「THE FIRST SLAM DUNK」は一瞬の永遠と慟哭を描く
週刊少年ジャンプの『友情・努力・勝利』だけでは、どうやらどうにもならないことがあると知ったのは、大人になってからだ。
苦境から一歩を進むために、わたしがひとつ足すとすれば『時間』である。
映画『THE FIRST SLAM DUNK』に、緻密な『時間』の物語をみた。
原作・脚本・監督の井上雄彦さんは『時間』を表現する境地にたどりついた漫画家だ。人間の本質を描こうとするほど『時間』の表現が自然と組み込まれていくのかもしれない。
漫画が視線の創作だとすれば、映画は時間の創作。
物語の体験速度をコントロールするのは、漫画ならページをめくる読み手にも委ねられるが、映画では完全に作り手だ。
映画の制作資料集の
では、たった一秒か二秒のワンカットに対して、井上さんが「一瞬うれしさこみあげる」「落ちながら目線はリング方向、球と脚を伸ばすのは同時」「喜びで眉をわずかに動かす」と、納得するまで何度も直しているのがわかる。
0コンマ1秒単位の繊細な動き、表情、音楽にこだわっている。それはなぜか。
『THE FIRST SLAM DUNK(以下、本作)』では、これまでのスポーツアニメと違い、ほとんどリアルタイムでバスケットボールの試合が進んでいくからだ。
映画の時間と、現実の時間が、重なっている。
本作は最新技術の3DCG方式で作られている。人間の動きをコンピュータで写し取り、10人の選手たちを同時に、姿勢や仕草の細かなクセまで再現した。
バスケットボールの試合の面白さを、最大限に体感できるつくりには度肝を抜かれる。
ボールがリングにくぐるまでは、思わず息を飲んでしまうようなスローモーションで描かれ、くぐった瞬間、シュパッという音とともに等速へ戻る。
湘北高等学校のエースである流川楓の頬を、一粒の汗がゆっくり伝っていき、落ちる瞬間、緊張が裂けて超速の勝負が始まる。
リアルな動きに対し、時間が伸縮している。
バスケットボールはもともと、時間の伸縮を感じるスポーツだ。
「24秒ルール」「8秒ルール」「5秒ルール」「3秒ルール」と、こまかい時間で反則が定められている。たとえば、ボールを持った選手がパスもドリブルもせず5秒以上ボールを持ってはいけない。
5秒なんてほんの一瞬じゃないか、と思うかもしれない。でもコート上にいる選手は、その倍、いや、永遠にも近い長さを感じている。
わたしも高校一年生までバスケットボール部だった。運動音痴の万年補欠で、年に何度か思い出づくりの情けで試合に出してもらったとき、コートの外で流れる時間と、コートの内で流れる時間が、こんなにも違うかと焦った。たった5秒、相手を抑えるのが、どんなに苦しいか。
時間を現実よりも伸縮させることで、体験を現実に近づける。ノンフィクションよりも、ノンフィクションに近いフィクション。まさか、そんな芸当ができるのか……と衝撃だった。
時間はただ前へ、前へと流れる川のようなもの。速さは変わらず、止まることはない。
不思議なことに、人が体の内側で“感じる”時間は、自在に伸縮している。アインシュタインの相対性理論も、認知症の人が古い記憶の中で生きるのも、同じこと。
井上さんは東本願寺で親鸞聖人の屏風絵を描いたが、仏教にも
“一即多 多即一”
という悟りがある。
言い換えれば『永遠の一瞬』が、わたしが本作から感じた言葉だ。
本作の構成は、原作漫画の最終章である『湘北高等学校 対 山王工業高校』の一戦を描きながら、湘北の選手・宮城リョータの幼少時代から現在までの回想シーンを行き来する。
原作漫画の主人公は赤い短髪の桜木花道だ。当然、映画も桜木花道が主役だと思って、劇場に足を運んだ読者がほとんどだったはず。
上映が始まってみれば、まさかの宮城リョータが主人公で、原作で一切語られなかった過去で、ビックリしてしまった!
それでも戸惑うことなく宮城リョータの物語に入っていけたのは、試合シーンから回想シーンに繋がる『時間』が考え尽くされていたからだ。
試合では背の低い宮城リョータが2人の相手に囲まれ、ファウルぎりぎりのプレッシャー(圧)をかけられて身動きが取れなくなる。業を煮やし、強引に突破をすることで、逆にファウルをとられてしまう。
審判を見ながら、どうすりゃいいんだよ……と、呆然とする宮城リョータ。
ここで、回想シーンに切り替わる。
沖縄から東京の狭い団地に引っ越してきた中学生の宮城リョータは、団地の広場でドリブルをしただけで「ボール遊びをするな!」と住人から理不尽に怒鳴られる。
ただでさえ慣れない環境に息苦しさを感じながらたどり着いた公園で、1歳上の少年(のちに湘北でチームメイトとなる三井寿)に声をかけられ、1on1に挑むが、逃げ腰のクセを見抜かれ「圧をかけろ」と言われる。
試合と回想は、“理不尽”と“圧(迫感)”という共通の感情で、違和感なくひと繋がりになった。これが二度、三度、と繰り返されていくことに、鳥肌が立った。
創作における回想の役割とは、説明のはずだった。
このキャラにはこんな事情があるんですよ、こんな伏線があるんですよ、だから納得してくださいね、感動してくださいねという説明。すなわち作者の都合で、回想がグイッと差し込まれる。
本作における回想とは、キャラクターの都合だ。
井上さんが描くキャラクターはまるで生きていると言われる所以が、この圧倒的なキャラクターファーストにある。
宮城リョータは、ファウルを取られたあの一瞬で、ゴール下のパスに迷ったあの一瞬で、鋭いドリブルで抜いたあの一瞬で、十数分にわたるあの回想を本当に見ていた。
だから宮城リョータの回想は、シーンが途切れる。突然、違う場所のシーンに変わったかと思えば、彼の家族の微妙な表情が何度もクローズアップされる。人間の記憶はまばらだ。幼い宮城リョータの眼が、何を色濃く捉えていたか。
一瞬で、その何倍もの時間の記憶を脳が再生することは、誰にでも覚えがあるだろう。
回想シーンに入るとき、かならず「ポーーーーン」と、美しいピアノの鍵盤音が鳴る。井上さんは劇伴や効果音にも、0コンマ1秒単位の注文を出したと言われている。
意図的に間延びして鳴るあの音は、心臓の鼓動や、ドリブルの音ではないか。宮城リョータが生きていることの証明として刻まれる音。
その音が引き伸ばされている。
1秒の現実が、10分の回想を再生するみたいに。
ところで、少年漫画はよく飛躍が描かれる。スポーツの試合や、強い敵との死闘の真っ只中で、主人公が過去の経験、師匠の言葉、愛する人の優しさなどを回想して、
「そうか……そうだったのか……!」
などと独り言をつぶやき、急に強くなり、相手を圧倒して勝利する。よくある展開だ。カッコいいけど正直言って、人間の身体能力は数秒で飛躍なんかしない。
腕力は上がらないし、脚は速くならない。
じゃあ回想によって、なにが変わるのか。
変わるのは身体能力でなく、判断にすぎない。
判断で人間そのものは瞬時に変わらないけど、人間関係は瞬時に変わる。相手を信頼するかしないか。細かい判断の連続が、毎秒毎分、刻一刻と変化していく。
回想によって、判断が変わった。
宮城リョータは声を出してチームの流れを変えたし、流川楓はパスを出したし、桜木花道はリバウンドを取って速攻を死守できた。
判断は、別の人間に共鳴し、さらに別の回想を呼び起こす。
三井寿は過去にバスケットボールを挫折し、荒れていた頃を回想したあと「俺にはもうリングしか見えねえーーーー」と、満身創痍でスリーポイントシュートを決める。
宮城リョータは彼を見て、中学生のときに公園で1on1した記憶を回想する。この時、二人の間には同じ絆が結び直されたけど、実は、回想した時間も景色もまるで違う。
一瞬のプレー(判断)には、十六、十七、十八年分の人生が積み重なっている。
回想が判断を変え、判断が回想を呼び、40分間の試合の中でチームの感情がひとつへ向かい、強さを増すのだ。
パンフレットに書かれた「持ち前のスピードと突破力が武器」という素っ気ない一行の設定を遥かに越えた説得力がそこにある。26年経った今も、井上さんやわたしたちの中で、キャラクターは愛しく生き続けてくれる。
井上さんは、感情の表現がおそろしく上手い。これにも『時間』の描き方が関わっていると思う。
受容と反応のラグ。
人間の態度は、感情より。そして感情は記憶より、ずっと遅れてやってくる。
宮城リョータの母・カオルが、海辺で彼の手紙を読むシーンがあるが、読んでいる間、母の表情にはなんの感情も含まれていない。無だ。
制作過程の下絵でも「努めて感情を抑え、ただ手紙の内容を追ってるのみ」と、井上さんがわざわざ指示している。
わたしたちは手紙を何度も読んで、意味を飲み込んで、こみ上げる感情に気づき、それでなにかを考えはじめ、やっと表情や涙を浮かべられるのだ。
本作のテーマには『痛み』が入っていると、井上さんは語っていた。
『痛み』の表現にもまた、『時間』の表現が試される。
傷は深ければ深いほど、痛みも遅れてやってくるのではないかと、わたしは思っている。
街のど真ん中で自転車ごと転び、恥ずかしさのあまり急いで家へ帰ってきたものの、実は骨が折れてた……というのはよく聞く話だ。
心に負った深い傷は、傷ついたことすらわからず、何年も、何十年もしてから、痛みに気づくこともある。
本作では、宮城リョータが抱える深い傷が明かされる。
父の死と、兄の死。
まだ小学生だった宮城リョータは、バスケットボールが上手な兄が、自分より友人との約束を優先したことにガッカリし「バカ!もう帰ってくんな!」と叫ぶ。それが事故死した兄との最期の会話になってしまう。
立て続けの喪失と猛烈な後悔、大きすぎる痛みに、宮城家の時間は止まる。
母と子の苦しみ方の違いが、途方もなく生々しい。宮城リョータは兄の死後もミニバスケットボールの試合を楽しんでいるが、母は兄を思い出すために応援できない。家には兄の遺影も飾られない。
母である自分がこんなではダメだと、無理矢理に兄の遺品を片づけて前へ進もうとするが、チグハグな心がついていかず、母と子は衝突する。
自分より優れていた兄と、痛々しい母を見て、次第に宮城リョータは「俺が死ねばよかったのに」と思い詰めていく。
幼さゆえに、兄の喪失そのものを味わうより先に、生きている母が悲しむ姿に傷つく。残酷でリアルな順番の描写に、わたしは言葉を失った。
8年後、高校生になった宮城リョータは、兄との思い出に触れ、はげしく慟哭する。
宮城リョータが慟哭するまでの『時間』のかけ方がすごい。本当の悲しみが訪れるのは、事故を知った時でも、葬儀の時でも、兄と比べられた時でもない。
8年。8年もの、時間が過ぎた後、なのだ。
人間にはもともと、自分を守る本能が備わっている。大きすぎる痛みに感情の支配権を明け渡せば、底なしの絶望まで無限に転落していき、死に至ることを、本能は知っている。
現実を見ない。言葉にしない。向き合わない。
本能がわたしたちにそうさせる。
時間が経てば、少しずつでも向き合わざるを得ない瞬間がやってくる。イヤでも過ぎていく日常の中で、ほんの小さな幸せや喜びの感情が入り込んできて、失われた存在に感謝できて初めて、もう戻らないことを思い知り慟哭する。
永遠とも感じられる長い時間を経て、痛みに向き合えた者だけが、止まっていた時間から抜け出せる。一歩前に進める。友情に支えられ、努力し、勝利が訪れる。
すべての時間は、平等じゃない。
同じ兄の喪失でも、宮城家でいちばん立ち直りが早いのは妹で、そのあとがリョータ、母は最後の最後だ。終盤で、和室の仏壇の前でうなだれたまま動かない母の回想が流れる。黙って立ち尽くしていた小学生のリョータは、湘北のユニフォームを着たリョータに姿を変え、母のもとに一歩ずつ近づき、そっと抱きしめるように触れる。
痛みに向き合い、痛みを受け入れ、痛みに寄り添う。ずっと憧れ続けた兄にもできなかったことを、宮城リョータはできるようになった。
ここでわたしは、我慢できずに泣いてしまった。
わたしは、知ってる。
このときの彼の気持ちを。
ささいなことで、父と口ゲンカになった。わたしが中学二年生のときだった。
頭の回転がはやく、おもしろく、なによりわたしを深く愛してくれる父のことを尊敬してたけど、この時ばかりは父を言い負かせられないことに腹をたて「なんやねん、パパなんか死んだらええ!」と吐き捨てて部屋に閉じこもった。それが最期の会話になった。
父は心筋梗塞で病院に運ばれ、意識を戻すことなく亡くなった。父がわたしに冷たい口ぶりだったのは、体調が悪いせいだとは気づかなかった。
18時42分。
父の心臓が止まった時間を忘れたことはない。最期まで声を届けることに必死だった。助からないと悟った母が「もうあかん、もうあかんから、がんばらんでええよって言ってあげよう……!」と叫び、わたしを止めた。
2日後に葬儀を開いた。父の体が家に運ばれても、家族で父のそばに座り込んで朝を待っても、棺の前で読経が始まっても、わたしたちはたいして泣かなかった。泣いて取り乱す親戚たちを、どこか遠くの景色みたいにボーッと眺めて迎えていた。
「お父さまに触れていただけるのはここまでです」
棺のふたを閉じるとき、葬儀場の人に言われて、わたしはとっさに父の手を触った。冷たかった。どうしようもなく冷たかった。知らなかった。こんなはずじゃなかった。わたしの撫でてくれた手は、ツッコミを入れてくれた手は、もう二度と動かないのだとわかった。取り返しのつかないことを言ってしまったのだ。棺の縁をつかみ、叫びながら泣き崩れたのはその時だった。
今思えばわたしはまだ、よかったのだ。
わたしが泣けば泣くほど、泣けなくなった人がいる。母だ。母はわたしを不安にさせないことに、感情のすべてを注ぎ込んだ。悲しみを心の底へと押し込めて封じ、父は遠い海外へ単身赴任したのだと思い込み、平気なフリをした。
そのあと何が起こったか。
わたしは忌引きが明けるとすぐ学校へ行き、バスケットボール部にも戻った。悲しかったけど、一日、一ヶ月、一年、と経るごとに、怒涛だった悲しみは少しずつ薄れていく。棺の前で泣いたあの日が、わたしにとってはプールの“底”にタッチしたのと同じで、あとは自然な浮上を待つだけだ。
一方、母は16年経った今でも、父のことをちゃんと悲しめずにいる。
悲しまないようにすることが、母が強く在るためのすべだったが、平気なフリはじわじわと母を苦しめ、三度も命にかかわる手術をした。一度目は心臓病で下半身麻痺に、三度目はつい先月。
大人になったわたしは「無理せんといて」と母を諭す側に回ったが、母は気が抜けた風船みたいにションボリしていた。
「なにが無理で、なにが無理ちゃうか、もうわからへんのよ。だって、パパがいなくなって、歩けなくなって……無理せんとできへんことがいっぱいあったから。平気なフリせんと生きていかれへんかった……」
母は、父の仏壇を見ようとしなかった。
あえて背の高いタンスの上に仏壇を置き、車いすでは手が届かないからと、わたしに線香や掃除を頼んでいたわけを、わたしはやっと、やっと知ったのだ。
仏壇の場所を変えようよ。写真も飾ろうよ。わたしが提案したのはそれからだった。
宮城リョータの手が、わたしの手が、母の肩に触れる。
『THE FIRST SLAM DUNK』の話に戻る。
上映が終わった帰路で、わたしは宮沢賢治が書いた詩を思い出していた。愛する妹・トシの亡くなる直前に書かれた詩は、こう結ばれる。
深い傷を抱え、悲しみに暮れながら、それぞれに歩む道は誰にも見えない。いつどうすれば終わりが来るのかは誰にもわからない。
原作漫画の完結で、一度、スラムダンクの時は止まった。続きを待望していた読者も、応えられなかった井上さんも、それぞれが傷を抱えてきた。
そして。
2014年から始まった『THE FIRST SLAM DUNK』の制作で、永遠に止まったかのような時間がふたたび動き出した。
完結から26年、企画から制作が10年。
3DCGの技術が進化し、経験を積んだスタッフが集まり、井上さんの思い描く試合の面白さを伝えられるようになった。
連載当時は20代と若く、家族の物語を描けなかった井上さんが、自身の体験に向き合い、宮城リョータの家族の物語を描けるようになった。
速く伝わるもの、速く分かるものばかりが持て囃される現代で、痛みとともにものすごい時間をかけて、奇跡のような一瞬を待って、完成した本作。
試合の終盤。
痛みをこらえ、満身創痍の桜木花道は言った。
「オヤジの栄光時代はいつだよ。全日本の時か?俺は……俺は今なんだよ!」
今なんだよ。
今じゃなきゃダメだったんだよ。
26年前に刻まれたはずの天才のセリフが、何にも代えがたい説得力を放つ。
永遠に続くかのように思われたすべての痛みは、今、この一瞬を肯定するためにあった。
7歳のとき、父がiMacを持って帰ってきた。
友だちができず、落ち込んでいるわたしに「パソコンがあればこんなこともできる」と、WEBサイトで漫画を見せてくれた。繰り返し、夢中で読んだ。1枚読み込むのに当時は15分かかり、電話代が5万円も請求されて、母に大目玉をくらった。
いつの間にか見れなくなり、タイトルも忘れ、もう二度と出会えないと思っていたけど、このnoteを書くために調べていたら、その漫画は井上さんの『BUZZER BEATER』だとわかった。
パソコンの楽しさを知ったから、いま、わたしはここで書いている。なんてことない平凡な偶然だけど、わたしにとってもきっと、今、だった。