岸田は、岸田がおもしろがるものでできている〜愛する8作品を紹介〜
突然ですが、授賞式をはじめます。
2メートルずつ間隔をあけて、背の順で並んでください。
それぞれの賞に該当する人は、手をあげてください。
外出を我慢して、家にこもっとるでアカデミー賞。
さぼりがちな家の中でも、仕事や家事や勉強をやっとるでグラミー賞。
病院、スーパー、ガソリンスタンドなど、行かなきゃいけない仕事を頑張っとるでノーベル賞。
モノの買い占めなどをせず、みんなでわけわけしとるで江戸川乱歩賞。
テイクアウトや通販などを使って、好きな企業を応援しとるでゴールデングラブ賞。
以上の皆さんたちは、みんなめちゃくちゃえらいので受賞です。優勝です。副賞として2兆円と二酸化炭素排出権をあげたい気持ちでいっぱいです。非力ですみません。でも、本当にえらいです。
私も、どうにかこうにか、明るくくだらないものを書くなどして、ちょっとでも頑張ろうと思っているのだけど。
退屈と憂鬱は敵なので、その敵を助走つけてぶん殴るために、今日は私が、エッセイを書くために毎日やってることをちょっとお話しようかと。
私は、人生をおもしろがりたい。
理由はふたつあって、私の人生があまりにも重く暗いアクシデントだらけだからせめて面白がらないと大損するのと、単純におもしろい人に憧れるから。
おもしろがる手段を選ぶとき、とりあえず数あるなかで一番私に向いていた文章、つまりエッセイになった。運良く作家にもなった。本とか代表作とか全然出てないけど、とりあえず作家になった。
おもしろいエッセイを書くには、どうしたらいいんだろう。まだ会社員だった私は大好物のハヤシライスを食べながら考えた。三食ハヤシライスでもいける。
エッセイを書くには、まず書けそうな出来事を思い出そう。
「父親が死んだ」「母が下半身麻痺になった」「弟はダウン症だ」
もちろんこれらの裏っかわには、ちょっとした愛しさや楽しさが隠れているけど、それをそのまま言葉にしても、おもしろがってはもらえない。
起こったことをどう見るか、どう整理するか、どう書くかが大切なのだ。
ほーん。なるほど、なるほど。よくわかった。それじゃあ……
書けねえ。
さっぱり書けねえ。
当たり前だ。
うちのばあちゃんが激推ししている氷川きよしは、森口博子が歌う姿を見て、歌手になったのだ。森口博子がいなければ「やだねったら、やだね」も生まれなかったのだ。
おもしろい作品を知らなければ、おもしろい作品を書くなど、ペーペーの凡人の私にはできないのだ。私が探さなければいけないのは、文豪っぽいパイプでも賢そうなモレスキンでも最新のMacBookAirでもなく(全部買った)、森口博子だった。
おもしろいものを書くためにダラダラやってること
(なんか文章の話になるので、とりあえずおもしろい作品だけ知りてえよって人はスクロールして次の章にジャンプしてください)
知るというのは、ただ読むだけではない。
高校の頃、ベロベロに酔いながら私にネズミ講のパンフレットを和訳させ受験英語を教えてくれた整骨院の先生(このくだりはめちゃくちゃ話が壮大なので割愛する)が言うには。
人に説明できるようになって初めて、知識は身につくのだ。10へえ。
ということで。
これが岸田のおもしろくなる読書3点セットだ!!!!!!!ドーン!!!!!!!!!
おもしろい本と、蛍光ペンと、スマホ。
おもしろい、すごい、と思った行を見つけたら、すぐさま蛍光ペンで線を引く。その中でもさらに唸ったものは、暇なときスマホにメモを取る。
本に書き込みだなんて!っていう人もいると思うけど、ごめんなさい。私はお気に入りの本にしか線引かないので、2冊買ってる。富豪。
蛍光ペンは読みながら片手でシュッとできるのが良いから、ノック式がオヌヌメだぞ!使いすぎてすぐインクなくなるから、作ってる会社さんは協賛してください。(厚顔無恥)
で、自分がなんか書くときに、この線を引いてる文章をマネして書くのです。
おしまい。
「そんなんパクりやん!」と言われそうである。文章そのものをパクるのではなく、作者の発想というかセンスというか、そういうものをマネしていけ〜〜〜〜!長友狙ってけ〜〜〜〜!と言いたい。
たとえばさっきの写真のおもしろい本は、又吉直樹さんの「第2図書係補佐」だ。
線を引いた一文は「翌日、祖母は昨日の自分の言葉を忘れたのか、丸めた新聞紙でゴキブリを叩いていた」。
これを私が「翌日、うちの母は先週の自分の言葉を忘れたのか、スリッパでダイオウフナムシを叩いていた」と書いたら、それはパクリだ。暗い地下室へ連行されてしまう。作品への愛もリスペクトもない。
そうではなく、マネしたいのは「又吉さんに生命の大切さを説いたおばあちゃんが翌日さっぱりそれを忘れてたっていう話を、説いたことと真逆のドギツイ行動で示して締めくくるの、笑えるなあ」という考え方なのだ!
「家族から怒られた」「でもその家族は怒ったことを忘れた」「忘れてのん気に真逆の行動をしてた」という日常の切り取り方を、マネしたらちょっとおもしろくなると思うのだ!ほんまかいな!
小学生の時だってダンディ坂野がアホみたいに流行った時、「ゲッツwwwwwwゲッツwwwww」ってとりあえず乗っかって連呼していたバカ男子より、なぜゲッツが流行ったのか、それは汎用性の高さと短く直感的な言葉と振り付けが老若男女の笑いのツボにハマったからだろうと分析してオリジナルの発展型ギャグを思いつく男子の方が面白いだろう!そんな男子いんのかよ!
発想力も文章力も、筋トレと同じだ。何度もやり続ければ、慣れてきて、いつの間にか自然とできるようになる。尊敬している作家からそう言われて、私はこれをやっている。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、憧れのあの人に、憧れのあの作品に、似たおもしろさを自分で感じられるものを書けるようになってきた気がする。知らんけど。
漫画だったら、爆笑したセリフや擬音などを、スマホのメモに書き留めている。落ち込んだらこれを読み返すだけでちょっと元気になる。ジェネリックレッドブルってやつ。
なにが言いたいかと言うと、マネというのは、リスペクトと愛が絶対必要!!!!!!!!!!好きなキャラのコスプレを全力で衣装から作って挑むのと同じ!!!!!!!!汝、作品を愛せよ!!!!!!!!!!
岸田がおもしろがってマネしてるもの
いくつか私を形作ってる、愛すべき作品たちを紹介します。正直、好きすぎて名前を出すことすらも震えるけど、全部最高におもしろいので、私のエッセイがおもしろいと思ってくれる人には、おもしろがってもらえるんじゃないかなと。ドキドキしながら願ってる。
①家族を書くことについて
ともすると暗くなってしまうようなことが色々あった家族をどうおもしろく書くか、というのはこちらの作品に助けられた。
さくらももこさんの「もものかんづめ」。名のある作品すぎて私がなんも言うことねえ。家族や近所の人など「どう言ったら良いかわかんないけど、なんか奇怪で愉快な人」を、一発でわかるキャラクターにして怒涛の笑いを誘うの、天才すぎる。メルヘン翁でかれこれ10年以上笑ってる。後を引きすぎる面白さ。
こだまさんの「ここは、おしまいの地」。「夫のちんぽが入らない」が有名だけど、尖りすぎている家族や親戚がいっぱい出てくるこちらも大好き。こだまさんは親戚のことを暴力、暴言、色惚け、ギャンブル狂、発狂。尖ったゴレンジャーが揃う悪の巣窟と呼んでて、冷静な目線で彼らとのエピソードを書いてるんだけど、そのギャップがめちゃくちゃ笑える。不幸な出来事までシュールな笑いがこみ上げる不思議。そういう家族って、ふとすると怒りや苛立ちの対象になってしまうと思うし、きっとそういう側面もあっただろうけど、どこか憎めない魅力をじんわり引き出してるのが、こだまさんのすごいところ。
さっき写真に出てた、又吉直樹さんの「第2図書係補佐」。又吉さんは家族を単体で書くより、家族の中の僕、を書くことが多い。それがまあ貧乏や非モテなどのマイナス要素を受け止めた上で面白く書くというローテンション自虐芸と言うか、ピースの漫才の面白いところを煮こごりにして一行にぶち込んだようなパワーワードが出てくる。あと又吉さんは普通に「引き寄せる人」なので、とんでもないことが起こった時ほど、困惑してる自分の戸惑いを隠さず、淡々と書いてるのもすごく良い。電車に乗ってたはずが気がついたら疾走してるジェットコースターに乗せられる感じ。
②すきま家具のような、たとえ芸
私は瞬発力のあるたとえ芸が好きだ。「言われてみればそうだわ!」って、普通なら思いつかないのにめちゃくちゃ共感される、すきま家具のようなたとえ芸が特に好きだ。この影響は、どっちも漫画から。
沙村広明さんの「波よ聞いてくれ」。アニメ化おめでとうございます。私は貝もしくは主人公の鼓田ミナレになりたい。私がなりたいもの、すべてが詰まっている女性だ。とにかくこの漫画、ラジオが題材ということもあって、ラジオのシーンでもそうじゃないシーンでも、とにかく鼓田ミナレが喋り続けている。1ページに完全に過積載の天才的なたとえ芸が詰め込まれている。「ハードル上げないでよ陸上選手じゃないんだからこっちは」というオーソドックスなものから「リセットリセットじゃねえよ 人の気持ちが何でもそんな 一から仕切り直しみたいにいくか! 恋愛界の小沢一郎かお前は!」という時事問題的なものまであり、バリエーションがやばい。
東村アキコさんの「主に泣いてます」。10巻あるけどストーリーにほぼ進展が見られない。それでも全部目が離せず読んじゃうのは、富士急ハイランドのドドンパ並の初速の勢いを保ったまま、唐突に差し込まれてくるたとえ芸とシュールなギャグのせい。漫画自体がもう情緒不安定(褒め言葉)。特に岡田あーみん先生がモデルになったというユッコと、トキばあのウルトラハッピー狂人っぷりが最高。「見りゃわかるだろ向田邦子四姉妹ごっこだよ!」「川合俊一富士フィルムブロック!」など昭和ノスタルジックなたとえ芸がお気に入りで、私はよくこれで昭和の有名人にたとえたりします。
③状況は説明するより会話にした方がおもしろい
もうこれ、本当このままなんですけど。落語と一緒でね、状況は説明するより、生きてる人間の会話にした方がおもしろかったり、わかりやすかったりするんだろうね。
此元和津也さんの「セトウツミ」。男子高校生が川沿いでただ喋ってる。それだけ。マジでそれだけ。なのに、テンポの良すぎる掛け合いがおもしろすぎる。関西弁がめちゃくちゃ活きてる。まるで白魚のよう。ただセリフの言葉選びがおもしろいんじゃなくて、瀬戸と内海の二人の視点の違いがちゃんと浮き彫りになってるセリフだからおもしろいのかな。「えっ、そんなとこ気づく?」みたいな。
加藤はいねさんの「私の時代は終わった」。これだけ本でも漫画でもなく、ブログ。ブログなんだけど、もはや一冊の本よりも情報量と満足感があるので、騙されたと思って読んでみてください。ふつうに一夜とか明けていきます。あえて文語表現を崩して「なんつって」とか「ぶっちゃけ」とか、口語表現を入れたらおもしろいんだなっていう新しい書き方を、加藤さんから学んだ。ただ加藤さんの場合は、起こることも含めてすべてが天才。もはや芸術。優勝。
④作家として生きる、心構え的なもの
映画まで出ちゃったー!もうなんでもあり!NetflixやHuluでも観れるので、みんなテレビの前に集合!2時間後に合流ね!とはいえ、この映画、爆笑シーンがいっぱいあるわけではないです。戦争中の暗号解読っていう地味なテーマなので、それなりに息詰まるような暗いシーンも多いです。でもね、私はこの映画のセリフに生かされてる。主人公のアランは、いわゆる発達障害で、普通とは違うわけです。普通とは違うゆえにハブられ、差別を受け、ボロボロになっちゃうんですが、彼の友人が、彼を抱きしめてこう言うのです。「あなたが普通じゃないから、世界はこんなにも美しい」と。アランは、普通じゃないから、世界を救えた。戦争を終結させたのだと。
イミテーション・ゲームは作中のセリフも素晴らしいけれど、脚本家のグレアム氏がアカデミー賞のスピーチで伝えた言葉も素晴らしい。
「私は10代の頃から、うつ病と戦っていました。16歳の時、自殺を図りました。しかし、そんな私が今ここに立っています。私はこの場を、自分の居場所がないと感じている子供たちのために捧げたい。あなたには居場所があります。どうかそのまま、変わったままで、他の人と違うままでいてください。そしていつかあなたがこの場所に立った時に、同じメッセージを伝えてあげてください」
きっと私も、普通じゃない人生。つらいこともかなしいことも、多かった。でも、そんな普通じゃない人生をおもしろく書くことで、おもしろがってくれる人が、救われる人が、一人でもいたら。それは私が生きる意味の一つだとおもう。
そんな思いで、私は今日も、たくさんの面白い人と作品に支えられ、書いています。ちょっとでもおすそわけができたら、嬉しいな。