さとしくんは、マンションの子どもたちを統率していた
映画館で「ドラえもん のび太の新恐竜」を観た。ドラえもんはいい。劇場版は欠かさずチェックしている。
ドラえもんのなかで、もっとも異常が日常になっているのは、ジャイアン(剛田武)だと思う。
荒波のような1970年代のガキ大将の凶悪な部分を余すところなく過積載し、暴力によるシンプルな恐怖政治を敷いている。
でも、ジャイアンって、丸くなってきてんだよね。時代にあわせて。
「お前のモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノ」っていう原作でお決まりのセリフが、なんか最近のアニメで、のび太が落としたランドセルをずぶ濡れになりながらジャイアンが拾って「お前のモノは俺のモノだからな」って言う解釈になってた。脚本の叡智はすげえぞ。
じゃあもう一つの常套句「ムシャクシャするから殴らせろ」はどうなんのか、今から楽しみにしてる。たぶん50人くらいの不良に絡まれたのび太を助けるために、ステゴロで助太刀してくるジャイアンになると思う。
んでね、なんでジャイアンの話をしてっかってーと。
わたしの幼少期にも、ジャイアンがいたわけで。
さとしくんね。
さとしくんとはじめて出会ったとき、彼は小学5年生で、わたしは小学1年生だった。
1年生から見る5年生って、すげえからね。身体も知性もぜんぜん違って、安岡力也くらいある。威圧感が。
さとしくんつったらもう、うちらの地元じゃ、名の知れたガキ大将だったわけ。ガキ大将どころじゃない。さとしくんは、紛れもなくガキ王だった。
100人や1000人を引き連れてる大将を越えて、もう、民を統率してた。
どういうことかっていうと。
わたしの実家は、50部屋以上あるマンションが10棟もある、集合住宅街だった。ニュータウンって言うのかな。なんか山を切り開いてできた、ナウいところで。子どももいっぱいいて。
んで、集合住宅街の敷地内に、小学校のグラウンドくらいでっけー広場があって。みんな学校から帰ってきたら、そこで遊ぶの。
最初はそれぞれ、言葉がわかるかわからないか際どいくらいの幼児たちが散り散りになって、目についた子たちで、テキトーに何人かごとに固まって遊ぶんだけどさ。
わたしを含む幼児が成長していくにつれ、そのチームが、なんか、どんどん集結していくの。アメーバみたいに。
「お母さんたちここで喋ってるから、さとしくんたちと遊んでおいで」
他の多くの子どもたちと同じように、わたしにも母の勅命がくだった。
さとしくんの母とわたしの母は仲が良く、他にも数人の母たちを交えて、なにがおもしろいんだかよくわからない話で、ずーっとペチャクチャ喋り倒して盛り上がっていた。
お母さん同士が仲良くなると、子ども同士も自然と仲良くなる。
小学1年生のわたしを、小5年生のさとしくんと組ませるという監督の判断はいかがなものかと思うが、母側の事情で語れば
・子ども同士も仲が良いと、そのままお茶やご飯に行きやすい
・小学5年生という歳上がいると、なにかと安心できる
・さとしくんを通じて、他の友だちもたくさんできる
に尽きるんだろう。なんせ、大人にとって都合がよかったらしい。
そんなわけで、わけがわからないまま、さとしくんの遊びに加わった。
さとしくんはいつも十人以上の子どもたちの中心にいた。
「おーい、ドッジボールやるから集まれ!」
さとしくんが広場で大声を出すと、広場のあちこちから、子どもたちが集まってくる。ドッジボールやリレーや鬼ごっこなど、人数が多くなければ盛り上がらない遊びばかりだったから、そこに加われるのは嬉しかった。
子どもたちのメンツはいつも大体同じで、同じ集合住宅に住む小学三年生から小学五年生がほとんど。女の子も男の子も一緒くた。
小学一年生は最年少で二人だけで、わたしと、さとしくんの弟・やっくんだった。やっくんは優しいけど弱気な意気地なしで、いつもさとしくんの後ろで半べそをかいていた。
さとしくんのことを最初は、友人が多く、リーダーシップがあり、おもしろい男の子だと思っていた。彼の才能が頭角を現すまでは。
小学生なんて、基本的にボーッとしているか、アホみたいに騒いでいるかのどちらかだ。まとまらないことが当たり前。小学生とはそういうもの。
しかし、さとしくんには、その子どもたちを統率する圧倒的な才能があった。
そのひとつが、「コンテンツ力」である。
みんながドッジボールやリレーや鬼ごっこに飽きはじめ、「どうする?僕んちで遊ぶ?」「あっちでおままごとやろう!」と収集がつかなくなったころ、突然さとしくんがみんなを広場に集め、言った。
「いまから、マンション鬼ごっこをはじめる!」
マンション……鬼ごっこ……?
「今までは広場で鬼ごっこをしていたけど、これをマンションの建物内でやる!鬼役は二人 、エレベーターは各自二回まで使ってよし!」
集められた子どもたちは顔を見合わせ、そして、すぐさま色めき立った。
それは大発明だった。
まず、鬼ごっこは基本的に、平面を逃げ回るという「横」の概念である。できるだけ遠くへ、できるだけ速く逃げるだけだ。
ここにマンションの上下階という「縦」の概念が加わっただけで、戦略性が一気に増す。
たとえば、エレベーターの階数表示が光っているのを見て、
「見ろよ、鬼のやつ、エレベーターで移動してるぜ!」
「この階を通り過ぎて一階に行ったか!じゃあここは安全地帯だな」
とホッとする子どもがいたとする。
しかし実際は、鬼は無人のエレベーターをブラフとして一階に送っただけで、実は忍び足で階段を降りてきており、油断したアホたちを一網打尽にするという戦略が流行った。発案したのはさとしくんだった。
鬼と鉢合わせないよう階段をのぼるか、おりるか。廊下に隠れてやりすごすか。マンション鬼ごっこは、スリルにまみれていた。
当然のことだけど、こんなもん、マンションの住民からしたら、クソ大迷惑である。
マジで、本気で、一ミリの冗談もなく、心から、こんな遊びをやってはいけない。強烈にうるさいし、めちゃくちゃ危ない。マンションで一人暮らししている今のわたしが、過去のわたしたちを目撃したら、子どもだろうと情け容赦なく一網打尽にしている。ドラえもんの空き地の裏に住んでるカミナリさん並みにブチギレる。カミナリさんの方がファニーなレベル。
絶対にやってはいけないし、やってる子どもを見たら、問答無用で管理事務所に突き出していい。
アホのわたしたちが狂ったように興じていたマンション鬼ごっこは、「鬼を恐れるあまり、自分が住む家の中に入って隠れる」という愚策に出た子どもにより親バレしたのと、普通に住人たちから「うるせえ」と苦情がきて、秒殺で管理事務所から禁止のお触れが出た。(その節は本当に申し訳ありませんでしたと、わたしは今でも折に触れて謝っている。自戒としてここに書く)
「やっぱりあれは怒られるよなぁ」と薄々感じていた子どもたちの総意で、マンション鬼ごっこはピタリと止んだものの、子どもたちのさとしくんへの羨望は止まらなかった。次はどんな遊びを提案してくれるのか、期待に胸が踊った。
マンション鬼ごっこに魅了され、評判が評判を呼び、一緒に遊ぶ子どもの数は倍以上に増えていた。わたしたちの前で、大々的に新しい遊びを発表するさとしくんの貫禄は、さながら軍曹だった。
「いまから、ブラインドリレーをはじめる!」
ブラインド……リレー……?
「3チームにわかれて、一人ずつ敷地内を一周し、この場所に戻ってきて、バトンをパスする!先にゴールしたチームが勝ちや」
これだけなら、ただのリレーである。
今までわたしたちが広場をトラックに見立ててやっていたただのリレーと大きく違うのは「走者の順位が、戻ってくるまで見えないこと」だった。
広場ではなく、集合住宅の敷地全体がトラックだ。階段を降り、10棟あるマンションの間を縫うように走り、庭園を抜けて、ちょうど敷地内は一周する。かなり敷地内は広く、人通りも少ない時間帯なので、大人に叱られるリスクも少ない。
自分のチームの走者が何位なのか、庭園を抜けてくるまでわからない。
たったこれだけのことで、ドキドキが爆裂に急上昇した。
24時間テレビのマラソンでも盛り上がるのは、坂道を一番先に駆け上がってくるのは誰かが判明する瞬間のカメラワークだったりする。
さとしくんがすごいのは、当時子どもたちの間ものすごく流行っていたゲームソフト「マリオカート64」に見立て、リレーのコースに存在する曲がり角や目印を「デコボコハイウェイ(急な坂道)」「恐竜の滝(公衆の水道)」などと名付け、これにまたわたしたちは興奮した。
「おかえり!どうだった?」
「ハァッ、ハァッ……!やべえ!マジでやべえ!デコボコハイウェイで遅れをとったわ!あそこは体力温存しといた方がいい!」
帰ってきた走者にみんなが群がり、走者しか知らないコース上のドラマを聞き、自分なりの戦略を立てるのが本当にワクワクした。
ブラインドリレーが子どもたちの中の一大コンテンツとして定着し、マリオカートよろしく大胆なショートカットコースを編みだす者が登場するなど、秩序が乱れはじめたころ。
さとしくんの第二の才能「扇動力」が、惜しみなく火を吹く。
「今日から、リレーのチームはドラフト制で決める」
さとしくんの発表に、20人近い子どもたちはざわめいた。それまでリレーのチームは、くじでランダムに決まるものだったからだ。
「まずリーダーを俺が選出した。けいすけと、まことや」
さとしくんが言うと、けいすけくんと、まことくんがサッと前に出た。二人ともさとしくんと同じ小学五年生で、仲がよく、スポーツ万能で目立った存在だ。
「俺と、けいすけと、まことがジャンケンをする。勝った順に、チームにほしいやつを指名していく」
衝撃だった。
あの頃は、少々いきすぎた平等思想が学校に忍び寄っていたように思う。テストの点数が廊下に張り出されることがなくなり、かけっこは順位を決めず全員で手をつないでゴールする学校もあった。(わたしたちの学校は事前にタイムを測り、ほぼ同じタイムの子どもだけで走った)
そこにさとしくんは、競争の概念を素揚げのままブチ込んできた。優しさを履き違えた、大人へのアンチテーゼだ。
なにが起きたかと言うと、さとしくん・けいすけくん・まことくんたちがリーダーとするなら、“ヒラ子ども”であるわたしたちは、一体自分たちが何位でチームにドラフト指名されるのかに夢中となった。
「じゃあ、俺のチームの指名は……」
ジャンケンで勝ったリーダーが指名するたび、ヒラ子どもは唾を飲み込んだ。
「アユミや!」
わあっと感嘆の声もあがれば、ええっと落胆の声もあがる。さながら本物の野球のドラフト指名のようだった。小学生中学年くらいなら、体力にあまり差が出ないので女の子の指名も多かった。
指名の判断材料は「足の速さ」だけではなく「ルールの遵守」も含まれる。
騒音で管理事務所から叱られたり、ショートカットなどでルール違反をしたりすると指名されなくなるので、ヒラ子どもたちは、必死で愚直にルールを守るようになった。
チームに選ばれると、秘密基地で行われる作戦会議に招かれたりして、それがまたレジスタンス!って感じで、ものすごくかっこよかった。
しかし、ここで煽られるのは「他のヒラ子どもより、できるだけ速く、リーダーから選ばれたい」という競争心である。わたしたちの自分を推し量るものさしは、テストの点数でも、逆上がりができたかでもなく、毎日行われるリレーのドラフトが何位かのみに絞られた。たぶん不健全すぎる。
三人からの印象を良くしたいがゆえに、他のヒラ子どもの不正を密告したり、リレー中に力いっぱいの声援を送って、アピールする者が出はじめた。
そのうち、リレーコースを自主的に掃除し、管理事務所から褒められる者まで。足が遅い者は、コースを徹底的に分析し、効率のよい走り方や駆け引きを提案する策士として成長していった。(その小学三年生の策士は、坂道で相手の後ろに隠れるようにして走ることで空気抵抗を防げるという、マラソンでよく使われるアレを自然発生的に編み出していた)
いいんだか悪いんだかわからんが、わたしたちの向上心は、手がつけられないほどに肥大化していった。
ちなみにわたしとやっくんは、一番年齢が低く、二人ともどんくさかったので、いつも最下位指名だった。しかし最下位には最下位の意地があり、わたしはやっくんに勝つことだけを生きがいにし、死にものぐるいで走っていた。あと普通に、まことくんが好きだったので、まことくんから選ばれたかった。恋の暴走列車だ。
まさにこの時、わたしたちは「三国時代」に突入していく。さとしくん、けいすけくん、まことくんの魏・蜀・呉が入り乱れる戦いとなった。途中でさとしくんとけいすけくんが同じ女の子を好きになったせいで仲違いをするなど、激震も走った。
これらの戦いは、集合住宅の子どもたちに最高潮の熱狂をもたらしたのち、さとしくんたちの中学入学とともに、緩やかに消失へ向かっていった。少子化もあいまって、今や広場で遊んでいる子どもは一人もいない。少し、寂しい。
鮮明に覚えているのは、わたしは最後の最後でまことくんのチームに選ばれ、一位になってハイタッチをした、淡くてほの甘いワンシーンだ。
昨年、地元に帰っていたやっくんと、十数年ぶりに再会した。やっくんは相変わらず、気が弱そうに笑っていた。
「お兄ちゃん(さとしくん)は元気?」
「うん、元気やで。携帯ショップの店長になって、結婚して、子どももいる」
あのさとしくんが、家庭を築いている。どうしてもあの頃の、王として君臨していたさとしくんとは結びつかなくて、わたしは戸惑った。
「小学生のときのさとしくん、やばかったやんね」
「みんなからポケットピカチュウ(万歩計でキャラクターが成長するゲーム)借りて、俺の身体にぜんぶ縛り付けて、1万歩超えるまで帰ってくんなって言ってたこと?」
「それもそうやけど、リレーのことやで」
わたしが説明すると、やっくんは、懐かしいのか、恥ずかしいのか、わからない表情で「あったなあ、そんなこと」と言った。
ちなみに、同席していたわたしの母とやっくんの母は「さとしくん、しっかりしてると思ってたら、そんなことになってたん?」と驚愕していた。親には親の王国、子どもには子どもの王国が、いつでも背中合わせで分断して存在するのだ。
さとしくんと、わたしたちの日々は楽しかったけど、正しかったのかどうかはわからない。たぶん、正しくはなかったと、思う。
ただ一つ、確かなのは、さとしくんにあの頃の話をしたら「そうやったっけ?俺、そんなことしてたっけ?そっかあ、楽しかったなら、よかったけど」と、明らかに丸くなっていたことだ。