事実を毎日メモしたら、50文字の視界が7万文字の世界になってた話
みなさん、メモってどれくらい書いてますか?
日常でも、仕事でも、なんでもいいんですけど。あっ、でも、できればタスク以外がいいです。発見したこと、考えたこと、感じたことなら、すごくいい。
「なんに使うかわからないけど、覚えておきたいメモ」だったら、もう、最高です。それはわたしが一番好きなやつです。
毎日、なにかしら書いてるよっていう人、いたら手をあげてください。
おっ、あなたはすばらしい。わたしも書いてるので、わたしもすばらしい。
なぜかというと、もうめったにやらないことを決めたのですが、今年の前半はいわゆる文章講座のようなものをいくつか引き受けていて、そこで一番たくさんもらった質問は「どうすれば、おもしろいエッセイを書けますか」でした。
そんなもん、わたしが知りたいのですが、昔から“事実は小説より奇なり”という言葉があるのは確かです。つまり、奇特な事実を見つけたらいい。
「なんでもいいから、いいなと思った事実をメモするのはどうでしょう」
わたしは答えました。
同時にわたしは、それを自分でやってみることにしました。
ちなみに、文章講座で200人くらいの人に伝えましたが、1週間たって「毎日メモできた人?」って聞くと、5人もいませんでした。
だから、すごいんです。
藪から棒に、すみません。
作家になった、岸田奈美と申します。
一年間のメモが、わたしを変えてくれた話をします
一年前のわたしは、悩んでいました。
このままずっと楽しい文章を書いて、楽しく生きてみたいけど、どうやら書けることは半年も経たずになくなりそうだったからです。
そのころわたしは、「家族の話と奇跡の話の二本槍兵士」でした。
文章にしたらおもしろいくらいの家族との思い出話なんて、この身体には両手で数えるほどしか持っていません。
奇跡が起こりやすい星のもとに生まれたけど、そんなの、二ヶ月に一回あればいい方です。
つまり、書くことがなくなる。ずっとこのまま叱られながら会社員をやらないといけない。
ぼくはいやだ!
そんなわけで、エッセイのネタになればと、メモをとりはじめることにしました。
だいたいのルールは、こんな感じです。
道具:
iPhoneにデフォルトで入っているメモ(機種変でも自動で引き継がれるのでかしこい)
書くこと:
おもしろいなと思ったことはなんでも、他人の言葉や映画の台詞でもいい
文字数:
1日、50文字以上を毎日続ける
わたしの場合は、これで書く仕事を続けられるかが決まるので、必死です。基本的に学校の宿題など提出できた方が少なかったですが、これはがんばりました。
はじめたばかりの、わたしのメモです。
これを、どないせえと言うねん。
おもしろいというか、失礼なことを書いてしまっています。
パパイヤ鈴木さんと葉加瀬太郎さんは、ここを読むことはきっとないでしょう。ただ、茂木健一郎さんはお話したことないけど、Twitterにはいらっしゃるからな……もし怒られたら、謝ります。いまは茂木さんだけ、見分けがつくようになったので。
まあ、最初はたぶん、こんなもんです。
ちなみに、浅すぎるこれらがエッセイになることはありませんでした。この時はまだ、家族の思い出話や奇跡話を少しずつ書いて、しのいでいました。
でも、ちょっとしたラジオ出演などで、アドリブで話す材料にはなってよかったなと思います。
一ヶ月続けてみたら、だいたい2000文字になっていました。
みなさんのなかに、こんな経験がある人はいませんか。
「Instagramをはじめたら、きれいな景色や料理を撮る回数が増えた」
イイネ!って言われるとうれしいから、目にも美しいものを探そうとする。頭より先に、心が動いて、パシャるのがクセになる。
メモを書くようになると、これと同じことが起こりました。
人が作ったものや、人が話すことが、だんだんとおもしろくなってきたんです。
このときの状態を、わたしは、とっかかりが増えたと言っています。フッとした時に「なんか、今の、いいな」って、とっかかるんです。
メモを書くために、目と耳の解像度を、無意識に上げました。
書く。
とっかかることが、増える。
また、書く。
この繰り返しで、1年が経った、いま。
iphoneのメモの文字数は、7万文字になっていました。
1日50文字だったのが、今月は平均すると600文字。一ヶ月に2万文字近く、書きためたことになります。
一年前のわたしとは、見ているもの、聞こえていることが、10倍も違うのです。パカパカ携帯のカメラから、ライカのカメラになったような。
こういう、長めのメモが多くなりました。パヤパヤ。失礼なことも、たぶん、ないぞ。イエーイ。
もうこれだけで、短いエッセイくらいにはなりそうですね。
メモを取り続けて、ダメな自分にハッとしたこと
最近はもっぱら、自分がうんうん唸って悩み、ようやくピーン!と気づいて編み出した、新しい考えを人に話すと「それ同じようなことを糸井重里さんが10年前に言ってたよ」と誰かから言われてしまう呪いにかかっています。嬉しいが、本音はとても悔しい。
その糸井さんに会ったとき、言われたことです。
「岸田さん。最近、トラブルがなかった日は『あ〜あ、ネタがないや』って、ガッカリしてないかい?」
してます。
トラブルは、おもしろいエッセイになるので。
「それはね、おすすめしないな。だって日常で不幸を探すのがクセになる。不幸になっちゃうよ」
はっ。
これはもう、びっくりでした。わたしはネタを探すあまり、自分が不幸でかわいそうになる瞬間を、心のどこかで期待していたんです。
幸せになりたくて、書いていたはずなのに。アカン。
なので、いまは意識的に「嬉しかったこと」「愛しかったこと」を探すようにしています。どんな不条理にも、どんな空虚にも、探すためにカッと目を見開けば、美しく、愛しいところが見つかることに気づきました。
愛を見て、愛を語る言葉が、わたしのなかに増えました。
編集者の佐渡島さんからはいつも「自分の感情を細かく観察しよう。一流の作家は、感情を書くだけですごい作品になる」と教えてもらっています。
佐渡島さんとは毎週、定例で雑談をしているので、その時に話すため、メモの内容に「その事実に、わたしは寂しいとか嬉しいとか、どんな感情を持ったのか?」も付け足すようにしました。
「世界は贈与でできている」の著者・近内悠太さんから、気づかせてもらったこともありました。
それは「ぼくたちは、“あったかもしれない可能性”に気づき、幸せになるために、物語を書いている」という言葉。
つまり、事実をそれだけで終わらせず、想像力をもって書き足していくこともやってみました。
最終的にわたしは、わたしに問いかけるメモを書いている
愛しいところを、見ようとする。
自分の感情をていねいに観察する。
あったかもしれない可能性を想像する。
メモにただ事実を書くことに慣れたわたしは、先輩たちから教えてもらった、この3つをやってみることにしました。
コツは「どんなところが愛しい?」「なんで怒ったの?」「これってどんな背景があったらおもしろい?」と、じぶんに質問してみることです。
ずいぶん暗いですが、これがわたしの最新日付のメモです。
こんなにたくさん書いていますが、起こったことは、たったひとつだけ。
「いろんな人が集まる会で、傷つくことを言われて、言い返せなかった自分がイヤだった」
これでした。
一年前のわたしなら、ただ、涙をのんで「ちくしょう!」と吐き捨てながら、一風堂あたりでラーメンをしけこみ、オールナイトニッポンを聴いていたことでしょう。
でも、いまのわたしには、メモがあります。
書くために。
ただ、書くために、わたしは、事実の見方を変えました。たった50文字の視界が、7万文字の世界になりました。
これから先、どんなにしんどいことがあっても、きっと7万文字、いや、数十万文字になっている世界は、わたしに前を向かせてくれます。
メモをとることが、わたしという味方を作ってくれたのです。
あなたも、いっちょかみ、どうですか。
ここからは、最近書いたメモを、ちょっと細かく紹介してみます。2021年の大きなテーマになることばかりです。
渋谷のスクランブル交差点とおじさんのアカシア(マガジン読者限定)
渋谷のスクランブル交差点にいた、汚れた服で段ボールにくるまってた人、BUMP OF CHICKENの新曲を口ずさんでいた。いいなあ。同じ曲を気に入ってたことが嬉しい。
たしか曲は、BUMP OF CHIKENの「アカシア」でした。発表されたばかりの曲で、わたしもまだ歌詞を覚えていませんでした。
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