尻を置く、背を預ける、そして物語は
岸田奈美のnoteは、月曜・水曜・金曜のだいたい21時ごろの投稿です。予期せぬご近所トラブルなどで遅れることもあります。半分は無料で誰でも、半分はマガジン読者さんだけ読めます。
京都に引っ越してきて、家具を集めはじめた。枝を運ぶビーバーのごとく、せっせと、少しずつ。
なんかちょっと岸田奈美らしくないことを言うけども、岸田奈美は家具が好きだ。いい木でできた、ちょっと赤みがかった茶色い家具が好きだ。無印良品にあるやつよりもうちょっと色が濃くて使い込んだやつが好きだ。
亡くなった父は、リノベーション会社を立ち上げるまで、大手不動産会社のマンションのモデルルームを作っていた。
先日、父の右腕だった人のオフィスをたずねて、当時の写真を見せてもらった。
1990年ごろの仕事だと考えると、そこそこ洒落た部屋だと思わんかね。
木の家具が好きで、スウェーデンからわざわざ船便で取り寄せていた。あまりにも自分で手がけた部屋が気に入ったらしく、父はわたしたち家族を連れて移り住んだ。モデルルームがキシダルームになった瞬間。
そんな父から、家具のどうこうを教えてもらった記憶はまったくないが、父が家具を愛していた記憶だけはある。
気づいたら、わたしも同じような家具が好きになっていた。
とはいえ、いい木のいい家具は、けっこう高くつく。
自分の引っ越しと母の引っ越しで、貯金はゴッソリ飛んでいったため、そこまでお金は使えない。
だが、引っ越しを終えて、「イージーに買えて、イージーに捨てる家具などもう二度と買うものか」と固く誓ったのも事実。
とんでもない工程で組み上がった家具をバラすのがあんなに大変だとも、都会では3週間先まで粗大ごみの回収予約がとれないとも、愚かなわたしは知らなかった。
ダイニングテーブル、テレビボード、本棚などの大きな家具は、いいものをできるだけ安く手に入れようと、レンタルで取り寄せた。一年先のことが予測つかない人生なので、いざというとき棄てるより返す方がよっぽどいい。二年使うと自分のものになるという仕組みもありがたかった。
だけど、どうにもレンタルじゃ納得がいかないものがある。
椅子。
わたしは一日の大半を座って過ごす。陰気くさい顔で背をダンゴムシのように丸め、一人でゲラゲラと思い出し笑いをしながら、なんかを書いている。
一度、整体の先生に見てもらったとき
「なんか、カプセルホテルの中とかに住んでます?」
と心配されたことがある。
カプセルて。手塚治虫の火の鳥宇宙編でクルーが乗って漂流する脱出ポッドな。住んでるわけないやろ。どんだけ姿勢が悪いのか。
「椅子をね、いいやつにすると姿勢もよくなりますよ」
引っ越す前の家では、安くておしゃれなネット通販で買った椅子に、骨盤矯正シートをくっつけて座っていたのだけど、なんとも安定しない。
引っ越したら次こそは、しっくりくる椅子を探すぞ、と決めていた。
ゲーミングチェアとかアーロンチェアとか、オフィスっぽいものはあるけど、やっぱりわたしは木の椅子がほしい。椅子探しの旅がはじまる。
「この椅子ね、ちょっと座ってみてください」
整体の先生宅にあった椅子に何気なく座った。
びっくりした。なんの変哲もない木の椅子なのに、背筋がすっと伸びる。骨盤が立っているのだ。わたしには少し大きく、座面が高いので、ずっと座っているのは苦しいけど。
「きもちいいでしょ。善光寺の前にある家具屋さんに飾ってあったんだけど、座ったら、他の椅子と全然違ってて。オーダーで2ヶ月くらいかかったけど、今年で一番いい買い物だった!」
先生のお墨付きの椅子、とてもほしい。オーダーなら、高さも大きさも合わせてくれる。
いざ善光寺!と思っていたが、緊急事態宣言が出て、うかつに県外へ行けなくなってしまった。その間、数ヶ月、自宅で尻を置く場所がないのはつらい。
どうしたもんかな。
京都の自宅に引っ越して、コンビニへフラフラ歩いていると、良さげなアンティークの家具屋を見つけた。地下へ続く階段が入り口だが、すでに看板代わりにと、五脚くらい椅子が並んでいる。
いい木だ。ひと目でわかった。
吸い寄せられるように階段を降りる。尻が椅子を求めている。
椅子が、いっぱい。
とりあえず座ってみる。なかなかいい座り心地だった。
隣の椅子に移る。同じ形で、同じ色なのに、こっちはちょっと深くもたれられる来がする。
「おや?」
もうひとつ隣の椅子に移る。これもまた、ぜんぜん座り心地が違う。尻がすべっていく。
座った三つの椅子を並べて、見比べる。見た目ではちょっと傷の場所が違うとか、色が濃いとか、それくらいしかわからない。
「おもしろっ!?」
一人椅子取りゲームにでも興じるかのように、すべての椅子に腰かけていった。違う、違う、これも違う、あっこれはなんかいいぞ、こっちはもっといいぞ。
ドンキーコングのように椅子を担ぎ上げ、奥の方に潜んでいる椅子にも座っていく。尻が2mmくらい擦り切れたかもしれんと思ったそのとき、運命の一脚に出会ってしまった。
「……いい」
思わず口にしてしまった。
天空の城ラピュタの、飛空艇で料理をするシーターを見て「……いい」とつぶやいたあのドーラの何番目だかの息子の気持ちがよくわかる。想像や期待を越えていいものに本能が揺さぶられた音は、喉から打ち鳴らされるのだ!
骨盤が立って背筋が伸びる。背もたれが浅すぎず深すぎず、ちょうどいい。
値札は2万3000円。
安い買い物とはとてもいえないけど、貼がれかかっていたシールの品番で調べたら、元は12万円くらいの椅子だった。こんなに状態がいいのに、6分の1の値段なら、もうありがたい。
「コレください!」
ドンキーコングは椅子をカウンターに持っていった。
黒髪ボブで、ワークエプロンを着た、シュッとしてかっこいいお兄さんはちょっとギョッとして「次からはお持ちいただかなくても取りに行きますね、ありがとうございます」と言った。ドンキーコングだから勢いよく持ってきてしまった。誰にもこの椅子は渡さないウホ。
「あー……ちょっとガタついてしまってるのでメンテナンスしますね。二週間、いや、一週間後くらいのお渡しでもいいですか?」
せっかちなわたしは、いつもだったらここで、断ってしまう。
だけどこの座り心地を知ってしまったら最後、もうほかの椅子には浮気できないことを、誰よりもわたしの尻が知っていた。
「わ、わかりました」
生まれてはじめて、お取り置きという制度を使った。
会計の間、お兄さんとしゃべった。
「なんで同じメーカーの同じ品番の椅子なのに、ひとつずつ座り心地がこんなに違うんですか?」
「椅子って、前の持ち主によって変わるんですよ。どこに体重をかけてたか、どんな体型だったかで、ちょっとずつ背もたれの木が歪んだり、馴染んだりするんで」
「へえ!どれくらいの年月で変わるんです?」
「そうですね、ここにある椅子は70年前にイギリスで作られたものなんで、それくらいは……」
なんですって。
「はあー、そうですかー」
あまりに感心したのでジジイみたいな反応しかできなかったけど、よく考えたら、すごいことだ。
椅子には、時代も国も越えた、他人の尻の形跡が刻まれている。
つまりアンティークの椅子とは、他人の尻が織りなす物語である。
70年前のイギリス人(便宜上、セバスチャンという名前で呼ぶ)がこの椅子に、大切に大切に尻を置いてくれたおかげで、いま、令和の日本で、わたしの尻がしっくりきている。
セバスチャンの尻の物語が、岸田奈美の尻の物語に引き継がれる。
こんな奇跡が、あっていいのか。
人間は、尻で語るのだ。
目は口ほどにモノを言い、尻は口よりモノを言う。
思えば、言葉の通じない赤子は、己の体調不良を尻からひねり出したうんこで示すじゃないか。その赤子も、股の間から爆誕する。
うちの犬の梅吉も、意地悪なばあちゃんの布団に隙きあらばうんこをまき散らして反撃している。
かつて子どもたちは、冬の寒さをしのぐために、おしくらまんじゅうという尻で尻を押し合っった上に泣くことを咎められる狂気の遊びを発案した。
そして尻が紡いだ物語は、その持ち主が死んでも、たしかに受け継がれていく。時代を作る。尻が。
まったく別の話だけど、わたしはお笑いコントは、ラーメンズとバナナマンとおぎやはぎが6人同時に出演する「君の席」が一番好きだ。あれもオープニングから、6人がそれぞれを象徴するハイセンスなアンティーク椅子に座っていた。かっこよかった。
わたしの尻もまた、椅子を通じて、誰かの尻にフィットするのかと思うと、胸が熱くなった。捨ててなるものか。
きっかり一週間後、わたしはウキウキで椅子を取りに行った。
「こちら、配送しましょうか?」
「いえ、歩いて持って帰ります」
「えっ……お姉さんが一人で?」
「はい、持っていきます。すぐに座りたいんで」
そうしてドンキーコングは、椅子を担ぎ、朝の京都の路地へと消えていったのだった。
キナリ★マガジンの購読者の人だけが読めるおまけで、椅子の名前とか、お店の名前とかも、書きます。ほんとはみんなに広く伝えるべきなんだろうけど、あの、普通にわたし、一週間に一度くらい徘徊してるんで、はずかしい。
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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。