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病気について知ろうとしたら、「元気そうでよかった」が別の意味を持った

「ショートムービーの原作小説を書いてもらえませんか?」

ワンメディアの明石ガクトさんからメッセージをいただいた。
昨年12月末のことだった。

みなさんもご存知のとおり、わたしはいつも、見たままの天国も地獄もおもしろおかしく調子よく、とっ散らからせながら書く芸風だ。小説となればそうもいかない。手持ち無沙汰と手乗りブタさんくらい違う。

お引き受けするには荷が重い、と思っていた。

なんのショートムービーかをたずねると、世の中であまり知られていない難病について、多くの人に知ってもらうという目的だった。患者さんは、苦しんでいることが周りにあまり伝わらずつらい思いをしているから、少しでも発信の力で役に立ちたいと。明石さんたちに依頼をしたのは、難病治療の薬を開発している中外製薬さん。

「わたしでよければやらせてください!」

元気に答えていた。ちゃんと書けるかしらという不安は常にあったけど、知りたい、考えたい、言葉にしたい、という思いが爆速でまくってきた。

長く病気をしている家族や恩人との日々が、苦しみのなかでそのとき贈ってもらった気づきが、そこに報いたいという自分勝手な願いが、背中をダチョウ倶楽部みたいに押してくる。


NMOSD(視神経脊髄炎スペクトラム障害)という難病がある。

自分の細胞を間違って攻撃してしまう病気で、一度の発作で目が見えにくくなってしまったり、手足に麻痺が残ったりする。根治療法はまだなく、患者さんは再発を防ぐ治療をしながら、薬で症状をやわらげて生活している。

わたしはNMOSDのことをはじめて知った。障害や病気にかかわる会社に9年勤め、母の入院や手術で何度も大学病院を訪れていたのに、聞いたこともなかった。

NMOSDの症状は、様々あるが、軽い人の場合は他人が見てわかるものではないらしい。


想像しかできないけど、症状はきっとつらいはずだ。
でも、その症状をわかってもらえないのも、同じくらいつらいはずだ。

わたしの母が言っていた。

「わたしはな、車いすに乗ってるだけでわかりやすいから、まだええねん。だってどんな人も、歩けないしんどさは想像できるから」

しんどさは、一人で抱えていると、押しつぶされそうになる。そんな時、誰かに話を聞いてもらいたい。なのにSOSに気づいてすらもらえなかったらどうだろうか。病気だと予想もしていなかった相手に、自分から、それも想像もつかない病気について、話し出すのはとんでもない勇気がいる。

ためしに電車での風景を、思い浮かべてみる。

朝8時の車内は満席だ。運よく座れたわたしの目の前に、新卒っぽいスーツを着た女の人がいる。顔色は悪くなく、はつらつとした印象もある。彼女は片手でつり革を持ち、カーブや停車のたびに体を揺らしながら、ぺたんこのパンプスを履いて立っている。彼女は一瞬、つり革から手を離す。次の駅で電車は止まる。彼女はつり革をまた掴む。そしてまた電車は動き出す。

きっとわたしは、彼女が抱える苦しさに気づかない。座りますかとも聞けない。

彼女にはNMOSDの症状で、手のしびれがあったら。体がだるかったら。しんどいのに、治療に使うステロイド薬の副作用で、顔が丸くむくんでいるだけだったら。いまにも倒れそうなのに、座りたいと言い出せなかったら。

誰かがそばにいるのに、誰もわかってくれないという孤独は、本当にきつい。

「NMOSDっていう病気なんです」
「N、M……な、なに?」

わたしはメンタルが極端に豆腐なので、こう聞き返された時点で折れてしまう。相手のこれは「深刻だから反応に困るぞ…」と察知したときの迷いと緊張が、逆にキョトンとされたときの困惑が、もしかして話さない方がよかったんじゃという後悔が、悪い方向へ、悪い方向へと脳裏を駆け巡っていく。

調べによると、NMOSDを発症した人の多くが退職や離職をしているそうだ。それを選択した患者さんは、すぐそばで見ていた家族や恋人は、どんな気持ちだったろう。

わたしや母がした経験とは、まるで違う病気の世界がそこに広がっている。

他の病気の普及啓発に関するショートドラマを、ネットでいくつか見てみた。

実際に役者さんの目線で体現されると、病気の症状がすごくわかりやすい。患者さんがどんな感情になるのかも、ドラマならよく伝わる。

ただ、病名と症状だけが多くの人に伝わったとしても、それで患者さんが生きやすくなるわけではないとわたしは思う。

「がん」ってみんな知ってるけど、いざ、がんの患者さんを目にしたら、どう接したらいいかわからない。わからないという壁が、孤独や軋轢になる。

患者さんが何より一番求めているのは、たぶん、つらい病気からの解放だ。
今より良い治療を。心の折り合いを。不安の払拭を。

その二つに比べりゃ、医者ではないわたしができることなんて。だからせめて、それらを得るために、いらん孤独や軋轢で邪魔をしてはいけないと強く思う。

母が病気になった時、いろんな人が病室にやって来て、よかれと思って言っていた。

「神様は越えられない試練は与えないから」
「やりがいを持つといいかも。パラリンピックも目指してみたら?」
「これ、あなたと同じ障害を乗り越えた人の自伝の本だよ!」

なにも言わずに気まずそうにして、疎遠になってしまった人もいた。わけのわからん数珠やら聖水やらが家に届いたこともあった。誰も悪気はなかった。病気の母が本当にかかえている苦しさが、わからないだけだったのだ。

患者さんの足を、病気以外の何かが引っ張ってはいけない。

病名や症状についてだけじゃなく、そこにどんな感情や葛藤が生まれ、わたしたちはなにができるのか。そこまでを表現したかった。

そんなことできるのか、このわたしに。なんともわからない。

意気込んだはいいが、あさっての方向に走っていたら取り返しがつかないので、中外製薬さんに頼み、NMOSDの患者さんとオンラインでお話する場をつくってもらった。

こんなどこの馬の骨ともわからん作家のはしくれに話すなんて、きっと難しいだろうなと思っていたら、なんと五人もの患者さんが快諾してくれた。

最初に話を聞かせてもらったのは、患者会の代表の方。NMOSDと似た疾患の多発性硬化症(MS)を発症したご自身の立場と、多くの患者さんに寄り添う代表の立場の両方からわかりやすく、そしてなにより

「こうやって人前で話してると、しっかりしてる!たくましい!って言われるんだけど、ホントはすっごくズボラでして」

お茶目で、お話が楽しかった。こういう時、病気があるとわかってると、無理して明るく振る舞ってるんじゃないかと身構えてしまうけど、おそらく彼女は素だった。

症状の出るタイミングや状況、患者さんの暮し、そして再発についてもうかがった。再発すると、患者さんには重い急性症状が現れる。

「再発はやっぱり、みなさん怖いとおっしゃります。今日は体調がよくても、明日はどうかという不安が常にあるので」

身体にさわるかもしれないから、出かけるのをやめよう。仕事をやめよう。家事をやめよう。できていたことが、怖くて、できなくなっていく。それでも少し体調が悪くなってしまったら「あの時のあれが原因かも」と思い込み、自分を責めてしまう。

でもこれだけは伝えたくて、と彼女は力強い言葉で続けた。

「病気だからって、弱者でいなくてもいいし、もちろん、強くもなくたっていいと思うんです。前向きでも、後ろ向きでもいい。大切にしたいのは、こうあるべきだって決めつけないこと」

決めつけない。
それは、患者さん自身も、そして周りの人々も。

わたしの経験では「◯◯だから、✗✗しなきゃ」という文脈になると、それは決めつけてしまっていることが多い。

「病気である前に、その人は、その人なので。病気はショックだし、とてもつらいけど……それで全部を諦めてほしくないですよね、やっぱり」

彼女はいろんな場所に赴いて何度も何度もMSやNMOSDの講演をしたり、患者さんと先生の雑談の場を設けたり、根気強く語り続ける活動を続けている。病気は、身体の健康を奪うだけではなく、自分らしさを奪ってしまうことを、彼女は知っている。

決めつけをなくす。
それは、この小説が果たす目的になりそうだ。

そのあと、三人の患者さんたちと一時間ずつ、ゆっくり、たっぷりお話をさせてもらった。工夫や努力をして病気と向き合っている、明るく優しい人たちだった。

本当に、本当に、いろんなことを学ばせてもらったのだけど、すべて書ききれないので、ここではわたしの“無意識な決めつけ”に気づいたきっかけを少し。


NMOSDを発症後、職場に復帰して気になったことはあるかとAさんに尋ねると、彼女は苦く笑った。

「元気そうでよかったって言われるのは、地味につらかったですね」

ドキッとした。
病気の人に向かって「元気そうでよかった」は、わたしも言ったことがある。

「薬の副作用でそう見えるかもしれないけど、本当はしんどいんですっていちいち説明するのも変な気がして。説明してもわかってもらえなかったらガッカリするし。気にしすぎだとはわかってるんですけど、そういうちょっとしたことでも疲れちゃう」

それでも体調が悪くなった時のことを考えると、職場には理解しておいてもらいたい。Aさんはできるだけ、言葉を尽くしてきた。

「伝わればラッキー!くらいに思うようにしていたら、上司や同僚がわかってくれて、いまは自分のペースで楽しく働けています」

相手に期待を持ちすぎないようにする。そこに至るには、期待を持った分だけ傷ついてきた時間が積み重なっている。

Bさんは、まだ生まれたばかりのお子さんの育児と、発症が重なった。

「退院してすぐはしんどくて、家事もできなくて、家族に頼りっぱなしでした。夫だけじゃなく親や妹にまで迷惑かけられない……って最初は思ってましたけど、幸い、家族がみんな協力してくれて。しかも明るく、アッサリと。それに救われて、少しずつ甘えられるようになりました」

悲しむ家族を見たくなくて、詳しく病気のことを言えないという人もいれば、Bさんのように理解と協力を得られる人もいる。

「いまは症状も落ち着いているので、入院していた頃に比べたら毎日が気楽です」

Bさんはけろっとした顔で言った。

同じようなことを、母も言っていた。他人と比べてどうではなく、過去の自分と比べてどうかを考えるのが、病気の毎日を楽しく暮らす方法らしい。

「でも、たまに夜とかひとりで、すごく落ち込みます。ほんと、たまにですけど。泣いちゃいますね」

Cさんにも、同じように、気持ちが沈むときがあるという。

「未来のことは考えないようにしました。考えると不安だらけだし、怖がってもなにも変わらないし。今日とか明日のことだけを考える……そしたら楽です!」

手術の後遺症で歩けなくなり、長く入院していた母が、病室でひとり泣いているのを見てしまったことがある。歩けないなら生きていても意味がない、将来が怖いと、母は悩んでいた。

でもわたしの前で、母は笑っていた。命が助かってよかったと。だからわたしは、母の車いすを押して、街へ連れ出した。美味しいご飯を食べた。何時間でもお喋りした。それが母を元気にする方法だと信じていた。

いくらそばにいる親しい人でも、想像力を働かせてみても、すべてがわかるわけじゃない。言葉はすべてを語らないし、歩けるわたしが歩けない母にシンクロできるわけがない。同じ病気に罹ったことがあれば、少しはわかるかもしれないけど、それでも、人によって全然感じ方が違う。

病気の人は、いつも、ひとりで痛く、ひとりで苦しい。

どれだけ楽しくても、ふとした瞬間に、ひとりで苦しさがこみ上げるでも、どうしたいのか、どうされたいのかは、気分の海底に沈んでいる母にもわからない。

わたしは母の苦しみを、二人でわかちあうことができなかった。その代わり、病気で苦しい人と、それをそばで見ていてどうにか力になりたくて苦しい人という二人が、ただ一緒に苦しんでいるだけ。

しかし、母がもうしばらく生きていようかと思えた瞬間は、いつでも、わたしの前で「つらい」と泣き、わたしも「つらいね」と泣くときだったらしい。なにも解決していないし、なにもわからないし、なにもままならない。そういう苦しい夜を、何度も、何度も、二人で越えてきた。誰かの励ましよりも、誰かの自伝よりも、ただ、なんかわからんけどつらいとお互いで確かめ合う時間を過ごしたら、母は少しずつ、病気とうまく付き合う方法を見つけていった。


NMOSDについても、人によって症状や感情や、されて助かることは全然違う。わかったようで、まったくわかっていない。

「あなたの病気についてわからないから教えてほしいって言われたら、やっぱりいやな気持ちになりますか?」

Aさんにたずねた。

「いやだっていう人もいると思うけど、わたしは遠慮せずに聞いてほしいです。自分からは言えないし、わたしも、みんながなにがわからないか、わからないので」


すべてのNMOSDの患者さんに共通する正解は、ない。

でも、わからないということを、わかりあうことが、まずは必要なんじゃないか。想像を巡らせた上でどうしてもわからないことを恥じず、わかろうとすることを諦めない。病気や感情を上辺で理解するんじゃなくて、その人がその人らしく生きるために奥底からわきあがるSOSを、見逃さないようにする。

わたしができることは、これしかないんじゃないか、と思った。

挫折からの復帰のストーリーで王道の、途中で友達や先生が“いい感じの励まし”を言って、その瞬間、患者さんのがパアッと笑顔になり、明るく前向きに病気を受け入れて生きていく、という明快な話ではなく、わからないことを嘆き、わかろうとすることに希望を持つための話を考えた。

当然のごとく抽象的で複雑なテーマなので、書けば書くほど、なにが言いたいかわからず途方に暮れてしまったのだが、ついに締切の日がやってきてしまった。

柳明奈監督との打ち合わせで、しどろもどろに、原作小説を渡し、いま考えていることを話すと

「わからないことを、わかろうとする……。うん、わたしもそれ、伝えてみたいです!」

と、何度も何度も細かく質問で掘り下げてくださったあと、こう言ってもらえたとき、涙が出そうになった。自分でもうまく言葉にできないが、心で確かに感じていることを、他人に受けとってもらえることはこんなにも嬉しい。

「岸田節、もっと活かしたいので脚本にもアドバイスください!」

わたしが言ってもいないことまで想像し、愛しかない編集がなされた柳監督の脚本を読んだとき、とうとう泣いた。役者のみなさんが「難しい役なのでできるか不安だけど……」とおっしゃりながら、患者さんや家族の気持ちをていねいになぞって考えて演じてくださったのを見て、なんでわたしは現場に呼ばれなかったんだと、一転して今度は悔しがった。感情がせわしない。


そして、できあがったのが、こちらの作品である。もうなにも言えん。見て、読んでください。導入は楽しく、おもしろく、最後まで観たくなってしまう感じに仕上げてもらいました!

ここまで読んでくださった方々ならわかっていただけると思いますが、これがNMOSDという病気と患者さんの正解ではありません。まだまだ、わたしが想像しきれなかった思いを抱えている人がいます。

だけど、「わからない」という前向きな諦めを、堂々と持っていたい。わからないと言えたときに、ようやくわかることがある。寄り添うことができる。そう信じているから、このショートムービーがたくさんの人に届いて、たくさんの人の声を、わたしは聞きたい。

どうぞ、よろしくお願いします。

イラスト…アヤさんhttps://twitter.com/end___roll


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