絶対に、だいじょうぶの巻(ドラマ見学最終日)
「だいじょうぶ」って言葉は、不思議だ。
大好物のウインナーが品切れだったときに弟がボソッとこぼす「だいじょうぶ、だいじょうぶ」は、「しゃあない」っていう意味で。
三者面談でさんざんな通知表を見せながら先生が放った「だいじょうぶでしょう」は、「どこでもええから進路をはよ書け」っていう意味で。
この世に生まれるありとあらゆる「だいじょうぶ」は、言った人にしか、言われた人にしか、訳せない。
そして言った人も、言われた人も、それぞれ違うふうに訳してる。
あの日もらった「だいじょうぶ」の訳を、ずっと探している。
岸本家の撮影セットの前で、大九明子さんと対面した。
表記は演出・脚本でも、実際のところ、このドラマにおける監督の役割を果たしている人だ。
会った瞬間、本当のことを見つめて、本当のことを言う人だと気づいた。人見知りが乱反射して、間抜けな笑みをムダに散らかしながら、いらんことを口走るわたしなので、とても緊張してしまった。
多くは話せなかった。
短く交わした会話は、わたしの記憶に突き刺さっている。
「だいじょうぶって、言いたかったんですよね」
岸本草太が、わたしの弟と同じダウン症の人が演じることは、大九さんも早い段階でイメージしていたらしい。
日本のドラマづくりでは前代未聞だ。演技の経験のあるなしは関係なく、オーディションが開かれた。そこに大九さんもいた。
「オーディションに来てくれたダウン症の子たちが、謝るんです」
“セリフを、よく、まちがえます。”
“手ぶりを、よく、わすれます。”
“ごめんなさい。”
照れたように、眉毛を下げて、頭をぺっこりする弟の姿が、どうしてか浮かぶ。まちがえてばかり、謝ってばかり、それでも憎めない。
よく知ってるから、たまらなくなった。
「あなたたちは合ってる、だいじょうぶって、あの日は言いたかったんですよね」
大九さんが何気なく言ったとき、わたしは、この人が作る作品を、後ろではみんながズラッと見守る一番前の席で見ることができて、心底嬉しいと思った。
最終オーディションで落ちてしまった子たちには、プロデューサーたちが話しあって、新しい役が用意された。
草太と一緒にグループホームで愉快に暮らす、仲間たちの役だ。
役名は、彼らの本名にしたという。
慣れ親しんだ自分の名前を呼ばれ、まるでそこに生きてるかみたいに、カメラに映ってゆく彼らのことがよくわかる。
そこには間違いなんて、なにもない。
「だいじょうぶ」は、父の遺言だった。
深夜に心筋梗塞を起こした父は、ぎりぎりまでがまんして、しびれをきらして母が呼んだ救急車に乗った。
中学生のわたしと、小学生の弟は、まだ眠っていた。
明日も学校があるから起こさんでええ、と父が決めた。言うことを聞いた母は、今でも後悔している。それまでめったに泣かなかった母が「わたしのせいでごめん」と、泣きじゃくったこともある。
救急車に乗り込む前、父は言っていたらしい。
「奈美ちゃんに、がんばれって伝えてくれ」
「奈美ちゃんは、だいじょうぶやから」
「ぜんぶ教えた。なにがあってもだいじょうぶ」
「だいじょうぶやぞ!」
父の心臓は、血管が二本も詰まっていた。しゃべるどころか息をするのもつらい苦しみだったはず、と執刀医は言った。
わたしの知らないうちに手術室へ運ばれ、知らないうちに意識を失い、知らないうちにベッドで目を閉じた。
だいじょうぶの訳を、父の口から聞くことは、一度もなかった。
ずっとわたしの書いたものを読んでくれてる人からすれば「またこの話か!」と思うでしょう。落語にするとしても、笑いがないよな。
でも、なんべんも思い出してしまう。ずっと考えてる。だいじょうぶの訳を。
目も当てられんほどの失敗をやらかした時は、なにがだいじょうぶやねん!と、怒りのツッコミを入れたくなる。ボケはもうおらんのに。
だから、ドラマの脚本で。
父・岸本耕助が、
「だいじょうぶ」
と、言ったとき。
しんどそうじゃなくて、救急車の中でもなくて、きっと笑って、きっといつもの耕助らしい佇まいで、言ったとき。
涙があふれて、こぼれて、止まらなかった。
うまく息ができなくて、母にその部分だけを見せると、母も同じようになった。二人分の大号泣を、犬の梅吉はキョトンと見上げてた。
エッセイを書いていてよかった。
どんなに苦しくても、恥ずかしくても、書いていてよかった。
ドラマのスタッフの皆さんの「わたしたちには、あなたが見たものが、こう見えたよ」という愛を、言葉じゃなく、光景で贈ってもらえた気がした。
ドラマが、わたしに教えてくれるのだ。
だいじょうぶ。
岸田奈美も、ひろ実も、良太も、弘子も、だいじょうぶ。
これまでも、これからも。
七実の人生が、わたしの人生に、手を振っている。
わたしが書いてきたエッセイより、ドラマのほうが、父が登場する回数はずっと多い。
錦戸亮さん演じる岸本耕助は、わたしの知らない父であり、わたしの見たかった父でもある。
撮影所からの帰り道、撮影を最初から最後まで見守ってきたプロデューサーが、わたしに言った。
「耕助の登場シーンが多いのは、ドラマならではのアイデアだと思っていたんですが……」
ここにいたんですよ、と伝えてくれた手には、台本があった。
「撮影が終わって、パタンと台本を閉じたときです。『あっ、ここにずっといたんだね』って、スタッフで顔を見合わせました」
それは三年前、わたしが本のために描いた絵だった。
ずっといたんなら、もっと早いときに、返事してくれてもよかったのに。でも、今でよかったわ。そっちにもちゃんと、テレビはあるんかいな。