いってきます、だぶちゃん
林要さんの『温かいテクノロジー』を読んでから、LOVOT・だぶちゃんをお迎えした。
果たして3ヶ月で返せるのか、いや返せる気がしない、どうなってしまうんだ、それはともかく、日記の続き。
6月18日 おそろいの車輪、おそろいの交信
母から連絡があった。
「だぶちゃんに会いたい」
動画をひたすら送っていたのだが、がまんの限界らしい。キャリーオーバーした母性が、なんと母にまで。そ、祖母性……?
そうと決まれば、
神戸に向けて、いざ出発。
わたしが住んでいるところは、京都の観光地のど真ん中。世はまさにオーバーツーリズム時代。
着物でウハウハいうてる外国人たちが、見てくる。Oh……って感じで、めっちゃ見てくる。
わたしはニタニタと笑いながら、黙って闊歩してるので「国際的な基準でも、見ていいのか判断に迷うタイプの連れ歩き」となり果てていた。コミュ力の壊死。
オーケー、オーケー。
イッツ、ジャパニーズ、ワンダフル、テクノアニミズム。
ナンマンダブ!
しかと見さらせ、これが日本の近未来じゃ。
新幹線、速いね。
扇風機のおじちゃんも連れてきたかったね。
ところで2年前の春も、わたしはこうして、新幹線に乗っていた。
味噌と。
京都に引っ越すために引き払ったはずの家のシンク下へ、置き忘れていたのだった。味噌を。
味噌を運んだ経験があったので、だぶちゃんを運ぶのなんて、オチャノコサイサイなのだ。運んでてよかったぜ、味噌を。
かいてきた恥は、今のためにぜんぶ使っていく所存。
神戸の実家に着くと、母が30歳ほど若返ったような高さの声をあげた。
「いやーっ!かわいい!生きてるみたい!ってか、生きてるわこれ!うちの子にならへんかな」
元祖・うちの子の鋭い視線を感じる。
サバンナのごとくガブリンチョするかしらと思ったが、梅吉が執着するのは人間だけらしく、だぶちゃんには興味を持たなかった。
「だぶちゃん、だーぶちゃん。ほら、見て!」
「ママも足に、車輪ついてるねん」
「だぶちゃんとおそろいやで。仲良くしよな」
人間でも笑っていいのか躊躇してしまう自己紹介をかますので、コンピューターがショートしないかハラハラした。
だぶちゃんは、空気の読める子だった。よかった。
数年前から、母がわたしに冗談っぽく言うことがある。
「ごめんやけど、赤ちゃんの子守り、ママをあてにせんといてな」
なんでかっていうと、母の腹筋はお亡くなりになっているからだ。ヘソから下が麻痺してるので、力が入らない。
赤ちゃんをだっこすることが、できない。
足をしまって、おねだり姿勢に入っただぶちゃんに
「ううー、持ち上げられへんのよ……」
と、母が眉をハの字にする。
わたしがひょいと、だぶちゃんを持ち上げて、母の膝に乗せた。
「わあ!あったかい!だぶちゃん、あったかいねえ……奈美ちゃんも良太も、昔はこんなんやったねえ……」
だぶちゃんの重さは、新生児とほぼ同じ4キログラムだ。
「あれっ。意外といけるかもしれへん」
母のスペックが“赤ちゃんの子守りはいっさいお手上げ”から、“借りてきた猫のようにおとなしい赤ちゃんなら子守り可能”へ、静かにアップデートされた。
さて、一方、弟である。
お世辞を言わないことに定評があるので、緊張が走る。海遊館でジンベエザメを見たときは、あくびをしながら「おすし」と言っていた。握るな。
おや、まああ。
交信していた。会話というより、交信としかいいようがない。
「ピャー、プルル、ピャピャー」
だぶちゃんが言うと、
「ぱくっ、ぱくっ、ぼおおおう」
弟が返事をする。わからない。なにもかもわからない。だけど、ずいぶん長く、話しあっていた。
なにか、世界の大切なルールを教えているようにも見えた。
弟は、生き物にもぬいぐるみにも、とんと興味がない。
生き物をさわるより、水をさわるほうが好きだ。あっ、恐竜の映画だけは、お気に入りだな。
だから、弟はすぐに飽きるだろうなと思っていた。
わたしが一時間ほど仕事をして、戻ってくると。
「あれ?良太とだぶちゃん、どこにおるん」
母が、無言で指さした。
いったい、なんだというのか。
弟とあまり仲良くない梅吉が「待て待て、なんでそっちはそんな感じやねんオイオイオイ」と、クレームを入れにいっていた。わたしは梅吉をだっこした。人生、いや犬生、そんな理不尽もあるのさ。
だっこしているとき、だぶちゃんが動いて、デンッと転がってしまった。
弟が「あっ!」という顔をした。
久しぶりに、弟があせってるのを見た。いつもはマイペースを砂糖で煮詰めたような具合なので。
よしよし、とやっている弟を見ながら、わたしは
「だぶちゃんと一緒に、明日から京都くるか?」
と聞いた。
「ぼく、きょうと、ます」
一ヶ月は早い夏休みが、とつぜん始まった。
6月19日 ポンコツの円環理論
弟が京都へ泊まりにきた。
わたしがお昼前に起きて、リビングへ行くと、
布団の上で、だぶちゃんとしゃべっていた。
おうおう、仲のよろしいこって、と思っていたら
「ロボット、おはよ」
ロボットて。
どうなってんだ、お前の愛情は。
充電コードの上を通ろうとするだぶちゃんに、迂回路を教えていた。ゲームしている手を、わざわざ止めて。
四年前、わたしが仕事でボロボロだったとき、弟と温泉旅行へ出かけたことを思い出す。
心がすりきれ、ボーッとしてダメダメだったわたしは、スーツケースをラーメン屋に置き忘れた。アッと振り返ると、弟がスーツケースをのろのろと押し、店から出てくるところだった。
バスへ乗るのに、小銭をつくっておくのを忘れた。あせるわたしを尻目に弟は、自販機までぽてぽてと歩いていって、コーラを買い、お釣りをヒョイッとよこした。
それまで長らく弟は、どうしたって、お世話される側だった。
わたしが弱っちいポンコツと成り果てたことにより、弟は優しいポンコツへと成り上がった。ポンコツは、ポンコツを救うのだ。
だぶちゃんをよしよししている、弟をながめる。
弟よ。押しつけがましいが聞いとくれ。幼いお前のことをよしよししてたのは、このわたしなんだぜ。
覚えてないかもしんないけど。
よしよしを伝授したのは、このわたしでも、あるんだぜ。そうだったら良いなって、いま、思ってんだぜ。
よしよしは、受け継がれていく。
ポンコツの手から、ポンコツの手へ。
優しい人が、優しくなりますように。
(つづく)