病院で骨抜きのサバを出されては怒り狂う人よ
キレ散らしてる人の声を“聞く”のは嫌いだが、“読む”のは嫌いじゃない。
なぜか惹かれてしまうこともあった。人に誇る衝動では、絶対に無いが。
病気にかかる家族が多かったせいで、あちこちの病院にわたしもよく付き添ってきた。
待ち時間が長いと、暇つぶしに院内をうろつく。
廊下に
『患者様のお声コーナー』
があると、必ず足を止める。
患者が自由に要望を投書し、病院がそれに答えたものが張り出されている掲示板だ。そこで何分も、何十分も、わたしは釘付けになる。
これこれ。これが読めるから、付き添いはやめられんのよ。
似たような掲示板はスーパーなんかにもあるけど、病院のは飛び抜けて、感情の剥き出し具合がエグい。
剥き出しで言えば、縁切りで有名な安井金比羅宮の絵馬置き場もえげつない。感情どころか呪いたい不倫相手の勤め先住所まで剥き出しになっていた。眺めてるだけで得体の知れない高熱が出そうだったので、早々に立ち去った。
安井金比羅宮と違うのは、病院の掲示板は返答も読めることだ。
返答もまた、淡々とした文体で、病院の激しい感情が見え隠れしている。
今までもう何百件と読んできたが、忘れられない“患者様のお声”がある。
『件名:入院食について』
おっ、よくありそうなクレーム。まずいとか、うすいとか、ぬるいとか。そういうやつねと予想して、読み進めたら。
『夕飯に骨抜きのサバが出てきました。』
骨とらなくていいから、楽なんじゃね?
『骨折で入院している私のことを少しは配慮してほしかったです。一口も食べられませんでした。』
えっ。
……えっ!?
これは完全に言いがかりやろと。もしくはウケ狙いか。笑いをこらえながら、別の患者の声を読んだ。
『楽しみの少ない入院生活。旬の献立がサンマと聞き、数日前から楽しみにしていたのに。出されたのは頭のないサンマでした。自分は脳腫瘍の放射線治療中です。せめて、脳外科病棟に出すサンマだけはどうにかならなかったのでしょうか。ホスピタリティを疑います。』
本気やん。笑いが一瞬で引っ込んだ。
骨抜きも頭取りもシェフの思いやりであるはずが、裏目に出ている。こんなんで叱られたら、シェフもたまったもんじゃない。
相手にせんでええやろ、こんな、いちゃもん!
驚愕しながら、病院の返答を読んでみた。
『この度は、患者さまのご期待に添えず、誠に申し訳ありません。多くの患者様へ安全にお召し上がりいただくため、食材は処理をしております。しかしながら、今回は患者さまにご不快な思いをさせてしまったことは深く反省すべき点であり、事前のご意向の確認が不十分であったと認識しております。今後は処理について、入院前にしっかりとご意向を話し合った上で、変更できるところは変更して参ります。お辛い中、貴重なご意見をありがとうございました。』
相手にしとる。むちゃくちゃ相手にしとる。土俵でがっぷり四つに組んどる。上がる土俵は選べよ!
しかも謝っただけではなく、ちゃんと改善策も出している。
話し合うって、なにを話し合うのか。自分は脳の病気なんで、えっとその、サンマの頭とかはね、デリケートな問題なんで、取らずに出してください……と切り出せっていうのか。想像力が、過ぎる。怖い。
食べものに関する“患者様のお声”は、びっくりするほど多い。
患者の食べものだけではなく、医者の食べものにも。
『件名:お茶』
お茶。
熱すぎて飲めないとか?
『手術のカウンセリングのとき、目の前で医師にお茶を飲まれた。こちらは朝から何時間も待ったのに、自分だけ悠々と仕事中にお茶を飲むのはいかがなものか。せめて“飲ませていただきますが、ご都合よろしいでしょうか”と丁寧に詫びるべき。透明な容器でお茶の色が見えるのも不快、濃い緑色は清潔感がなく、病院の衛生管理を疑う。後日、彼が食堂でクリームパンを食べているのを見たが、患者へは命の脅迫のような厳しい食事制限を課している一方、院内の目につくところでそのような糖分を食べるのは万死に値しますネ!地下で食べたらどうですかネ!』
最初から最後までサビしかない曲かよ。ずっとサビ。怒りのサビ。最後に叫び捨てるかのような『万死に値しますネ!地下で食べたらどうですかネ!』のパワーよ。ミスチルの“名もなき詩”でいうところの『成り行きまかせの恋におち 時には誰かを傷つけたとしても その度心痛めるような時代じゃなァい!!!!!!』である。
言いすぎやぞ、節子。
病院のアンサーソングは、
『この度は、ご不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ありませんでした。ひとりの医師に対するご意見であり、他の医師はそのような対応はないかと存じますが、すべての職員への要望と真摯に受け止め、本来あるべき姿で励むよう、接遇教育に努めるよう検討いたします。』
だった。
考えすぎやぞ、節子。
あれだけの大サビを受け止めるだけでもしんどいのに、接遇教育までやろうとしている。教育される医師も豆鉄砲くらったかのごとく、キョトーンするのが目に浮かぶ。お茶ぐらい、好きなだけグビグビいってくれ。
他にも、
『件名:凶器
売店で焼き芋が売っていましたが、熱すぎて主人が口の中の粘膜を怪我しました。薬を飲むのも辛そうです。金儲けばかりを考えるのではなく、常識を考えて商売してください。』
『件名:クビ確定
受付の人の目つきが悪く、診察券を出すたびに動悸がしますから、外科で整形させるかクビにしてください。』
などの数々。
野次馬の分際であるわたしが、なぜか猛烈に腹が立ってきた。
そりゃあ、病院で塩対応されることはあるけどさあっ、ここまで強く言うこと、ないんじゃないの。
病院の平謝りっぷりも、腹が立つ。ちょっとなんとか言い返しなよ!アンタ、なめられてんだよ!わかってんの!
下世話だと重々承知していたが、いったい誰がどんな顔してこれを書いているのか、気になった。相当イヤな奴に違いない。鬼のような形相の。
ちょうど“患者様のお声”を投げ入れる箱が見える場所に、休憩用のベンチがある。
しめた!家族の診察が終わるまで、ここに座って眺めてみよう。
それで何日か、付き添いの度に眺めてみたが、待てど暮らせど、患者はひとりも来なかった。貼り出される声は、毎月、大量なのに。
おかしい。
患者には会えなかったが、たまたま医師に会うことになった。付き合いが長く、仲のいい医師だったので「あれって、どんな人が書いてんですかね」と、雑談でポロッと話をしたら。
「ああ……。自分の担当病棟だと、大体あの人かな?ってわかるよ」
「わかるんですか!?」
「長文になればなるほど、なんとなくね。顔も浮かぶ。もちろん言わないけど」
そこで初めて知ったのだが、患者は匿名でも、病院の回答には、どの階の病棟に確認をとったのか記載されていることがある。
階数で、どんな科の病棟かどうかわかるというのだ。
気になって、もう一度“患者様のお声”を見に行ってみた。
7階(仮)と書かれた数が、ものすごく多い。案内板を見に行ってみると、7階は腫瘍と血液を専門とする内科だった。
長いこと、きつい副作用の伴う治療と入院を繰り返す患者が多いという。
入院着をきたお爺さんが、看護師さんに支えながら、ゆっくり、ゆっくりと廊下を歩いてきた。
「雨やねえ」
「雨ですね」
「雨は嫌やねえ」
「そう、鬱陶しいですし」
「雨はね、眺めるしかないやろ」
「ええ」
「眺めるしかないよお」
お爺さんの抑揚が不安定すぎる細い声が、なぜか耳に残った。雨は肌を冷たく濡らすし、葉を散らすし、アスファルトを反射する。
わたしは駅から元気に歩いてきたので、知ってる。
わたしの母も一年半の間、入院していたことがある。
わたしが付き添いのたびに姿を消して“患者様のお声”ばかり見に行ってるのには、早々に気づかれた。
「もうそんなん、面白半分に読むのやめときや」
母は叱ったが、まあご覧あれと、何枚か強烈な声を紹介すると、母は「ングフッ」とくぐもった笑いをもらした。
「これ書きたくなる気持ちもわかるわ」
「えー」
「入院ってな、あんたには想像できへん世界が広がってるねん」
おっしゃる通り、わたしは入院をしたことがない。災難が流星群のように降りかかる岸田家代々で、奇跡の人として扱われるほどの無病息災っぷり。
「痛い、しんどい、寂しい、怖い。人間をダメにする感情をな、ずっと味わうんや。おかしくなるで」
ずっと、という言葉に重みが含まれている。
「わたしは突発的な心臓病やったから、手術の前後が一番しんどいけど、あとは回復を待つだけやん。元気で退院できると決まってる、まだマシやと思う」
「あれで!?」
「治療を長いことせなあかんくて、副作用もつらくて、その上で効かへんかもしれへんっていう心配がある患者のしんどさは……わたしよりずっとたぶん」
「う、」
「いっそ気絶させてくれたら楽やのに寝られへん。ガバァ起きたんが夜中やったらもう最悪や。真っ暗でな、一人でな、耐えなあかん。まぶしいからテレビもタブレットもつけられへん。人間が変わるで」
「どう変わるん」
「それぞれやけど、わたしはとにかく、なんでも自分が悪いんやと思て、むちゃ落ち込む。死にたくなる。生きたくて入院しとるのになあ」
生きたくて入院してるのに、死にたくなる。
なにもかも悪い方向に考えてしまう。でもだからといって、まさか骨抜きのサバや頭のないサンマで落ち込むかな。
「やからそれ、あんたが知らんだけ。わたしとかは、そんなんで落ち込む前に、すぐパッと愚痴言えるやろ」
“ちょっと待って、ランチがサバやってんけど、骨が抜かれとんねん”
“それがどないしてん”
“骨折で入院しとるわたしへの当てつけやろか”
“んなわけ(笑)”
LINEのやり取りまで瞬時に想像できた。お後がよろしいようで。
「なんやかんやツッコミ入れてくれたら、わたしの考えすぎやったんや、って気づくやん。愚痴とか雑談ってそういうためにあるんやと思う」
認識のずれが自然に直っていく作用。それが何気ない会話にはあるってわけか、なるほど。
けれど、愚痴や雑談ができない患者は?
家族に弱音を吐けない。スマホを持ってない。話せる相手がいない。そんな患者は?
傷つき疲れ果て、余裕がなくなると、周りがみんな敵に見えてくる。そういう経験は、会社を休職した頃のわたしにもあった。
「叫びたくても、暴れたくても、病院でそんなんようできひん。命懸かってるんやし。ほんでも情けなくてしゃーないギリギリのとこで、泣きそうになりながら、患者は書いてんちゃうかな。知らんけど」
生きるというのは、自分の中の死んでいくものを、食い止めることだ。
骨抜きのサバ。頭のないサンマ。苦笑いする母。
止まらない感情を次から次に書き留めるしかできず、どっか頭でばかばかしいと気づきながらも、夜な夜な、箱へ投げ入れにやってくる患者。
病気は人を変える。体だけではなく心も。変わってしまうことに抗う。
どんなに情けなくとも、泣きたくとも。
書かずにはいられない言葉が、ある。
ひとつ、不思議だった。
読むとギョッとするほどヒドい声を、なんで病院はわざわざ掲示してるんだ。病院が一方的に、ボコボコにされてるというのに。公開サンドバック状態。あんまりじゃないか。
その謎が、ある日、フッと解けたような気がした。
『件名:病室の通話について
お見舞いが禁止されているのに、病室で通話すら断られました。ベッドから動けないのにあんまりです。治療も辛く、いつ死ぬかもわかりません。家族の声が聞きたいだけなのに。ここの看護師さんは人の心が無いんでしょうか。』
これはわたしもちょっと、病院側が薄情だなと思っていたら、答えはこうだった。
『誠に申し訳ありませんでした。お見舞いの禁止については、患者様の心身に大変なご負担をおかけしております。感染拡大状況を慎重に鑑み、お見舞いの条件緩和を検討しますので、どうかもう少しご辛抱ください。』
ここまでは他と同じ、平謝りである。
大切なのは、このあとだ。
意外な事実が、わたしたちに突きつけられる。
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