいた方が安心するかと」
「へえ」
「気持ちはわかるけど、老い先が短い家族さんのことです。もうちょっと冷静に考えてください。お母さまが退院されてから、もっとよく話し合いましょう」
気持ちがわかるっていうのは、勝手に相手の気持ちを想像した、ってだけなんだよな、たぶん。
わたしだって、その人がなにを思ってそう言ったかわからない。純粋な善意かもしんないし、いまは介護が必要な高齢者がたくさんいて施設に空きがなくできるだけ自宅で介護してほしいのかもしんない。
人の気持ちなんて、どんだけ注意深く見ても、1割くらいしか理解できないと思う。あとの9割は、本人しかわからない。
同じ状況でもなにを思うかなんて人によって違うし、感情には理不尽と矛盾が平気で混ざりあう。
「桜井和寿さんが好きすぎて、もう見るのがつらい」と母は言った。好きすぎて見るのがしんどい、という矛盾は普通に成り立つ。
わかってほしい、と、わかるわけないやろ、の怒りと悲しみをあわせ持っている人は、けっこういると思う。
気持ちを理解しようとする謙虚さは必要だけど、気持ちを理解できるという高慢さは捨てなければ。
気持ちをぜんぶわかることは無理なんだから、基本的には、他人に向けたすべての行動は押しつけでしかない。どんなに善意でも、親切でも。
「こういう方法があるよ!」「こういう工夫は試しましたか?」というアドバイスも、時として傷になる。すでに試したことを言われると、そんなこともできてないのかと叱られてるように聞こえるし、ひとつひとつに答える気力も奪われる。相手が求めない限り、うかつなアドバイスはしない方がいい。
わたしもそうだ。押しつけている。その愚かさを自覚した上で、見返りを求めず、わたしたちは生きるのだ。
押しつけを「あんたのためを思って!」とか、善意で押し通すと、呪いにハイパー進化する。やばすぎ。
大切なのって、なにを決めたかじゃなく、どうやって決めたかだと思うんだ。わたしはいま、ばあちゃんと弟のことを思っている。それだけは変わらない。
彼らから不満の声があがれば、そのたびに考える。考え続けるし、自分を責め続けるし、許し続ける。
「ばあちゃんがかわいそう」というのが、真実なのか、呪いなのか、わかんないけど、とりあえず、離れてみようと思う。なにを言われても。
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これとはべつに、今日は泣いて泣いて、なにも手につかなくなる出来事があった。
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。