100年後に“不幸”なわたしへ (コテンラジオ〜障害者の歴史〜)
「うちの子は、良太くんみたいにはなれへんと思うから……」
先週はるばる山を越えてサイン会に来てくれた友人が、ポロッとこぼした一言が突き刺さった。
良太とはわたしの弟だ。ダウン症で知的障害がある。友人の3歳になる娘さんも同じだった。
「良太が3歳やったときより、ずっとお利口さんに見えるで」
それでも、友人の顔は曇ったままだ。
「この子な、人にあんまり興味がないねん。おしゃべりもほとんどない。わたしにとってはカワイイけど、わたしがおらんところで、誰からも愛してもらわれへんかったらどないしようって想像すると、怖くなる……」
困らせてごめんと泣きそうに謝る友人を見て、わたしはうまい返事がとうとう見当たらなかった。
彼女に手を引かれる娘さんは、じっと窓の外を走る電車を見つめる瞳は、あんなにも愛しかったのに。
弟との日々を書くことは楽しく、読んでくれる人がいるのは嬉しい。いつか弟がひとりで生きていくかもしれない未来で、小さな味方が増えていくような心強さもある。
弟がひどい差別をうけない世界であってほしい、と願っていた。でも頭の片隅には、心配で途方に暮れる友人がいる。
弟は偶然にも“人とかかわるのが好きな障害者”だった。友人の目に、そんな弟はどう映ったんだろう。
人とかかわることが嫌いであることと、愛されないということは、絶対にイコールじゃない。大丈夫。頭ではそうわかっていても、友人は不安を隠せなかった。今にも涙をこぼしそうな、ギリギリの淵に立っていた。
片方の価値を褒めることは、片方の価値を貶めることに、知らぬところで繋がってしまわないか。
パンを焼ける人、パンを焼けない人。
うまく話せる人、なにも話せない人。
みんな違って、みんな良い。
比べるのをやめよう。
差別をなくそう。
胸を張ってそう約束できる人はどれだけいるだろう。みんな良いの後には、残酷な但し書きが隠れていやしないか。
ただし、自分を不安にさせない人に限る。
ただし、自分の邪魔をしない人に限る。
とかね。
差別は、本当になくなるのだろうか。
歴史をおもしろく学べる人気番組・コテンラジオを聴いたとき、その途方もない疑問がじわじわと氷解していった。
「障害者の歴史〜声なき声に耳をすませば〜」という全8回のシリーズが更新されたばかりなのだが、大学の専攻が福祉だったので、懐かしい気持ちで聴いた。
正直に打ち明けると、わたしは歴史の授業がどうも好きになれない。
年代や人名の暗記もできず、日本史は平安時代で挫折した。世界史も受験のために1年で詰め込み3日で忘れた。
……なもんで、障害者の歴史そのものはサーッと聞き流していた。
ところが!
シリーズの最後の最後に、心を揺さぶられてしまった。
深井龍之介さんが放つ言葉にぜんぶ持っていかれた。
わたしがコテンラジオから学んだのは。
人間はどうしたって差別をするという“絶望”と。
差別はなくさずとも善く生きられるという“希望”だった。
1.人間は差別をしてしまう生き物である
シリーズ終了後の【番外編#84】の終盤で、わたしはものすごい衝撃を受けた後、納得感を味わった。
深井さんは「ものすごく難しいことを言うけど」「科学的根拠があるわけじゃないけど」と、慎重に前置きをしながら、こう語っていた。
三度か四度は、聴きなおした。
なんて言ったらいいだろう。なんとなく胸のあたりに抱えていた、時折うずくような違和感を「それは病気ですよ」と医師に当てられたようだった。困っちゃうのに、どこかホッとしちゃうような。
語ってくれてありがとう。
深井さんへお礼を伝えたくなった。
誰しもの心の中に棲まう差別。そんな醜い感情は存在してはならないと、見て見ぬフリをする必要など、最初からなかったのだから。
2.理性は差別を使いわけられる
差別はなくせない。
目の前の差別をなくしても、また別の差別が生まれる。
耳が痛すぎて、胃も痛すぎて、匙を遠投してしまいそうになるが、ここから深井さんの怒涛の見解がはじまる。
コテンラジオの存在意義のすべてが、叫ぶように凝縮されていると思った。
これだ!
全人類が生きる指標にしたほうがいい。むちゃくちゃ大切なことを言ってる。大岩にでも彫っておきたい。空にラッカースプレーで書いておきたい。
人間の本能としての差別は、これから先もきっとなくならない。
差別はいつだって、定義から起こる。
ならば自分のなかに定義をいくつも持つべきである。
……深井さんは“差別”という言葉をここで使ってはいないけど、わたしはあえて使ってみた。
目の前の人を、ひとつの視点で見てはいけない。どんなに難しくても、いくつもの視点で同時に見る。
差別はあらゆる角度から試行されたその瞬間に、すべての人間が幸福になるための手段へ変わる。絶望が希望に変わる。
3.わたしとあなたが障害者だった頃
なにが障害として見なされるかは、人間がそれっぽい理屈をつけて決めただけだ。
“心と体が健康でよく働いてお金を稼げる人が生き残るという視点”では、弟は障害者として差別される。
けれど“突如として火星人が襲来し、慣習も言語も通じないなかで共存できる人が生き残るという視点”では、むしろ弟は大活躍する。友人の娘さんも。
わたしのほうが、障害者として差別される視点もある。
古代ギリシア時代では、肉弾戦に勝てないヘロヘロのわたしは障害者だった。メガネもコンタクトレンズもない平安時代では、視力の低いわたしは障害者だった。
わたしはたぶん、早めに死んでた。
定義が無数に存在すること、現代で当然となってる定義もやがて移ろいゆくことを、歴史がしっかり証明してる。
歴史を学ぶ目的はたぶん、そこにあるのだ。
歴史上の出来事に「かわいそう」だとか「まちがってる」だとか、エラそうに判断を下すことは、それほど大切じゃない。
過去に生きた人々が、どう考えて、どう生きたのか。たとえどんな結果であっても、そこに目を凝らし、耳を澄ませる。
ひとつの視点が、ひとりの心のなかに宿る。
無数にあるロウソクのうち、一本に火を灯す。
その火が優しく照らすのは、目の前にたたずむ誰かと、わたしが歩んでいく人生である。
4.百年後で不幸になるわたしへ
歴史の授業を、いまいち好きになれなかった理由に、今さら気づいた。
教科書のなかでは、どんな人間の人生も、たった一行にまとまってしまう。ただの記号になってしまう。
……本当に不幸だったのかな?
中世のヨーロッパで、宮廷道化師として嘲笑されていた障害者は。
19世紀末の北欧で、人里離れた深い森のカビ臭いベッドの上で暮らしていた障害者は。
明治時代の日本で、兵役につけないのなら学校へは通えないといわれた障害者は。
つらかったかもしれない。悲しかったかもしれない。しかし、どんなに劣悪な環境だったとしても、一生懸命に生きた人もいたはずで。意地を貫いて、見つけ出した小さな幸せを味わって、生きた人もいたはずで。
本当のところは、誰にもわからないが。
記号はそんな細かい人生まで語りきらない。わたしたちは悲惨な記号に顔をしかめながら「かわいそうに」「これは不幸だ」「二度と繰り返さない」と、歴史から学んだフリをしてしまう。
だって100年後の未来で、わたしも記号になるじゃないか。
「2020年代の日本で、障害のある家族がいる人は不幸だった」
医療とテクノロジーの進歩で、ダウン症や車いすであることになんの不便もない未来から見れば。グループホームやバリアフリーの家で暮らすお金をすべて国が負担してくれる未来から見れば。
2023年現在のわたしは、不幸確定!
もっと良い未来になってほしいとは願うけど、憐れまれたくない意地もある。先月、すき焼きをたらふく食べた岸田家の、確かな幸福を無かったことにしたくない。
すると歴史ですらも、ひとつの定義・視点でしかない。
文学には、どんなに悲惨な時代であったとしても、ひとりの人間の代えがたい生き様が描かれている。歴史には刻まれず、取るに足らなくとも、確かにそこに存在した複雑な感情にあふれている。
歴史と文学。
どちらかでしか語られないことには、どちらかでしか伝わらないことがある。だから、どちらも必要だ。
だからわたしは、取るに足らない日々を残す。
100年前のこっちにはね、しんどいこともくやしいこともあるけどさ。そうは言っても、そんなにわるくない毎日だよ。
そっちはどうだい?