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拝啓、 渡辺満里奈さん - SPEAKEASYの波によせて

渡辺満里奈さん、こんばんは。

木曜日の深夜、tokyo fmの「TOKYO SPEAKEASY」では、楽しいおしゃべりをありがとうございました。

1時間もの生放送ははじめてで、まさか「江頭2:50さんの名言がね」が第一声になってしまうとは思いもしませんでしたが、満里奈さんのおかげで、なんとか最後まで生き延びることができました。


「誰と喋ろうかなあって悩んでいたら、岸田奈美さんがラジオに出演したいって言ってたのを思い出して、呼んじゃった!」

打ち合わせの席で、満里奈さんから言われたとき。

「あっ、そうなんですか、ありがとうございます」

どうにかクールを装い、にっこり笑ったわたしが、胸の内でどれだけ興奮したことか。

推しが好きだ。でも推しに認識されるのは恐れ多い。取り乱すところを見せたくないから会いたくない。そういう「孤高のオタクの鑑」みたいな一面を持つ満里奈さんなら、きっと想像してくださることと思います。


あっ、満里奈さんの推しの藤井風さん、さっそく帰りのタクシーで聴きました。「帰ろう」の歌詞が、ぐっと胸に刺さりました。

「待ってるからさ もう帰ろう 幸せ絶えぬ場所 帰ろう」


これが両耳を駆け抜けたとき、頭にぼやっと浮かんだのは、満里奈さんのインスタグラムで見た、あの一枚でした。名倉潤さんが、娘さんと息子さんと寄り添って、帰路へと向かわれる背中です。

そこにふわっとオーバーラップした映像が、まだ赤ちゃんだった弟を抱く母と、父の背中です。たしか長野の山をくだるため、一人ずつリフトに乗っていたときだと思います。4人そろった、最後の家族旅行でした。

「幸せ」と「帰る」が重ね合わさったとき、どうしてか、愛しい背中ばかりが浮かびます。満里奈さんはどうでしょうか。

好きな人の好きなものにふれて、好きな理由を想像するのが好きという、とてつもなく気持ち悪い趣味があるので、楽しいです。


さて。

いただいたPOMOLOGYのマンディアン(マンディアンってなにか知ってました?わたしは猫を想像しましたが、チョコでした)をぼりぼりとかじりながら、あの日、波には乗せられなかったけど、どうしても声に乗せたいことがあるので、こうして文に乗せようと思いました。

連絡先を聞いていなかったので、こんなところで大公開になってしまい、ごめんなさい。

だけどわたしは、自分の好きなものを、好きな理由をそえて、好きな人たちに広げるという趣味もあるので、お許しください。

読者のみなさんも、よかったら、お付き合いください。


満里奈さんとおしゃべりしていて、何度か、鼻の奥の奥あたりに、じわっと温かいものが広がる感覚がありました。

たぶん温められたのは心で、わたしの心って鼻の奥にもあるのか、とびっくりしました。

あれはなんだったんだろうと、帰りのタクシーの中でうとうとしながら考えていましたが、わかりました。

過去の自分に「ありがとうね」と、何度も言いにいく。満里奈さんとのおしゃべりで、わたしはそういう体験をしたんだと思います。


満里奈さんは「岸田さんのエッセイは、吹き出すくらい笑っちゃうのに、大切なことを教えてくれる」と褒めてくれました。

でも、わたしの笑いの出どころを、ガリガリと削って掘り進めていくと、そこに温泉はありません。沼があります。紫色でポコポコいってる、毒沼です。

人生の「さみしい」「かなしい」「むかつく」を、じっくり煮つめた毒です。クレアおばさんも裸足で逃げ出します。

だけど、その毒をまきちらしても、世界は誰も聞いてくれないから。誰も聞いてくれないと、自分が惨めだから。だからわたしは、自分で自分を励ますように、笑い話にしてきたんです。

たぶん。

そうしたら、強がりでもなくて、本当に人生を楽しく捉えられるようになってきたんで、それはそれで、幸せなことなんですけど。

でも、たまに、かわいそうに思うんです。毒の沼に置き去りにしてきた、過去の自分を。


たとえばそれは、

母に「死んでもいいよ」と言った岸田奈美だったり。
父に「死んじゃえ」と言った岸田奈美だったりします。

いろんなメディアにこのセリフが出るたびに、ちょっと遠いところにいる人たちからは、叱られます。親に死ねなんて、口が裂けても言ってはならない。不幸は自業自得だと。たまに、泣きそうになります。


満里奈さんが「不安で、すごく必死だと、思いきったことが口に出ちゃう。でも信じているんだよね」と共感してくれたとき、毒の沼に伝書鳩が飛んでいきました。

伝書鳩が「あなたは間違ってないよ。あのときは、ありがとう」って、伝えにいきました。


満里奈さんは、病気で調子を悪くした潤さんに、こう語りかけられたんですよね。

「つらかったら、いつ仕事をやめてもいいよ」

わたしは思うんですけど、あんなにずっとテレビで活躍されている芸能界の人が仕事をやめるって、居場所をひとつ失ってしまうということで。

居場所を失うって、めちゃくちゃ怖いじゃないですか。人によっては、それが死を連想させてしまうこともあるじゃないですか。

そこまでの威力のある言葉を大切な人に告げるって、莫大な勇気がいることです。だって、告げたら、死んじゃうかもしれない。

そんなこと告げるくらいなら、あれこれ世話を焼きたいし、仕事に戻れるように手を回したいし、のらりくらりと時間を稼いで希望にでもすがった方が、絶対にラク。

でも、満里奈さんは、信じたんですよね。

大切な人がしんどいところを一番近くで見ていたから、自分にできることは、そのしんどさを少しでも軽くすることだと。

しんどさを抑え込むんじゃなくて、「しんどいんだよ」ということを、命を削りながらも教えてくれてありがとう、もっと見せてくれていいんだよって、相手に伝えることだと。


大切な人がしんどい時、自分だって不安でさみしくて、同じくらい泣きたくなるのに、ぐっとこらえて、信じたんですよね。


まったく見当はずれだったら、ごめんなさい。
わたしが、そうだったので。
そうだったのだと、気づいたので。
満里奈さんのお話を聞いて。


わたしの過去の母や父に対する行動が、客観的に見て、あっていたか、間違っていたか、わかりません。

でも、少なくとも、満里奈さんは同じような覚悟で、同じような言葉を語った。そしていま、楽しそうに、家族のことをわたしとおしゃべりしてくれている。

それだけで、わたしは「あっていた」と思えたんです。


過去のわたしに「ありがとう」と感謝を伝えられることは、「生きていてよかった」と思うのと、同じ意味だと気づきました。わたしはたぶん「生きていてよかった」と思いたくて、いま、作品を書いたり、ラジオで喋ったり、しているんだと思います。


「生きていてよかった」と思えるかけらを、満里奈さんからもらうことができました。


あと、満里奈さんが最後に、ぽろりと弱みを見せてくれたのも、衝撃でした。

「子どもを信じるって、すごく難しい。もちろん、愛してはいるんだよ。愛してはいるんだけど、やっぱり、不安だよ。信じるって修行なんだね。奈美さんのお母さんはそれができたんだもん、すばらしいよ」

満里奈さんは母を褒めてくれましたが、葛藤されている本音を聞いて、きっと過去の母もまた、泣きたくなるくらいの不安をグッとこらえて、わたしを信じてくれたのだと気づきました。

そうですよね、修行なんですよね。

母はそのつらい修行を乗り越えてでも、わたしを愛してくれたんですね。

時間を経て、嬉しさがあふれだしました。これもまた「生きていてよかった」と思えた瞬間でした。かけらが、ふたつになりました。



実は、母は体の具合がかなり悪く、一週間もベッドから動けずに、寝込んでいます。原因はわかりません。先週は母が死んでしまうのではないか、と頭がよぎりました。いろんな事情で実家に今すぐ帰ることができない自分が、情けなかったです。

幸い、疑わしい感染症などはすべて陰性で、これを書いている間、やっと回復の兆しも見えてきましたが。

そんな母が、ラジオを聴いてくれたらしく、放送が終わってすぐに連絡をくれました。

「満里奈さんがわたしの名前を呼んでくれたよ。むかしから憧れの存在、夢みたい。満里奈さんに褒めてもらえたよ。うれしいよぉ」

泣いていました。

かけらがみっつになりました。


本当にありがとうございました。またお会いできることを、楽しみにしています。

生放送のテレビにも出ることになったので、大失敗したら、ちょっと、あの、いろいろと伝授してください。


(押雅人さんも、朗らかにディレクションしてくださってありがとうございました。堺雅人さんと見間違ってすみませんでした)

週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。