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もうあかんわ日記リローデッド

あなたの“あかん”は、どこから?

わたしは、2週間から!


なんかなあ、と思いはじめたのは、母の入院から1週間すぎた頃だった。

母は総胆管結石の手術が終わって、あともう1週間もすれば帰ってこられるだろうということで、わたしが実家の番をしていた。

パソコンと減らず口さえありゃどこでもできる仕事で、よかった。

犬の梅吉の世話と、隔週の土日にはグループホームから弟が帰ってくる。

梅吉は留守番ができず、散歩も吠えまくって苦手なので、わたしたちは家にずっといた。広いお庭で走り回らせてくれる犬の幼稚園があって、そこで週2回の朝から夕方まで、梅吉を預けた。

お迎えのカゴに入れられて

「なんでや!ワシがなにをしたんや!おい!説明せえ!」

という目で見てくる梅吉に「すまん」と謝り、わたしはルンルンで街に出かけた。わざわざめかしこんで、わざわざ百貨店のエルメスに並んで、わざわざ一番安い4,000円の爪やすりを買うなどした。いやな客。

でも、なんだかなあと、やらなくなった。

あと何時間で梅吉が帰ってくるかを気にしながら、化粧して、歩いて、物色して、足りないものを思い出し、生活用品を買い足しては走って戻る。

待ちに待った楽しい外出なのに、買い物競争みたいになってきて、なんかちょっと、もういいかなって。贅沢だな。


最初のうちは、ご飯も自分で作った。

京都の自宅で作るのと、同じ出来栄え、同じ栄養、同じ味。

なんだかなあ、と自炊する手が遠のいていったのは、たぶん台所だ。実家の美しい台所は、もうわたしの台所ではないのだと知った。

上沼恵美子様は言った。

「ひとつの台所に、女がふたり。これはあきまへんで」

嫁と姑で台所をわけて作った上沼恵美子様は正しかった。

母はきれい好きで、わたしは無頓着だ。子どものころ、わたしは父から「オクサレ様」と拝まれ、お前の遺伝やぞと掴み合いのケンカをした。

実家の台所では。

オリーブオイルの瓶が、どこにあるかわからない。

ヘラや菜箸を使ったら、なんか小洒落た壺に戻さなければならない。

なんか謎の小瓶に茶葉が詰められてるけど、なんの茶葉か書いてない。

めんどくさい。

なんか、ちょっとした「どこだっけ」が、雪のごとく降り積もっていって、とてつもなくめんどくさい。

子どものときなら出しっぱなしにしていたが、わたしはもう大人である。栗原はるみナイズドされた台所を、母の愛する一角を、踏み荒らすのは娘としてもしのびない。

だってわたしの、門田光代ナイズドされた本棚で同じことされたら、泣いちゃうし。


昼ごはんと夜ごはんは、ウーバーイーツで頼むことにした。

ギリギリまで打ち合わせや原稿を書いて、なーんにも準備せず、考えず、食べたいと思ったときに、食べたいものを選べるのがこんなに楽だなんて。

モダン焼き、小籠包、エッグベネディクト、ミートソースのチーズバーガー、ごまだれのざる蕎麦。おいしい。

一週間で食費は五倍になり、体重は一.五キロ増量した。

さすがにどうかと思いはじめてきたけど、まあ、いっか。

だってあと一週間したら、母が帰ってくるし。

そしたら自宅に帰って、自炊したらいい。実家にいるなら、料理する母を手伝えばいい。

食べたあと喉の奥の奥がムカムカするので、しばらくソファに横になるけど、まあ、いっか。

だってあと一週間したら……。


母の退院予定日の前日、12月27日。

わたしは梅吉が幼稚園に行っている間にわざわざ京都まで戻り、行きつけの美容室にいた。髪の毛をピンク色にしてもらったのである。

年末、仕事納め、母の退院、新しい年、日常の解放!

浮かれずにはいられない。ミンキーモモを意識したピンク色だ。軽率に魔法だって使っていく所存。

母から電話があった。

退院の時間が決まったかな。

「傷口が化膿しとって、退院できへんって」

「がーん」

「がーん」

言葉にするとアホみたいだが、空気はアホではなかった。大真面目である。大真面目にお互い「がーん」しか言えなかった。言わないと、強烈な落胆でアホになってしまいそうだった。

だれより楽しみにしていたのは母で、涙声だった。

「でも、痛みはマシになってるねん」

「うん」

「今日かて、車いすに乗れたし」

「うん」

「やから、がんばる。大晦日には帰れると思うし」

「がんばれえ」

年末年始は病院も人手が極端に足りなくなるので、患者をひとりでも帰したいだろう。大晦日には帰ってくるはずだ。

あと4日、退院がのびただけ。

たかが4日。

あっちゅうまの4日。


翌日、わたしは急性胃炎を発症した。

なにも食べられず、内蔵がピクルスにでもなったんかと思うほど酸っぱい液体を口から噴いた。くらえっ!毒霧!

なんでや、なんでこんな、いきなり。

ピンポーン。

玄関を開けると、ヤクルトレディが立っていた。

「こちら、今週分のヤクルト1000です」

「えっ、あっ」

忘れてた。

毎週配達をお願いしているヤクルト1000を、母の分だけキャンセルしなければならなかったのに。

まだ先週の分が残っている。

寒い中、自転車でやってきてくれたヤクルトレディは、優しい微笑みをたたえていた。

「ありがとうございましたー、よいお年を!」

ズシリ、と重みのあるヤクルト1000を赤子のように抱いて、冷蔵庫を開ける。あまったヤクルト1000たちが、マシンガンの弾薬のように並んでいた。

ヤクルト23000。人間の許容量を越えた乳酸菌がここに。

やってしまったなあ。愚かさを呪いながら、わたしはリビングのテーブルに向かった。

弟が通っている福祉作業所に提出するプリントを片づけるためだ。

弟の出勤表にハンコを押しまくり、弁当の注文表を書く。

作家になってからは、こういう仕事はすべてマネージャーの武田真希さんが引き受けてくれたので、懐かしい新鮮味としみじみありがたさを感じる。

書けたやつを弟に持たせて、わたしはたまったゴミ袋を出しにいった。

「なみちゃん」

弟が言った。

「ないで、これ」

「ない?なにが?」

「かみ、かーみ」

なにを言ってるのかがわからなかったが、弟がぶっとい手で長方形をつくり、紙を意味していると気づいた。

「なに言うてんねん、書類ならここに……」

クリアファイルを探る。

ない。

さっきハンコを押しまくった書類がない。ないと思ったら、一枚、紙がファイルの最後に挟んであった。

「あるやん、ほら」

ぺろっと手にとる。

墓石屋のチラシだった。

「……えっ!?なんで!」

イリュージョン。そんなわけもなく。わたしはなにを思ったのか、ハンコを押した書類をそのままゴミ袋にブチ込んで捨てたのである。

大変だ。あの書類がなければ、福祉作業所は役所からお金をもらえない。

ゴミ捨て場に走った。すでに収集者は走り去ったあとで、母の台所のような美しさでもぬけの殻だった。ああ。


福祉作業所に謝って、書類は再発行してもらうことになった。

年末の忙しいときに「年末大セール!いまなら墓石がお得!」というチラシを送りつけるところだった。斬新な挑戦状。墓石に罪はないが、強烈な煽りである。受け取った職員さんを震撼させてしまうところだった。ほら、そろそろあなた、これが必要になる頃でしょうってねえオホホホホ!

得体の知れない、モヤモヤがうねりを上げて、まずい流れになってきた。

仕事だ、せめて仕事をがんばろう。

パソコンに向かってみたけど、どうにもタイピングが進まない。

頭の中が濁っていく。

「帰りたい」と嘆く母を、どう励ましたらいいかもわからない。愛用しているドラえもんのLINEスタンプで、泣いてるのび太をポンと送る。使いすぎて、バリエーションに限界を感じる。病室にいる人を励ますだけのスタンプがほしい。40種の優しい言葉が、あなたの代わりに病人の心へ寄り添います。

いつの間にか、パソコンの前で突っ伏して寝ていた。気絶や。

福祉作業所から、連絡があった。

「書いていただいたお弁当の注文表なんですが。いつもお弁当を頼まれている日がキャンセルになってるのは、たぶん間違いかなあと思いますので、こちらで書き足しておきましょうか」

優しい気づかいに、泣きたくなった。

全部、全部、◯をつけたと思うんです。だって、そうに決まってるじゃないですか。◯って書くだけなんだから。それすらできへんのかい、わたしは。

ウオエエエーッ!

また喉元までピクルス液が上がってきたので、トイレへ吐きに行った。なんも出なかった。目尻に涙がぽろりと浮かんだ。

鏡を見る。

ピンク色のボサボサ髪で、むくんだ顔に血走った目の、トロール人形みたいな女がこちらを見ていた。お前はだれや。ミンキーモモはどこや。

あっ。

もうあかんわ。

一気に体の力が抜けて、膝から崩れるような心地だった。



つまり、わたしの限界は、2週間なのであった。

活動限界とでも言うべきか。

母の入院予定が2週間だったからかなと思ったけど、どうも、“2週間”という概念自体に因縁があるように思える。

もうあかんわ日記』を連載していたときも2週間ぐらいで、祖母の介護のことでお役所との交渉にもめ、疲れ果て落ちていた。電子レンジと冷蔵庫がなぜか同時にぶっ壊れていた。やめてくれ。

父の葬式が終わってからも、わたしはすぐ学校へ行った。なんとなく行った。2週間して、急にしんどくなって休んだのを覚えている。

たぶんわたしは、緊急事態が起こったとき、2週間はがんばれるのである。めちゃくちゃ元気に、アッチコッチとはね回っている。

わたしがやらなきゃ、だれがやる!

つらい状況だけども、つよい使命感で、なんでもやってやれる。マーベル作品からいつオファーがきてもおかしくない目の輝き。生命力の権化。

胃がいたいとか、ちょっとくらい調子が悪くても、気にならない。思うように外へ出られなくても、耐えられる。無敵なのである。

2週間は。

2週間経てば、緊急事態は終わり、もとどおりになると信じてたから。

母は帰ってくるし、梅吉は交代で面倒を見れるし、自由にお出かけも。

わたしはたぶん無意識にそういう終わりを目指し、疾走していたのだ。ウーバーイーツで手を抜いても、罪悪感を忘れていたのだ。前借りとも言う。

『火事場の馬鹿力』が、直後一瞬のことを指すなら、2週間とは『焼け跡の馬鹿力』である。

ところが、終わらなかった。

道は続いていた。

走りきったあとで。

葬式で泣いてる暇のない家族。親戚から預かった赤子。バイト先で急に飛んだ先輩の穴埋め。試験で徹夜のレッドブル。その時は、その時だけなら、頑張れるのに。

燃え残りを片づけた、なにもない焼け跡で、わたしったら呆然。


母は、死ぬような病気ではなかった。いつか必ず元気で戻ってくる。それだけで、なんとありがたいことか。

今までの生死にかかわる経験を考えれば、感じているのは“襲いくるとてつもない恐怖”ではなく、“ジワジワたまりゆく不和”だ。

不和は、わたしを脅かさない。

その代わり、ちょっとずつ、わたしの頭に棲み続ける。

梅吉の帰ってくる時間、見当たらないオリーブオイル、中身のわからない茶葉、断るべきヤクルト1000、書類へのサイン。

あまりに“ちょっとしたこと”を、無意識にこなしているつもりでも、頭は回転している。なにかいつもとは違うことを、考え続けている。

母には申し訳ないけど、母が帰ってこないこと自体は、そこまで悲しいわけじゃない。大人ですので。

不和。

不和を見てみぬフリできるのは、2週間だった。

わかってる。ここから先は、“馬鹿力”ではなく、“慣れ”の出番であるということを。選手交代。システム変更。一旦崩れ落ちてから、ひとつずつ、ため息をつきながら積み上げていく。また始まる。

もうあかんわ。


「大晦日には、きっと帰るわ。だって痛みがどんどん引いてるねんもん、帰れる、そんな気がする!」

母は、自分を奮い立たせていた。

除夜の鐘を突き終わる、最後の最後、その一瞬まで!

岸田家は、諦めないのである!

大晦日に、すき焼きセットと、だし汁しゃぶセット届いちゃうし!お上品なおせちも届いちゃうし!しかも三人前!お願い、帰ってきて!

い、いったいどうなっちゃうの〜?
気になる続報は、次回!

もうあかんわ日記リローデッド
第2話『母、余裕で帰ってこれませんでした』

お楽しみにね!ウッ!

(倒れ込む音)

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。