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もともと家族やないから、家族でおることには努力がいる(FMシアター『春山家サミット』現場見学記)

「もともと家族やないから、家族でおることに努力がいるねん」

どっかの誰かが言っていたのを、思い出した。

夫婦とか義両親とか、もともと家族やなかった人たちが、今日もひとつ屋根の下で家族であろうと、のたうち回りながら頑張ってるんのだ。

初めて脚本を書かせてもらったラジオドラマ『FMシアター 春山家サミット』の現場を見学しながら、わたしは考えていた。

↓脚本を書いた経緯はこちらから

NHKの同年代のディレクターから、

「よかったらリハーサルの現場に来ませんか?」

と誘われたとき、戦慄が走った。


これ、ラヂオの時間では?


走馬灯のごとく頭をよぎる、天才・三谷幸喜作の映画のあらすじ。新米脚本家が書いたラジオドラマに、俳優たちがことごとく文句をつけ、収録中に次々と変更が加えられることになる。熱海で展開するメロドラマだったはずのストーリーは、舞台をアメリカへと変え、すべてを崩壊させる壮大なドラマに……!

新米脚本家って、わたしでは?


だまされないぞ!

だって、だって、脚本家は現場に行かないって、聞いたことあるもん。書いてメールで送ったら、浮かれる暇もなく次の仕事やるもんだって。

いやだ……いやだ……絶対、ひどい目に合わされるんだ……!

来ちゃった。

だって初めての脚本やねん。どうやって読みはるか、そればっかりワクワクしてんねん。聞かせておくんなまし。

たとえ瀬戸内海の舞台が、サンフランシスコに変わろうとも!

演者さんたちのリハーサル会場である部屋に足を踏み入れたら、

ディレクターがドラマの舞台を書いてくれていた。

よかった!ちゃんと瀬戸内海だ!サンフランシスコじゃない!

ラジオドラマはロケがないから、テレビじゃできないような場所にしていいですよって言われて、大阪〜淡路島〜広島〜島根の2,000kmの旅程にした。どうかしている。

おもむろに、どじょう掬いまんじゅうが置いてあり、二度見した。

「……これっ、ドラマに出てくるやつ!」

終盤の舞台は出雲なのである。現地の人々の役を七色に演じながら方言監修もしてくれた、島根出身の女優・松島彩さんが、買ってきてくれたらしい。

すごい。
わたしが書いた物語と、現実が、繋がっていく。

まんじゅうの隣で、なんか、バターの匂いもする。

手作りのクッキー。尊くてまぶしい。

「わたしが作ってきてん〜!はいっ、これ、おすそわけです!」

春山家の祖母・みや役の一木美貴子さんが、あったかい手でクッキーをくれた。受け取った瞬間、思った。

隣に住んではった?


大ベテラン女優さんに言うことではないが、本当に思った。大阪の下町の家の隣に住んでる人や。存在しない記憶の幻覚が見えた。

正確に言うと、住んでてほしい人や。この人がおるだけで、なんぼでも喋ることが尽きんくて、おすそわけで食べるものも尽きひんくて、一生笑って暮らせるタイプの存在や。おせっかいは福祉。

一木さんがおしゃべりしてくれると、緊張などどこかへ飛んだ。たちまち現場は実家になった。

「うちも兵庫なんですよお、岸田さんと近いはず!」

「えっ、どこですか?うち田尾寺です!」

「新三田の奥のほうやでえ」

「JR終点の新三田より、さらに……奥が……」

「熊しか乗らん電車よ」

そんな電車はない。


一木さんの演じる祖母・みやは、本当にもうナイスな曲者ばあちゃんなので、ぜひ聴いて、笑ってほしい。春山家のなかで一番出番が少ないのに、強烈なインパクトがある。

一木さんが話すセリフは、とにかく語尾がいい。

「ンゥやでな」とか「行っきゃへンなん」とか、文字にするとわけわからんのに、声で聞いたら異常な親近感があって、好きになってまう。

関西弁の脚本にして、本当によかった。


しばらくして、

「あっ、はじめまして、こんにちは!」

さわやかな声がした。

さわやかな男が立っていた。

いえいっ!

さわやかな上に、ノリもいいのかよ。なんなのよ、このいい男。ときめいちゃうじゃないのよ。

主人公・笑麻の恋人・中渡瀬光一役の竹下健人さんである。

もう見た瞬間に「光一や。光一がおる」すぎて、動けなくなった。このシーン、ラピュタで見た。わたしが想像の世界で書いた文字が、人の形になって、ほほ笑んでいる。幻術の類か。

中渡瀬光一は、ええやつだ。裕福な家で育ち、愛情をいっぱいもらい、優しさを分け与えられる太陽な人間として、わたしは描いた。

その悪気のないええやつっぷりの前では、卑屈な笑麻も一番好きな自分でいられる。しかし、光一のまぶしさに、ときどき笑麻は暗い部分を照らされて、うずくまってしまうのだ。

竹下健人さんは、それでも笑麻を一途に思う、健気な光一だった。光一みが、全身からあふれていた。たぶん、ええやつ。

ただのファンになりそうなので、現場からは以上です。


年の近い男の役に、春山家の長男・晴彦もいて、こちらはマイペースでクールに笑麻を見守る弟だ。晴彦役は吉田将さん。(写真撮れなかった…)

晴彦は光一と真逆で、わたしの想像とは違った。もっと頼りなくて、線が細くて、ダウナーだった晴彦のイメージが、吉田さんにより、塗り替わった。

めっちゃ良かった。
デン!と立って、堂々とするも、堂々と不器用でもある晴彦。

晴彦が、かわいくなった。笑麻の鼻息の荒い旅程に振り回されながらも、己は己で、楽しもうとしている感じを吉田さんが出してくださって、わたしが書けていなかった晴彦の人生観が引き出されている。


さて。

演者さんたちが、そろって、脚本の読み合わせをしている。

読みながら、言葉の意味や演技を、ていねいに打ち合わせていくのだ。

無事に泣きました。


お芝居ってすごい。言葉はもう、どんだけ書いても言葉でしかなくて。言葉がお芝居によって、たった一言でも、キャラクターの人生をボワンと浮かび上がらせてくれる。わたしが書いた言葉に、命が芽生える。

嬉しくて涙ぐみながら、想像を絶するお芝居の世界に引き込まれていきました。

「はい、ストップ!」

「!!?!?!?!」

順調に進んでいると思われたリハーサルが、演出担当のディレクターの一言によって、止まる。

なんか、キャラクター同士の距離感や感情に、すこしぎこちなさがあるみたいで、

急に雁首そろえて並ばされる、春山家と仲間たち。


廊下に立っとれ的な感じかな。お芝居の世界って古風なんだ。大変だな。

「身体を動かすゲームをしましょう!名前を読びながら、手を叩いて、その手を他の人に向けて、ウンタラカンタラ」

なんか始まった……。

動揺しながら、みんなで協力しあう春山家と仲間たち。ゲームが思ったより難しくて、全員が混乱していて、おもしろかった。

でも、ちょっとずつ、ルールを確認しあったり、コツを話し合ったりして、うまいこと進行していく。

しかし、明らかに苦手そうな人が、ここにいた。

春山家の父・凛太郎役の緒方晋さん。手と足が一緒に出ており、そのままバラバラになりそうだった。

二回クラップをして、他人を指名せなあかんゲームで、

「クラップってなんですか!拍手ですか!えっと、はいっ(パンパンッ)緒方ァッ!」

他人の名前やっちゅうに。


これを永遠に繰り返しては、

「ごめん!俺アホやねん!ほんまにアホやねん!許して!」

平謝りし、

ええ加減にしなはれと、春山家にどつかれていた。

父・凛太郎は、春山家の中でとびきりの偏屈者、だが、自分の世界を楽しみ倒しているだけの憎めない男として書いたつもりだった。

ポカミスをしては地団駄を踏んでどっかへ行き、緊張気味だったみんなを一瞬で爆笑させる緒方さんは、憎めなさの権化そのもの。

そんな緒方さんは、ひとたびセリフを読み上げれば、ピリッとした威厳をまとう深みのある声だ。高低差で、目が白黒してしまう。

さて、このチャーミングの化身が、春山家の母・聖子役の羽野晶紀さん。

羽野さんがいてくれて、本当に、本当に、よかった。

なぜかいうと、聖子が一番、嫌われ役だったから。

春山家の中でひとり実家に取り残され、夫や子どもからちょっと見下され、グチをグチグチ言うのがクセになってしまったのが聖子だ。

つまり、セリフにグチが多い。

雪山を高速で転がり落ちて、巨大化していくようなグチのオンパレード。愛のある心配性ゆえに、家族をげんなりさせてしまうやつ。

しかし、このグチが、羽野さんにかかれば。


グチのミュージカルになった。


この日、わたしは初めて、グチとは何を言うかではなく、どう言うかなのだという真理にたどり着いた。羽野さんが読みあげるグチは、なんというか、16ビートなのだ。

かの天才・つんく♂は16ビートを刻むという。

「ロンリー誰も孤独なのかい」という歌詞は「ンゥロンリィン誰ェムもォう、くォどくぬァのかィ」と唄われ、奇跡のグルーヴが鼓動を揺らす。

羽野さんは、それだ。もうこれはドラマを聞いてほしい。羽野さんがグチの坂道を転げ落ちる時、言うてることはどんなにひどくても、笑いがこみあげてくる。グチの裏にある愛も優しさも心配も、すべてが渾然一体となって舞い上がってくる。

わたしの脚本だけでは、聖子は、ただの嫌われ役になったかもしれない。愛されるお母さんにしてもらえて、救われた。


そして、おそらく、このクセのある家族に囲まれて、現実の芝居でも、空想の劇中でも、いちばん苦労したであろう、

主人公・笑麻役の円井わんさん。

好きなことを好き勝手に喋って、跳ね回るような春山家と仲間たちのなかで、一番情緒をかき乱されている笑麻。

セリフとセリフの大嵐の中で、声だけで何をどう演じるか、ものすごく大変だったと思います。真剣に迷われている円井さんの姿に、わたしは自分を重ねて、手に汗握りながら見守らせていただきました。

円井さんのすごいところは、ちゃんと役のことを理解しきっても、最初に感じた“揺らぎ”を、そのまま残してくださるところ。

まるで今、笑麻が初めて葛藤に直面して動揺しているかのような“揺らぎ”が、円井さんのローなテンションのまま、水面ギリギリのハイまで一気に持っていく魅力と合わさる。

わたしの脚本だと、最初から笑麻がハイテンションであってもおかしくないんですよ。でもね、円井さんの笑麻は、意外とローテンションなの。

「こんなに喋りまくる家族の中で、バランサーとして生きてきたから、心の内ではローテンションなのは納得できますね」

ディレクターさんに言われて、ハッとしました。

円井さんの中で、笑麻が生きてる。生かしてくれてる。嬉しいことばっかりが起きて、もう、わたしはどうしたらいいかわからない。


テンションで言うならば、ラジオドラマでは、感情を演出する音楽も主役。

音楽家の渡邊崇さん。

オープニングから始まり、50分のラジオドラマで10曲以上を作ってくれる、物語の音楽神。しかも島根出身。

なんか繋がってる。


「ちっちゃいピアノ……?」

「みなさんのセリフを聞きながら、今、曲を作ってます」

「今!?!?!?!」

びっくりした。確かに、なんで脚本の読み合わせに音楽家がいるんだろうって、ちょっと思ってた。今、弾いてんの。今、作ってんの。

どういうこと。

渡邊さんが、手元の紙をチラッと見せてくれた。そこには、春山家の物語と、走り書きのメモがびっしり。

ドラマとは、人間の変化である。なにが変化するか。主に感情だ。なにかが起こり、どんな感情から、どんな感情へと移り変わっていくのかを想像して、音楽にするのだという。

セリフに音楽が合わされば、変化がスッと、心に入ってきやすくなる。つまり、感情の橋渡しだ。

それをこの場で!即興で!

「そんな、寿司屋みたいな芸当を……!」

あまりに音楽への造詣が浅すぎて、褒め言葉が寿司屋しか取り出せなかったが、渡邊さんは笑ってくださった。

さすが、note界で最も人目を気にせず書きたいことだけ書きっぱなしにする男。独自の音楽理論の投稿直後に、サンマを炙っただけの写真が出てきて、わたしはちゃんと動揺しましたよ。


そんなこんなで、あっちゅう間に、現場の見学は終わってしまいました。


春山家という即席の家族を、ずっと今まで生きてささやかな歴史を紡いできた家族にしていくために、短い時間でギュッと努力を詰め込んでくださった、スタッフのみなさま。

本当に、ええもんすぎる、ええもんを見せてくださって、ありがとうございます。


熱量と技術にボーッとしながら、NHKのえらい人と最後にご挨拶をさせてもらったため、

「ドラマ制作の専任部長です」

「千人部長」

だと思い込み、帰ったあともずっと千人部長だと信じていた。

なんか千人武将的な感じのやばい将軍が、NHKにもいるんだと思っていた。キングダム感。朝ドラの主演、橋本環奈氏やし。


というわけで、岸田がブッたまげた演技と音楽の結晶、


NHK FMシアター「春山家サミット」
11月30日(土)PM10:00〜10:50
※アプリ「らじる★らじる」等で聞き逃し配信あり

笑って聞いてくださると、嬉しいです!


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岸田奈美|NamiKishida
週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。