しゃもじの名産地に行ったら、人生逆転優勝したんだわ
とんちんかんな出来事が、息をするように起こる。
旅行なんて、無事に終わったことがほぼない。
ミャンマー行った時は、入国直前でスパイの疑いをかけられ連行された。
韓国行った時は、離陸時間ギリギリで駆け込んだ空港のトイレで、札束が詰まったリュックサックを発見した。
一番最近だと、チケットに書かれた搭乗口へ向かい、ボーッと離陸を待っていたら、なんと同姓同名の人とチケットを取り違えられていた。羽田じゃなくて新千歳に飛んでしまうところだった。あっぶね!
だから、ってわけじゃないんだけどさ。
約束の時間に、めちゃめちゃ遅れてしまう。
会社員時代は営業もしていた私。
取引先に「かくかくしかじか、こういうことがありまして」と説明してみても、説明がつかない不条理な出来事ばかりだ。
納得してもらえないどころか、叱られて当たり前だった。どんなにとんちんかんな出来事でも、約束を破ってしまった時点で、社会人としてはアウト。
紛れもない、失敗だ。
私もね、アホではないので、考えてみるわけ。なーんでこんなことになるのかを。
理由その1、時間にルーズなこと。朝はだいたい電車に駆け込んでいるし、忘れ物も呆れるほど多い。人は心の余裕を失くすと、パニックに陥りやすくなるのだから、トラブルに巻き込まれやすくなる。
理由その2、面倒くさがりなこと。まあどうにかなるんじゃね、の一択で行動している。どうにかならねえことの方が多いわ。
理由その3、調子がよすぎること。嘘つきではないが、ホラ吹きの自覚がある。本当かどうかわかんないし、本当にできるかもわかんないことを口走り、その場を切り抜ける節がある。
いやー……。
ひどいね。これはひどい。
「とん」の理由、「ちん」の理由、「かん」の理由と言った具合ってなもんで。三銃士かよって。
ということで、私は頑張った。三日は、頑張った。
時間をしっかり意識し、こまめな準備を心がけ、発言には慎重を期した。
これがね。すんげーーーーーつかれるの。マジで。今度はつかれすぎてミスを連発した。地球人はじめてかよ。
本末転倒である。もう頑張れない。私は、とんちんかんな出来事が、息をするように起こる女へと逆戻りした。
だらしなさゆえに人に迷惑をかけてしまう私は、それでも変われない私のことが、ずっとコンプレックスだった。
以前noteにも書いたが、大きなしゃもじを慌てて手に入れることになったのも、私が吹いたホラがきっかけだった。
その過程で知ったんだけどさ。
大きなしゃもじを大急ぎで必要としている顧客というのは、現代のマーケットではそれほどメジャーではないらしい。びっくりだね。
「できるだけ大きなしゃもじを、できるだけ早くください」
こういうアホみたいなメールを、料理問屋や木工細工屋などに送りつけていったところ、広島・宮島にある杓子の家さんが引き受けてくださることになった。
その1ヶ月後。私は届いたしゃもじを携え、広島へ向かう新幹線に乗っていた。
マエボンの企画で「しゃもじのお礼を言いに宮島へ行きましょう。今月中に、日帰りで!」と言われた時は、なんかの冗談だと思った。
東京から広島まで、新幹線で4時間。往復8時間も、時速300kmの乗り物に身体を預ける。聞いただけで、内臓が後ろの方へ置いていかれそうだ。
幸い、内臓はギリギリ無事だったが、新神戸を過ぎたあたりから、尻が「パキャ」と聞いたことのない音を立て始めた。普段、ろくに鍛えず放ったらかしの尻の強度が、移動時間に耐えられてなかった。つら。
新幹線から電車を乗り継ぎ、フェリーへ。
穏やかな海に浮かぶ、緑の島が美しい。尻のダメージを忘れることができた。
同行してくれた編集部の前田さんが、波止場に近づくフェリーの船頭を眺めていた。
「岸田さんが乗ってるから、船着き場にぶつかっちゃうかもね」
こらこら、縁起でもないことを言うんじゃないよ。(ちなみに前田さんは帰り道で中耳炎を発症し、哀れにもダウンした。私のせいではない)
宮島に降り立ち、まずはね。うん。
厳島神社だよね。インスタ映え界の松井秀喜みたいなもんだよね。
ええと、厳島神社は確かこっちの方に……。
呆気にとられた。
厳島神社と言えば、海にそびえ立つ赤い鳥居だが、鳥居がなかった。なにを言っているかわからないと思うが、鳥居がなかったのだ。
正確には、灰色のシートが完全に覆っている鳥居っぽい何かはあった。
なんと、老朽化による修繕工事中とのことだった。70年ぶりだという。どんな確率だ。
前田さんはなにか言いたげな顔で、私を見ていた。何度も言うが、私のせいではない。
豊臣秀吉が建立を命じたという、豊国神社へ行った。厳島神社のような灰色のなにかを見下ろせる高台に建っているのだが、なかなかたどり着けなかった。
豊国神社らしきものは頭上にあるけど、そこへ向かう道が見当たらねえ。
「こっちだと思う」と真顔で言いながら、明らかに足を踏み入れたら二度と戻れないような獣道を本気で選ぼうとする前田さんをやんわり止めながら、ぐるぐると歩き回った。
打ち捨てられていたハシゴを見て「これが道を開くアイテムなんじゃないか」と現実とゲームを混同しはじめた頃、ようやく豊国神社へたどり着いた。
道中「ワンハンド広島焼き」なるものが売られている屋台に気を取られてしまった。歩きながら片手で広島焼きを食らおうとするとは、私以上に横着の極みである。人間とは恐ろしい。
おみくじがあったので、おもむろに引いてみると「凶」だった。ちくしょう。
内容を読んでみると「後々は人に敬われ、その名声が世に轟くが、生きている内は常にその身には災いが降りかかる」と書かれていて、思わず叫んでしまった。
前田さんが「もしかして、しゃもじを持ちながら引いてみたら良い結果になるんじゃないか」と言うので、そのようにしてみると今度は「末吉」にしょっぱくランクアップした。
「まゆと綿と穀物の商売だけはうまくいくが、それ以外は失敗する」とおおっぴらに書かれていたので、これから私は、常にしゃもじを持ち、穀物を売って生きていこうと決めた。また、ホラを吹いた。
さて、メインイベント。
杓子の家さんでは、社長さんと、書家の川添さんが温かく迎えてくれた。
「このたびは、大きなしゃもじを、急ぎで作ってくださってありがとうございました」
もう一生で二度と言うことねえんだろうな、この感謝の言葉は。
しゃもじに達筆で書いてくれて、おまけに「開運」という焼印までサービスで押してくれた川添さんは、嬉しそうに笑ってくれた。焼印ってそんなアメちゃんみたいなノリでサービスして良いんだなあ。
「これまでたくさんのしゃもじに文字を書いてきましたが、自分が書いた子がここへ帰ってくれるなんて、すごく嬉しいです」
しゃもじをナチュラルに「子」と呼ぶ川添さん。純然たる母である。
私以外で、杓子の家に我が子(しゃもじ)を里帰りさせたのは、麻生太郎さんとアンガールズさんだそうだ。わざわざしゃもじ持って宮島まで行くなんてアホちゃうかと、ちょっとだけ思っていた自分を恥じたい。思いもよらず錚々たるメンツに肩を並べて、私は凱旋してしまった。
それからしゃもじにまつわる、一生分の知識を聞いた。
宮島は日本一のしゃもじの名産地である。
江戸時代。主産業がなかった宮島のために、誓信という修行僧が「宮島のしゃもじは縁起物だよ」と急に言い出したのが始まりだそうだ。とんだインフルエンサーである。
しゃもじには「飯を取る=召し捕る」という意味もあり、戦に赴く兵士たちの験担ぎにもなり、さらには「富をすくい取る」という意味まで追加され、開運全部乗せハッピーセットのしゃもじを持っておけば、とりあえずどんな願いも叶うはず状態になったのだとか。とんだインフルエンサーである。
しゃもじとは運を開くもので、勇者の剣でもあったのだ。
川添さんは「会えて嬉しかったです。岸田さんのエッセイ、とても面白くて、どうやったらこんなのが書けるのかなってずっと気になっていました」と言ってくれた。
疲れた身体に、揚げもみじの甘さと、ほうじ茶が染みた。カロリー相応に、はちゃめちゃな美味さだった。
私が大きなしゃもじを手に入れることにならなければ、こんなに素敵な場所へ来ることもなかった。
いっぱい失敗して、それで調子の良いことを書いたら、その言葉が私を、良い場所へ連れてきてくれた。良い人と巡り合わせてくれた。「会えて嬉しかった」と、喜んでもらえた。
失敗を引き起こしてしまうコンプレックスは、見方を変えれば、私に新しい価値をくれるチャンスになっていた。
月末で10年勤めた会社を辞めて、作家になった。
一人で立つことは、ワクワクもするけど、たまに泣きそうになるくらい不安だ。でもきっと、この失敗たちが、私の背中を押してくれる。ときに面白く、ときに優しく、言葉になって私と一緒に歩んでくれる。
あーあ。失敗ばっかの人生、逆転優勝じゃないか。
そんな気がした。
宮島でお土産を買っていると、私が作家であることをどこかで聞きつけたお土産屋のお姉さんが「あなたのことは知らないけど、きっと有名になると思うから、サインください!」と正直すぎる声をかけてくれた。
ぎこちないサインを一枚書くと、その後ろにいたお兄さんもつられて「僕にも書いてください!」と言ってくれた。
今はまだなんの価値もないサインだけど、私が失敗をした分だけ、意味のあるものになっていけば嬉しい。
なーんつって。
※少し加筆した本文+道中の岸田奈美へのインタビュー全文はクラウドファンディング中の「マエボン2」でお読みいただけます。
週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。