優しい人が好きだけど、人に優しくされるのがおそろしい
わたしには、友だちがいなかった。
世のなかにいろんな情あれど、友情は特にすばらしい。
そんなことはわかっている。
そこらへんの漫画本も、トレンディなドラマも、いやになるほど流れてる歌も、友情はいいぞと言ってくるのだから。
そうは言っても、思い当たる友だちがいない。
作家になってから人と会う回数が増え、ありがたいことにごく薄い友情のようなものを何人かと結べたけど、それ以外はさっぱりだ。2年以上、友だちを保てたことがない。学校の同窓会にも、友人の結婚式にも、ろくに出席したことがない。お呼びでない。
開き直って孤高の一匹狼になれたらいいけど、わたしは相応のみみっちさを搭載している、相応の人間なので、相応な劣等感にまみれている。
っていうかこれ書いてるだけでも、恥ずかしくてたまらんわい!
みんなが口をそろえて、友情は持つことは素晴らしく、友情を育てることは当たり前だと言うのに、それらしきものを持っていない自分は、ろくな大人になれなかった。
あと、なんか、さ。
友だちいないって白状するのも、むかしハマッてた漫画の影のある主人公っぽいっていうか、闇の力のホニャラララとか、めんどくさがりながら世界を救う最強なホンワカパッパとか、そういうイメージがあって、かゆい。かゆいはずのない心が、かゆい。たぶん、自意識のあたり。
友だちを作る機会は、あるにはあった。
つかめなかっただけで。
たとえば、小学校で新しいクラスになったとき。
隣の席になった子に、わたしが話しかけることと言えば。
「わたし、岸田奈美っていうねん。なあ、この匂いつきの消しゴム、ほしい?」
完全に、露天商のそれである。いまどきこんなコテコテの露天商もいない。
だけど相手は所詮、わたしと同じ子どもなので「ほしい!」と目を輝かせて言ってくる。昔から、人が欲しがるものを絶妙に選ぶのが得意だった。
つまりわたしは、友だちをモノで釣っていたのだ。
アカンて!
「よかった、じゃあうちらは友だちやね!」
欲しがってもらうたびに、友だちができたと安心した。おこづかいで買ったモノと引き換えに、友情すなわち相手の好意を確保したつもりでいた。
いま思うと、ほしかったのは好意というより、嫌われない保証だった。
お察しのとおり、モノで築いた友情は、モノがなくなるとあっと言う間に崩れ去る。焦ってさらにモノを差し出そうとすればするほど、友だちは遠ざかっていった。
子どもであろうとも人間は本能で、タダより怖いものはない、とどこかで学ぶのだ、きっと。
見返りを求めるわたしのギラギラした眼差しは、さぞ居心地が悪かったことだろう。
なーんで、そんな性格になったのかな。
思い当たる節は、ある。
わたしの実家は、12階建てのマンションが11棟も密集している集合住宅で、子どもたちも密集して遊んでいた。やかましいのが30人くらい。ちょっとした軍団か賊である。
高学年の子どもがリーダーになり、低学年の子どもを先導して遊ぶのだが、リレーやドッジボールなどはどうしても年齢で能力に差が出る。低学年で、運動神経が悪く、障害のある弟を連れているわたしは軍団きっての足手まといだった。
「奈美ちゃんと良太くんがおるチームになったら、勝てへんから嫌や!」
こういうことをよく言われたので、わたしもわたしで、ハブられないように必死だった。率先してボールを用意し、高学年の兄貴分をおだてあげ、とにかく役に立とうとした。
拍車をかけたのが、母と父から注いでもらった愛の大きさだ。わたしは二人から、とにかく褒められたし、めちゃくちゃ愛されていた。自分に自信を持てた。それは幸せなことだ。
だけど、家から一歩外に出たら、だれも褒めてくれないのだ。
「家ではあんなに必要とされるのに、外ではそうじゃない。これはきっと、わたしが悪いんだ。もっと愛されるように、愛を差し出さないと!」
こんな風に思っていた。
他人から愛されないことが怖かった。
母と父の愛を、裏切ってしまっているようで。
タイムマシンができたら、わたしは真っ先に、愛の切り売りクリアランスセールをしていたわたしをひっぱたきに行く。
そういうわけで。
わたしにとって、誰かにプレゼントをすること、優しくすることは、愛されるための交換条件だった。
突然、優しくされるのがイヤになった
大人になって、大学生でベンチャー企業の創業社員になるという目立ったことも始め、エッセイなんかも書いたりすると、人前に出ることが増えた。
「若いのに、すごいねえ」
「デヘヘ、いやあそれほどでも、ゲヘゲヘェ」
褒められることも増えた。
優しくされることも増えた。
嫌われることをめっぽう恐れるわたしは、冷たい人や怒りっぽい人より、優しい人が大好きだ。
優しい人に囲まれるなら、友だちなんていなくていい。
そう思ってた。
だけど、ある日突然、優しくされるのがイヤになった。
優しい人は好きだ。優しくされるのがイヤなのだ。わけがわからんと思うだろうけど、わたし自身もわけがわからんかった。直感でイヤだった。
LINEやSNSで「岸田さんと会えて、元気になりました」「今朝書かれていた文章、すごくよかったです」「お風邪を引いているとのこと、大丈夫ですか」「お礼に、うちの近くにあるお店の美味しいカヌレを送るね」など、いろんな関係性の人から、いろんな優しいメッセージが日々届くのだけど。
調子のよい時はしっかりと同じ文量と熱量で返せる。でもほとんどは当たり障りなく一行だけで返すか、それすらも面倒になり、既読スルーをして、会話を無理やり断ち切っていた。
野生動物のように、急激に距離をとって逃げてた。
やばすぎ。
「こんなに優しい人、おらんやろ」と太鼓判を押されている人とお茶にいっても、なんだかいたたまれなくなり、目をあわせず生返事を繰り返して、そそくさと席を立った。
仕事を抱えすぎてしんどい顔をしていたわたしに「なんでも手伝うので、言ってください」と言ってくれた後輩にも、そっけない態度をとり、突き放した。
優しさを求めていたはずが、優しさに触れれば触れるほど、人間関係に疲れ果てていく。
なんでやねん。
どないやねん。
でも、優しさを素直に受け入れられる相手もいた。
家族とか、ごく近しい編集者とか、片手で数えられるほどの人数だけど。
それもそれで「わたしは他人の善意や好意を、選り好みする最低な人間やったんか」と絶望した。求めている優しさと、おそろしい優しさの、違いがわからなかった。
注がれる優しさと失われる人間関係に怯えながら、わたしは一生ひねくれたまま過ごすのかと混乱していたら、一冊の本が、魔法のように恐怖を取り払ってくれた。
近内悠太さんの「世界は贈与でできている」(NEWS PICKS PUBLISHING 2020年)だった。
善意や好意で、呪いにかかってしまう
タイトルがすべてを表している。この本には、わたしたちは誰かから贈与されることでしか本当に大切なものを手に入れられず、この世界は贈与の繰り返しで成り立っているということが一貫して書かれている。
じゃあ、優しさも贈与なのかな。受け取れないわたしって、世界にふさわしくないのかな。
自信を失くしながら読んでいると、ある段落で視線が止まった。
善意や好意を押しつけられると、僕らは呪いにかかる。
そう、僕らがつながりに疲れ果てるのは、相手が嫌な奴だからではありません。「いい人」だから疲れ果てるのです。
ああ、これだ、これはわたしのことだ、と思った。
善意や好意を“押しつけられる”とまでは思ってないけど、逃げて苦しみ、関係性まで断ってしまう衝動は、もはや呪いだ。
同時に、この一文で救われた。
呪いにかかるのは、愛と知性をきちんと備えていることの証でもあるのです。
愛と知性。
わたしにとって、これほどの褒め言葉はない。わたしが悪人だから、呪いにかかるわけではなかったのだ。ちょっとホッとした。
わたしは愛の形を知っている。だから、人から注がれる愛の尊さも、それがないことの苦しみもわかる。
だけど、それゆえに、わたしは無意識な呪いにかかってしまったんだ。
「自分が返せる自信のない量の愛を、むやみに受け取ってはいけない」という呪いに。
人に優しくされた。
優しくされたら、返さなくちゃダメだ。
だけど、一人ひとりに同じ量を返すには、時間も労力もいる。
5人までなら返せるけど、20人、30人に優しくされたら。
物理的にとても返せない。
返せないわたしはクズだ。
嫌われるのが怖い。
だったら嫌われる前に、逃げてしまおう!
これが優しさを追い求めたのに優しさを受け取れなかった、わたしの呪いの全貌である。冷静にまとめたら、 ひどすぎる。
わたしも後ろめたいし、優しい人もかわいそうな、絶望のルーティーン。
優しさは、受け取ることに意味があった
呪いを解くにはどうしたらいいのか、近内さんは本の中で教えてくれた。
贈り物はもらうだけでなく、贈る側、つまり差出人になることの方が時として喜びが大きいという点にあります。たしかに、自分の誕生日を誰にも祝ってもらえないとしたら寂しい。でもそれ以上に、もし自分に「誕生日を祝ってあげる大切な人」「お祝いさせてくれる人」がいなかったとしたら、もっと寂しい。
宛先を持つという僥倖。宛先を持つことのできた偶然性。贈与の受取人は、その存在自体が贈与の差出人に生命力を与える。
言葉にする必要はありません。自身の生きる姿を通して、「お返しはもうできないかもしれないけれど、あなたがいなければ、私はこれを受け取ることができませんでした」と示すこと自体が「返礼」となっている。
相手に、優しさに見合うだけのお返しをしなくとも、ただその優しさを受け取ることに莫大な意味があるというのだ。目から鱗。
幼い頃からわたしは、友だちから愛されるために、自分から愛を差し出すか、同じだけの愛を返すのが条件だと思っていた。
だけど、それは「贈与」ではないらしい。無性の愛こそが「贈与」で、見返りを求めるのが「交換」だ。
わたしは他人からもらっていた贈与を、勝手に交換にメタモルフォーゼさせていたということか。それが礼儀だと信じながら実際は、礼儀どころか贈与の連鎖を身勝手に断ち切っていた。
そりゃあ、友だちなんて、できんわ。
もちろん、なかには「受け取っただけで、なにもしてくれないのかよ!」と怒る相手もいるだろう。でもそれは、贈与ではなく、交換を求めてきている人だから、仕方がない。
互いを手段として使うドライな関係性にしかなれないから、怒られても嫌われても、気にしなくてもいいかなと思った。どうせいつか切れる縁だ。
さて。
贈与は、受け取ることに意味がある。
そして受け取ったわたしにしかできない使命があることを、この本は教えてくれた。
アンサング・ヒーローを書くのが、作家の使命かも
贈与は、もらった人に直接返さない方が良い。なぜなら交換になってしまうから。だけど、この世界は贈与でできている。断ち切ってはいけない。じゃあどうすればいいのか。
またわたしが、別の人に贈与をするのだ。
好きなときに、好きなだけ。
愛と知性を存分にはたらかせて。
わたしの母が以前「人に優しくできるのは、人から優しくされた人だけやねんな」と言っていたのを思い出した。優しさは、巡り巡って、またいつか必要なときに自分のもとへ返ってくる。もしかしたら。
本の内容をここで全部語ることができないのが悔しい。もし琵琶法師が「いま忙しいから3分で平家物語を一通り話して」って言われたら、こんな悔しさだと思う。素晴らしいのに、語りきれん。(語りきれないので、11月22・23日開催のキナリ読書フェスの課題図書にしました。みんなも語ってほしい、わたしが語り合いたい)
最後にもう一つ、わたしが救われたことを。
近内さんは、断言する。この世界には、贈与で世界や人々を救ったヒーローが無数に存在すると。
見返りを求めないので、だれからも評価されることも、褒められることもない、アンサング・ヒーロー(歌われざる英雄)たちが。
アンサング・ヒーローは、想像力を持つ人にしか見えません。
手に入れた知識や知見そのものが贈与であることに気づき、そしてその知見から世界を眺めたとき、いかに世界が贈与に満ちているかを悟った人を、教養ある人と呼ぶのです。
そしてその人はメッセンジャーとなり、他者へとなにかを手渡す使命を帯びるのです。使命感という幸福を手にすることができるのです。
受け取った優しさの負い目の分だけ。念願の末に独立した作家として。わたしには、アンサング・ヒーローを書き続ける使命があるのだと信じたい。
アンサング・ヒーローは、わたしを愛して救ってくれた家族かもしれない。励ましてくれる友だちかもしれない。たまたま出会った人かもしれない。これを読んでる、あなたかもしれない。
もしかして、人じゃないかもしれない。
前職で障害のある人の雇用や、バリアフリーやSDGsなどの社会貢献に熱心な企業さんと何気なく出会うことが多かったけど、そういう活動だって、歌わざる贈与ならば、気づいたわたしが歌えばいい。
歌われなければ、気づかなければいけない。誰よりも、想像力を働かせて。いくつもの胸に刺さる言葉を持ってして。人よりも少しだけ、その才能に恵まれたわたしが、なすべきこと。
そうして、優しさのバトンを、次へ次へとつなげられるようになった時。
わたしはようやく、友だちのいないわたしと、胸を張ってお別れするのかもしれないな。
このnoteは、Panasonicと開催する「#やさしさにふれて」投稿コンテストの参考作品として、主催者から依頼をいただいて、書きました。