贈り主のいないベッドを捨てる、一番ええとこをもらう
25年間も使っていた実家のベッドを、ついに捨てた。
セミシングルというサイズは、大人が寝るには狭く、家族で一番身体の小さな母が、しゃあなし使っていた。腰から下が麻痺している母は、床ずれをふせぐマットを手放せないのだが、マットはシングルサイズしかなく、いつもちょっとベッドからはみ出していたので、ずれてずれて不便だった。
母が二ヶ月入院することになったので、新調に踏み切ったというわけだ。
捨てよう、捨てようと思っていた腰が地面にへばりついてなかなか上がらなかったのには、ふたつ理由がある。
ひとつは、素人には解体できないつくりということ。
こんなもんどこに依頼したらええかわからんぞ、ストリートファイターのボーナスステージに提供したいと寝ぼけたことを言うてる間に「くらしのマーケット」というサイトから、家具解体の業者さんに頼めることを知った。
当日、やって来てくれたのは、よく日に焼けて、人間の身体のすべての白い部分がとにかく目を見張るほど白いという、わたしよりずっと若いお兄さんで。
わたしや弟がどれだけフンヌと力を入れても、びくともしなかったベッドが、お兄さんの手で、15分と経たない内にみるみる解体されていく。
「すごいですね」
ずっと黙って作業していたお兄さんが、最後に取り外したベッドの脚をながめて、言った。
「こんな良い木、久しぶりに見ました。あと100年は余裕で保つんじゃないかな」
「わかるんですか」
「僕、スペインと沖縄のダブルで、昔からたくさん木を見て育ったし、何十台もベッドの解体してきたんで。この木は、持っただけで素晴らしいのがわかる。他とぜんぜん違う。本当に捨てていいんですか」
もう、新しいベッドの材料が廊下に控えていた。わたしがうなずくと、お兄さんがちょっと寂しそうな顔をした。
「亡くなった父が買ってくれたんです。スウェーデンから取り寄せて」
「いいお父さんですね」
お兄さんは言った。感慨深くなる場面かと思ったら、お兄さんは右手の親指と人差し指で“ゼニ”のマークを作っていたので、二度見してしまった。
「これ、相当に高い買い物だと思うんで」
父は、北欧の建築と家具に目がない人だった。
歴史ある木造の建物や石畳を古いまま活かし、職人がていねいに修理し、景観も美しく保つという文化を間近で見て「これや……!」と感動し、オンボロのアパートをリノベーションする会社をたったひとり日本で立ち上げた。
当時はリノベーションという言葉はめずらしく、お固い慣習の多い不動産業界で、父は総スカンをくらっていたらしい。
父は大抵「口だけ達者でなんもやらんアホばっかりや!」と怒っていたが、大抵「こんなに楽しい仕事はない」と喜んでいた。
父のこだわりのあおりをくらったのが、当時まだ4歳の可憐で天真爛漫な奈美少女である。
わたしはTVでCMをやっているキティちゃんとコラボしたハイテクな学習机が、お姫様のような天蓋付きのベッドが、ほしかった。
「めちゃくちゃかわええのん取り寄せたるから、待っとけ」
父の言葉を鵜呑みにして子ども心をダンスさせていたら。
届いたのがこれだった。キティちゃんのキの字もない。
「どや!かわええやろ!こんな真っ赤なマットはなかなかないで」
ここで初めて、父との“かわええ”の定義がズレにズレていたことに、奈美少女は気づいたが、時すでに遅しであった。
「スウェーデンから取り寄せたってん、船便で。二ヶ月もかかったわ」
余計なことしやがって、と少女は思った。なんでやねん、そこのダイエーの家具コーナーで愛想のいい厚化粧のおばちゃんからお手軽に買ってくれや。
どんどんうつむいていくわたしに気づかず、父は興奮して、ベッドのあちこちを生まれたての子犬のように撫で回していた。
「もっと普通のがよかってんけど」
「そんなん、おもんないやろ」
「おもんないとかじゃなくて、みんなが持ってるやつがほしい」
「もうええ!そんならもう、寝んでええ!」
めちゃくちゃなことを言って、自分はふて寝する父だった。結局、三日もすればわたしが慣れてしまって、粛々と使うようになり。
「それ、ええやろ」
わたしがベッドに寝転がっていると、帰ってきた父が部屋をのぞき、満足そうにニタリとよく笑った。あんたがほしかっただけちゃうんかい。
お兄さんが工具を直している間、病院にいる母に電話をしてたずねた。
「あのベッドなあ。パパが探し回って見つけて、当時はWEBサイトもないからスウェーデンからパンフレット取り寄せて、ほんまに大変やってんで。結婚したてでお金ないのに、めちゃめちゃ高いし」
「そこまでしてあれじゃなくてよかったのに」
「わたしもそう思ってんけど、パパが譲らんかってん」
「気に入らんって言ったら、怒ってたもんな」
「うんうん。でも、奈美ちゃんがこの家具の良さをわかる日がいつかくるって、負け惜しみみたいに言うとった」
それは知らなかった。父の憎たらしい、あのほくそ笑みが浮かぶ。
「まあ、結局、自分がほしかっただけやと思うけどな」
母は笑った。
「それじゃあ、これで全部終わりました」
工具と解体したベッドを台車に乗せて、お兄さんが頭を下げた。わたしはちょっと迷ったあと、一本だけ置いてってください、とお願いする。
「はい、どれ置いていきましょう?」
「一番ええとこください」
肉屋の客みたいな言い方をしてしまったが、お兄さんはちゃんと「そうですねえ」と迷ったあと、ベッドの脚を一本くれた。
ワクワクして眠れない夜も、父がいなくなった朝も、なんかいい夢を見たような気がする昼も、わたしの体重を支え続けてくれた脚だった。いつかこれを削って、神棚でも作ろうかと思う。
ものは、捨てるときになって、大切なものに変わったりする。
受け取るときは、その場で言われたことしか、見ているものしか、受け取れない。だから奈美少女は、ベッドをありがたく思えなかった。
今は違う。
月日が経って、わたしは大人になった。大手の会社を辞めてフリーで働くことの孤独が、届くかわからない船便を待つ不安が、自分が食い詰めてでも子に良いものを贈りたいと思う愛情が、自分がこだわって生きたという証を残す希望が、わかるようになった。
父のあらゆる感情に自分を重ねて、思いを馳せられるようになった。
悲しいかな、そうなった時にはもう、手渡してくれた父はここにいない。ものはいつか、手放さなければならない。
ベッドを捨ててしまったことを、父の仏壇の前で詫びた。
その代わり、ベッドに込められた思いは、心のワンルームにでかでかと飾って、絶対に忘れへんからなと誓った。
奈美少女はこうして、子に大層なベッドをドヤ顔で送りつける大人になっていく。そしてまた近い未来、スウェーデンかどっかから、わざわざ船便かなんかで、ベッドが届くのだ。きっと。
いきなりですまんが、ここから本題
とまあ、こういうわけで、ものは手放すときにこそ、その手に残った記憶や想像が駆け巡って、最後の花火のようにドカンときらめくんとちゃうかと。
わたしはそう、思っておりまして。
いやね、本当はね、捨てずにずっと持っておく方がエコなんでしょうけど。なかなかそうも言ってられへんこともありますやん。東京に出てきた20代が暮らす部屋の広さの平均、約20平米やぞ。なんも入らん。
なので。
みんなが「捨ててしもてもええと思ってるもん」を、わたしが丁重にもらいます。
タダでくれとは言いません。
わらしべ長者をやります。
長者になれる見込みがまったくないので、わらしべ者ですが。語呂が悪いので。
しかしこのご時世、ほんまにただのわら一本となにかを交換するなんて虫のええ話が通るでしょうか。メルカリなら「悪い」評価をつけられてしまうかもしれません。
ということで。
片道2時間かけて、京都府の山奥まで、わらを探しにいってきました。
立派なわらがありました。
これを持ってしれっと帰る予定でしたが、町役場の人に「どうせなら」と誘ってもらって。
伝統工芸のわら細工を教えてもらいました。指導料は2万2000円でした。(小学生とかが団体で受けるやつを個人で受けたためこんなことに、ええいちくしょう、村よメキメキと発展せよ)
「なんか家で使えそうな気もするけど、いかんせん品質が少し心配ではある」わら細工を作りました!どんなものかは!届いてのお楽しみ!
そんな「岸田のわら」と、なんか交換してやってもいいよという人を募集しています。とりあえず5回くらいは交換しようと思います。
【条件】
・わら細工と交換してもいいと思える品物
・良いも悪いも、くだるもくだらないも、とにかく何かしらの思い出がある品物
・その思い出を岸田が30分くらい聞かせてもらったのち、岸田のnoteに書いてもいい(匿名可)
・岸田が直接受け取りに行くか、遠方なら着払いで郵送していい
・物々交換なので費用はかかりませんが、謝礼もありません(ごめん)
われこそはこれを、という人は、岸田のツイートにリプライ or 引用RT(DM不可)で送ってください!どうしても匿名がいい人はこちらのフォームから。
【教えてほしいこと】
・品物の名前 or 写真
・品物にまつわる思い出(簡単で)
※わらを見つけにいって、作って、持って帰ってくるまでなんやかんやで5万円近くかかってしまいましたが、次原悦子さんと前澤友作さんのコラボお金くばりで当選した5万円を使わせてもらいました。「挑戦する」をテーマにしたことなら何にでも使っていいとのことを思い出したので。きっぷがいい。この企画はもちろんお二人はノーチェックですので、PRではございません。わたしが勝手に思いついて、勝手にお金を使いました。ワハハハ。
週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。