もうあかんわ日記を終わります
3月10日から毎日書き続けてきた「もうあかんわ日記」。
なんと、37日分もありました。
奇しくも37日という日々は、2001年、漁師の武智三繁さんが太平洋でたったひとり漂流し、生還を果たすまでの日数でもあります。
武智さんは「あきらめたから、生きられた」と綴った。いまのわたしは、その意味が、すごくよくわかります。
母が感染性心内膜炎というドヤバい病気で、死ぬかもしれん手術をして、あれよあれよと入院になって。
だましだましやってきたばあちゃんの、物忘れやら何やらのアレがはじまり、福祉の手続きに追われて。
家事や健康管理の手が回らなくなった家から、弟がグループホームに旅立つことになって。
その間に、じいちゃんが亡くなったり、家電がバタバタと矢折れ力尽きていったり、あとなんだ、そうだ、鳩が飛んできたり。
日にち薬というラストエリクサー並みの万能薬がこの世界にはあるので、確実にズルズルと前へ進んではいるものの。小さな「あかんわ」に何度もつまずき、誰かに話さなやってられんくなって、強がるのをあきらめるように白旗を振るつもりで、はじめた日記でした。
その最後の日だというのに、今日はなんも、特別なことが起きませんでした。釣り人も、釣れないときはとことん釣れないって言うしね。
神戸はいい天気で、家族でこれでもかと昼寝して、てきとうに冷蔵庫に入ってたもんを丼に盛って食べまして。夜は動くのすら面倒で、ピザを頼みまして。
あまりにもなんもなかったので、寝ぐせのひどい母と、おもむろに話しまして。
「今回、病気になってよかったとか、意味があったとか、思う?」
「思うわけないやん!やってられへんでこんなもん!」
オゥ。
病気には意味があるとか、神様がくれた休憩とか、そういう言い回しは母の役に立たなかった。でっかい管とか、ズルンズルン抜いて、めそめそ泣いてたもんな。全身麻酔明けって身体も精神もダルンダルンになるらしい。
「とはいえ、なってもうたもんは仕方なくて、いまこうやって元気に退院できたから、結果的によかったこともあるで」
「たとえば?」
「ご飯がおいしい。お好み焼きが特に」
「オゥ……」
「っていうかソースだけでもいい。ソースは天才の発明」
ソースを発明した天才に国をひとつ授けよう。それくらい、病院で食べるご飯は、どうにも味が薄かったらしい。
「でも、家に帰ってきたらいろんなことが変わってて、びっくりした。良太のグループホームとか、おばあちゃんのデイサービスとかも始まってて。ずいぶん楽になって」
「うん」
「今まではわたしが母やからって、ぜんぶ一人でこっそり抱え込んでて、なんも進まんかってん。でも病気になったから、わたしがいなくなったから、思い切っていい方向に進んだこともあった事実に救われたんよ」
母が倒れて、「もうあかんわ」の名のもとに、バタバタとうちは様変わりした。
時間もお金もたくさん飛んでったし、たくさんの人を巻き込んでしまったけど、「なるようになれ!」の勢いで、清水の舞台から飛び降りるようにガガッと変えられたことは、たしかに、ここに存在する。
「こうやって、いつでも出かけられて、おいしいご飯食べれて、みんなと話せて。病気はもうしたくないけど、今のわたしは幸せやと思う」
母が今回の手術で取り替えた心臓の人工弁は、十年から十五年で取り替えなければいけないと言われているので、また生死をさまよう大手術が控えているのだけど、それは考えないようにしましょう。弱いわれわれは泣いてしまうので。
「あと、あんたの日記を病室で毎晩読むのが楽しみで楽しみで。笑ったら、胸の傷のところが痛くてなあ」
それはそれは、書いていいよって言ってくれて、どうもありがとうね。
父が亡くなったあとも、母が手術をしているときも、思ったことがあります。
死を前にして、はじめて、人は勇気を出せるし、心から感謝もするし、何気ないことに幸せを感じるということを。
死ぬことにぶち当たると、生きることにもぶち当たる。
死ぬっていうのは、大切ななにかを失うこと。日常をぶっ壊されること。絶望の底まで落ちること。つらく、悲しい。
「もうあかんわ」は、わたしにとって、小さな死でした。
もうあかん。
これ以上は頑張れん。
つらすぎる。
しんどい。
全部やめたろかな。
そんなことをこのところ毎日、思ってきた。毎日、小さく死んできた。
でも、死のあとには生がはじまる。命が永遠ではないのと同じで、もうあかん時間も永遠には続かない。
文章に書いてしまえば、不満だらけの現在は、たちまち過去だ。
「もうあかんわ」と言いきって諦めたとき、暗い穴の底から見える、ちょっとだけ明るいものとか、見過ごしてたおもしろいものとかを、運良く見つけられた。
わたしはユーモアに出会って、母はソースの美味さに出会った。いや、出会いなおした。とりあえず今は幸せでよかったねえと、確かめあえた。もうあかんわは、人と共有すると、しばらくしてから良いものに変わる。
悲劇は、意思を持って見つめれば、喜劇になることがあります。
だけども“劇”にするには、遠くから、近くから、眺めてくれる人がいるわけで。わたしの場合は幸運にも、これを読んでくれる、あなたと母がいたので。
人に笑ってもらうのが好きだから、もっというと笑われるより笑わせたいので、おもしろおかしく書いてきたけど。
本当はここに書けない、だーれも笑えない、ほんまもんの「もうあかん話」もたくさんありました。しんどい人も、どうにもならん制度も、不安でいっぱいな未来も。もしかしたら、そっちの方が多いかもしれん。
そのたびに、落ち込むし、泣くし、恨みごとを言いたくなるし。世の中を敵にして滅ぼそうとする魔王の気持ちもわかったし。
でも、聞いてくれる人が、読んでくれる人が、ここにいたから。
どうしようもない日々を、とにかく書いて。起こった事実を。頭のなかに飛び散っている感情を。もうあかんという叫びを。人に伝えるために、言葉を拾い集めて、なんとかかんとか並べていく。
そしたらたまに、ボケたくなったり、ツッコミたくなるので、それも添えて。わからないことは、ちょっと調べて。いらんことも、まぶして。
文章にすると、一歩引いたところから落ち着いて、岸田奈美を眺めている気分になって。
「もうあかんと思ったけど、こういう人に出会えたな」「こういういい偶然が起こったな」「捨てたもんじゃねえな」と、気づけました。余白に、新しい感情が、ぽこぽこと生まれる。
そのうち、なんか起こっても「前に書いたもうあかんわ日記より、まだマシやな」と笑えたりして。人生を編集して、無意識に貯めよう、もうあかんわ経験値。
このために、作家になったのだと思いました。
もうあかんと思えたから、いま、わたしは生きている。
今日で「もうあかんわ日記」は終わりますが、もうあかん日々が終わることはないので、これからも、もうあかんわと笑いながら嘆いていこうと思います。
もうあかんわと言った瞬間に、もうあかんくなくなることを思い知りながら。
わたしはもう聞いてほしくて、笑ってほしくて、たまに神妙になってほしくてたまんないので、毎日書くなんて願ったり叶ったりだったけど、ここまで毎日読んできた人たちは、ものすごく大変だったと思います。
みなさん、貴重な時間を、本当にありがとうございました。
もうあかんときは、もうあかんと、一緒に笑ったり、泣いたりしましょう。今年はキナリ杯じゃなくて、もうあかんわ杯やろうかな、杯じゃないな、全員優勝だしな。
さようなら、もうあかんわ日記。
(ピザ以外のphoto by 別所隆弘さん)
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。