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怒りの正体と、本郷猛の形をした魂

この週末、京都にて三泊四日で弟を預かっていた。

摩訶不思議なことにわたしは預かっていたつもりで、弟はついてきてやったつもりと両者どうやらすれ違っているのだが、徹底的に主観を貫き通せるのがこの場所なので姉は声を大にして言わせていただく。預かっていた。

明石にある出版社「ライツ社」まで、サイン本を書かせてもらいに行き、その帰り、ちょうど中間地点である実家に泊まった。ゲームでいう宿屋みたいな役割である。セーブ、回復、そして夜が明けた!(タララララ、ラッタッター♪)

「良太、もうすぐ健康診断やねんて」

なんとかして同行しようとする執念の犬をトランクから抱きあげては取り除く作業を繰り返していると、母が何気なく言った。

もうそんな季節か。

前回の健康診断は、まだ母が入院してすぐの時だった。健康のけの字も思い当たらぬ祖母が「こんだけ食ってりゃあ、死にゃせん」の一本槍で弟のお茶碗に、まんが日本昔話でしか見たことないほどの米を盛り、しかもそこに深夜かつ冷凍チャーハンというオプションをつけるので、弟の血糖値は激しすぎるアップダウンを繰り返した。楽譜に起こしたらたぶんショパン「革命のエチュード」くらいにはなっていた。

拍手の代わりに返ってきた診断書には「太りすぎ 要経過観察」と書いてあった。

しかし、ばあさんじいさんというのは、孫が食えば食うほど嬉しい生きもんである。ありとあらゆる孫の輪郭を丸くすることに使命を感じている。

「それやったら、健康診断までこっちで預かろうか」

わたしは答えた。弟はキョトンとしていた。

「京都やったら、なんかお寺とかあるし、うちのまわりもお寺ばっかりやから毎朝行けるし」

咄嗟のことだったので、わりと無理めな仏頼みをする人のような理屈になってしまったが、言いたかったのは観光がてら散歩もはかどるしということである。

「ええで」

弟は言った。

「よっしゃ。ほんで健康診断っていつなん?」

「明々後日」

それは無理めの話じゃなかろうか。脳裏で仏もつぶやいた。

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複雑な言葉や空気を読むことはできないが、その代わりどこへでもスッとシームレスに順応するのが、わが弟のいいところである。

一日に三度は、おやつを食べるかのように寝ていた。こう、入眠には誰しもそれなりに導入時間みたいなものがあると思うのだが、弟にはそれがなく、横になったら秒で寝落ちする。意図的に落ちていく人を初めて見た。

リビングのど真ん中にせっせと布団を敷き、堂々と横になる寝姿には、さっき見てきた、阿弥陀如来坐像に匹敵する神々しさすらも感じてしまう。

この寝姿を「オペラ座の激唱」、

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この寝姿を「雨乞いの腹太鼓」と名づけ、岸田家に収蔵することとした。

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二日目、商店街で買い物をしていると、商店街の時計屋の前で足をとめ、弟が「とけい、ほしい」と言った。

弟は腕時計が好きでどこへでも巻いていくのだが、今つけているやつはおもちゃのようなつくりでボロボロになっていたので、それなら買い替えたろうと気軽な気持ちで入ったら、他のものには目もくれずスマートウォッチだけを強く所望されて戸惑ってしまった。

弟の腕時計えらびには、ひとつ、絶対に譲れない法則がある。

この法則を発見したのは、母だった。

「時計を買い替えてあげてんけど、なんかずっと怒ってるねん。なんやろう」

ある日、母が言った。弟をみれば、新品の腕時計を見ながら、小首をかしげつつ足で「もォ」と言いながらゴジラのごとく地団駄を踏んでいる。

弟は怒るとき、上下へ小刻みにジャンプし、首を反動で揺らしながら、全身で地面を踏みつける。わたしたちが怒鳴ったり、泣きわめいたりして怒りを散らすように、弟は地面を何度も、何度も踏む。言葉で散らせないから、体で散らすみたいに。

「どうしたん?」

「これな、もうな、あかんねん」

腕時計を指さすばかりである。

しかし、なにがあかんのかは、わからない。弟もそれをあらわす言葉を、自分のなかに持ち合わせていない。なんかわからんけど、モヤモヤする、もうあかんと思う、それをわたしたちにぶつけている。

父の血を色濃く受け継いだわたしは短気中の短気であるため「ほなもうしらんわ!」と諦めてしまうのだが、対照的に母は気が長く粘り強い。好きな食べ物もオクラやとろろだ。

「赤いのが嫌なん?青いのがいい?」

「ベルトがきついん?蒸れるん?かゆい?」

母は思いつく限りの質問を紡いでは弟に投げかけ、弟が違うと首を振るのを繰り返した。ヒントが少なすぎるウミガメのスープみたいな作業だ。

二日ほど経って、ようやく母が「わかった!」とひらめいた。頭の上にあの電球が見えた。

「時間の表記があかんねん!これ24時間表記のデジタル時計やろ。良太は12時間表記じゃないと、いま何時かわからんみたい」

12時間表記のデジタル時計に交換してもらうと、弟はちょっと照れながら「ありがとうございます」と言った。

なるほど。

日常生活で「19時にご飯だよ!」と言う場面はあまりない。朝でも夜でも「7時にご飯だよ!」の方が自然だ。弟は、19時や21時と書いてあっても、それが何時なのかピンとこないのだ。

だけど、知的障害がある弟自身、時計に12時間表記と24時間表記があることは知らなかったろうし、それが原因で自分が怒っていることにすら気づかず、とにかくわからないというモヤモヤを抱えていて、誰かに言語化してもらうのを待っていたというわけだ。

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時計のほかにも、母が長い時間をかけて、言葉にしてきた弟の怒りはたくさんある。

なにをされたら、どんな気持ちになって、どうしたいのか。

それを母が言葉にする度、弟は、どこかホッとする表情を見せていた。中学生くらいまで怒ってばかりの弟は、岸田家屈指の温厚な男になった。姉の情緒が一本下駄を履いているので、余計に落ち着いて見える。



赤ちゃんは、「眠くて泣く」ことがあるらしい。

われわれ大人であれば「ほな寝まっさ」とドロンして片づくが、それは経験と自覚があるからできることで、赤ちゃんはどうすればこの眠くて不快な気分が消えるのかがわからない。だから、疲れ果てて寝るまで、とにかく不快感をあらわにして泣く。わたしも毎日眠いので、猛烈に泣きたい。だれか察してくれ。でんでん太鼓とか渡して優しくしてくれ。

でんでん太鼓はともかく、気づいたことがある。

人は怒る。
SNSの世界も怒りに満ちている。

では怒りとはなにか。

怒りとはたぶん、魂だ。

急に予想もしてないスピリチュアルな空気をかもし出してしまったが、できるだけ言葉を尽くすので、一旦落ち着いて聞いてほしい。

怒るというのは心と体のパワーをドンドコ使う。永遠に怒り続けていたい人などたぶんいないし、そういう人はいつか倒れちゃう。だが、威嚇や激情を伴う怒りには、自分を守るための防衛機能が備わっている。

なんでそこまでして、守ろうとするのか。

それはみんな、魂を傷つけられてしまったからではないか。傷つけられ、損なわれ、奪われることを察知したから、怒りに怒って、守ろうとする。

でも「自分の魂はなんなのか」を言葉にできる人は、ほとんどいない。魂とは目に見えず、一人ひとり違い、言葉にできない。

「なんだかよくわからないし、うまく説明はできないけど、自分にとって大切ななにか(魂)を脅かされた気がするから、怒っている」

だから人は怒るんじゃないのか。

「買っておいたアンパンを、勝手に食われた」

これで爆裂に怒っている人がいるとする。でも、アンパンひとつでなんでそんなに怒ってしまうのか、いざ説明をしてもらうと、状況を説明する以上の言葉は出てこないこともざらだ。というか弁償を求めればいいだけで、わざわざ感情をあらわにして怒らなくてもよかったりする。

じっくり話を聞いてみると、怒りの背景にはそれぞれ

「仕事を頑張って昼に食べようと楽しみにしていたのに、その期待が粉々になって、ガッカリした」

「アンパンを買うための200円は、すみっこぐらしのガチャガチャをグッと我慢して奮発した200円なのに、その苦労ごと奪われた」

など、想像もできない物語と感情が渦巻いている。魂は物語に似ている。

ただ「ごめんね」「でもこういう事情があったんだよ」と説明して、土下座して、謝ることで人の怒りは簡単におさまらない。

謝りゃいいってもんじゃないよ!とバチクソに怒ってる人がいるけど、それはその通りだと思う。だって本当にほしいのは、使い古された謝罪の言葉なんかじゃない。

その人の魂がどうして、どうやって傷ついたのか。

しっかりと耳を傾けるか、想像を尽くすかして、わたしたちは固有の物語を言葉にしなければいけない。相手の怒りを本当に収めたいのであれば、本人ですらできない、傷ついた魂の形を確かめる作業が発生する。

「ああ、そうか。わたしはこういう魂を傷つけられたから、怒っていたのか」と、客観視できたときに怒りは収縮をはじめる。

「謝ってくれてありがとう」ではなく「わたしの大切にしている気持ちを本当にわかってくれて、ありがとう」と言えたとき、ようやく人は人を許せる。

怒っている人は、相手を傷つけたくて、貶めたくて、怒っているのではない。傷ついた魂の正体を知りたくて、そして、自分では言葉にしづらいそれをとにかく受け止めてほしくて、怒っている。

世の中で大々的に発表されている「謝罪」と「経緯説明」を見ながら、たまにわたしは、悲しくなることがある。そこには「鎮魂」がすっぽり抜け落ちている。

母が、説明が上手ではない弟に向けてやっていたことは鎮魂なんだなと、今になって思う。



朝と昼がちょうど移り変わるくらいの時間に、弟が「仮面ライダー!仮面ライダー!」とわたしを揺り起こしてきた。

テレビで仮面ライダーを見たいという主張である。

「はい、どうぞ」

最新の仮面ライダーを見せておけば文句はないだろうと動画配信サービスで探して、テレビに映すと、弟は不満そうだった。

「これじゃないの?」

「ちがう」

じゃあひとつ前の仮面ライダーかと思ったが、表情は変わらない。

「なんなん?」

いつものわたしなら、ここで匙を投げていた。だけど、母を思い出す。姉は弟の荒ぶる魂を鎮めなければならない。

歴代の仮面ライダーが大集合している冊子を入手し、弟に見せる。どれかを指さしてほしかったが、弟は小首をかしげる。

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「そこになければ、ないですね」

わたしの中のダイソー店員がそっけなく言い始めるが、諦めないぞ。弟に何度か質問していると、突然

「たけし」

と言い出した。

「たけし?仮面ライダーたけし?」

そんなジャイアンの副業みたいなライダーが存在するのだろうか。

『仮面ライダー たけし』で調べてみた。

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仮面ライダー……1号……本郷猛……!

仮面ライダー大集合では仮面をつけている見た目しかなく、猛が猛のままで存在しているわけではなかった。弟のなかでもなぜか、1号と猛は結びついておらず、猛と藤岡弘、は結びついていたという奇跡の認識であった。

本日の魂は、本郷猛の形をしていた。


キナリ★マガジン読者さんに向けた、特になにかいいことが書いてあるわけでもないおまけ。

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。