ミスタースワローズに私はなりたい
昨日、AbemaTVの生放送ニュース番組「けやきヒルズ」に出演した。
てっきり「ごきげんよう」のコロゾーポジションで呼ばれたのかと思ってたら、授かりし役割はコメンテーター。
コ、コメンテーター!?
しかも、一回限りではなく準レギュラー出演。
じゅ、準レギュラー!?
私はね、悪知恵と浅知恵だけは働くんですけど、けっして賢くはないんですよ。ええ。お察しのとおり。
Twitterでも違う世界線で生きてんのかってくらいホットな話題は書かないし、NewsPicksのプロピッカーに選んでもらったけどなにしたら良いかわかんなくてニュースの解説どころか「JINSの田中社長に取材する日に限って、いつもかけてるJINSのドラえもん眼鏡を忘れていった」っていうアッパラパーなことしか書いてない。もはや日記。ニュースの私物化。
だから、打ち合わせでも、なんで私呼ばれたのかなって。ずっと思ってた。
「あのう、本当に私でいいんですか。もっとクレバーでスマートな、コメンテーターにふさわしい人がいるんじゃないんですか。梅沢富美男とか」
「いいんです!岸田さんの家族の話や、ちょっととぼけたコメントが良いんです。ニュースに馴染みがない人にも親しみを持ってもらうことができるから」
やっぱりコロゾーポジションだった!今日の当たり目、出すの楽しみだな!
事務所の人から「電車とバスだけは使わない方が良い。生放送だし、ただでさえ岸田さんはなにかやらかすんだから」と言われたので、ビビリながら選んだのはタクシー。
渋滞情報もなしで、30分前に到着するようにしたから、余裕じゃん。
そう思ってた。
50m前を走る、トラックがやらかすまでは。
もうなんか事故ったトラックが道ふさいでて、立ち往生。運転手さんも「この道でこんなに動かないの、初めてだよ」とか言ってんの。
どうにもこうにもとは、このこと。
初出演で生放送に間に合わないとか、そんなことある?
でも大丈夫。ベストテンで田原俊彦も移動に間に合わず、駅のホームで歌ってた。黒柳さん大丈夫です、俺、移動しながら歌います。
いらん方向へ機転を効かせてるうちに、運転手さんが「お姉さん、テレビ局ってことは急いでるよね!?あっちの歩道まで走れる?近くのタクシー呼ぶから!」つって、言ってくれたの。
かしこすぎて、空いた口が塞がらなかった。絶対私より、この運転手さんがコメンテーターで出演した方が良い。天才。
それで無事に出演できました。Twitterは「岸田、間に合ってんじゃん」「奇跡」のリプライであふれていた。優しい世界。今度からヘリコプターで行くね。
番組でなに話したかっつーと、まあ、この時期なので、例のウイルスのお話ですよね。
都市封鎖、外出自粛、在宅勤務。ぜんぶしゃーない。
特に在宅勤務は、こんな時に言うのもあれだけど「意外とできんじゃん」「やれんじゃん」ってなったのが、私はよかったと思う。
うちの家族みたいに障害がある人って、通勤するだけでもめちゃくちゃ体力も精神力も、減っていったりするから。通勤しなくても仕事のクオリティが下がらない方法を、みんなが考え出してるの、めっちゃよい。
ただ、ね。
私も「あー、そういうのもあるのか」って思ったことがあって。
こないだ、とある知人とご飯食べたんです。そしたらぜんぜん元気がなくて。連絡とった時は、在宅勤務になって満員電車乗らなくていいから最高とか言ってたのに。
「ガッカリしてメソメソして、どうしたんだい?」
「メソメソはしてないけど、ちょっと疲れちゃって。こないだ病院に言ったら、軽度のうつ病だって言われて薬飲んでる」
太陽みたいに笑うキミを探してる場合じゃねえ。マジか。
「仕事は全部チャットでやってるんだけど、なんか、文章だけ見てるとこれ怒られてるのかな?相手の機嫌悪いのかな?って思うことが増えて……。わからないことがあっても、電話かけて良いのかわかんないし。考えすぎだって家族からも言われるんだけど、どんどん孤立していく感じがして、しんどい」
私はノリで頼んじゃったコーラフロートのアイス食べるタイミングを完全に逃し、ポカーンとしながらその子の話を聞いてた。
「いやごめん、めっちゃわかるわ」
「えっ、奈美ちゃんも同じ状態!?」
「同じ状態ではないんやけど、ちょっと心当たりのある話があってな」
そして私は、過去、自分が同じ状態であったことと、そんな時に母から教えてもらったコミュニケーションについて、思い出していた。
病むとか鬱とかぴえんとか、よく聞くようになった。フランクなときからヘビーなときまで、いっぱい使われてる。
で、ほんとに心が病んで、いわゆる精神疾患(鬱とか統合失調症とかになった人って、心がしんどいだけじゃなくて、体もしんどくなる。
体もしんどいって言うと、熱が出るとかめまいがするとかもだけど、遅刻するとか集中できなくなるとか動きが遅くなるとか、そういうちょっとした仕事の行動にも現れてくる。
だから少しずつ少しずつ、仕事ができなくなっていく。
じゃあこれの原因ってなにかって言うと、ストレスなんですよ。
いや、わかっとるわ!と。
昔、メンタルダウンして休職した私は、医者からそんな説明を聞いて、思わずツッコミを入れそうになった。
ストレスでメンタルやられるんは、わかっとんねん。でもストレスをどうやったら無くせるかなんて、わからんねん。
「他人のことを気にしすぎだから、気にするのをやめたら」とか言われても、気にしないようにするっていうのは気にするのと同じやねん。ファイナルファンタジー10でティーダも言っとったやろ。
無理難題を言うなと思っていた。今思えば、どんだけ横柄な患者なのか。
私は運よく、性格の良すぎる弟に励ましてもらいながらしばらく休んだらなんか自然に元気になった(たぶんこういう人はまれ)けど、私と同じような人に会ったらどうしたらいいんだろう、とずっと思っていた。
そこに、ヒントをくれたのが、私の性格の良すぎる母だ。
私の母は、大手企業などで「精神障害のある人と一緒に働く上で、どのようなマナーが必要か」という研修をしている人だった。すんげえ。
「あのね、ストレスっていうのは不安になったら溜まるねん」
母は言った。
「せやから、相手を不安にさせない話し方をしたらええんよ」
相手を不安にさせない話し方。それもまためちゃめちゃ難しいこと言うやん。
私は確定申告の直前に「保存してた領収書の束をなくして、どこにいったかわらかず、泣いて一晩探し回ったあと、疲れてご飯食べようと炊飯器の蓋を開けたら、そこから領収書の束が出てきた」という顛末を母に連絡し、「もうなんであんたが一人で暮らせてるんか、不安でしゃあない」と返事をもらった娘である。
もはや生き方で不安にさせている私に、そんなことができるのか。
「一番簡単なんは、『せやな』と『そんで』で、話すことやわ」
バリバリの大阪の下町で育った母が、なにを言ってるのかわからない人もいるだろう。吹き替えでお送りすると「そうだね」「さらに」で話せということだ。英語版でお送りすると「YES」と「AND」にもなる。
「人はな、自分の考えを否定されたら、それだけで不安になるねん。でも否定の言葉って、日常でめちゃくちゃいっぱい出てくるんやわ」
「ふーん、たとえば?」
「『でも』『いやそれは』『違う』とか。あと『そんなことで?』『おかしくない?』っていう、人の気持ちを否定する言葉も同じやね」
私はびっくりした。全部、息を吐くように使っていた言葉だった。
「でも、それって相手が明らかに間違ってる場合もあるやん!」
「また『でも』って言った!クセになっとるで」
うっ。私は言葉に詰まった。
「どんだけ正論でもな、人は自分が否定されたって思ったらショックで、そのあとの話が頭に入ってこなくなる。それは自分の心を守るための正しい反射やねん」
「たしかに。なんやねんお前やんのかオラ!?って思っとる間に、相手の話が終わってることあるわ」
「血の気多すぎ……。明らかに間違ってるって奈美ちゃんは思うかもしれへんけど、相手にとっては、それが正解かもしれへん」
育ってきた環境が違えば、セロリが好きだったりする世の中だ。人の数だけ常識があり、大切にしていることも違う。
国籍、性別、文化が違えばなおさらだ。常識というのは「多数決でなんとなく決められたこと」でしかない。なーるほど。
「せやけど、『川平慈英とジョンカビラは同一人物で、番組によってキャラを使い分けてる』って明らかに違うこと言ってる人やったら、どうしようもなくない?さすがにいいんです!とは言えなくない?」
「そんな人おるん?まあそれくらいカジュアルなことやったら言ってもいいかもしれんけど、仕事で明らかに間違ってること言ってるとか、他人のせいにしてるとかあるよね。そもそも、精神疾患のある人って、被害妄想とか、他人に大して攻撃的になる人もおるし」
「そう。そんなん認めろとか無理やん?共感もできへんし、なんやったら『なんやねんお前やんのかオラ!?』ってバトルが始まるかもしれん」
「なんなん?なんでうちの娘、そんな血の気多いん?共感できんくても、認めることはできるねんで、誰でも」
頭が混乱した。私の中で、認めるというのと、共感するというのは、同じ意味だと思っていたからだ。
「多様性を受け入れるってよく言うやろ?だけど無理やねん。自分と全然違う経験や価値観を持ってる人に共感して受け入れるなんて、ほんまは無理。」
「絶望やん。じゃあどうしたらええのん。」
「『あっ、そういう考えの人もいるんやね』でOK。私はそう思わないけどね、っていうのは心の中で置いとくねん」
あっさりだった。永谷園のお吸い物レベルであっさりな回答だった。
だから母は、明らかにおかしいことを言っていたとしても、「でも」など否定の言葉で相手を不安にさせるのではなく、「そっか」「なるほどね」「大変やね」と一旦は受け止めて、聞く姿勢を持てと教えているのだ。
そのあと、「こっちのやり方についてはどう思う?」「なんでそう思ったの?」と、こちらから質問をしていき、お互いの認識をあわせていくらしい。
相手の考えを否定しても、不安とストレスを生み、双方が疲れていくだけ。ならば認めて、対話することで、着地点を作っていこうという話だ。
「まあそんなんいちいちやるのも大変やから、まずは『でも』『それは違う』って言葉をできるだけ他人に使わず、いったん受け止めるだけでえんちゃうかな」
「いったん受け止める……」
「そう、どんな考えも言葉も」
「ぜんぶ受け止めると。古田敦也やん」
「は?」
「ミスタースワローズやん」
そうかそうか。日常の何気ない一言でも、相手を不安にさせないことができるのか。私は目から鱗だった。
私は今、作家なので、上司も部下もいないのだが、なんとなく否定の言葉をできるだけ使わず自分の意見を伝えられる方が、かっこいい大人になれるんじゃないかと思った。
もちろん、冒頭の知人は、これだけが原因で、鬱になったわけじゃないだろう。
だけど、チャットの文章だけを読んでいるとどうしても細かいニュアンスがわからないし、笑顔やちょっとした雑談で心をほぐせない毎日の中で、追い詰められていくのは事実だ。
顔が見えない、フォローがしづらい環境だからこそ、「せやな」「ほんで」の言葉を使っていきたい。ちょっとでも不安を少なくしたい。
この前代未聞のウイルス騒動の霧が晴れたとき、ふたたび外へと繰り出した人々が、当たり前に「せやな」と「ほんで」を使う未来になっていたら、みんながミスタースワローズになっていたら、私はちょっとうれしい。