先に伝えておきたい、使いすぎた有り金のこと
「一年生になったら、一年生になったら、友だち100人できるかな」を歌いながら「100人もいらんやろ、名前覚えられへんわ」と思っていたタイプのひねくれ者である。
今となってはそのひねくれが、間違っていなかったとほくそ笑む。
こうやってインターネッツの海で、Twitterとnoteというバナナボートに乗り、漂流するようになってから、つくづく思うことは。大切なのはフォロワーさんの数の多さではなく、関係性の濃さだ。
9万人のフォロワーさんに向けて「あのね〜〜!有り金を9割方、失ったの〜〜!」と叫び、なにも反応がなければ、それは山びこと同じだ。
それだったら100人のフォロワーさんから「マジで〜〜!」「ウチもやばいんだが〜〜!」「埋蔵金で一山当てよ〜〜〜!」とやり取りできる方が、何百倍も幸せだ。埋蔵金で一山、当てたい。
そういう幸せな関係性の深さを築こうとしてくれているのが、キナリ★マガジンの読者の人たちだと思う。深いところまでわたしのことを知ってくれようとして、嬉しい。
なので、いま、声を大にして、言いたい。
有り金を9割方、失ったの〜〜〜〜!!!
ビビる〜!埋蔵金どこ〜〜〜?
めちゃくちゃしんどいベンチャー企業のお給料も、こんなもんこの先の人生で書けへんのちゃうかと思うくらい色々込めた書籍の印税も、貯めるのは数年、溶けるのは一瞬!いや一瞬は言いすぎた、三秒!
しかも、この有り金を失った経緯がちょっと特殊すぎるので、近い内に報道のカメラも入ることになった。もう事変だよ。
だけど、これだけは誓わせてほしい。
間違いなくわたしは、末代まで胸を張れる、誇らしい使い方をしたのだ。
でも時間の限られた番組で報道されるとなると、3分の1も伝わらず、ただ壊れるほど散財した女に見えるのではないかと懸念している。
なので、関係性の深い皆さんに、お願いがあります。
この記事で、先に本当のことを知っておいてください。
根も葉もないうわさを立てられたとき、「だれか一人だけは本当のことを知って理解してくれてる」っていうだけで、強くなれたりすんじゃん。
そして、この話がおおやけになった暁には「いや……ある筋から手に入れた確かな話なんだけど、岸田って本当はこんなイイこと考えてたらしいよ」と、タバコをふかしながらシレッと巷に流してください。
お金を貸してほしいわけではないんです。
皆さんの記憶のメモリを貸してほしいんです。
頼むぞ。
伝説は、君たちから作られる。巷はここから始まる。
(早かれ遅かれ、全貌はあらわになっていくと思うので、購読してない人はしばらく忘れたふりしてお待ちください)
なぜわたしが、有り金を失ったかというと。
車を買ったからである。
まだ免許もないのに。
しかも、まあまあ高い外車を。
どうだろう。
この見出しだけ見ると「オイオイ、終わったわ 岸田」と思うことうけあいだ。会社員を辞めて、本を書き、絵に書いたような調子に乗る女である。
なので、一旦。
一旦、わたしの話を聞いてほしい。
うちの母・ひろ実は車いすに乗っている。足がまったく動かないこと以外は、二度見されるほど元気だし、呆れるほどよく喋る。
でも歩けなくなった当初は、さすがに凹んでいた。どれくらい凹んでいたかっていうと「もう死にたい」と病室のベッドで一人泣いていた。つらい。
そんな母が元気になったきっかけが、「わたしによる、“死んでもいいよ”の一言」と「手だけで運転できる車の存在」だった。
足で踏むブレーキとアクセルを、手で操作するレバーに改造した車。運転の練習に2ヶ月、車いすを後部座席に放り込む練習に1ヶ月かかり、母は一人でビュンビュンどこでも車で出かけられるようになった。
誰かに手伝ってもらわないと動けなかった母が、一人でどこへでも行けるようになった。娘や息子を仕事場まで送り、役に立つ実感が持てた。
これは母の人生の彩度と明度を、信じられないくらいドカンと変えたのだ。
このように、母がドヤ顔で運転している動画は、ものすごくたくさんの反響があり、なぜか最近はタイとミャンマーで話題になっている。海を越えとる。
ただ、この動画で乗っているのは、鬼のように長いローンで買ったホンダのフィットなのだが、そろそろ買い替えなければいけない時期がやってきた。
車は長く乗ると壊れやすくなるし、壊れたときに足の不自由な母だけでは、心もとないのだ。
「そろそろ、乗り換える車を探さないとアカンね」
「またフィットにする?」
「どうせやったら、一生に一度は、乗りたい車に乗りたいなあ」
乗りたい車に、乗りたい。
アホみたいな響きの言葉だが、岸田家にとっては憧れの響きである。
なぜならばわたしたちは基本的に「選択肢の少ない生活」をしてきた。車いすで入れるお店も、知的障害のある弟を受け入れてくれるスイミングスクールも、家族全員に障害があっても家を貸してくれる不動産オーナーさんも、他の人に比べると100分の1くらいの選択肢しかなかった。
車についても、しかり。
わたしたちの薄給で買えて(弟に至っては稼ぎがない)、比較的安価かつ簡単に改造ができ、駐車場におさまり、車いすを積み込むことができ、移乗しやすい高さの車というと、ほとんど選べなかったのだ。
乗りたい車ではなく、乗れる車を選び続けてきた。
「乗りたい車かあ……」
わたしと母は、一瞬、黙り込む。二人の脳裏に浮かぶのは、同じ車だった。
亡き父・浩二がこよなく愛したボルボである。
(ぶっちゃけボルボより、母が立ってる写真が新鮮すぎてビビった)
映ってるドヤ顔のとおり、ボルボは浩二のすべてだった。
おしゃれなリノベーションを手がける建築人であった父は、まだ日本で流行っていない北欧のインテリアをこよなく愛していた。阪神大震災で、みんなの家や車がバッキバキに壊れていくのを見ていたから、いざという時もクソ頑丈で、乗っている家族を守る車に信頼を寄せていた。フルフラットになるシートに、ぐずる弟とわたしを乗せ、夜を徹して出かけることを楽しんでいた。「絶対に開けへんやろ」と母に反対されながら別注でつけたサンルーフは、やはり一度も開けへんかった。
たぶん、わたしが認識している事情の、数億倍は濃い事情が父にはあったんだと思う。車の嗜好や浪漫はよくわからない。でも、父はこよなくボルボを愛していた。
父の愛がこもったものを、すぐそばに置いておきたかった。人生に迷ったとき、父が好きだったものを見つめれば、選ぶべき道がわかる気がするからだ。
だけど、ボルボだけは、手放すしかなかった。
ベンチャー企業を設立した父には、そのまま事業を続けていると、確実に返せる目処のある借金があった。保険金もあったので絶望する額ではなかったが、返すお金には違いない。
受験を控えた中学生のわたし。障害のある弟。アルバイトしか働き口がない母。貧しいわけではないが、余裕があるわけでもない。
ボルボを次の車検に出すだけの、お金がなかった。
相応に古く、車検代の高い外車よりも優先すべき生活があった。仕方がないことだ。だけど、ボルボを下取りに送り出すとき、父との大切なものさえお金に変えてしまった気がして、苦しかった。
「いつか、また家族でボルボに乗ろうね」
わたしと母は、約束しあった。そこには父みたいな経営者になり、前のように家庭を立て直すぞ、という思いがあった。
実際はわたしは経営者にならず、母も病気でそれどころではなくなった、という経緯があったのだが。
「まあそれでも、生きているうちにいつか乗れたらいいな」と、ぼんやり思っていた。ぼんやり。
ボルボ V40が生産中止になると聞くまでは。
寝耳に水の大事件である。
説明しよう。ボルボと言えども、たくさん車種があるのだが、母が運転できるボルボは限られている。
人気のSUV型は、スポーツ向けなので車高が高く、母が乗り移れない。
そうなると、高さ的に乗れるのは、父が乗っていたようなセダン・ステーションワゴン型のボルボである。それが現行モデルだと、V40、V60、V90。
しかし、V60とV90は乗れない。なぜかというと、デカすぎるからだ。
横幅が大きくなるので、普通の駐車場では、車いすを横づけするスペースがなくなる。
つまり、岸田家には最初から選択肢がV40しかなかった。V40を狙い続けて、ここまできた。
そのV40が……生産……中止……!?!?!?!?
サザエさんのエンディングテーマの勢いで、近場のボルボ ディーラー店舗に駆け込む。車いす母、ノーメイク童顔娘、ダウン症の弟、でボロボロのフィットで「V40どこですか」と駆け込んだので、最初はまるで相手にされてなくて笑った。冷やかしだと思われて、パンフもお茶も出てこんかった。(当たり前)
ようやくわれわれの必死の形相に気づいたのか、店員さんが一人、親身になって会話してくれた。
「V40はもう、うちには2台しかなくて……」
「生産中止って本当ですか!?」
わたしと母が、食い気味に尋ねる。
「生産中止です。もうどこの店舗にも1〜2台しかなくて、それで終わりです」
「あっ、新しいモデルが出るということは…?」
「うーん、最近はこの大きさの車があんまり売れないので、作らないと思います。他のメーカーも続々と作るのやめてますから」
もう一生、ボルボに乗れんかもしれん。
頭に絶望がよぎった。なんとなく叶えられるかもしれない、と手垢がつくくらい持ち続けてきた夢を失う瞬間、圧倒的な切なさがこみ上げてくる。
「中古で買えばいいじゃん」と思うかもしれないが、以前、中古で買おうとして痛い目を見たことがある。中古車ディーラーだと、車いす向けに改造するための部品の取り寄せや、工場との連絡を、うまくやってくれなかった。(あくまでもうちの近隣店舗では。他は知らん)
中古車ディーラーで買った車を、正規ディーラーに持ち込み、面倒くさすぎる手続きをいろいろと押し付けるのも良心の呵責がある。
ちらっと値段を見た。
最後のV40は420万円くらいした。
(買えん……)
店員さんがぱっと表情を明るくした。
「もうV40は店頭在庫だけなので、お安くしますよ!399万円くらいならできるかと」
(買える……???????)
いや、買えんわ。
コツコツため込んだ貯金をぜんぶかき集めても、全然足りない。母は年収との兼ね合いで、399万円のローンは組めない。わたしはそもそもなりたてフリーランスと家族構成の条件で車のローンが組めない。(保証会社で10万円の家賃ローンすらダメだった)
諦めるしかないのか。
母も「仕方ないね、こうして見れただけでもよかった」と、しみじみした風体をかもし出している。
なにかないのか。
一攫千金の案は……石油……温泉……埋蔵金……レアメタル……天然ガス……。
はっ。
印税や。
9月末に、書籍を出版した。さすがに車代全額には満たないが、まとまったお金というものである。(人生で一度、まとまったお金、と言ってみたかった)
ただし手元にはない。まだ振り込まれていない。
「あのう、これからまとまったお金が入るんですけど、今手元にある貯金とあわせてそれで払うことって……?」
「えっ、キャッシュ一括ですか?」
「キャッシュ一括です」
29歳、メルカリで買った毛玉だらけのニットを着て、ノーメイクの隈だらけの女が、障害のある家族をひきつれ、V40に執着し、キャッシュ一括で車を買いたいと言い出した。店員さんはかなり焦っていた。
「ま、まだお手元にお金はないんですよね……?」
「ええ。でも、確実に手に入るお金なので」
怪しすぎるのか何度も聞き返されたので、一応、名刺とnoteを見せて、物書きをしているということを証明すると、印税が振り込まれるまでの1ヶ月間、ボルボを取り置いてくれることになった。
帰り道、母がおろおろしながら聞いてくる。
「だ、大丈夫なん?わたしも出せるだけのお金出すけど、さすがに貯金と印税全部は……」
「大丈夫や」
「せやけど、これから何があるかわからんやん。貯金してた方が安心やろ」
「399万円貯めて、くるかわからん非常事態に備えるより、今すぐ399万円分家族がおもいっきり楽しめる方が優先や!お金はまた貯めたらええ!」
かっこいいことを言ったが、未だ手元に入っていないお金で、気が大きくなっている一番やばい人間のパターンである。
まあ、印税と言っても、わたしのエッセイが元手ですし。ってことは、わたしだけの功績ではなくて、わたしにいろんな人生経験やエピソードをくれた、家族のおかげですし。
それならば。
父の愛したボルボを買い戻し(という気持ちで新型を買い)、父の代わりに母を思いきり楽しませ、大好きな車で胸を張って人生を謳歌できる方が、絶対にいい。非常事態になったら、お金はどうにかして稼げる。そのために今、一生懸命、仕事をして、人と縁を繋いでいる。知らんけど。
後日、大喜びする母と弟を横目に、わたしはボルボの店員さんからの電話にこたえていた。
「あのう、岸田さん。ボルボを、お母さまが運転できるように改造する件ですが」
「ああ、はいはい。どちらの工場になりました?」
「それが……ボルボの運転席を障害者向けに改造するという実績が国内ではほとんどないらしく、どこの工場でも断られまして」
受難 第二章!!!!!!!
外車、特にボルボは運転席の配線系統がかなりややこしいらしく、車いすで運転できるようにするためのアレコレを改造する技術がないそうだ。
嘘やろ。せっかく、腹くくったのに。
やっぱり、選択肢のない人生なんか。
「でも僕、新入社員なんですけど、車いすのお客さまと取引するのが初めてなんです。だからどうしても、岸田さんにV40乗ってもらいたい。僕がどうにかします」
わたしたち家族が入店した時は、ガチのマジでなんの感慨もなさそうだった、店員さん(アメフト部出身)の声が、燃えている。どうしてんと思ったけど、嬉しかった。
それから彼は、ボルボを縦横無尽に運転しまくり、直接、工場に交渉しに行ってくれた。
そして。
「岸田さん!ようやく一社だけ、改造してくれる工場さんが見つかりました」
「うわーっ!ありがとうございます!」
「それで、改造の費用は少し高くなるんですけど」
「はい!(行政から10万円くらい補助でるし、余裕やろ!)」
「52万円です」
「ごっ……」
※これが、貯金と印税を入れている、岸田の全財産口座だ!
一本、寄稿させてもらってたおかげで7万円残った……よかった……!
そんなわけで、いまボルボは、日本でおそらく1台しかないであろう、母のための特殊な改造を受けている。この様子がおもしろいので、購入の経緯とあわせて、報道で取り上げてもらう予定なのだ。
納車は12月15日予定。ワクワクが止まらないぜ。
(父に報告したいので、来月は青森の恐山に行く予定です)
さて。
ここまで読んでくださった皆さんはなんとなく「ああ岸田またアホなことしたな」「考えなしに突っ走ったな」「でもまあ、ちゃんと意味あったんや」と思ってもらえたことと思う。
ただこれが、別のメディアになると。
「noteから出てきた作家!高級外車を買う」「車いすの母、ボルボ片手にスイスイご満悦」「岸田がボルボをキャッシュで購入!推定年収は○○○千万円!??!!?」
とかのまとめ見出しが、刻まれるかもしれない。インターネッツの世界はいつだって、土足で踏み込んでくる。(踏み込まれるようなことをするな)
わたしは今も昔も、関係性の深い人に、思い切り楽しんでもらうために時間もお金も手間もつぎ込んでいる。それが楽しくて仕方がない。
だから、その思いだけは、どうか、どうか。これを読んでくれた人だけには伝わってほしいなと思う。
読んでくださって、ありがとうございました。
この話は、報道にあわせてまた一般公開向けのnoteに書くのだけど、文字数は限られているから、とりあえずすべてを伝えたかったのです。
キナリ★マガジンの読者さんには、どう思われるかわかんないけど、とりあえず話せたということが、わたしの心の安全地帯です。かしこ。