寿司屋でスマホが割れてたから、TVに出ることになった
「どうしてスマホの画面が割れてても、平気なの?」
カウンターで、隣の席に座っていた男が言った。
カウンターと言えば寿司屋だ。そうここは寿司屋。わたしのような貧乏性の貧乏人には、たとえウニを殻ごと飲み込む芸を見せようが、入れてもらえない寿司屋なのだ。
GOの三浦さんが主催する食事会に急きょ欠員が出たらしく、浅ましく「エッヘッヘッ、寿司食わせてくださいよォ、回らない寿司ィ」と揉み手で頼んだところ、連れてきてもらえた寿司屋なのだ。
いつもわたしが回転寿司で食べる、ハンバーグ寿司やマヨコーン寿司などのアホ寿司とは一線を画す、手間暇かけてあぶられたキンメダイを食べたり、鱧の茶碗蒸しをできるだけ減らないようチビチビすすったり、キラッキラの中トロを口の中で溶かしたりするのに、わたしは忙しい。
「平気っていうか、いまは寿司を食うのに忙しいので」
「いまじゃなくて、普段の話だよ!割れてるスマホを人に見られても平気なの?」
めったに食べられない寿司たちを撮影し、更新してもないInstagramに載せ、地元のヤンキーどもに見せびらかしてやろうと思ったものの、あまりの旨さに前頭葉をやられて撮影を諦めたわたしは、スマホを皿の横に放棄したままだった。画面はバキバキに割れている。彼はそれを見ていた。
言われている意味が、よくわからなかった。
「逆に平気じゃないことってあるんですか?」
「俺は画面が割れたら、すぐに修理しにいくよ」
「なんで」
「なんでって、普通に画面も見づらいし、使いづらいじゃん」
「まあそうですけど、そこまで不便じゃないし」
「あと、他の人に割れてる画面を見られるのも嫌だな」
「どうして」
「恥ずかしいから」
衝撃を受けた。スマホが割れていることで、恥ずかしいという感情が生まれる人がいるのか。
「ど、どういう理由で恥ずかしいんですか?」
「なんだろうなあ。こすっちゃったり、へこんだりして傷のある車をそのまま運転してる感じかな」
彼もまた、言葉を選んでいた。お互いに疑いもしない常識がある前提での会話なので、なんかこう、まず言葉にならない言葉を見つける作業から始まる。
インディアンとエスキモーが対話したらたぶんこんな感じ。名店の寿司屋で、未知の文化圏同士の邂逅が起きている。
「だらしない人って思われるのが恥ずかしいのかも」
「ええ〜〜っ?」
わたしは、スマホが割れて恥ずかしいと思う人々の思考を想像した。
スマホが割れている。それを修理せずに放置しているのは、面倒くさがりか金がないのか、まあとにかくズボラな人間だ。きっとそんなやつは酒を飲んで家に帰りゃ玄関で靴を抱いて眠り、友人の結婚式にはうっかり両替を忘れてヨレヨレの万札を祝儀袋に詰め込み、一度飲み終わった番茶のティーバッグを最低でも三度は使うのだろう。スマホが割れているヤツは、きっとそうに違いない。
えっ、マジで、そんなこと考える人いる?????
ひととおり想像し終わって、わたしはため息をついた。
「なんて言うか、あのう、そんなちっちゃいことを気にしてて生きづらくないですか?」
直前に大トロを食ったのがよくなかった。気が大きくなっていた。コハダくらいだったらよかった。気づけばわたしは一回りも二回りも歳上の彼に、ド失礼なことを言い放っていた。
彼はキョトンとしたあと、ゲラゲラと笑った。
「岸田さんいいねえ!普段の様子を取材させてほしい!」
三浦さんと親しいがゆえにここへ呼ばれた彼は、MBSの毎日放送のテレビプロデューサーであった。帰って名前を調べたら、ヒット番組の名前ばかりズラッと並べて記載されているWikipediaまであった。ちょっとちょっと。
かくしてわたしは、「平気なの!?って聞くTV」で人生初の密着取材を受けることになったのである。
密着取材ともなれば、身の回りの人たちにすぐさま報告がいる。わたしは母に電話をかけた。
「あのな、今度、MBSの番組で取材してもらうねん」
「えっ!なにそれ!うわあっ、すごいやん。近所の人らにも言うて回らな。作家として出るん?」
「いや、それが、“スマホが割れても平気な人”特集で出るんやけど……」
電話口で母が絶句していた。当然だ。
まさか母も、手塩にかけて育てあげた娘が、そんなくくりで全国に吊し上げられるとは思っていなかったはずで。そして母は、絶対にスマホを割るようなことをしない、几帳面でていねいな人だった。
「それ、親の顔が見てみたいとか言われへんかな」
「どうやろう、言われるかも……」
「そっかあ。出た方がいいかな?」
親の顔が見てみたいと言われて、見せる準備をする親もめずらしい。
そのあと事務所に報告しても笑われ、友人に報告しても笑われた。共通しているのはみんなが全面的に協力してくれると言うことだった。
吊し上げられる前に、こちらから舞台の上へ躍り出るのだ。わたしはこの取材を通じて「スマホが割れても気にしない方が、人生は楽しい」という持論で世間を乗っ取るつもりだ。
真夏の昼間から、取材がはじまった。
こんな感じでずっと、カメラマンさんがついてまわる。その日は朝から渋谷へ行き、打ち合わせ、取材、友人が開店した店に顔を出す予定だった。
実は、前週に悲劇を起こしていた。歩いている途中にスマホをコンクリートに落とし、外側カメラがまったく使えなくなった。
カメラを起動させても、なにも映らない。虚無だけが広がる。つらい。
内側カメラはかろうじて使えるので、写真を撮らなければいけないときは、内側カメラを使った。
でも、画面が見えないので、斜めになってうまくいかない。仕方なくわたしも写るようにした。自撮りだ。
このように、友人に自分の現在地を伝えるにも、自撮り。
寺にあった七武海みたいなテーブルと椅子を残すためにも、自撮り。
自由が丘で6人のネズミ講セールスマンたちから声をかけられた時にお世話になったケーキ屋に行っても、自撮り。
知人に送る写真にはすべて、必要のないわたしが写り込んでいた。三浦大輔の自撮りのような構図だ。嫌すぎる。
取材のなかで堂々と「スマホが割れてても、なんの不便もないんですよ!」と宣言したかったのに、早くも出鼻をくじかれた。くじくどころか、骨折している。もうここからは、消化試合である。
「おっちょこちょいで、忘れものをよくする」「時間にルーズでだいたい慌てている」「視野がかなり狭く、水の入ったコップを頻繁にこぼす」
取材を受けるなかで、自然ににじみ出る実態をも晒しながら、そのようなことを話した。ついでに画面を見せたら、LINEの未読が546件たまってた。
ああ、悔しい。なんだか後ろめたくなってきた。スマホが割れて恥ずかしいっていうか、スマホを割ってしまうようなだらしない自分がちょっと恥ずかしい。
ただひとつ、腹を抱えて笑ってしまったのは。
密着取材中にわたしと会う人、会う人、みんなスマホが割れていたのだ。
カラスの牧野圭太さん、KVPの森真梨乃(マリノス)さん、コルクの佐渡島庸平さん。もれなく全員、方向は違えど天才だ。
その天才たちが、密着取材中の岸田と会ってしまったばかりに「スマホが割れてる知人として一言ください」とカメラを向けられていた。完全な巻き込まれ事故である。平穏無事に暮らしていたのに。ごめん。おもしろかった。
牧野さんは「こんなのなんでもないですよ。気にしたこともないです。ってうか、修理してもまた割れるかもしれないし」と言った。
佐渡島さんは「修理できるならした方がいいけど、時間は限られてるんだから、これを修理に持っていくより、優先度が高いことをやった方がいいですよね」と言った。
マリノスは「これJOJOコラボのスマホなんですよ。割れてるほうが「歴戦をくぐり抜けてきたスマホ」って感じがしてかっこいいでしょ」と言った。
少し自信を失いかけていたわたしに、力がムクムクとみなぎってきた。わたしは、だらしないわたしのことをあまり信じてないけど、わたしのまわりにいる天才たちのことは信じている。
彼らがそう言っているのだから、信じていいのだ。スマホが割れていても臆することはない。マイナスのイメージをちゃぶ台ごと覆すほど、堂々としていれば。
古来より、傷は勲章、という言葉があるのを思い出した。
パタリロのプラズマXは「傷は男の勲章さ」と、αランダムを受け入れた。ワンピースのゾロは「背中の傷は剣士の恥」と、腹に長く残るデカい傷を受けた。BUMP OF CHICKENは「そうして知った痛みを未だに僕は覚えている」と歌った。
傷はときに、大切ななにかを守った記録に、自分が存在していた証明になる。倒木のあとに新緑が息吹くように、傷跡には愛着が芽生える。ゆらぎそうになった時、傷をなでれば、勇気すらわく。
さらぴんのモノより、傷があるモノのほうが、良いんじゃないか。そこに、自分の証を見いだせるなら。
これも取材中に答えたことだけど、わたしは買って読んだ本に線を引き、付箋を貼る。「本を汚すなんて」「いらなくなった時、売れないじゃん」と、反対される時もある。そういう考えもあるだろうけど、わたしは、とにかく書き込みたいのだ。
本をふたたび開くとき、過去の自分と対話しているような気持ちになる。あの時、なぜこの一行が刺さったんだろうかと考える。心の成長に気づく。
走る線を、薄くなった紙の端を、本に残した傷を目で見て、どこかで救われている自分がいる。
最近はなんでもデジタルコンテンツになっている。すごく便利だ。でも、失われて寂しいものもある。
何度も開いてヘロヘロになったCDの歌詞カード、借り物の恥ずかしい言葉と絵を刻んだノート、Aボタンの塗装が連打で剥げていったゲームボーイ。そこにある傷は間違いなく、捨てられない愛着だった。
愛は、どこにでも芽生える。
割れているスマホにも。だって、割れているから「岸田さんそれどうしたの!」と初対面の人にも話しかけてもらえるし。自撮りばっかりの写真で笑ってもらえるし。スマホを落としたらたまたまフォロワーさんに拾われる奇跡が起きて、noteのネタになったこともあるし。ボロボロだから、思い切って使い倒せるし。意外と愛しいじゃん。まあ、そりゃ、見た目は悪いけどさ。
どこにでも芽生えるのだから、芽生えさせなきゃ損なのだ。
わたしはスマホが割れてても平気だ。だって自分に自信を失う前に、そこへ愛を見出したから。勲章はわたしがわたしに与えるのだ。
その方が、生きてて楽しいからな!
というわけで、わたしや佐渡島さんが出演するMBS系列特番「平気なの!?って聞くTV」を観てください。
どうして自分は平気なのか、平気じゃないのかを考えるって、自分に愛着を持てる機会にもなると思うんです。