弟が一人で美容室に行ってて、姉は腰を抜かした
弟のふとした行動に、ものすごくびっくりすることがある。
「あんた、ほんまはわかってたんか」って。
このびっくりは、どう説明したらいいだろう。
たとえるなら、子どもが大きくなってから、お腹のなかにいた時にお母さんが語りかけてくれたことを話しだしたような。そのむかし助けたツルが、恩を覚えていてはた織りにきたような。
弟には悪いが、このびっくりには、とても失礼な意味がある。
「まさかそんなことはないだろう」と低く見つもっていたことと、セットなのだ。それも、かなり長い間。
だから弟は、びっくりしているわたしを見ると「わかってるに決まっとるがな、ひどい姉め」って、あきれた顔をする。
ひどい姉にも、言い訳をさせてほしい。
ダウン症の弟は、昔から、みんなが上手にできる大抵のことは、みんなより下手だった。
うまくしゃべれない、はやく走れない、文字を覚えられない。それでも弟が、まったく悔しそうでも、さみしそうでもなかったのは、とにかく弟がいいやつだからだ。いいやつは、どこへ行っても、好かれる。
そんなわけで、いいやつの弟は「競争すること」「比べられること」「普通でいること」から、かぎりなく遠ざかって生きていた。弟はいいやつとして、元気に生きているだけで、世界の期待にこたえている。(本当はみんな、そうなんだけどね)
競争や比較や普通にも悪くない面はある。それはちょっとした成長も、順位や数字や評価になると、見えやすくなることだ。
弟は、それがあんまり見えなかった。
見えたのは「なんかいつのまにか、一人で学校に行けるようになったね」「よくわかんないけど、静かに電車乗れるようになったね」という、ざっくりで、ゆっくりで、おおらかな成長のみ。
ごめんだけど、たぶん、わたしはどこかずっと小さな子どもを見るような視線を、弟に向けていた。
だから、急に成長を見せつけられると、わたしは腰を抜かすほどびっくりしてしまう。
甘いジュースやアイスばっかり飲んでいたはずなのに、スターバックスコーヒーで、イングリッシュ ブレックファーストティーを頼むようになっていたとき。(そんなん飲めたんかい)
チェック柄のネルシャツには、ちゃんと無地のTシャツを選んで着ていたとき。(おしゃれの基本がわかるんかい)
父が息をひきとった病院を車で通りがかると、「パパ、あっち、元気かな」って言ったとき。(死んだって覚えてたんかい)
そしてつい最近は、母のTwitterを見て、腰を抜かした。
一人で、美容室へ行けるようになった……だと……?
しかも、好きなキャラクターに似せるオーダーまで……?
そんな大事件、なぜLINEで娘に伝えるより先に、Twitterで全世界に発信しているのだ。
あわてて母に裏を取るため電話すると「前から一人で行ってるから、知ってるんやと思ってた」とアッサリ言われた。実家を離れるだけで、浦島太郎状態になるとは思わなかった。
なぜわたしがこんなにびっくりしているのか、みなさんにもわかってもらうには、我が家の長い歴史から語らなければならない。
弟の髪の毛は小学校低学年くらいまで、母が風呂場で切っていた。
ならず者の闘技場みたいだった。
弟は顔のまわりを触られることを、極端に嫌った。「髪を切るから」と言っても、意味なんてわからず、おびえて叫び、パニックになった。
「お前はなんだ、ウナギイヌか」
父が思わず口をすべらせるくらい、弟はウネウネと身体をよじり、意地でも逃げようとした。それを母が膝の上で、ゴリラのごとき腕力で捕らえる。
死闘の末、弟はつんつるてんのヘアーになり、グッタリするのだった。どうでもいいが、なぜウナギではなく、ウナギイヌだったのか。父はどこにイヌ要素を見いだしたのか。吠えるみたいに、叫ぶからかな。
しかし弟の身体が大きくなると、次第に母が抑えきれなくなった。(結界を封印しているかのような説明だ)
どうしたものかと母が困り果てながら、神戸の“こべっこランド”という、ダウン症の子どもたちが療育で集まる施設をおとずれたとき。
同じ建物に、当時はまだ斬新な子ども専用ヘアサロンがあった。
ガラスの外から中をながめると、わんぱくそうな小さい子どもが、スーパーカーを模したイスに座り、楽しそうにアニメのDVDを観ながら、じっと髪の毛を切られていた。
一瞬ためらった母は、ここならもしかして、と弟の手をひいて飛び込む。
「あのう、この子、もう小学校中学年なんですけど、切ってもらえますか?」
店員さんは、あきらかに他の子どもとは違う様子でキョロキョロして落ち着かない弟をちらりと見て、言った。
「もちろんです、いらっしゃいませ!」
母いわく、その美容室の店員さんの施術は「魔法のようだった」そうだ。
まず、弟には真っ赤なスポーツカーの席が与えられた。遊園地のゴーカートのようにハンドルまでついていて、弟はたちまち喜んだ。いまでも弟が、車を見るたび「それ、いくらですか?」と運転手にたずねるくらい好きなのは、この影響だとわたしは思っている。
そして、席に一台ずつ取り付けられた、テレビとビデオプレーヤー。アンパンマン、ドラえもん、と弟が食い入るようにみるアニメが次々に再生された。
シャンプーはめちゃくちゃ甘そうな、いちごの匂いがした。リンスはホイップクリームの匂いがした。頭がクレープになっとるがな。
そしてなにより。
店員さんは、弟を褒めちぎった。
「えらいねえ!」「かっこいいねえ!」「お兄さんだねえ!」
弟は褒められるのが大好きなのだ。まんざらでもない顔をして、とにかく上機嫌であった。ウナギイヌを確保していた母はなんだったのか。
わたしはこんな簡単なことで褒められる弟がうらやましく、「わたしはもっとお姉さんですけど?お会計も一人でできますけど?」と濃いめのアピールをした時期もあったが、今はどうでもいい。
あまりにも弟が楽しそうだったので、その美容室には姉弟でお世話になった。無事に髪を切り終えると、小さな缶のオレンジジュースがもらえるのが嬉しかったのを覚えている。
そこで弟は、顔のまわりをいじられるのも、髪を切られるのも、怖くないと学んだ。5年くらいかかったけど。
中学生になってから、2年ほど、弟の髪は予期せぬ暗黒期に突入する。
母が病気で入院したので、美容室に弟を連れていくのは、祖母の役目になったのだ。
家から歩いていける、田舎の1000円カット専門店に。
仕方がない。祖母は運転免許をもっていないし、気持ちがいい具合の大雑把だ。それに、1000円カット専門店が悪いわけではない。安くて、速くて、技術もある。
問題は、弟の髪質が剛毛すぎて、昭和の大工もびっくりの大角刈りになってしまったことだ。
角刈りではない。大角刈りだ。
前髪が額の前に突き出て、後頭部は東尋坊のごとく絶壁、もみあげに至ってはきっちり直角であった。
しかしそこの1000円カット専門店は、細かいオーダーができないお店だった。たくさんのお客が控えているので、マニュアルどおりにしっかり切る。つまり弟にとっては、角刈り一択だ。弟のあだ名がわたしのなかで「大将」になった。
母が元気に退院し、わたしは実家を離れ、暗黒期は終わりを告げる。
弟は、母が通っている美容室におこぼれで連れていってもらうなど、いわゆる「大人のオシャレ仲間入り期」がはじまる。
最終的に、この5年ほどは、駅前にある夫婦経営の小さな美容室へ通っている。大角刈りも卒業し、弟の髪質を活かしたソフトモヒカンスタイルになった。
「あの駅前の美容室、めっちゃ狭くない?オカンの車いす、入られへんやん」
わたしが聞くと。
「それがな、わたしは車に乗ったまま、彼を送り届けるだけでええねん。美容師さんが外に出てきてくれて、オーダーとか料金とかをわたしに教えてくれるから」
まさかの、美容室のドライブスルー化である。
いや、正確には弟を店へ放り込んでいるので、スルーしているのは母だけだが。融通がきくのは本当にありがたい。それもこれも、弟がいいやつだからだ、とわたしは信じている。いいやつでありたいものだ。
いまや弟は一人で5000円をにぎりしめ、店に入り、髪型のオーダーを伝え、会計をして帰ってくるのだというから、おどろきだ。
そして、このようにキメ顔で、姉に贈る写真を撮ってくれる。
ちょっとずつ成長をしているのは知っていたが、まさか、弟が一人で美容室に行ける日がくるなんて、わたしは想像したことがなかったのだ。よくよく考えると、そりゃできるやろ、って感じなのだけど。いざ目にすると、びっくりする。
なにより、ええやつの弟を歓迎してくれた、ええやつの美容師さんたちには、このサプライズに心からのお礼を伝えたい。
あまりにもびっくりしたので、この間、実家に帰省したとき、弟にいろいろ質問してみた。
「いま、髪の毛切りに行くの、好き?」
「すき かっこいい」
このように喫茶店の一角で、姉弟とは思えない、異様な光景となってしまったのだが、ちょっと見てほしい。
5000円を持っていくという話をしている時、手の形が「ゼニ」のポーズになっていた。
そんなん、どこで覚えたんや。
姉はふたたび、腰を抜かしそうになった。
このエッセイは、ミルボンさんから依頼を受けて、書きました。「#私が美容室に行く理由」というハッシュタグをつけ、美容室の思い出を投稿することで、美容師さんたちの仕事を応援するという企画趣旨に、諸手をあげて賛同します。