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岸田の妄想!まぬけ商店

まぬけには、こんな意味がある。

1.おろかなこと。
例文「見たか、あの岸田奈美のまぬけ面をよ」

2.考えや行動にぬかりがあること。
例文「岸田奈美の餃子、また中身を入れ忘れてるよ」

3.気がきかないこと。
例文「習字の墨が無いから生きたイカを持ってくるなんて、あんた岸田奈美じゃないんだから」

つまり、私のことである。私の人生は、常に自分に内包するまぬけとの戦いだった。

でも、曲がりになりにも(曲がりすぎて寄り道しまくり人生が迷子)28年間生きてきて、わかったことがある。

まぬけは、治らない。「気をつける」とか「工夫する」で、一瞬の対症療法はできるけど、根がまぬけなので、すぐにボロが出る。

まぬけをまぬけのまま放っておくと、失敗して、怒られて、落ち込んで、自尊心が下がる一方だ。自信のなさは、さらなるまぬけを引き起こす。戦慄のまぬけ連鎖の法則だ。やがて世界はまぬけに包まれる。

このままではいけない。

立ち上がれ、岸田奈美。全国に散らばる、まぬけのために。

自分の中にある「まぬけ」を、愛せるようにするのだ!そのために、あれやこれやのアイデアを、ひねり出してみせるのだ!


というわけで、このコーナーでは「岸田奈美のまぬけエピソード」と「あったらいいな!まぬけグッズ」を、私がダラダラと書いていきます。

クオリティもまぬけ極まりないので、まぬけを救うべく商品化したいという会社さんや町工場さんや錬金術師さんがいたら、首をキリンにして、お声がけを待ってます。



商品NO.1 ビヨビヨストラップ

私は子どもの頃から、身体に家の鍵をくくりつけられて生きてきた。なぜならば、アホほど鍵を失くすからである。

ランドセルのポケットに入れると、地面に咲いた花をつもうと頭を下げたら、鍵が滑り出て紛失した。

めちゃくちゃデカい熊のマスコットをつけて、服のポケットに入れておくと、それを使って「熊さんごっこ遊び」をしている時に、石で作った椅子にチョコンと座らせたまま忘れて、紛失した。

目が覚めるような青色のぶっとい紐に通して、ネックレスのように首から下げていたら、全校朝礼で体育座りしながら暇をもてあました時に、あやとりに興じてそのまま校庭に置き去りにして、紛失した。

「玄関以外で鍵を取り出してはいけない」「鍵で遊んではいけない」という当然のことを忘れてしまうのだ。なんでや。

困り果てた母が最終的に編み出した方法が「ビヨビヨに伸びるバネのストラップに鍵をつけて、ランドセルの横にくくりつける」ことだった。

ビヨーンと漆黒のバネが伸びて、鍵を扉にさすことができるのだが、まあこれがとにかく、かっこ悪い。

小学生と言えば、夢のようにフワフワかわいいパステルカラーのなんやかんやに憧れる年頃である。みんながランドセルに、メゾピアノやポンポネットのアクセサリーや、ディズニープリンセスのマスコットをつけている中。

私だけ、漆黒でビヨビヨ伸びるバネである。屈辱と引き換えに、私はそれから一度も、鍵を失くさなかった。


嘘だ。正確に言えば、バネをやめた途端、何度か失くした。

大人になってからの方が、たちが悪い。人は年齢を重ねると、失くしてはいけない鍵が増えていくからだ。人生において背中にのしかかってくるのは、重圧でも責任でもなく、鍵の重量だ。

最近も、引越しで退去する予定の家の鍵を失くした。会社の社宅だったので、マジでいろいろ終わるかと思った。実際いろいろ終わった。

今こそ、復活させるべきだ。

まぬけ商店_ビヨビヨ

バネでビヨビヨーンと伸びる、鍵のストラップを。

バネじゃなくて、細くて目立たないリールにすれば良いんじゃないかと思うかもしれないが、できるだけ大げさで黒くてダサいバネにすることが重要だ。

これを屈辱と戒めのバネと呼んでいる。できるだけ人目につくようにすることで、万が一これで失くしても「あんなに大きなバネをつけてても失くすんだもの、仕方ないわ。屈辱を我慢していたのに、気の毒に」と、周囲の同情を引くことができる。書いていて、同情よりもっと守るべき人としての矜持があるのではないかと思ったが、気にしない。

しかし、その屈辱感を払拭するために、赤べこのマスコットをあしらうことにする。赤べこはいいぞ。なにがいいって、厄除けになるだけではなく、「うなずく」という機能がついている。うなずく、すなわち、全肯定だ。バカにされるまぬけのことを、いつもそばで、全肯定してくれる。これが心の安定になる。

どうだろうか、おひとつ。


商品NO.2 思い出し読書付箋

本を読むのが好きだ。エッセイ、コメディタッチのミステリー小説、文章やストーリーの指南書の順で読むことが多い。

そして、感想を作者に伝えることも多い。私はオタク気質なので「推しは推せる時に推さないと」を信条にしている。

作者が知り合いでなくても、Twitterやメールで勢いにあふれた感想を伝える。届くだけで嬉しいのだが、たまにお返事をもらえたり、運がよいとお会いできることになったりする。

最近は、村上春樹さんの「猫を棄てる」が良すぎて、Twitterで感想を文藝春秋さんに送りつけたら、村上さんも読むという公式対談企画に抜擢された。そんなことあるんか。ドリームか。

「突撃!岸田の文ごはん」やイベントなどで誰かに会う時も、かならず相手の本を読んでいく。できれば事前にメールで、無理なら当日お会いしてすぐ、本の感想を伝えるようにしている。相手は「ああ、この人はあの本に書かれている情報は知ってるんだな」と共通認識ができるから、話がゴムまりのように弾む。本に書いてない話を聞けると、良い時間になるからね。

そんなわけで、私は感想を伝えるのが好きだ。

しかし、まぬけなので、読んだそばから本の内容を忘れる。つらい。

なんなんだろうな。もともと忘れっぽいっていうのと、無自覚で注意力が散漫なので、読んでる時にいろいろ考えていると記憶がすごい勢いで塗り替わっていくのかな。読んだあと「ここは良いな」「ここは今度私がエッセイ書く時に参考したいな」とか盛り沢山で思うことあったのに、結末以外覚えてないこともしばしば。

今は、蛍光ペンと、細字のボールペンをと、半透明の小さなポストイットを駆使している。印象に残ったところに線を引き、短くメモをして、ポストイットを貼り、あとで読み返す。

ただこれ、めっちゃ面倒くさい。本読みながら文字を書くって、しんどい。ペンも目を離すと、コロコロどこかに転がっていくし。

もはや、1アイテムだけで完結させたい。

まぬけ商店_本の付箋

ポストイットに、最初からメモを印刷しておけば良いのだ!

「わかる」「泣いた」「マネしたい」「再読(あとでもう一回読む)」「笑った」「怒った」「よくわからん」「つらみ」「尊い」「推せる」などのバリエーションがあると思う。「ポジティブセット」「エモーショナルセット」などで、5種1組にしても良い。

細かいメモなどなくても、記憶のトリガーさえあれば、なんとなく思い出すことができる。

下半分が透明というのも大切で、こうすると、ふせんで行頭の文字が隠れることもない。

付箋の台紙を、何度もはがせるようにして、本の表紙の裏に貼っておけるようにしたら本一冊だけ持ち運べば事足りるし。

私は、この付箋を貼りまくった本を作者の前に持参して、一枚ずつ解説していきたい。恋人同士で同じ本を読んで、お互いがどこに付箋を貼ったのかを見せ合うのも一興だ。恋人いないけど。同じところで同じ感情を抱いても愛しいし、違う感情を抱いたならその理由を共有しあうのも尊い。恋人いないけど。

どうだろうか、おひとつ。

週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。