「目を貸してください」と言われて
このnoteは、SMBCグループと開催する「#一人じゃ気づけなかったこと」投稿コンテストの参考作品として、主催者から依頼をいただいて書きました。
もう八年も前のことである。
「キッシー、太った? 2キロくらい」
突然、勤め先の同僚から言われた。
なんとまあ、失礼な!
2キロってキッチリ当たってるから、なんとも言い返せん。くそう。っていうか、あんたの方が太ったやんか。
どついたろかと思ったが、それより驚愕したのは、彼の目は見えていないのである。外回りがあるのでいつものように誘導しようと、わたしが半歩前に立ち、左腕の肘あたりを彼に持ってもらったところだった。
何十回も、何百回も肘を貸していたのが、仇になった。この同僚は、わたしの腕を掴むだけで、ぷよぷよした脂肪の蓄えがわかるようになっていたのだ。
「なあ、合ってる? 合ってる?」
今度こそ、肘でどついてしまった。しかし彼は、素早く察して、ひらりとした身のこなしでかわした。
さすが……。
わたしが会社を辞めてからずっと会っていないが、出不精のせいで今はさらに太ってしまったので、会うに会えないなとぼんやり思う。
大仏のようでもあり、ふっくら炊かれたおむすびのようでもある男だった。
「僕は生まれつき目が見えません。あと、淡路島出身ですが、魚が少しも食べられません」
わたしより三年あとに彼が入社してきて、こう自己紹介したとき、正直なところ焦りに焦った。目が見えない人と一緒に時間を過ごすのは初めてだったからだ。まわりを見渡せば、上司や他の同僚も、わたしと同じくちょっと緊張していたように思う。
ひとまず彼がつまづいては危ないと、オフィスの床に散らばっていた段ボールや山積みの本をそそくさと片づけてみた。休憩でコンビニへ行くときは、一緒に行くか声をかけてみた。
彼はなにをしても「おー、ありがとう」と白い歯を見せて笑ってくれたので、一体なにが正解かわからないまま、日々はぎこちなく進んでいった。
ある日、彼がお客さんから届いたハガキや手紙を持って、社長の席へ向かって歩いていった。
「あのう、ちょっと目を貸してくれませんか」
目を貸す?
聞いたことはないが、おもしろい響きだった。
社長は喜んで、彼に宛ててつづられた文章を、ちょっとええ声で読み始めた。なるほど、彼が借りたいと思うときに、わたしたちは貸せばいい。ただ、それだけでいいのだ。
簡単なことなんだけど、勝手な思い込みで肩の上に乗せまくっていた荷物が、ドン、ドン、と降りた気がした。
それから、彼とよく話すようになった。
「俺、一度覚えた道はもう一人で歩けるねんけどさ」
「うん」
「このへん、繁華街やから夜の店のキャッチの人数がすごいやろ?」
「せやな」
「歩いとったらな、めちゃめちゃ声かけられる」
「客引きで?」
「いや、『お兄さんどこまで行きますか?』って」
「めっちゃ優しいやん!」
「せやねん、どっちかっていうと客引きされたいねんけど」
「されたいんかい」
この先の人生で、絶妙に役に立つんか立たんかわからんけど、おもしろいことを彼の“見えないという視点“から、いろいろと教えてもらった。
彼はオリックス・バファローズの熱狂的なファンだった。
「みんなで京セラドームに試合観に行こうや!」
わたしと、三人の社員が彼の誘いに乗り、野球観戦に馳せ参ずることになった。名物の30cmを越える『いてまえドッグ』を頬張るだけで、わざわざドームまで来た甲斐があった。
「試合はどうやって見るん?」
彼は『いてまえドッグ』をまるで飲み物かなにかのように一瞬で胃に吸い込ませ、ショルダーバッグからなにかを取り出した。
年季の入ったポータブルラジオだった。片耳用のイヤフォンがついている。
「野球中継を聴くねん」
ラジオの野球中継は、映像がなくともわかるように、絶妙な解説がリアルタイムで流れてくる。「外にはずれてボール、一球様子を見ました!打ったあ!伸びる、伸びる、飛距離は充分……ファール!」という具合に。
これなら、グラウンドが見えなくても状況がわかりやすい。
というか、下手すりゃ野球ド素人のわたしにこそ必要なツールではないのか。ポータブルラジオがこんなにほしくなったのは、後にも先にも初めてのことだ。
「わざわざここまで来んでも、家でテレビつけてても同じちゃうの?」
京セラドーム戦の中央上段指定席のチケットに、一枚2500円という文字が踊る。わたしたちは、等しく薄給とドケチ根性をともにする仲間ではなかったか。
「テレビやったら、こんなにでかい歓声は聞けへん」
隣では、ラッパと手製の旗を携えた、私設応援団の方々が今か今かとプレイボールを待ち構えていた。熱気がここまで漂ってきている。
「ホームラン打ったりしたとき、知らん人とハイタッチするんが気持ちええねん」
オリックス・バファローズの応援歌がドームいっぱいに流れる。
「がんばれ、負けるな!」みたいなのを想像していたら「気合いやで、ここまでぶち込め」「こいやあ」「ここらで打たんとワテ泣くで」「おもクソゴツいの持ってこい」など、コテコテの絶叫歌が老若男女の口から飛び出してきて、面食らった。
隣を見ると、彼も声を張り上げていた。
同じものは見えなくとも、同じものを愛し、同じように熱狂し、同じ時間を共有するのが、彼がここで観戦する醍醐味のようだ。
その日わたしたちは、はじめて彼とハイタッチをした。なるほど、まあまあ、気持ちいいじゃないか。
とはいえ、世の中の大抵のことには、実況中継がない。
そういうとき、実況中継の役目をになうのは、彼の半歩前を歩いて先導する、わたしたち同僚である。
歩き慣れた道であれば、彼は頭の中に入っている地図をもとにスタスタと一人で歩いていくのだが、客先や出張先だと無理がある。
わたしなりに気を利かせて、雑談ついでに
「あっちにでっかい広告のスクリーンができてるわ」
「こっちにきったない川が流れてるで」
など、目に見えるものを彼に説明していたのだが
「あっちとか、こっちやと、わからへんのよ」
と、意外な駄目だしをくらった。
彼がいうには、あっちとか、こっちとかは、見えている人にしかわからない言葉だそうだ。5時の方向、10時の方向といった具合に時計に見立てると想像しやすいらしい。
同じ理屈で、ちょっと小さいとか、だいぶ大きいとかより、具体的な長さや手のひらサイズで伝えた方がいい。
「大阪人の説明は三割ほど盛ってることが多いから、三割マイナスで聞くのがちょうどええな」
三割盛って話してきた人間なので、ちょっと恥ずかしかった。
ある年、会社の社員旅行で、有名な景勝地を訪れた。
夏の灼熱のなか、気が遠くなりながら坂道をのぼり、山のロープウェイを乗り継いで、美しい海に浮かぶ、美しい島々を見た。
彼のそばに立つ社員は代わる代わる、見えている絶景を説明しようとした。
わたしは、旅行をした数こそ知れているが、インターネット・SNS世代なので、誰かがあげた美しい絶景を飽きるほどたくさん見てきた。でも、その絶景を言葉でいちいち説明することなど、ほとんどなかった。
「きれいだね」「エモいわ」と短く口にするだけで感情を共有できたし、スマホで写真を撮ればそれで事足りた。
青や黄や緑の鉱石を砕いて散りばめたように、太陽に反射して光る海と島を。
ゆっくりと時間をかけ、真っ赤に懐かしく燃えあがっていく空を。
わたしの言葉のデータベースにないものを、わたしが使って彼に説明することは、とてもできなかった。
彼はまったく気にしていないようだったが、一生に一度の機会を、わたしが口下手なせいで損なわせてしまった気がして、貧弱な良心が痛む。
うまく言葉で説明ができるようになりたい、と願いはじめたのはこの頃からだ。
しかし結局、節約に悩む我が社の社員旅行の行き先は、四年連続で同じ景勝地になったので、彼も「もうええわ」と飽きていた。わたしも飽きていた。
あの頃はまさか作家になるなどとは思いもしていなかったが、いま、エッセイや小説を書くたびに理想の景色を言葉にする難しさを肌で感じ、頭をかかえて床をのたうち回り、ぬるい風呂で悔し涙を流すようになるなどとも思わなかった。
それでも、あの時、彼に目と腕を貸していたから、わたしの中に生まれてくれた言葉がたくさんある。今もここに。
イラスト……おえかきあかね さん