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自動車教習おかわり列伝-4日目「牙をもがれたオジン」

32歳が自動車免許をとるために、ヒィヒィがんばる短期集中連載。2〜3日に1話ずつ更新中。
1日目「適性検査の神童」
2日目「異世界転生系教習生」
3日目「盗んだPCで学び出す」

あっちゅーまに、第一段階の修了テストの日がやってきた。

これに受かれば仮免許証ゲット、公道を練習できる。落ちれば、お金を余分に払って補習を受けなければならない。

引き続きわたしは神童として運転を披露していた。教官から受けたのは「もっと停止線ギリを攻めた方が気持ちよくない?」という、頭文字Dのようなアドバイスだけだ。

いける。全然いける。余裕をぶっこいていた。

最後のおさらいのため、前日に教習に向かう。

テストの実施は全生徒共通なので、前日の教習はみんな取り合いになる。どの教官も忙しいらしく、初めての教官に当たった。

教官は岸部一徳氏の縮尺を縦に3分の一、横に3倍した愛嬌のある風貌だった。彼のことは三徳教官と呼ぶ。

「岸田はんかいな。まあまあテスト前やけど、エエ、最後にやっつけていきまひょか」

ちょこまか動き、でっかく笑う、なかなか陽気なおじいさんである。

他の教官は学校のポロシャツを着ていたが、三徳教官はボタンダウンのワイシャツを腕まくりしている。小学校の用務員さんっぽい懐かしさに、とほくほくしながら出発した。

「岸田はん、どのへん住んでんの。はあ、あのへんいま観光客多うてかなわんやろ。なんやろか、轢かれてもええがな思って歩いてはるわな。ちょっとでも当たったらこっちの責任や言うて、かなわんちゅうねん」

「ねえ、運転怖いですよねえ」

「せやけどクラクション鳴らすのもあれでしょお。鳴らしたら鳴らしたで今度はやかましわて、どこぞのおっさんが怒(いか)ってくる。かなわん。ぜったいあんなとこ走りとうない」

「仮免とったら、走らなあかんのですねえ」

「いやいやいや。そんなん生徒さんにあんな道、走らせるかいな。なんかあったらアタシらのせいになるんやから、ガハハハ」

ドアの上あたりについてる取っ手みたいなやつを持ちながら、三徳教官はよくしゃべる。早口と抑揚がAMラジオみたいだ。

優しい人でよかった。

「ほんで岸田さん、ポンピングブレーキって知っとる?」

「あっ、はい」

「へええ。ブレーキきっついから、知らんかと思ったわ」

「うええー?知ってますよ、あはは」

や、優しい……人……?

「ブレーキきっついきっつい。もうちょい緩めんと」

いや、優しい人ではある。顔は笑っているし、物腰はやわらかい。わたしが傷つかないよう言葉を選んでくれたにちがいない。

ポンピングブレーキは何度かにわけて、ブレーキを踏み込むことをいう。ブレーキランプが点滅するから、後続車への注意にもなるのだ。

最初のほうに習ったから、できてるつもりだったんだけど。今度は意識して、慎重に踏んでみた。

「いやいやいや!もうちょい踏みなはれや。アッ、ほら、停止線ちょっと越えてる。越えてない?越えてなくても越えてると同じやわこんなん、テストやったらわかりやすうせな落ちまっせ〜なんつって」

まさか、優しくないの?この感じで?

「落ちたらアホらし、お金も時間ももったいない。今の若モンは、なんやら忙しいんでしょ。教習所を儲からせたらあきまへんで」

「……ははは」

いや、優しいな。優しい。たぶん。表情は朗らかだし、ユーモアもある。わたしは自分に言い聞かせてほほ笑む。

なのに、ハンドルを握る手が、じっとりと嫌な感じに湿る。

「左寄せ、これちょっと甘いんちゃう」

「あー……」

「甘い甘い。ぶつけるつもりでいかんと」

「へへへ」

「……あっぶないあぶない!ほんまに左ぶつけようとしてんのちゃう、ちょっとちょっと。岸田さんはええけど、アタシ殺す気ちゃうんか、なんつって、ワッハッハ」

いったろか?

ハッ。わたしは今なにを。

「すいません、へへへ」

三徳教官のオーバーリアクションに、力なく笑いながら返してしまう。どこまで本気で指摘されてるのかわからず、愛想のチューニングがぶれる。

「えっ、マジでぶつかるところでした?」

「ん?フッフッフッ」

三徳教官から返ってくるのは、むせてるのか笑ってるのかわからないくぐもった声だけである。時折、鼻を鳴らし、大きめのため息をつかれるが、怒ってるのかと思えばそんなことはなく、すかさず冗談で笑わせてくる。

笑わせて……くる……が、わたしの頬は引きつっていく。

ごめん。全然笑えん。笑えんけども、笑わしたろという三徳教官の思いやりみたいなもんは伝わってくるから、無視できない。

「ねえ、そうですねえ、ふふふ」

やがてわたしは、話を早く終わらせるように全力を使っていた。落語のサゲだけを永遠に放ち続ける消火器と化す。三徳教官のマシンガントークという火は、なにをどう放水しても、消える気配がない。

「テストのコースはもう全部覚えはった?廊下に貼り出しとるけど」

「えっと今日の夜に覚えようかなって」

「えーっ!はあー、今どきの子は気楽でええなあ、はあー、うらやましっ」

ヒュッと息がつまった。

いちいち、いらんこと言いよるな!
なんやねん!

とはいえ、言い返すような勇気もない。三徳教官のえべっさんみたいなニコニコ顔が、ぐしゃっと崩れる瞬間を想像するのが怖い。狭い車内でトーンを合わせるよう、セッション的に笑うしかない。愛想というハイハットを、手癖で小さく鳴らし続けるわたし。

三徳教官に、悪気はないのだ。

わかってる。ユーモアを手向けてくれる人を、傷つけたくない。まあでも、それは、できるだけ誰からも嫌われたくないという我が本音の成れの果てでもある。

嫌な汗で、ハンドルがすべる。

「おはようさん!」

「はっ?」

「信号青やのに、いつまで経っても右折せんから、寝てはるんかと思て!ガッハッハッハ!」

テストの前日だというのに、教習の出来は散々であった。できていたはずのことができなくなっていた。


もう1コマあったが、昼休憩を挟んで、1時間後に再集合ということになった。教官はまたもや三徳教官である。

事務員さんに事情を伝えて、教官を変えてもらおうかと考えた。

でも窓口に足が向いたところで、なんと訴えかければいいのか思いつかん。教官にクレームを入れるアンケートの項目「態度・表情・指導・清潔感」で点数をつけてみれば、意外と三徳教官の点数は低くない。

明るいし、笑顔だし、教えるところは教えてくれるし。

これじゃあイチャモンになってしまう。32歳の大人が「なんかわかんないけど、腹立つんで」と窓口で言うのもどうなんだ。

わたしは、すごすごと退散した。

教習所から歩いてすぐの喫茶店で、時間をつぶす。近くの大学で教員をしている友人が、ひやかしに来てくれた。

もういやだと泣きついたところ、

「ああ、それはね、牙をもがれたオジンだわ」

と、彼女は言った。

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。