ナミー・ポッターと故障車の騎士団
トランクを開けただけなのに。
なにが、なにが起こった?
バンザイしてるわたしの両手が重い。
人生で経験したことのない重さ。
もはや人生より重いのさ。
「えっ……」
外れとる。
落ち着けー、落ち着けー。
あぶねー、あぶねー。
トランク持ってなきゃ、落とすとこだった。
ガラスが割れるのだけは、絶対回避。
戻そう!
そうっと、元の位置まで持ち上げる。
バキッッッッ!
銀色の粉が舞い散った。わあきれい。駐車場のメリー・クリスマス。足元を見た。青ざめた。
車体とトランクをつなぐ、なんか、こう、名称はまったくわからんがどう見ても大切な部品が、砕け散っていた。鮮やかな殉職っぷりであった。
下ろそう!
そうっと、地面まで近づける。
メリョメリョメリョ!
弾け飛んでいない側の部品が、ありえない音を立てた。このままだとドアの自重で折れる。いっそ折れてくれたら。ああっ。
戻せない。下ろせない。手を離せない。
詰んだ。
京都の繁華街のド真ん中で、詰んだ。
とめどなく流れてゆく観光客が、わたしのことをチラ見している。着物でめかしこんだ外国の方々もチラ見している。
両手を天に掲げ、仁王立ちしてるわたしの姿を。
これ、あれだ。
サザエさん。
トマトだかスイカからパカッと現れてる、エンディングのサザエさん。
いま、わたし、確実にあの状態。
たたずまいは弁慶でも、助けてと言えないわたしはネット弁慶。
ぷるぷるぷる……。
扉とガラスあわせて40kgを越える。手が、手が、震えてきた。
「で、電話……電話だ……!」
ロードサービスに加入しててよかった。
ところがスマホはポッケの中。手を離したら、ドアは落下。
南無三!
頭の上に扉を乗せた。
サザエさんから雑技団に華麗な転身。なにやってんだろう。なにやってんだろう。はあっ……はあっ……。呼吸が荒くなってきた。
「トランク!外れました!手が離せません!助けにきてください!」
電話口のお姉さんに、三回は聞きなおされた。聞かれたって、わからんもんはわからんのだ。
ロードサービスが到着するまで、30分。
ドア持ち上げ選手権大会、続行!
「あのー……」
学校の制服を着た女の子が立ってた。
もしかして、助け……
「岸田奈美さんですか?」
割れてた。
ガラス割れてないけど、身元割れてた。
「うわー!これドラマで亮ちゃんが乗ってた車!本当に買ったんですね!」
目を輝かせている。錦戸亮さんファンと見た。
どっぷり暗くなってて、外れてるドアに気づいてない模様。
その喜びっぷりったら、もう、さ。
「あの、写真撮ってもいいですか?」
ブッ壊れたんだよ、なんて。
亮ちゃんが乗ってた車がね、初日にブッ壊れたんだよ、なんて。
言えなかった。
「はい!何枚でもどうぞ!」
わたしのバカッ!かっこつけ!見栄っ張り!
女の子はとても喜んで、塾まで走ってった。
終
制作・著作
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NHK
「おうい、大丈夫かい?」
顔をあげた。
近所のケーキ屋のご主人が、颯爽とあらわれた。
「うわっ、いい車!壊れちゃった?」
「トッ、トランクが……」
「代わろう!俺が持っとくから!」
ご主人が、代わってくれた。
バンダナとエプロン姿のご主人。
どう見たって、仕込み中である。
まぎれもなく、ヒーローだ。
バターとチョコレートがフワッと香る。
アンパンマンって、本当にいたんだ。
絶望感に、限界を迎えつつあった手が解放された安心感が混ざり、ポロッと涙がこぼれそうになった。
「これもかわいいもんよ、旧車ってのは」
ちょっと不器用な表情で、ご主人が言った。
そのうち、積載車が到着した。
よかった、これでやっと……
「トランクが開かないって聞いて、やってきたんですが……」
誤報。この後に及んで誤報。
積載車から降りてきたお兄さん、動揺してた。
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。