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岸田家の読むゴハン(魔法の台所と五目そぼろ)


とにかく楽しそうに料理をするのが、私の母だった。

ジュウジュウと油が弾ける音が聞こえてきたら、母の料理が始まった合図だ。
小学生の私は示し合わせたように鳴る腹をさすりながら、皿を取りに行くフリをして、台所に立つ母を覗く。

正確には、母の跳ねるように踊る手元を覗く。
フライパンの中身が好物だったら、伴奏するように小躍りしながら、私は食卓の準備をする。

美味いかどうかより、好物かどうかが重要だった。

「母の料理のすごさ」をようやく思い知ったのは、一人暮らしを始めてからだ。

まず、めちゃくちゃ美味い。これは子どもの頃気づかなくて、色んなものを食べる大人になってから気づいた。
パァッと鮮やかで華やかで、目から美味さが飛び込む。
さらに、栄養がこれでもかというほど考えられている。
処理が面倒だったり、高かったりする野菜が、惜しげもなく投入される。

驚異的だったのは。
母が料理を持って台所から現れてくる頃には、台所がピカピカに片づいているのだ。

あんなに手間かけて料理作ってるのに、どういうことやねん。

「料理はな。楽しくやるのと、片づけしながらやるのが肝やで」

母の口癖だった。

どうやら、我が家の台所は、魔法の台所だったらしい。



大人になった私は思い立って、母に料理を教えてもらうことにした。

最初はLINEで一挙一動を報告しながらやっていたのだが。

「きぬさやは、ゆがいて直角に切ってな」
「直角って何に対して!?きぬさやってどっちが下!?」

などと言う、テキトー人間同士の認識の相違が度々起こったので。

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こちらの台所と、あちらの台所を、ビデオ通話で繋いだ。
ちなみにあちらの台所でも、夕飯の仕込みが行われるらしい。

記念すべき最初のメニューは「岸田家 秘伝の五目そぼろ」である。
作り方と、それにまつわるトンチンカンな話をここに残す。

岸田家 秘伝の五目そぼろ
材料:
・鶏ミンチ 200g(ももならジューシー、むねならさっぱり。混ぜても良い)
・乾燥スライスしいたけ 一袋の半分
・にんじん 一本の半分
・たまねぎ 一個の半分
・しょうが ひとかけ(チューブでも)
・ごま油 ひとまわし
・砂糖 大さじ二杯
・醤油 テキトー
・みりん テキトー

五目そぼろは、岸田家ではかなり出現率が高かった。
海軍のカレーくらい、毎週出てきたように思う。

「パパもあんたも野菜全然食べへんから、細かく刻んで入れて食べさそうと思ってな。君らは味を濃くしといたら、米と一緒に喜んで食べるから」

なんと、偏食の父と私を思いやっての発明だったらしい。というかお米大好きバカ父娘のようにくくらないでほしい。

「そぼろを大量に作って冷凍しといたら、ええことが起きるねん。ご飯と混ぜて炒めるだけでチャーハンになるし、じゃがいも潰したやつに混ぜたらコロッケになるし。あの手、この手を使って何日も食べさせてたわ」

あの手、この手を使って、父娘は野菜をぶち込まれていたらしい。知らなかった。

(1) 乾燥スライスしいたけを水につけて、やわらかくなるまで戻す。

普通のしいたけより、乾燥しいたけの方が、そぼろにすると旨みがジュワッと広がるそうだ。

「人も同じやね。一回乾いてしまった方が、人生に深みが出るんやわ」
「そうなんかな……」

しいたけが戻ったあと、水を捨てようとしたら、母が悲鳴を上げた。

「捨てたらあかん!その水がダシ出てて、美味しいんやから」
「あぶなっ。捨てるとこやった」
「砂糖はどれ使ってる?白いのより黒い方が身体冷えへんし、栄養あってええで。生姜もチューブより、すりおろしてや。香りが全然違うんやから」

やかましいな、と思ったけど黙っておいた。


(2) しいたけ、にんじん、たまねぎをみじん切りにする。生姜はすりおろす。

私は不器用だ。不器用そうな手をしている。
短くて、丸々とふくらんでいて、関節が固い。

一生懸命みじん切りして、仕上がりをカメラに映すと、母が絶句した。

「レゴみたいな大きさやね」
「レゴちゃうわ!組み立てたろか!」

細かくみじん切りをしようとすると、めちゃくちゃ面倒くさい。
時間がかかるし、目がしょぼしょぼするし、手に力が入って痛くなる。

私は黙って、これを取り出した。

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「なにそれ!?」
「ぶんぶんチョッパー」
「ぶんぶんチョッパー!?」
「この紐を引くだけで、みじん切りができるんや」
「はー……今はなんでもあるんやなあ」

母は複雑そうな顔をしていたが「まあ炊飯器もどんどんかしこくなってきて、米炊くの上手くなってるしな」と、最終的に納得した。

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一瞬ですべての野菜がみじん切りにできた。
嫁入り道具は、ぶんぶんチョッパーにしようと決めた。

茶色いそぼろに、こんなに野菜が入っていたのかと思うとびっくりする。どんだけ食べさせたかったんだ。


(3)フライパンに油を引き、中火で鶏ミンチをほぐしながら炒める。色が変わったら、生姜、にんじん、しいたけ、たまねぎを加える。

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父は、母の料理をどう思っていたんだろう。
朝が早く、夜が遅かった父とは、別々に食べることが多かった。

「パパはママの料理、好きやったんかな?」
「どうやろ。できるだけ外食せんと、家で食べるんが楽しみやったみたいやけど」

でもこだわりがすごかった、と母は苦笑いする。

朝食は小皿に少しずつ、おかずを取り分けて出してほしい。
目玉焼きはかならず、両面焼いてほしい。
味噌汁は汁を楽しみたいから、具はあまり入れないでほしい。
夕飯がカレーの日は、朝食の時に「今日はカレーやで」と言ってほしい。

私だったら、やかましいわ!と、どついている。
でも、どつくことはせず、14年以上前に死んだ人のそういう細かいこだわりを、懐かしそうに思い出せるのは愛だなとも思った。

夏目漱石よろしく、I LOVE YOUを私が訳すとしたら「あの人の目玉焼きは、両面焼くの」になるかもしれない。

あっ、と母が声を出した。

「そう言えば、近所の奥さんが風邪引いてご飯作れなくなった時、私が作っておすそわけしようと思ったんやけど。パパに止められたわ」
「なんで?」
「『ママの料理は美味すぎて、そんなん向こうの旦那さんに出したら、奥さんの立場が悪くなるからやめとき』って。あれは真剣やったわ」

はあ、そうですか。


(4)たまねぎが透き通り始めたら、砂糖を大さじ二杯、しいたけの戻し汁ぜんぶ、醤油とみりんをテキトーに回し入れる。

「テキトーってなんやねん。そこ教えてもらわんと」

私は抗議した。

「だって今まで計ったことないねんもん」
「味つけで失敗したら、すべてが終わってまうで」
「うーん、ほな醤油とみりん、二周ずつ垂らしとこか」

少し味が薄いような気がしたが、母はそれで良いと言う。

煮詰めたらどうせ味は濃くなる。
入れすぎて辛くなったらどうしようもないが、薄いぶんには足せばどうにでもなる。

「人生と同じやで」

そうなんでもかんでも、人生に例えて良いのかな。


(5)フタをせず、水分がほとんどなくなるまで、混ぜながら中火で炒める。

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「ほら、見てみ。こっちはもうシンクめっちゃキレイやから」

同じスピードで料理を進めていた母は、自慢気にシンクをカメラで映す。
たしかに、とてもキレイだった。ピッカピカ。びっくりした。
いつの間に片づけたんだ。

その時、画面の隅に、ずんぐりむっくりした影が映った。

「あっ!」

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弟、おるやんけ!
手伝っとるやんけ!そりゃ片づくわ!

弟は母と似てキレイ好きである。私はお察しの通り、父と似た。

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ちなみに弟は、カメラ越しの私へお菓子を与えようとしてくるので、それを食べるふりなどして、炒める時間を潰した。

母は心底嬉しそうに、何度も何度も写真を撮っていた。

「もっと鍋が映るようにして!顔見えへんからしゃがんで!一歩左に!」などの指示を受け、熱々のフライパンが目と鼻の先にあるなどの状態で私は耐えた。


(6)水分がなくなったら、味を見て、薄ければ醤油を足してまた炒める。

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岸田家秘伝の五目そぼろだ。

秘伝って言いたいだけやろ!って感じのシンプルかつテキトーなレシピだけど、うまくできてよかった。

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このように、炒り卵ときぬさやを一緒にご飯へのっけると、かなり良い。優勝できそうな見た目になる。

炒り卵は、塩少々と砂糖大さじ二杯を混ぜて作った。お菓子の一歩手前みたいな甘さなのだが、うちの家族はこの甘い炒り卵が好きだ。

きぬさやは、塩をひとつまみ入れた熱湯で10秒茹でて、冷水につけて刻む。「なんで茹でたあと冷まさなあかんねん、サウナか」と、面倒くさがったところ、それがキレイな緑色にするコツらしい。

「きぬさや、あんまり好きじゃなかってん。味せーへんし、そぼろ食べたいのになんか損した気分になったから」

子どもの頃を思い出して、私が打ち明ける。

「でも緑があった方が、目が喜ぶやろ。お弁当の中身が華やかやったら、午後からも頑張ろって思えるやん?」

母は言った。

ほっぺを落とすだけじゃなく、目が喜ぶことまで考えてたのか。おもてなしが過ぎる。手間がかかるのに。

それも愛だな。自分で作って始めて尊さが押し寄せる。



今でこそ、こんなに明るい母だけど、病気で「一生歩けないこと」がわかった時の落ち込みようったらなかった。

歩けない。一人で何もできない。こんな私が子どもたちにしてあげられることはない。情けない。死にたい。母は繰り返し、口にしていた。

退院して家に戻ってきた母は思いつめたように「家の台所、リフォームしてええかなあ」と私に尋ねた。もちろん私は賛成したが、たぶん母は、家族を守る大切なお金を使うことにひどく葛藤していたのだと思う。

リフォームした台所は、車いすに乗ったまま入ることができ、コンロやシンクに手が届くようになった。また料理を始めた母は、少しずつ、元気になっていった。

「もう何もできへんと思ってたけど、美味しくて栄養ある料理を作ることでもう一度家族の役に立てて、救われてん」

あの台所はやっぱり、魔法の台所だったらしい。



ビデオ通話を切って、一人で五目そぼろ丼を食べた。腹ぺこなのもあったけど、控えめに言って、めちゃくちゃ美味しかった。

シャキシャキしたきぬさやが、美味しいと感じるようになったことに気づく。そんな風に年を重ねるまで、私は、母の料理を食べていなかったんだな。もっと教えてもらって、もっと作ろう。


静まり返った台所を見る。空っぽのフライパン、野菜の皮が置きっぱなしのまな板、山盛りの料理器具などが積み重なっていた。

ここはまだ、魔法の台所にはならないみたいだ。

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。