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天才女優、介護認定調査にあらわる!

ばあちゃんの耳が、日に日に遠いところへ行っている。

たぶんもう青函トンネルとあちら側とこちら側くらいの距離がある。

「ごちそうさま」の代わりに「お地蔵様」と言っても気づかなかった。

高い音が聞き取りづらいらしく、声域がソプラノ〜アルトの岸田家ではできるだけ低い声で話さないとなんの連絡もできないので、ヤクザのタマの取り合いみたいなドス声が飛び交う家になってしまった。ヴオオィ、ゴルァ、風呂わいとるでワレェ……!


さて。

また、介護保険の認定調査の季節が巡ってきた。

介護が必要な人のところに、調査員が参上し、暮らしぶりをちょっと見たり、質問をしたりして、その結果をもとに「要支援1」とか「要介護2」とかの度合いを決めてもらうやつ。

「あんたはわりと大丈夫そうやね」

となると、度合いは下がり

「あんたはかなり大変そうやね」

となると、度合いは上がる。

人間誰しも健やかでありたいので「大丈夫そうやね」と言われるとエヘヘまだまだそこらのモンには負けまへんわと照れたくなるが、こと認定調査においては喜んでる場合ではない。

介護保険の認定の度合いが下がる。

すると、受けられる介護サービスが少なくなるのだ。


それで岸田家は最初、痛い目を見た。

一年前、80歳手前になるばあちゃんが初めて介護認定調査を受けた。

認知症の傾向がはじまったのだが、身体は丈夫で口が達者というチート性能により「明るく元気にいらんことをしまくる奇人」が家庭内に爆誕してしまった。

それでも母や孫であるわたしや弟のことをかわいがってくれるなら「まあまあ、おばあちゃんったら、ご飯はさっき食べたのよウフフ」と穏やかな目で見守れるのであるが、シンプルに暴君である。

家族の飯はすべて食い尽くされ、わたしや弟がリビングにいると黙ってても「やかましいから寝ろ!」と追い出され、19時には家中の電気が強制的に落とされる。外気はマイナスだが暖房をつけているともったいないと叱られる。従わなければ大阪の下町で培われた豊富なボキャブラリーの罵詈雑言が宙を舞う。弟はクイックルワイパーで追い回されていた。軍隊より理不尽。

そのうち無意味に穴を掘ったあと、埋めろって言ってくるんだろうな。

たまりかねて、一日の数時間はデイサービスという場所に行ってもらおうと思ったら、介護保険の認定調査が必要だった。

初めて受けたときは、母は入院中だったし、よくわからないので、ばあちゃんがいろいろ質問されるているところをただ眺めていた。


普段、理不尽にキレ散らかしていたり、ボーッとしてたりするばあちゃんが、介護認定調査を受けるとき、どうなるかご存知だろうか。


女優になる。


「ヒロコ(ばあちゃん)さんは、一日どれくらい外出をされますか?」

「そうですね、よくスーパーへ買い物に行ってます」

「健康的ですね。お風呂はどのくらいの頻度で?」

「いやですわ、そんなん毎日ですよ」

「失礼しました。ご趣味はありますか?」

「いろいろですね、いろいろ。数えきれません」


ばあちゃんはニコニコと笑いながらひとつひとつ答えているが、察しのいい方ならお気づきだろう。

一から十まで嘘なのである。

外出などここ二年はしていないし、てこでも風呂に入らないし、趣味などない。強いて言えば毎日ずっと、地鳴りがするほどデカい音量でテレビをつけているだけである。消すと暴れる。ケルベロスを封印するハープの音色か?

ただ、一から十まで嘘の話をする人間を間近で見たことがなかったので、わたしは完全にひるんでしまった。

地元のヤンキーでもこんなイキり方はしないのだ。せいぜい「俺、中学ンときにバイクパクったことあるんスよ(実際は捨てられたチャリ)」くらいのもので、それに比べるとばあちゃんのは「俺、中学ンときに就学旅行先でイタリアンマフィアに見初められて密漁マグロで寿司屋開いてたんスよ」くらいに近い。ツッコミを入れるとかもうそんな次元じゃない。

調査員を追いかけて「ババアの嘘は全部まるっとお見通しだ!」と言えばよかったのだが、できなかった。山田奈緒子にはなれなかった。

ただ小さな声で

「えっと、いつもは、あんな……あんな感じじゃないんですよ……ォ、アハハハハ」

と苦笑いするだけで。

これが悪手だった。

暫定的にばあちゃんに下りた介護認定は、想定より低かった。デイサービスには週に一度しか通えない。そもそもデイサービスへ行く準備すらままならず、ヘルパーさんにも頼れなくて、大変だった。

そのあと、病院の主治医が意見をしてくれたのもあって、認定の度合いが少し上がり、だいぶ楽になった。


わたしは学んだ。

認定調査において、女優を女優のままでいさせると、家庭が崩壊する。

でも困ったことに、ばあちゃん本人はたぶん、嘘をついているという自覚はないのだ。自分はちゃんとしている人間であると心の底から信じている。女優なんてもんじゃない。憑依型の天才子役。アノネェ! アシダマナ ダヨォ……!

そんなばあちゃんの前で「実際は違うんですよ」と言うのは忍びない。

なんとか、ばあちゃんにバレることなく、実情を伝えるのだ。


でも、できれば。
ばあちゃんの口から伝えてもらうに、越したことはない。


再び訪れた、認定調査の日。

「ばあちゃん、今日は調査員さんがくるで」

「はあ?」

「ばあちゃんが困ってることを助けてもらうために、いろいろ質問されるから、答えてな」

わたしは、一抹の望みをかけて、ばあちゃんへストレートに伝えた。

「そうか。練習しとくわ」

練習すな。


稽古したらあかんのよ。稽古したらそれはもう女優なんよ。

どことなくばあちゃんは、来訪が嬉しそうだ。おもてなしする気が満々である。なんで…老人は…法事とかで親戚が集まる機会になると…シャキッと張り切るのか……!いっそ毎日、法事しててくれ……!フェスみたいに……!

「困ってることを、ちゃんと伝えてほしいねん!」

「なんも困っとらんわ」

「困ってるやん。糖尿病やのに、薬飲まへんくて血糖値爆上がりしてるし、お風呂も入られへんし」

「かっ」

余談だがばあちゃんは、人や犬をバカにするときに“かっ”と笑う。

「とにかく、そういうことを言うて」

「わかった、わかった」


そして、調査員さんがやってきた。

「ヒロコさん、生活でなにか困ってることはありますか?」

「なんにもないです」

わかっとらへん。


なーんも、なーんもわかっとらへん。三分前の会話をもう忘れとる。

「お風呂には入れてますか?」

「ええ、毎日」


ありの〜!ままの〜!
姿、見せるのよ〜〜〜〜〜!!!!


エルサが。エルサが耳元で絶唱している。
ナミとボケの女王、開幕!


ボケの女王はありのままの姿を見せる気配がないので、ばあちゃんに任せるのは早々に諦めた。

わたしは調査員さんに向けて、首を横に振った。

それはもう、この首がもげても構わないと思えるほど振った。

しかし、調査員さんはノートになにかを書き込んでおり、わたしに気づく気配がない。

どうしよう。さすがにここで割って入ったら、ばあちゃんにも感づかれる。


ドン。

足を組み替えるふりをして、足で床を鳴らしてみた。

ドン、ドン。


「!」

調査員さんが、気づいた。ばあちゃんは気づかない。

これだ。

シャッシャッ!と激しく首を振っているわたしを見て、調査員さんが小さくうなずいた。伝わった。どっと身体の温度が上がった気がした。これが安堵か。

調査員さんは、続ける。

「お家から出ることはありますか?」

「買い物も散歩も、ぎょうさんしてますわ」

ドン、ドン。

シャッ!

「お薬は飲めてますか?」

「飲めてますよ」

ドン、ドン。

シャッ!

悪気はないとわかっているが腹が立ってきた。

ドン、ドン。

シャッ!


「家事はヒロコさんがされてるんですか?」

「そうですよ。孫たちはなんもしはりませんねん」

ドン、ドン!!!!!!!!!!

シャッ!

ドン、ドン!!!!!!!!!

シャッ!

Buddy you're a boy make a big noise Playin' in the street gonna be a big man some day.

You got mud on you' face!
You big disgrace!
Kickin' your can all over the place!

Singin'!!!!!!!!!!!

ウィ〜〜ウィ〜ル ウィ〜〜ウィ〜ル ロッキュ〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!


憤怒のフレディ・マーキュリーが喉元寸前まで出かかっていた。

調査員さんに意図は伝わっているだろうかと不安になり、こっそり机の上にあるミニホワイトボードに

「ヒロコの話は信じないで」

と書いて、ばあちゃんの背後あたりに掲げて見せた。

昔、スーパーJチャンネルで「洋子の話は信じるな」と不気味なメモが貼られた都市伝説が話題になったのを思い出した。ヒロコの話は信じるな。

やばい孫だと思われたのではないか。どうしよう。

「ありがとうございます。ヒロコさん、最後の質問なんですが……」

「今の季節は?」

「夏です」

冬です。



すごい。

さすがの調査員さんである。本人のことは本当か嘘か、他人には判別がつかないのであれば、みんなの共通認識を聞けばいいのだ。

自信満々に春ですと答えたばあちゃんに、調査員さんは微笑んで

「それじゃあ、あとでお孫さんに手続きの細かいお話をさせていただきますね」

とばあちゃんに言った。

もちろんそれは建前で、調査員さんは、ばあちゃんの目につかないところでわたしの話を聞いてくれたのだ。

身内のことを伝えるって、難しい。

ばあちゃんといると、大変なのだ。気が滅入る。しんどい。

でも家族の感情と、介護が必要とみなされる実情は、違う気がする。感情はある意味、我慢すれば済むという話にもなりかねない。

「寝たきりで歩けないけど、家族は辛くない」

のと

「歩けるけど暴言だけがすごくて、家族は辛い」

だったら、介護が必要なのは前者になるんじゃないかと思って、感情はどこまで伝えたらいいんだろう……と悩んで、言葉がなかなか出てこなかった。

本当の辛さは、言葉で伝わらない。ゲーム・テイルズシリーズのパッケージ裏に書かれていそうな文言である。わたしがシナリオを担当したい。認知症と響き合うRPG。


結果、ばあちゃんはデイサービスの利用をもう一日、増やせるようになった。よかった。認知症が進んでいるので、高齢者介護施設の利用も、近々考えていく。

終わってから、ツイッターで調査員の人たちが色々教えてくれた。

本人が女優になってしまう場合は、調査員さんに家族からも話をしたいと言うと、大抵事情はわかってくれるとのこと。本人の目が気になるなら「お見送りに行ってくるね」と言って外へ行くといいそうな。

「薬を飲めない」「お風呂に入れない」というのは、自分の健康を守れない時点で介護度がかなり高いとみなされるので、絶対に忘れず言っておこう。

とはいえ、言葉ではなかなか伝わらないので、普段の様子の動画や日記があれば、コツコツ記録しておいて渡してもいいんじゃないかというアイデアもあった。

noteがいつか、そういう場所になるのかな……。

トンデモ家族のトンデモ奇行を書き連ねるエッセイが世の中にドカンと増えるのか……読んでみたい気もするし、恐ろしい気もする。

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岸田奈美|NamiKishida
週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。