喪に服したいけど、喪服がないっ! 〜祖父の大往生2021〜
祖父が亡くなった。
「いつ呼吸が止まってもおかしくない」と叔母から電話があり、三日前にお見舞いへ行ったばかりだった。
お見舞いといっても、祖父は外せない酸素マスクの下でモニャモニャと口走り、ごろごろと寝返るだけで。二重に鍵のかかった病室、ミトンをはめられた手、マスクで擦れて赤くなった鼻の下を見ていたわたしは、ああ、ついにこの日がきて、きっとよかったねと思った。
祖父は岸田家のなかでも、いちばんしんどい人生を終えたと思う。
島根で五人兄弟の長男として生まれた祖父は、曽祖父が早くに亡くなり、出稼ぎのために兵庫の西宮で大工になった。
自慢の息子である、わたしの父と伯父は、心筋梗塞と胃がんで、39歳と47歳という若さで逝ってしまった。
「親が先に死ぬのは順番だから、耐えられる。でも、子が先に死ぬのは耐えられない」と、聞いたことがある。
いつも縁側でビールとタバコをたしなみ、職人らしくガンコで寡黙だった祖父は、父の葬式で、たった一言「死に目に間に合わんくて、ごめんな」と涙と一緒にこぼすだけだった。どんなに無念だったろう。
その3年後、なんと、祖母までが、脳炎で祖父を置いて逝った。
とんでもなくやかましく、スーパーハッピー傍若無人な祖母だった。親戚がそろう新年恒例のホテルビュッフェでは、一歩も動かないし、一言も喋らない祖父の代わりに、山もりの料理をテーブルに取ってきてズラッと並べ、大顰蹙をもろともせず一人でゲラゲラと笑い通していた。
そうして祖父は、静かに、一人となった。
まだ父が生きていたころ、祖父は大工仕事の途中で転落し、脳挫傷をわずらった。その後遺症が年をとってから激しくなり、一時期はせん妄状態で精神病院に入院したり、かと思えば元気になって一人暮らしをしたり、急転してまた喋れなくなったり、まあ、それはそれは、不安定だった。
未成年は面会謝絶の時期も何度かあったうえに、わたしの母が下半身麻痺となり、母方の祖母が移住してくるなどでバタバタしていたため、祖父の面倒はもっぱら伯母が見てくれていた。
祖父とは年に一度、会えれば良いほうだ。
亡くなったのはさみしいけど、あっちで、祖母と、父と、伯父と、また仲良くできるね。すごいじゃん、全員そろってるよ、フルハウスだよ。
そんなふうに、わたしはこっそりと思った。
大往生っちゃ大往生なので、あとは穏やかに送り出すのみである。
通夜の前日。
伯母から通夜と葬式の場所と時間が送られてきたので、わたしは実家に住んでいる祖母に電話した。
「おじいちゃんのお葬式に着ていくわたしの喪服、買ってから帰るわ」
「わざわざ買わんでも、あるで」
「えっ、ほんまに?」
「いまお母さんのクローゼット見てるけど、喪服かかってるわ」
「でもオカンのやつなら、Sサイズで、小さいやろ」
「えーっと、いや、Mサイズって書いとるで」
なるほど。
母は車いすに乗るようになってからガリッガリに痩せたので、歩いていた頃の喪服はあってもおかしくない。
ちなみに、母は入院だし、祖母は足が悪く、葬式に参加できるのはわたしと弟だけだ。それならせめて、母の喪服と祖母の数珠を持って、わたしが参加しようじゃないか。
そう思って、夜、実家に到着したら。
祖母が喪服だと言って出してくれたのは、ホグワーツ魔法魔術学校のローブだった。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンで、調子に乗って買ったやつである。
しかも、グリフィンドールである。
忘れていた。
祖母がめちゃくちゃ目が悪く、物忘れもひどく、さらに暗いクローゼットの明かりをつけてまで確認するほど丁寧ではないことを。
「グリフィンドールに行くならば
勇気あるものが住まう寮
勇猛果敢な騎士道で
他とは違うグリフィンドール♪」
これをひるがえして、ほぼ付き合いのない親戚の前に登場するのは、勇気があるとか、他とは違うとか、そういうレベルではない。一族からエクスペクトパトローナムされてしまう。破門だ。
おばあちゃんが「通夜は喪服で行ったら失礼や!黒っぽい服やったらなんでもええねん!」と強気に言ってきたのだが、なんでもいいわけがない。というか葬儀にも出るので、どっちにしろ喪服がいる。
そんなわけで、通夜の前日、わたしと弟は財布を片手に旅へ出た。
わたしたちが今いる実家は、神戸市の山を切り開いてできた、田舎町だ。ゴルフ場、スキー場がやたらと多い。
基本的に車がなければ、町民の心の支えであるイオンにも行けない。わたしと弟が30分歩いてギリギリ行けるのは「ダイエー」一択だった。かつて近くにあった紳士服の青山は、気が遠くなるほど度重なる閉店セールを毎年やった上、満を持してついに潰れた。
まあ、ダイエーにはあるやろ、とたかをくくっていたら。
なかった。
「えっ、スーツ売り場、なくなってるんですか!」
「コロナの影響で、みんなスーツ買わなくなりまして…売り場が縮小したんで」
店員さんはぶっきらぼうに言って、そそくさと立ち去った。目の前に広がるのは、スーツの代わりに陳列された、鬼滅の刃のグッズである。パチもんも混ざっている。
鬼殺隊の制服が置いてあって、祖母の「黒っぽい服やったらなんでもええねん!」が頭をよぎったが、背中にでっかく「滅」と書いてあるのを見て、我に返った。
葬儀屋さんでレンタルさせてもらえるという話がTwitterで飛び込んできたので、連絡したら「レンタルしてないですね」と一蹴された。つらい。
スマホであわててamazonを開くと、なんと、amazon primeで注文すれば、翌日の朝に届くと書いてある。通夜は夕方からなので、間に合う。
amazon、すっげえや!
しかも、10800円!お手頃!これをひとまず、ポチッとした。
しかし問題は、弟だ。
ダウン症の弟は、体型がずんぐりむっくりしている。首や手指が短くて太く、身長も145cmくらいだけど腰回りのサイズはおじさんなので、amazonで買える服ではまずサイズが合わない。
そういえば、ここから10分ほど歩いたところに、イトウゴフクがあったぞ。
イトウゴフクは、都会で言うところの、しまむらみたいな店である。しまむらにはフォーマルウェアがあると聞いた。ならば、俺たちのイトゴにもあるはずだ。
シャツと黒いパンツだけ、あった。
シャツ700円、パンツ1000円。破格すぎる。だけど、スーツ売り場というのはなくて、ばらばらにワゴンで投げ売りされていた。とりあえず、それを買った。
「裾上げってできますか?」
「隣のお店に持ち込んでいただければ」
「どれくらいかかりますかね」
「3日くらいですかね」
葬式 was gone!
仕方がないので、わたしが粘着テープを貼り付けて、なんちゃって裾上げをすることにした。2日だけ保てばそれでいいのである。
問題は黒いネクタイだが、隣町の大きなコンビニで買ったことがあるという情報を街のヘルパーさんからゲットしたので、また30分歩いて、手に入れた。
情報の入手方法と、アイテムのそろえ方が、完全にゲームのそれである。聖剣伝説2的な。葬式伝説2。
ただ、ジャケットがない。どこの店でも、ネイビーやグレーはあるが、漆黒はない。あきらめていたその時「リサイクルショップには服も売っている」と思い出した。
普段は冷蔵庫やエアコンばかりが陳列されているリサイクルショップに行ってみると、なんと、奥の奥にブランドものの服コーナーがあった。
ホコリくさい服をかきわけ、かきわけ、探しだしたのは。
ジルサンダーのマットブラックのジャケット、Sサイズ!
定価10万円が、2980円!田舎びっくり価格!
そのときのツイートが、これである。
口から吉幾三が飛び出てくるくらいには、やりきった。まあなんか、どっかの伯爵かよってくらい襟でかいけど、それっぽく見えたらええねん。
あとは、ぐっすり寝て、翌朝、amazonからわたしの喪服を受け取り、着替えて出発するだけだ。
翌朝。
待てど暮せど、喪服がこない。
時計は12時をまわった。
配達員さん迷ってるんやろかと、おもむろにamazonのマイページを開いた。
取り引きを見るのに夢中になっていたオレは、背後から近づいて来る、もう一人の仲間に気づかなかったレベルで、喪服がドナドナと返送されていくのに気づかなかった。
なんでやねん!
配送中に問題ってなんやねん!
ちょっと配送してる人も「いや〜、これ、喪服ってやばいんちゃうんかなあ。喪服を翌日午前指定ってこの人、もしかして、喪に服しとるんちゃうかなあ」と思ったんちゃうか。
葬儀まで、残り3時間。
頭が真っ白になりかけたが、諦めたらそこで葬儀終了だ。
今すぐ家を出て、葬儀場の近くにあるイトーヨーカドーに駆け込めば、30分くらいは猶予がある。ゴー&サーチ&テイクだ。そこで喪服を探すしかない。
でも、もし、なかったら……?
とりあえずわたしは、家のなかにある黒い服と靴をかき集めて、弟をつれて出発した。電車の乗客の目が痛い。
なぜなら隣にいるのは、喪服の弟なのに。ああ葬式なんだなって誰が見てもわかるのに。
わたしはアディダスの福袋に入っていた黒いジャージの上下と、アディダスの履き古したスニーカーである。そもそも母の入院で一時的に実家に帰っているにすぎないから、服がない。
最悪イトーヨーカードにもなければ、翌日の告別式までに見つけるとして、通夜はこれで出ることになるかもしれない。
あんなに着慣れた不動のアディダスも、突然の大役を任され「オレに務まるんか?」と、不安げな表情を浮かべているように見える。
昔から喪服を前もって用意していると、死を予想して準備しているようで失礼だという考え方もあるらしい。ならば、用意しておらず、ドタバタでかき集めて力を尽くした結果、全身アディダスで向かうわたしこそが、祖父の突然の死を惜しんでいるということではないか。
大切なのは気持ちだ。喪服ではない。喪に服す気持ちだ。自分でもなにを言ってるのかわからなくなってきたし、大人として完全に終わっているが、もうそういう気持ちで勝っていくしかない。
覚悟を決めた、矢先。
あった。
イトーヨーカドーに、一着だけ、9800円の喪服が吊るされていた。しかもMサイズだ。
わたしはそれを抱きしめ、即座にレジで購入し、葬儀場近くにとったホテルへ駆け込んで、着替えた。この間、わずか15分。運動会か。
あまりにわたしが興奮しているので、気さくなフロント担当の人から事情を聞かれ、「かくかくしかじかで喪服を見つけたんです」と答えると
「それはそれは、お悔やみ申し上げます。だけどお祖父様もきっと、喜ばれますね」
と言って
あげたてのコロッケをくれた。葬儀伝説2の隠しアイテムだ。すべてのアイテムを身に着けた状態で、フロントに話しかけるともらえる。
なんでやねん。
通夜会場に着いたのは、約束の5分前だった。
出迎えてくれた祖父の末の弟さんや奥さんに、正直に事情を話すと、彼は目尻に涙をためて、笑ってくれた。
「兄も、よく甲子園球場に試合が終わるギリギリになってから駆け込んで、阪神タイガース戦を観に行ってたなあ。ほら、当時は七回裏からやったら、タダで入れたから。なつかしいなあ」
「そんなこともあったねえ。奈美ちゃんはお祖父さんと似てるんやわ」
倹約な祖父のそれと、怠惰なわたしのこれとは、ぜんぜん話が違うと思ったが、心優しい弟さんがそんな感じでええ話にまとめてくれたので黙っておいた。まったく、なにが餞になるか、わからないもんだ。
祖父と似ていると言われたのは初めてだった。言われてはじめて、なかなか嬉しかった。
この祖父の葬儀では、まだいろいろなことが起きたので、何回かにわけて、忘れないように書いていこうと思う。