誕生日の願いごとは全部、君にあげるよ
弟はかつて、ガラスを割った罪をなすりつけられたことがある。
弟が14歳のときだった。
中学校が終わっても、弟がちっとも帰ってこない。
「ちょっと見てきたって」
母に言われ、わたしはしぶしぶ靴を履いた。マンションのエレベーターに乗って、一階エントランスで降りたら。
制服を着た弟の背中が見えた。
おるんかい!
でも、なにやら様子がおかしい。
弟が立っているのは、ちょうどエントランスのインターホンと、オートロックの自動ドアがあるところだ。
弟と対峙しているのは、小学生くらいの男の子が二人。それと、マンションの管理人をしているおじいさん。
エレベーターから降りて、ギョッとした。
自動ドアのガラスが、派手に割れている。
なんや、なんや。なにごとや。
弟は顔を真っ赤にし、両目に涙をためて、歯を食いしばり立っていた。
普段はボーッとして温厚な弟が織り成すダイナミックな感情表現に、わたしは固まってしまう。
管理人のおじいさんが説明してくれた。
「ガシャーン!ってすごい音がしたもんだから見にきたら、この子たちがいてね」
二人の男の子のことだ。
「事情を聞いたら、『このお兄さんがいきなり暴れ出して、ガラスを割った』って言うもんだから」
なんですって?
想像しようとしたが、できなかった。そんな弟は見たことがない。
むしろ不注意でガラスを割るのは、いつもわたしの方だ。なんぼほどのコップを落とし、オシャカにしてきたことか。弟にお茶をいれてもらうと、わたしはプラスチックのコップを差し出される。
弟は、大きな音がきらいだ。なにかを傷つけるのがきらいだ。
「アンタが割ったん?」
弟は答えるかわりに、ぼろっと大粒の涙をこぼした。そして、やっとのことで首を横に振る。よく見ると手は、握りしめすぎて震えていた。
「ちがもす」
弟は生まれつきダウン症だ。思っていることを、うまく喋ることができない。
「さっきからそう言ってはるんですけど……」
おじいさんは弟の言葉がわからず、弱った顔をした。
立ち尽くしている小学生の一人は、サッカーボールを抱きしめていた。エントランスを出たところに大きな広場があるので、そこで遊んでいたんだろう。
「ほんまにうちの弟が割ったん?」
男の子たちは顔を見合わせたあと、口ごもってうつむいた。疑いたくはないが、あまりにもこれは。
「ほな監視カメラを見ましょう」
わたしが言うと、なんと男の子たちは広場へ逃げていってしまった。監視カメラなど当時はなかった。ハッタリだった。
「捕まえてきますわ」
怒りのサルゲッチュモードに突入したわたしに、なにかを察した管理人さんが
「今回はうちでね、直しますから」
と言い、その場は解散になった。
エレベーターに乗り、うなだれている弟の、丸まった背中に手を当てた。ヒュッ、ヒュッ、と短い息の連続で肩が揺れている。
心配そうな母の顔を見るなり、弟はたまらず大泣きした。
「あああ、ああああ、うあああああああ」
感情は弟の中にあるのに、それを伝える言葉を持ち合わせていない。どんだけ悔しいことだろうか。
父の葬式でも、母の手術でも泣かなかった弟の、あんな泣き声は初めて聞いた。
あれから12年が経ち、弟が26歳になった今でも。
弟の「こんにちは」は「おんにいいわ」に、「ありがとう」は「とうます」に聞こえる。
学校や福祉作業所から帰ってくるたび、一日のことを身振り手振りも交えて弾丸トークしてくれるのだが、わたしや母でも2割くらいしかわからない。
この間は、バスの運転手さんからうちへ電話がかかってきた。
「あのね、そちらの息子さんがなんやらモゴモゴ言うてはるんですが、わからんくて……こっちも困っとるんですわ!」
バスを間違えて乗ってしまったようだ。電話口の運転手さんは明らかにイライラしていた。
弟が傷つく姿をなるべく見たくなくて、わたしと母は、通訳することも増えた。
でも、ずっと一緒にいられるわけではない。
革命は、漬物とともに、食卓へ訪れた。
週末、母とわたしと弟の三人で、お夕飯を食べていたときのことである。わたしが京都から手土産にしてきた漬物が、異様にウマいのだ。
「なんやこれ……」
「むっちゃ美味しいわ……なんて名前のやつ?」
「打田の“めしどろぼう”」
あまりのウマさに隣の家から米を盗みにいくという意味。人の道を踏み外させるほどの漬物。業が深い。
「漬物と米だけでええわと言うたらそれは老婆の始まりやと思ってたけど、これは始まってしまうわ」
「奈美ちゃんがこっちの世界に来てくれて嬉しい」
母とガツガツいってると。
「なにをいうてるねん。いややわー、ほんま」
箸をピタリ、と止めた。
いま、オバチャンがおった?
わたしと母のほかにもう一人、オバチャンがおる。そんなバカな。だってここには、弟しかいない。
「良太がしゃべったん?」
お茶碗片手に母が驚愕しながら、弟に聞く。
弟はニンマリと笑った。
「いうてたやん、もう、いややわー」
オバチャンがおった。
脈絡もなく突然、ネイティブなオバチャンが出現したことにより、食卓は騒然となった。あまりにハッキリした発音だった。
めしどろぼうによって狂わされた人間の幻聴かと不安になり、後日、知人にも立ち会ってもらったところ、バッチリと伝わった。
知人を家の外まで送ろうと、わたしが席を立つと。
「なみちゃん、カギわすれてる。ほんまにあかんで!」
弟がわたしを呼び止めた。喋っている。はっきりと。しゃべれなかった、あの弟が。
たった二ヶ月やそこらで一体なにがあった。駅前留学でもしたんか。
「なみちゃんはもう、ほんまに、あかんわこれ!」
「やかましいわ」
海外に短期留学した友人が、夏休み明けに帰ってくるなりルー大柴みたいな喋り方になってたときのイラッを思い出した。
弟が急激に成長したのは、言葉だけではない。
野球選手の形態模写ができるようになった。
風呂上がりに弟はリビングで、タオルを振りかぶって投げる。
「オオタニ、ショウヘイ、です」
「そっか、大谷翔平かあ……!」
だからなんだと言うのだ。
弟は、野球になどまったく興味がなかった。ルールだって知らないはずだ。試合中継に目をくれたこともない。
「誰から教わったん、それ」
「まことくん」
「そっか、まことくんかあ……!」
誰や。
まことくん(仮称)の正体は、弟がこの夏から自立のために入居したグループホームの同居人だった。
週末は実家で過ごす弟を、日曜の夜にグループホームへ送っていくと、庭でバットの素振りをしている青年がいた。
シュッとした長身、スポーツ刈りの髪、バット、そして着ている服の刺繍は『OHTANI』で、背番号17。絶対に彼がまことくんだ。
「うわーっ、きっしゃん、髪切ったんか!めっちゃ似合ってるやん」
きっしゃんって、誰や。散髪してきたばかりの弟は、頭をポリポリとかきながら照れていた。お前か。
「あとで野球しようや」
「ええやん」
二人はグループホームへと楽しそうに吸い込まれていった。
まことくんにも知的障害があるらしい。
職員さんが言うには、野球をするときはまことくんが教えて、ダンスをするときは弟が教えて。休みの日はカラオケへ行く約束をしているという。
まことくんは、かっこいい。
でも弟よりは年下なので、わりかし弟が先輩風を吹かせているように見える。まことくんの話をするとき弟はどこか、誇らしげだ。
家族では、ダメだったのだ。
言葉を多く交わさずとも、わたしたちは、それなりに分かり合えるようになってしまった。だって家族だから。
だからこそ弟が外へ行くときは、彼の通訳もした。そしたら先生や職員さんも、弟の言ってることを、先回りして解釈してくれた。
弟を、傷つけたくなかったから。
でも、実際はどうだ。
「まことくんと、一緒に楽しく暮らしたい」という思いが、弟に言葉をしゃべらせた。
同じ家で生活するんだから、嫌なこともあっただろう。頼みたいことも、喜ばせたいことも。
全部、伝えたい人がいる。うまくいかなくても、傷ついてもいいから。
弟に必要だったのは、そんな対等な友だちの存在だったのだ。
「えっ、なに? もう一回言うてや!」
まことくんがサラッと聞き、弟は繰り返す。ちょっとだけ言葉や身振りを変えて。
残されたわたしと母は、ほんの少し寂しくて、絶大に嬉しい。
最後に『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』の話をさせてほしい。わたしの大好きな映画だ。
プロレスラーになりたくて介護施設を脱走した、ダウン症のザック。他人の獲物をくすねていたことがバレて逃げてきた、漁師のタイラー。
二人の青年が逃亡を共にしながら、親友になっていく物語である。
旅のはじまりに、ザックは打ち明ける。
「俺はダウン症だ」
それを聞いたタイラーが言い放つ。
「そんなことはどうでもいい」
気をつかうわけでもなく、本当に言い放つのだ。秒で、バッサリと。
タイラーがザックを特別扱いしないのは、タイラーが単純に優しいからじゃない。タイラーは過去、自分のせいで兄を亡くしていて、自分からも他人からも責められ、誰にも心を開いていないだけなのだ。
お互いのことなんか気づかう余裕もない二人が
「なーんだよ、お前もお尋ね者だったのかよ!」
と照れ笑いし、対等な友情関係がはじまるシーンが、わたしは好きだ。
弟とまことくんを見たとき、この映画を思い出した。
映画の中盤、二人はイカダでゆっくりと川をくだる。
タイラーには兄を亡くしたつらい過去があるが、それを語らない。ともに旅をしていたザックは、親友の言葉にならない痛みを感じとっていた。
タイラーの肩にそっと手を回して、ザックはぽつりと言う。
「俺の誕生日の願いごとは全部、君にあげるよ」
それを聞いたタイラーはイカダの上でザックに寄り添い、泣き崩れるのだが、わたしも涙と鼻水のバーゲンセールになってしまった。母も、まったく同じシーンでやられた。
YouTube予告編の1:00のところがそうだ。
こんなにも、こんなにも、親友を想う言葉があるだろうか。
いつだってきみの味方だよ。なにがあってもそばにいるよ。心から幸せを願っているよ。ずっと忘れないよ。ウンタラカンタラ。
……うまい言葉をわたしはたくさん知ってるけど、全然違う。
ザックはうまい言葉を、よそから借りてこようとしなかった。隣で傷ついているタイラーを喜ばせたい。そのために自分の言葉を見つけようとした。
誕生日の願いごとは、ザックにとって何より大切なものだ。ザックは介護施設の暗い部屋で何十年もずっと、試合中継のビデオテープがすり切れるまで、プロレスラーになりたいと願っていたんだから。
願いを差し出していいと思えた相手が、タイラーなのだ。
ザックじゃないと、出てこない言葉だ。タイラーじゃないと、受け取れない言葉だ。二人じゃないと、輝かない言葉だ。
弟がいつか、タイラーみたいな友人と出会ってほしいと、わたしは強く願っていた。同時に、26歳にもなったら、もう簡単には友人などできないだろうと諦めていた。
夢にまで見た光景が、いま、わたしと母の前に広がっている。
弟はこれから、どんな言葉を見つけるだろう。
「今週はどんなことがあったん?」
週末、帰ってきた弟に聞いたら。
「チャーハンとラーメン、おねがいします」
となめらかすぎる発音で、夕飯のリクエストをされたのだった。