みんな、会えなかったひとがいる(母の入院)
2月6日(土)の夕方に、母は大学病院に緊急入院した。
そこから9日(火)の夜まで、病院には五回足を運んだけど、一度も母の顔は見ていない。見れない。
コロナ対策で、患者さんとの面会は一律、禁止だから。
つまり最後に見た母は、グッタリして「ほな、さいなら」とつぶやく、とてもシュールな光景だった。新喜劇の幕引きとちゃうねんぞ。
入院した母は、まず病名を特定させなければということで、いろんな抗生剤を入れたり、あちらこちらを検査したりすることになった。
「食道カメラが、想像の5倍くらい太かった。HDMIケーブルを10本束ねたくらいある。いやや、いやや」
このように、3時間おきくらいに実況の電話が母から入ってきた。
カメラがいやだと泣きついたら、先生が鎮静剤で眠らせてくれたらしい。ただ、鎮静剤が効きすぎて、入れる前から眠ってしまい、気がついたらベッドの上にいて「これはこれで、物足りんな」とさみしそうに言った。
知らんがな。
元気そうな声なのだが、それは本人いわく「高熱に慣れちゃった」だけらしく、39℃くらいの熱がデフォルトだった。
ベッドから身動きがとれないので、ペットボトルの水、お茶、ジュース、着替え、Netflixの韓国ドラマをぶち込んだiPadなどを持ってきてほしいと頼まれた。
「お茶とか水って、食堂の給湯器から看護師さんが出してくれへんかったっけ?」
「コロナ対策中は、それができひんのらしいわ」
なんと。
どうりで病院の入り口に、ペットボトル飲料がいっぱい入った段ボールを抱えて持ってくる人が多いと思った。大変すぎるだろ。
ということで、ありったけの飲み物などをスーツケースに詰めて、弟と病院を何回か往復した。片道、電車で1時間半かかった。
「ジュース、500mlの大きな方にしいや」と何回言っても、弟は小さい方を買うので、なんでだろうなと思ったら。
エコバッグのここ(たたんで収納する部分)に、ぴったりはまる大きさにこだわったらしい。
そうか、そうか。きみは隙間を見つけたら、埋めずにはいられない性格だったな。いいぞ。
電車のなかで、母から助けをもとめるLINEが届いた。
「病院のWi-Fi、めっちゃ弱い」
「マジ?」
「Wikipediaが読み込まれへん」
「Wikipediaが!?」
Wikipediaが読み込めなかったら、いったいなにを読み込めるというのだろう。阿部寛のホームページか。
県内でもダントツででかい病院なので、患者さんが湘南のごとくWi-Fiの波に乗りまくっており、そのうえ建物の構造上、電波が入りづらいそうだ。
「パンフレットには、個室はインターネット完備って書いてたから、個室にしたのに……」
悔しかったけど、Wi-Fiがなければ、お見舞いもない孤独な時間を潰せないし、テレビ通話で顔を見ることもできない。
調べたら、三宮駅の近くで、当日でも借りれるWi-Fiのレンタルショップがあったので、そこに寄って借りた。Softbank回線で無制限、2週間で9800円。(割高なのであとで別のショップでレンタルしなおした)
docomo回線とau回線だったら病院はつながらなかったらしいので、危機一髪のナイスチョイスだった。博打すぎる。
病院に着いて、母のいる入院棟のナースステーションに行ったけど、荷物をそこで預けるだけで、母には一度も会えなかった。
ただ、忙しそうな看護師さんから「これおねがいします」と、母が着た服の入った袋をわたされる。
「まだ、あたたかいな……」と言って、それだけでなんか嬉しかったけど、コナンみたいなそのセリフを人生で使うとは一度も思わなかった。
さあ帰ろうと一階の待合室を通ったら、40歳くらいのお母さんぽい人と、まだ小さな女の子が、手をつないでイスに座っていた。女の子は泣いていた。
「おばあちゃんに会いたい」
ぐずる女の子を、お母さんがちょっと苦笑いで見ていた。
この病院では、7月以降から感染対策で面会を禁止にしている。つまり7ヶ月間、お盆も、クリスマスも、お正月も、家族や恋人に会えていない人がいるのだ。
母は10数年前、下半身麻痺になった手術の入院を2年近く経験して、一度メンタルダウンした。死にたい、と言った。そんな母は「奈美ちゃんが病室に遊びにきてくれたのが一番うれしかった」と泣いた。
それすら、できない人たちがおおぜいいる。当たり前にいる。そこら中にいる。もしあのころの自分だったら。ゾッとした。
いや、いまでも、つらいんだけどね。
こんなお知らせも目に入った。
衝撃だった。目を疑った。
末期がんの人ですら、余命予後1週間と診断されなければ、家族に会えないのだ。しかも、会えたとしても、15分。
残された時間の少ない、大切な大切な人と、たった15分。
想像ができなかった。
ツイッターに書いたら、たくさんの人から、教えてもらった。
「死ぬかもしれない手術なのに、病院で待つことができなかった」
「入院してる5歳の子どもが、電話口でずっと泣いてる。だけど行ってやれない。つらい」
そんで、わたしがすごくお世話になっているクリエイティブの先生は「俺も先月、おばあちゃんの死に目にあえなかった。亡くなってから電話がきた」と、悲しそうにしていた。
看護師さんからも、いくつかメールをもらった。
「ほんとうにつらい。医療は体を救えるけど、心を救えるのは患者さんのご家族やご友人だけだから」
「危なくなってから、やっと“会いにきてください”って電話をする。心が折れそうになる。くやしい」
もう、みんな、くやしい。しんどい。
でも、このつらさを、吐き出せない人がいっぱいいると思う。だって、仕方がないから。感染の恐ろしさがわかるから。誰も悪くないから。みんな我慢してるから。
だから、吐き出せない。
どんだけ、どんだけ、つらいことだろうかと思う。つらいという言葉ではあらわせない。人は自分の無力をさとったとき、死ぬくらいのダメージを受けるとも言われてる。
じゃあせめて、リモートで話せたらいいじゃん、って思うんだけど。
そもそも、スマホやタブレットを使った通話のやり方が、わかんないままに入院して、会えなくなっちゃった人もいる。ご高齢の人とかね。
「タブレットのホームボタンを押したら、緑のLINEが出てくるから、それをタップして、私の名前を探して、ビデオ通話を押して」
この指示だけでわかる人が、どんだけいるか。うちのばあちゃんではまず無理。つながっても、音量の操作とか、イヤフォンをつなげるとか、できないと思う。
そのときはじめて、入院する前に、ビデオ通話のやり方をいっしょに練習しておけばよかったって、後悔する。
っていうか、Wi-Fiをつなげることもめちゃくちゃ難しいからね。auとdocomoは無理で、softbankだけ入るとか、だれがわかるんだよ。そんなのどこにも書いてなかったし、看護師さんですら「そうなんですか?」って把握してなかった。
Wi-fiを完備してて、タブレットやスマホを貸し出ししたり方法を教えたりしてる病院もあって、そういうところは本当にすばらしい。えらい。救ってるのは、命だけじゃない。
こういうの、書いて言葉にすることくらいしかできひん、自分がもどかしい。行き場のない苦しみを、供養するだけ。供養できてるんかな。
物語とかにして、スッとみんなの心の準備に入り込めるように、書けたらいいんだけど。たまにあるじゃん、災害時に「あのアニメだとこうやって水を確保してたぞ!」みたいな、知識。
他力本願だけどLINEさんとか、WiMaxさんとか、なんか、そういう啓発のサポートやってくんないかな。難しいか。
話が母からだいぶ離れたので、戻す。
そういえば、母が入院した初日に、病棟でこんなポスターを見つけた。
食事の……盗難……!?
世紀末すぎる。なんなんだ。病院でご飯、毎食出てくるじゃん。
「やよい軒で、ご飯のおかわりしに席を立つと、その間におかずが盗まれるから気をつけろ」とウソのTipsを教えられて育ったわたしでも、これはわけがわからんかった。
そしたら、ナースステーションで、とあるおじいさんの患者さんが叫んでいた。
「うまい、うまい!やっぱり、肉はうまいなあ!」
看護師さんたちが、仕事をしながら、片手間というか若干面倒くさそうに(実際ずっと同じこと言っててよくわかってないから、面倒くさいと思うよ)返事をしていた。
「おいしいですか、よかったですねえ」
「イシダさんに、お礼言わにゃ!」
「岸田さんですよぉ」
「キシダさん!キシダさん、ありがとう!」
「今日入ってこられたんでぇ、いつかお礼言いましょねえ」
「キシダさん!ありがとう!うまい!ありがとう!」
キシダさん?
キシダさん……
岸田さん。
うちのオカンのことか!!!!!!!!
母に「いま、夕食はなにが出た?」と聞くと
「え、おかゆ」
「おかゆと普通のご飯、選べた?」
「選べた!おかゆにした!」
「おかずも?」
「おかずも。生姜焼きは脂っこくて無理そうやったから、味薄くてゆるいのに変えてもらった」
このときわたしはコナンばりに頭が回転して自分でも名推理だったと思うのだけど(ここで奇しくもコナンの伏線を回収してしまった)
母の入院は、緊急だったので、夕飯の時間より遅かった。予備の夕飯を、ナースステーションでもらう予定だった。
そしたら想像以上に食欲がなかったので、おじいさんがいただくはずだったおかゆセットと、母がいただくはずだった肉セットが、食べる前に交換されたのではないか。
これなら、納得がいくなと思った。
いや、当たってるか、知らんけど。そもそも治療中のおじいさんが生姜焼き食べてええんか、わからんし。
だけど、おじいさんがあんなに感激して肉を食っていたのだとすると、それだけ濃い味は快楽を呼ぶので、飯を盗むやつが発生してもおかしくないなあと思った。食の恨みは怖いぞ!
そして、2月9日(火)の夜。
わたしは、突然、母と会えることになった。
(ちょっとつかれたので、続きはまたこんど/読んでくれてありがとう)