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「死ね」と言ったあなたへ


今年の10月、わたしがTwitterで投稿したダウン症の弟の写真に、「ガイジ(障害児)は生きる価値なし死ね」と返信をした人がいました。

その人のアカウントは、わたしだけではなく、障害のある人たちを手当り次第に攻撃するために作られていました。

それから、その人とご家族と、ダイレクトメッセージでやりとりをしました。返信については謝ってくれましたし、事情もよくわかりましたので、いま、その人を責める気持ちはありません。怒ってもないです。

ただ、もうアカウントが消えてしまったその人に、伝えたいことがあります。


こういった形で、あなたのことを書いてしまうことで、もしかしたらあなたがいやな思いをするかもしれないと悩みました。

でも、あなたがわたしに教えてくれたことは、同じようなことで悩み、苦しんでいる人を助けると思いました。

そして、あなたがいまも悩み、苦しんでいることを和らげるためには、わたしとあなたの味方を、一人でも多くこの社会につくることだとも思いました。

なにより、わたしがあなたにどうにかしてお礼を伝えたいので、あなたが読んでくれるかはわかりませんが、書かせてください。

あなたに出会えて、あなたと生きる意味を考えることができて、わたしは本当によかったです。



「死んでしまえ」と、うっかり思ってしまうことは、わりと誰にでもあります。それは人としては自然な反応で、それほど傷ついている証拠です。

でも「死ね」と思うだけと、言ってしまうのには、天と地ほどの差があります。

最初に、謝らせてください。

わたしの投稿に、あなたが送った「ガイジは生きる価値なし死ね」という返信を、わたしは引用して、多くの人の目にわざと触れさせてしまいました。

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いきなり“通報”や“弁護士”という強い言葉を目にして、わたし以外の人からも責められて、パニックにさせてしまったはずです。あのあとすぐ、あなたからDMでもらった、何度も重ねられたお詫びを読んで、動揺が伝わってきました。

安心してほしいので同じことをここでも伝えますが、わたしとあなたの間で解決したことなので、通報はしていません。あなたがすぐに、連絡をくれたから。

けど、それよりも前にあなたの事情をちゃんと想像することができていれば、わたしはこんな強い言葉を書きませんでした。

あの時は想像ができなくて、すみませんでした。

わたしは、世の中にはいろんな考えを持っている人がいるから、わたしが書くものや良いと思うものに「気に入らない」とか「ムカつく」とか言われても、あまり気にしません。

わたしはできた人間じゃないので「な、なんだと〜!もっぺん言ってみろ!」とカッとなることもたまにありますが、そういう時はとりあえず深呼吸して「まあ、世界は広いんだし、わたしとは違うものを大切にしている人もいるよな〜〜〜」と前向きに諦めています。

マイナスの意見は“批判”とう評価でもあって、ものを書く仕事のわたしにとっては、役に立つこともあります。できることなら、ずっと褒めてもらいたいですが。

でも「死ね」とか「殺すぞ」は、違うんです。

批判でも、評価でもなく、攻撃なんです。

人間には、自分の命を自分で守るための、防衛本能が備わっています。

つまずいて転んだら、とっさに顔を守ろうと手を突きますよね。あれは身体を守ろうとする本能ですが、心を守ろうとする本能もあります。

100回言われた嬉しいことより、1回言われた怖いことや辛いことの方が、気になったり、忘れられなかったりします。大群のヒツジより、一頭のヒグマに気づいて注意しないと、食われて死ぬからです。

「死ね」とか「殺すぞ」はとんでもなく怖い言葉です。

わたしが死んだら、喜ぶ人がいるのかも。
もしかしたら本当に、殺されてしまうのかも。
わたしの大切な人が、巻き添えをくらうかも。

わたしでもコントロールが効かない速さで、そんな想像が頭を駆け巡ります。どんなに大げさでも想像しておかないと、命が危ないからです。

でも、この想像はものすごく疲れます。なにか別のことですでに心が傷ついていると、この想像に耐えられなくて、「わたしなんていない方がいいんだ」と立ち直れなくなったり、病気や自殺にいたることもあります。

「死ね」や「殺すぞ」という言葉は、行動に起こさなくても、言い続けているだけでいつか、本当に人の命を奪います。

だから、この国では、たとえツイッターのような、名前や顔がわからない場所であっても、そういう発言をしたら罪になるんだと思います。

わたしには、身体が不自由で自分で身を守ることが難しい家族と、弟のような障害のある人やご家族がたくさんフォロワーにいます。

わたしだけではなく、その人々たちにも届いてしまうかもしれないので、「死ね」や「殺すぞ」という攻撃を受けたら、たとえお金がいくらかかっても、警察や弁護士に相談するようにしています。今回はしていませんが。

命を守ること以上に、大切なことはないので。

だからどうか、あなたへの最初の対応が、あんな風に強い言葉になってしまったことをわかってください。


それとは、べつの話として。


最初にあなたから「死ね」と送られてきたとき、怖いなあと思いながら、わたしは思い出したことがあります。わたしの母の言葉です。

あなたにきれいごとを伝えておきながら、情けないのですが、わたしも「死んでしまえ」と言ったことがありました。

母に対してです。

わたしは中学二年生のとき、父を突然亡くしました。一年ほどでしたが、そのショックを受け入れられなくて、学校に行けなくなったり、イライラして荒れていました。

わたしのことを心配する母へ、

「うるさいな!オトンじゃなくて、オカンが死ねばよかったのに!」

と怒鳴ってしまいました。

父とわたしは大雑把な似た者同士で気があっていましたが、母はていねいで心配性だったから、あてつけです。

言ってしまってから、ずっと、じわじわと後悔していました。

「わたしの言葉のせいで、母が本当に死んだらどうしよう」「取り返しのつかない呪いをかけてしまったのではないか」と、ふとしたときに心配ばかりが浮かびます。

意地を張らずにちゃんと謝ることができたのは、遅すぎますが、大人になってからでした。大人になって、自由になって、人生に楽しいことが増えてから、命を奪われることの怖さがさらにわかりました。

母は、泣いて謝るわたしに言いました。

「気にしてへんよ」

そんなわけないんです。あの日、わたしに怒鳴られたときの母の顔は、今でも覚えてるから。

「最初はびっくりしたけど、あとからよーく考えたら、“死ね”なんて強い言葉が出てくるなんて、心がそんだけ荒れてる証拠やなって。あんたはきっと、どうにかして、悲しみをわたしにわかってほしかったんやろうなって」

母は苦しみながら、わたしのことをわかろうとしてくれていました。母も、自分が傷つかないで済む方法を探したのかもしれません。防衛本能です。

「本当につらい時ほど、人はうまく言葉にできへんもんやね。奈美ちゃんがなにを言ってるかじゃなくて、なんで言ってるかを考える方が、ずっと大切やと思ったよ」

なにを言ってるかじゃなくて、なんで言ってるかを考える方が、大切。
差し出す相手にとっても、受け取る自分にとっても。

わたしの話が長くなってしまいましたが、つまりそれが、あなたから送られた「死ね」に重なりました。

あなたに深い意味はなく、単純にわたしや弟が気に入らなかったり、イライラして誰でもいいから当たりたかったりしただけなら、お節介でごめんなさい。

でも、きっとなにか理由があるんじゃないかと。
そしてそれは、わたしが聞くべき理由じゃないかと。

「死ね」や「殺すぞ」と言われて、追い詰められるような人を減らすには、それは知っておかなければならない理由じゃないかと。

わたしはあなたに「もう怒ってないので、よかったら理由を教えてください。もし今、つらい状況だったら、話を聞かせてください」と送りました。

見ず知らずの人と話すって危ないし、わたしは人に迷惑をかけるタイプの自己中な面倒くさがりなので、こうやって他人に首を突っ込むことは滅多にないし、本当はやらない方がいいんですが。

なんとなく、あなたから送られてきた言葉を読んだら、あの日、母に死ねと言ってしまったわたしと同じくらいの年齢なんじゃないかと感じたんです

もし大人だったら、めちゃめちゃ失礼な憶測でしたね。

それから、あなたが送ってくれたのは、

「ごめんなさい」
「二度としません」
「弟さんにも謝ります」
「ゆるしてください」

という、短い言葉の連続でした。

わたしのせいで、きっとパニックになっていたんですよね。事情を聞かせてと言われても、なにをされるかわからないし、距離の詰め方が急すぎて、怖かったですよね。

わたしが、浅はかでした。
ごめんなさい。

そうこうしているうちに、あなたは、障害のある人たちへ攻撃していた投稿を削除してくれました。アカウントも失くなっていました。



これで終わりなのかなと思っていたとき、あなたのお母さんを名乗る人から、連絡をもらいました。

わたしの投稿のあと、あなたがすぐにお母さんやまわりの信頼できる大人に相談をして、わたしのアカウントを知らせてくださったんですね。

最初は「本物かな?」と疑ってしまいましたが、あなたとわたしでしか話していない内容がいくつか書かれていたので、信じました。

お母さんはまず、言葉を尽くして、わたしに謝ってくれました。

その上で「言い訳にはなりませんが」と前置きしたあと、あなたについて、教えてくれました。

やりとりは、あなたも知っていると聞いたので、ここで書かせてください。あなたも承知した上かと思うのですが、もしそうじゃなかったら、勝手にごめんなさい。でも、あなたの苦しさは、わたしや、同じ苦しさを持つ人の一生の支えになるのと、お母さんもそう考えてのことだと思います。


あなたに、障害があること。

かつて学校でひどいいじめを受けて、登校できなくなったこと。

「ガイジは生きる価値なし、死ね」は、あなたがクラスメイトから吐かれ続けた言葉であること。

自分を責めて、追い詰めてしまうこと。

いまも、自分のやってしまったことの大きさに、ショックを受けていること。


あなたがわたしに投げつけた「死ね」は、あなたが誰かから投げつけられた「死ね」だったんですね。障害者は死んで当然って、思わされてたんですね。

あなたにそこまでさせた、つらくて悔しい経験を、想像ができなかったことを恥じました。

障害者は死ねって自分が言われたから、自分も他人に言っていい。

それは違うんです。

でも、あなたはそんな当然のこと、とっくにわかっていたと思うんです。あなたはもっと賢くて、強い人のはずだから。

あなたの心は、あなたを守ろうとしてくれたんじゃないですか。

障害者は、生きる価値がない。
障害者だから、いじめられる。
人が悪いのではなく、障害が悪い。
障害がなければ、こんなに苦しまなかった。

そんな風に追い詰められたあなたの心が、ギリギリのところで、自分で自分の命を、存在を、認めてあげるために選んだ言葉が「障害者は死ね」だとしたら。

死んで当然の障害者に生まれてしまったのだから、こんなに辛いなのは仕方がないと、思うことで楽になるのだとしたら。

わたしはそれ、わかります。
痛いほどわかります。

あなたに比べたらぬるいですが、似た経験があります。

中学生のとき、大好きだった彼氏にフラれました。

理由は
「奈美の弟に障害があるから。将来、障害が子どもにもし遺伝したら、育てていく自信がない」
でした。

将来の話も、遺伝の話も、たったの一度もしたことがないのに、一方的にそんなことを言ってくるクソ男など今となってはこちらからパンチとともに願い下げですが、当時はショックでした。

「わたしに魅力がないんじゃなくて、わたしの弟に障害があるからだめなんだ。家族に障害者がいたら、結婚できないのは当然なんだ」と泣きました。でもそれは、だから仕方がないと人生を諦めて、これ以上傷つかないように、楽になることでもありました。

障害は、障害です。
個性でもないです。

歩けない母やダウン症の弟は「障害は素晴らしい個性だ」「障害があってよかった」なんてきれいごと、きっと思ってないです。たぶん思えません。それでいらん苦労もしてきたはずだから。

でも障害は、あなたのせいではないです。
あなたを生んだお母さんのせいでもないです。

目が悪くて、視力が0.3くらいしかなく、狩りや読書ができなかった人は、西暦1300年くらいまでは障害者でした。きっと村中から邪魔者扱いされていたと思います。

メガネが発明されてから、彼らは障害者ではなくなりました。

本当の障害は、本人にあるのではなく、それが苦痛にならない工夫や成長が追いついていない社会にあります。

あなたをいじめた人はたぶん、自分と違うものを受け入れる勇気がなかったり、自分と行動や思考のスピードが違う人と一緒になにかをする工夫が思いつかなかったり、イライラを他人にぶつけることでしか解消できなかったり、そういう自分の至らなさを、あなたのせいにしているだけなんです。

障害という、雑なラベルを貼りつけて。わたしの元彼氏のように。
健常者も障害者も、人間やねんから、ええやつもあかん人もおるのに。

でも、その人たちもまた、本当は誰かから「死ね」とか「生きる価値がない」とか、言われたのかもしれないですね。

正直、こんな状況では、あなたが社会を恨むのも、世の障害のある人を恨むのも、わたしは仕方がないと思うんです。恨んでほしくないけど、気持ちはわかります。

だけど、あなたはちょっと違います。
すごいんです。
そこから抜け出して、幸せになれる力のある人だと思います。

わたしが怒ってからすぐに、お母さんや、信頼できる大人に相談しましたよね。あれを自分で打ち明けるのは、なかなかできることではないです。その勇気が持てなくて、隠して逃げ続けて、取り返しがつかなくなる大人だってたくさんいるのに。

「死ね」って言われ続けて、悔しくて苦しくても、死を選ぶことなく、生きてきましたよね。心を守るために、SNSで障害のある人へ「死ね」と言ってしまったかもしれないけど、自分で死ぬことも、誰かを殺すこともなく、お母さんとともに、よく生きてくれました。

わたしが一番授かってよかったと思う才能“幸運”も、あなたは持ってるんじゃないでしょうか。

そのおかげでわたしは、あなたのことを知り、苦しみに気づき、世界の見え方が変わりました。想像力は、困難に絶望しないための強さです。

わたしはずっと強くなったし、こうやって、今までのわたしには書けなかったことを書いて、わずかな力だけど、誰かに伝えることができました。その誰かは誰かに「死ね」とか、言わなくなるかもしれない。

あなたみたいな人が、少しずつ人と人との分断を溶かし、社会を良い方向へと成熟させていくのだとわたしは信じています。死ねの連鎖を、あなたが断ち切れる。

あなたには、これからもしんどいことはあるだろうけど、どうか生きて、いつか馴染んで消えゆくかもしれない恨みや怒りともうまく付き合いながら、前向きに人と出会っていってほしい。

自分勝手なことを言って、すみません。



だらだらと書いてしまいましたが、最後に。

あなたにはいま、主治医がいると聞きました。

病院は、弱いからとか、異常だからとかじゃなく、傷ついてしんどい人が行くところなんですけど、自分で自分のことをしんどいって認めることも勇気がいるから、とても尊敬します。わたしはなかなか行けなくて、色んな人から怒られたので。

わたしは医師ではないので、わたしの言ったことで迷わせてしまったら、医師にたずねてください。ただ、医師という職業の人は星の数ほどいて、傷の治し方も全然違うんですよね。

人もそれと同じで、ええやつもいれば、悪いやつもいるから、あなたができるだけええやつと出会えるように、出会いなおせるように、祈ります。出会えなくて、それで、わたしのこともまだ信用してくれていたら、いつでも連絡ください。

伝えたいことがありすぎて、なにが伝えたいかわからなくなっちゃったけど、とにかくここまで読んでくれて、ありがとうございました。

ぜんぶわたしのアホな思いすごしで、今ごろ元気で健康にごろ寝しながらポテチとか食べていてくれたらいいのになとも願ってます。


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岸田奈美|NamiKishida
週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。