#ジブリパーク で失った言葉の置き場
ジブリパークの凄みは、どこにあるのか?
2022年11月1日、愛・地球博記念公園のなかにオープンした「ジブリパーク」へ、弟と行ってきましたレポート。
オープン初日のチケットを、運良く買うことができまして。
入場できたのは「ジブリの大倉庫」エリアのみでしたが、とてつもなく大切で切ない何かを、ドドドと怒涛のように受け取り、たまらなくなってしまったので、言葉にしておきます。
「ジブリパーク」のちゃんとした案内や魅力は、ほかの人がエエ感じの写真とともに沢山シェアされてるので、そちらを頼ってください!
ここにあるのは、創作とジブリに救われて育ったがゆえに、感情を地球投げされ、深読みしすぎながら勝手に泣いている、わたしのド感想です。
1.エレベーター塔から、すべては始まっていた
愛知県長久手市の愛・地球博記念公園の中に、「ジブリパーク」があります。駅から出ると、美しく整備された歩道と緑がパッと広がる。
ゲートをくぐって進むと、まず、お目にかかるのが「エレベーター塔」です。ジブリの世界へ突入する玄関。
「天空の城ラピュタ」や「ハウルの動く城」を思わせる、19世紀末の空想科学を盛り込んだデザインで、オープン前から話題になってました。
三日月のオブジェや、金ピカの繊細な装飾が凝ってる。
でも。
機能は、普通のエレベーターです。
ジブリのキャラクターを思わせる装飾はないし、パズーが「親方!空からエレベーターが!」などとアナウンスすることもない。
満員のエレベーターの中で、あるおじさんが、ポツリと言いました。
「なんや、これだけか。ディズニーランドとは違うわ。あれはミッキーが喋ってくれたのに」
エレベーター内に、ピシッと冷たい緊張が走った!
「バカかお前、しばかれるぞ」
「なに言うてんのアンタッ」
おじさんをお前呼ばわりしてどついたのは、おじさんの娘でした。続いて、奥さんであろう人もおじさんをどつき、華麗な袋叩きに。密室で目前に突きつけられる、知らん家族のパワーバランス。
一方で、エレベーターを降りると、3歳ぐらいの小さな女の子が立ち止まりました。
「もっかい、もっかい」
エレベーター塔が気に入り、もう一度乗りたがっていました。手を引くお母さんは苦笑いしながら「あっちにもっと、楽しいのがあるよ」と言って。
ここでわたしが見た光景が、あとで大きな伏線になります。
2.ときめいてしまう繊細な仕掛け
エレベーターを降りて、まっすぐ歩いていくと、湖のそばの高台に「耳をすませば」で登場する「地球屋」が見えます。
ちょっと離れた場所から観るのも、これはこれで、良き。今日は「ジブリの大倉庫」に入ります。
ジブリの展示品、フォトスポット、シアター、カフェなどが、ひとつ屋根の下に詰め込まれてるぞ。
まず思ったのは、
細かい部分をめっちゃ作り込んでる。
写真を壊れるほど撮っても、三分の一も伝わらないんですが
このネオンサインは一文字だけ、電球が切れかかってるみたいに、チカチカと不規則で点滅するんです。レトロでノスタルジックだけど、どこか混沌として不気味。まさに「千と千尋の神隠し」の雰囲気です。
エレベーターの表示も、漢字の大きさが美しい。
愛しさと切なさと物理強さを併せ持つ「天空の城ラピュタ」のロボット兵がいる場所には、
古に滅んだ文明をのみこむコケ。本物のコケかと思うくらい青々としてる。
より細かいところで「南街」という裏路地の商店街の両替機は
わざわざ昭和デザインに張り替えて、機械の角もサビで汚してる。
「コクリコ坂から」の「哲学研究会」は、この小さなスペースに、古書や走り書きがびっしりと。味のある本の表紙は、題名もぜんぶ手書きです。
撮影禁止の「東小金井」「子供の街」にある、ちょっとした乗り物や家具はね、塗りが良いんですよ。立体物に、ジブリアニメーションの“手作業で重ねたような水彩の厚塗り”を再現してる。他じゃ、あんまり見たことないよ。
いわゆる、ディティールがこまけェ〜〜〜〜!ってやつです。
宮崎吾朗監督の、アニメを建築で“翻訳”した才能がすごいのだ。
3.アニメ×フォトスポットの大正解
「ジブリの大倉庫」で一番人気であろう場所が、「ジブリのなりきり名場面展」です。
作品のワンシーンを再現したジオラマがあって、登場人物になりきって写真を撮れるやつです。みんなやりたいよね。みんなやりたすぎて60分待ちだったから、わたしは他人の写真を見るだけで満足をしてしまった。愚か。
こことはちょっと離れた別の場所だけど、
こんな感じのね、美しいジオラマが、いっぱいあるよ。
わたしなぞが撮らんでも、SNSにおびただしい数の写真が上がってるので、見てきてください。悔しくなったらハンカチを噛んで。
おそらくここのジオラマは、令和でアニメ作品をフォトスポットにするときの、超超超大正解ソリュ〜ションです。
まず、再現してるシーンが良い。あの作品なら、そのシーン思い出すよね!このポーズで撮りたいよね!っていうファンのツボをミリ単位で的確に突いてくる。
そして、スマホの画角にジャストで収まる縦横比と、加工がなくとも誰だってそれなりに美しく撮れる照明や着色グラデーション。
ジブリの作品に入り込んで、写真を撮って、SNSに上げるという一連の行動と満足度を、完璧に考えて作り込んである。平面のアニメ作品をフォトスポットにする仕組みとして、堂々の世界一だと思います。全部これになれ!
4.狭さと予算の壁は世界観に立ちはだかる
ジブリ作品の壮大で幻想的な世界に没入できるかというと、残念ながら、それは厳しかった。
ジオラマひとつ、モニュメントひとつ、の再現度はものすごく高いんだけど。なんだろうな、IKEAのモデルルームを見てるような感覚に近い。
ひと部屋ずつの雰囲気はキュートなんだけど、一歩ずれてすぐ隣には、全然違うテイストの部屋が広がってるというか。伝わるでしょうか。
世界観をどっぷり味わいたくても、奥行きがないので「湯屋で遊んできた!」「ラピュタ城を散策してきた!」みたいな感動の余韻は続かない。フォトスポットは特に混んでるから、撮影したら、味わうヒマもなくさっさと移動ですし。
パーク全体の屋根も、
高くて太陽光が入ってくるんで気持ちいいけど、作品ごとの世界観を明暗や音楽でハッキリ差別化することが難しい。
でもこれはもう、しかたない理由はわかっていて。
敷地と、予算の問題だろうなと。
ジブリ作品がまず、すごすぎるんですよ。あれだけの深く美しい世界を表現するには、場所もお金も、全然足りない。USJのスーパーニンテンドーランドは、あんなに狭いのに総工費600億円。「ジブリパーク」の2倍近くの総工費ですが、ジブリ作品の世界観再現にはそれぐらい必要。無理ゲー!
気の遠くなるほど制限がある中で「雑につくる」んじゃなくて「小さくて細かいところを丁寧につくる」に振り切ってくれたことが、本当に嬉しい。
あとね、触っていいところが異常に多い。
触っちゃいけないところがほぼないんです。しかも手に取って、動かせるのもかなりある。
企画展示室で再現されてる「天空の城ラピュタ」の「タイガーモス号の厨房」なんて、食器棚は開け放題、ふかふかのパンも、ぴかぴかのフォークも触り放題。自由な手ざわりで、作品の良さを思い出せる。地味にすごい。
「ディズニーランド」の「ミッキーの部屋」に行ったことがある人はわかると思うんですが、あれ、少しの仕掛けをのぞいて、ほとんどの家具や家電はガチガチに固定されてますよね。当然です。壊れちゃうもん。
どれだけ気をつけても、客に触らせてたら劣化するのが当然。その都度、取り替えることになっても、身体感覚を優先させてくれてるんだろうな……というジブリの粋な心意気に感謝がつのります。
このとき、ハッとしました。
「“ジブリの大倉庫”って名前をつけたの、上手だな……!」
世界でも国でも城でもスタジオでもランドでもなく、倉庫を選んだ。ここには、ジブリ作品の欠片や設定集が並んでいるだけ。倉庫だもん。
倉庫だから、歩くマスコットキャラクターはいないし、乗り物やアトラクションもないし、スタッフさんは気持ちのいい働き者ばかりだけどファンタジーを演じない。
お客を期待させておいてガッカリさせないように、最初から名前で、期待値をコントロールしてる。
期待値のコントロールでいつも思い出すのは「Amazonのサーバーダウン」です。
有名サービスなのに、エラーが起きると「1ミリも謝る気はなさそうな犬」の画像がランダムに表示されるので、犬見たさにページを更新してることがあります。
ユルさというユーモアのおかげで、どこか完璧じゃなくても、許せちゃう。むしろ褒めたくなる。期待値は上げすぎるとだめで、ちょうどよく、みんなで楽しめるところを探るのがいい。
“ジブリの大倉庫”っていう名前は、なにかと神格化されて上がりすぎてしまいがちなジブリの期待値を、うまくコントロールしてる!
……って、思ってました。この時までは。
浅かった。もっと深い理由があった。
5.大空模型でプラモデルを拝もう
「ジブリの大倉庫」のなかで、わたしがどうしても推したい場所を紹介させてください。ひたすら褒めるだけです。
1つめは、プラモデルがならぶ「大空模型」。
ジブリ作品に出てくるマシン「風の谷のガンシップ」「ゴリアテ」「フラップター」「サボイアS21」のプラモデルが、壁いっぱいに。
ぜんぶ、ちゃんと箱のまま買えるんですよ。「こち亀」なら、もうこの一角だけで一話完成してしまう情報量。
後ろに並んでる戦車や戦闘機のプラモデルは、「ジブリパーク」の制作指揮をつとめた宮崎吾朗監督(宮崎駿監督の息子さん)の趣味だそうで。
ただ、これ、プラモデルなんで、実物は色が塗られてないんです。
買おうとしたけど、それで諦めて、泣く泣く箱を戻しにくるお客がたくさんいました。わかる。難しいもんね。ゴリアテの模様なんてどうやって塗りゃいいんだ。
ですが、プロが塗った美しすぎる見本を間近で見られるだけでも、かなり尊いです。拝みたい。プラモデルは沼であることがよくわかります。こんなにかわいい店で、軽率に沼が大口開けて待ち構えてるのウケる。
あと1つは書店なんですが、事情があって、最後に紹介します。
6.なぜジブリ飯がないのか
ランチは「カフェ 大陸横断飛行」で。「ジブリの大倉庫」のなかで、ご飯が食べられるのはここだけ。
ご飯といっても、サンドイッチとピザだけです。なんでカレーとかオムライスとかじゃないんだろうなと思ってたら。
飛行機のパイロットが、操縦しながら片手で食べられるものというコンセプトだからです。そうなんだ〜。
予想以上にパンがフワフワのホカホカで、食べごたえもあって美味しいです。観光地あるあるの、冷めきった作り置きじゃない。BLTと味噌カツが好きだった。
でっかいので、ぶっちゃけ食べづらいです。
お子さまメニューもないよ。切り分けるのも大変。だけど、周り見たら、みんなボロボロこぼしながら、必死に食べてて。親御さんたちは手と口の周りベッタベタにしながら、我が子のあらびきでアナーキーな食いっぷりを見て、遠い目で乾いた笑みをこぼしていて。
なんか、うん、それでいいよね。飯を食うってそういうことだよね、って思えちゃいました。わたしたちがジブリから受け取ってきた、見えざる魂という感じ。
ほんで、ここで恐らく、みんなが思ってるであろう疑問。
「ジブリ飯、ないの?」
パズーの目玉焼きトーストとか、ニシンとカボチャのパイとか、カードも財布も持ったお父さんがついていながら笑えるほどどうにもならんかった謎ゼリー饅頭とかね。
ないです。
かろうじて売店に「風立ちぬ」のシベリアだけはありますが、シベリアは、まあ、もともと存在するお菓子だしな。
ジブリ飯は、ないです。
先日、とある作家の友人に、教えてもらったことがありまして。「どんな作品も“普通ならこんな風に書かないよね”っていうシーンに、作り手の一番強い意図がある」って。
普通はジブリ飯、売ると思うんですよ。デベロッパーかコンサルかわかんないけど、計画段階で絶対に言ったはずなんですよ。ジブリ飯やりましょうって。だって儲かるもん。バカ売れやん。
“アシタカが森の池ですくった水(250ml)”が600円でも買っちゃうよ、わたしなら。
それなのに「ジブリパーク」は、ジブリ飯を作らずにオープンした。ファンの想像を壊さないためと宮崎吾朗監督がおっしゃってたけれど。
このあたりから「ジブリパーク」が、他のエンタメ施設とはまったく異なる目的を持っているんじゃないかと、わたしは思ったわけです。
7.ダンボールの山の中に横たわるトトロに衝撃を受けた
5,000文字も使っておいて、すみません、ここまでが序章です。大丈夫でしょうか。わたしは引き返せなくなってきました。
さて。
ある展示を前に、わたしは打ちのめされてしまいました。目にした瞬間、頭をぶんなぐられて、ここだけ時が止まったような衝撃が。
中央階段の左の奥に「大倉庫見学路」という入り口があります。
恐らく「ジブリの大倉庫」の中で、いちばん人気がない展示室だったんじゃないかと思います。場所がわかりづらく、スタッフさんもおらず、なによりとても暗いので。
わたしも、なかなか入り口の存在に気づけなかった。
ほとんど人が入っておらず、たまに思い出したように5、6人が団子になって入り、写真を1、2枚撮って、ほとんど足早に素通りしていくような場所です。Twitterでも「見逃した」という声がちらほら。
どうか、どうか、ここを訪れてください。
中は、薄暗い、倉庫のようなつくりになっていました。
キャラクターの遊具が見えますが、それより圧倒的に多い、ダンボール、ダンボール、ダンボールの山。くすんだビニール袋のせいか、ちょっとホコリっぽさも感じる。
ダンボールには「2017年展示会 挿絵立て」や「糸車見本」などと書いてるので、これは本当にジブリが倉庫として使ってる場所を、茶目っ気で公開しているのかなと、最初は思ったんです。
でも、たぶん違うんですよ。
スポットライトの当て方とか、妙に立体的なダンボールの積み方が、倉庫として不自然で不合理。
あえて倉庫っぽく演出をしてるのかなって思ったけど、しっくりこない。あまりにダンボールの数が多すぎるし、展示するやつとしないやつの区別が謎。
ポニョは、かわいいんだけど!かわいいんだけどね!
子どもは暗さと雰囲気を怖がって、入れない子もいました。
それもすごく、変で。
「ジブリパーク」は、子どもを大切にしている場所なんです。それはオープン時に鈴木敏夫さんが「三鷹の森美術館は大人の方が多く来るから、こっちは子どもに来てほしい」と言ってたぐらいなので。ポスターに描かれているのも、子どもだけ。
映画館も、子どもが怖がらないように照明をつけたまま上映してる。
あんなに丁寧で繊細な施設をつくってる人たちが、どうしてこんな展示室を作ったんだろう。
ボーッと考えながら、見て回っていると。
倉庫の奥、乱雑なビニール袋や紐くずに囲まれて、ひっそりと「千と千尋の神隠し」の石像が。ベニヤ板みたいなものに半分埋まってる「となりのトトロ」のネコバスが。ダンボールの間に横たわる、トトロが。
もう、なんか、言葉が出なくて。シーンとしちゃって。耳もキーンって鳴ってような。
なんて、なんて言ったらいいんだろう。
たまらなく、さみしい気持ちになったんです。
幼かった頃、百貨店の屋上で、お母さんにいつも乗せてもらってたパンダの乗り物が、雨ざらしになってたのを見たときっていうか。祖母の家でずっと遊んでくれた優しい親戚のお兄ちゃんが、大人同士で喋ってるとき、本当は声が低くて、ほとんど笑ってなかったのを知ったときっていうか。
倉庫の外では、ロボット兵も、ネコバスも、カオナシも、お客に囲まれて、写真をいっぱい撮られてる。けど、実際に倉庫の中では、ほとんどのキャラクターがダンボールとともに、詰め込まれている。その落差よ。
ジブリの作品は、本当に、キャラクターを大切にしてるじゃないですか。誰も、作品の外側にいる大人の都合で動いてない。そこにいて、息をして、なにかを探して、生きているように感じられる。
だからわたしは、ポルコに恋して、シータの真似して、マーニーに救われてきたわけで。だから宮崎吾朗監督は、ジブリ飯を作らないと言ったわけで。
そのジブリが、ですよ。すべてのキャラクターに“命”を吹き込んでいる人たちが、ですよ。
こんな暗がりの倉庫にダンボールと一緒に詰め込んで、わざわざ“命がない”ような扱いを強調をして、お客に見せるなんて。そんなことを何も考えずにやるだろうかと。
単にスタジオの生っぽい空気を見せるなら、もっと他に、見せやすい工夫があるはずで。
普通ではないところに、作り手の一番強い意図がある……!
ああ、これはたぶん、わざとやってるんだ。ちゃんと考えた上で。その理由を探したい。
「考えすぎやから、一旦落ち着け。そういうもんや」と言われてしまえばそれまでだし、言われてそうな気もするんですが、ともかくわたしは、ジブリのファンであり、クリエイターの端くれでもある自分が受けてしまった衝撃を、たとえ恥ずかしい誤読であっても、噛み砕かないことには、帰られなくなりました。
8.「くじらとり」は子どもの本質を描いた
ふらふらする足取りを休めるため、座れる場所へ向かいました。
「オリヲン座」では、スタジオ・ジブリ制作の短編アニメーションが上映されています。入ってびっくり。しっかりした豪華なつくりの映画館です。
「三鷹の森ジブリ美術館」で上映されてるのと同じ短編が、期間ごとに入れかわっていくそうで、オープン時は宮崎駿監督「くじらとり」でした。
「いやいやえん」という中川李枝子さん作、大村百合子さん絵の児童書を、宮崎駿監督が深く愛して作った短編アニメーションです。
わたしは「くじらとり」に、さっき打ちのめされた大倉庫見学路の謎や、「ジブリパーク」の存在意義を、垣間見たような気がしました。
※ここから「くじらとり」のあらすじとネタバレを含みます※
「くじらとり」は、現実と虚構が突然混じり合う、不思議な話です。
保育園に通うしげる君は、年上の子たちが大きな積み木で船をつくっているのを見て、仲間にいれてほしいと頼みますが、小さいからと仲間に入れてもらえません。こっそり船に乗ろうとして、積み木がくずれてしまいます。
ここまでは「船のごっこ遊びね」って感じなんですが、突然、くずれた積み木の隙間から、海水がブワーッと入ってきます。魚もよってきて、保育園の床が砂浜になっちゃいました。
なんの脈絡もなく、いきなり海になる!
しげる君だけに見えてる海かと思いきや、他の子たちも波にさらわれそうになって逃げてるんで、マジの海です。
これは宮崎駿監督のこだわりだと思うんですが、子どもの一挙一動が、ガチでリアル。子どもの一筋縄でいかない動きを、完全再現してる。
おもしろいのが、普通の保育園の風景と、突然水が入ってきて海になる風景とで、書き込みの細かさが違うこと。
後者、つまり、虚構の方が、細部まで描写されてるんです。現実の方がどことなく、そっけなくて雑で、嘘っぽい。
これはたぶん、子どもの心理をそのまま表してる。子どもにとっては、いま、目の前に見えてる現実より、頭で考えてる空想の方が、現実っぽい時があるから。
ここは海だと一度思えば、たちまち海になっちゃうのが子どもの想像力。
驚かされることに、その虚構は、一人だけのものじゃないんです。この保育園の子どもたちは、みんな海が見えている。不思議だけど、子どもたちみんなで、虚構を共有して、遊んでいる。
虚構っていうとなんか響きが悪いけど、空想とか、絵本とか、アニメーションとかにも、置き換えても話が通じます。
わたしも、子どもだったときは、そうでした。校庭のジャングルジムは、美少女戦士たちが住むお城でした。無骨な鉄の棒を指して「ここは露天風呂ね!」と言えばみんなで「ハァ〜気持ちいい〜」と呆けたし、そのへんで拾った棒は魔法のステッキとして祭壇に飾り、みんなで取り合ったんです。
たった16分で、子どもの本質を描いた宮崎駿監督は、ものすごい。彼自身も、頭の中に広がる虚構を、スタジオジブリという場所で、アニメーションに変化させていったから、たどり着けた境地かもしれない。
※ここまで「くじらとり」のあらすじとネタバレを含みました※
9.「ジブリパーク」は「テーマパーク」じゃない
そもそも、ジャングルジムって、お城にするとか、そういう目的で作られたものじゃないですよね。シンプルに登るための遊具のはずで。
遊具を作るのは大人だけど、大抵の子どもは、大人が想像したとおりに遊具を使いません。軽々と大人の思惑を飛び越えて、壮大な物語を生き始める。
それをたぶん、スタジオジブリの人たちはわかっている。子どもたちにそうあってほしいと、願っている。
「熱風書店」に置かれていた、宮崎駿監督の「本への扉」という一冊がすばらしかったので、引用していきます。
「ジブリパーク」のパークは、テーマパークではありません。公園(Park)なんです。
公式WEBサイトにも、森と相談しながらつくっている公園と表記されています。
「ジブリパーク」は、子どもが一番の主役になれる場所にしたいという、強い意図を持って作られました。
それでいて、絶対に、子どもをナメていない。
先行きの見えない未来を生き、自らを鼓舞するファンタジーをつくる、子どもを尊敬し、祝福しているんです。
テーマパークの主役は、子どもじゃない。あれはマスコットキャラクターやジェットコースターが主役なので。
主役であるかどうかは、主体性を奪われていないかどうか(自分でなんでも自由に決められるか)で、決まります。
これもちょっと思い出してほしいんですけど、テーマパークに行ったことがある人の中で「あんまり好きじゃないし、なんなら不気味だと思ってたマスコットキャラクター」と写真を撮った人はいませんか。
わたしは、撮りました。撮る羽目になりました。
なんでかっていうと、母と父が「せっかくやから行っておいで!」「ほら笑って!チーズ!」とわたしの背中を押し、喜んでカメラのシャッターを切ったからです。何年も経ってから写真を見たら、それはそれで、悪くない思い出なんですけども。
マスコットキャラクターや大人が主体になって、子どもになにかを押しつけてしまう。もっと自由に遊びたくても、安全のために、きゅうくつなシートベルトをしたり、順路が決まってたり、行儀よく整列したりしないといけない。テーマパークは楽しい場所だけど、子どもの主体性を半分ぐらい奪うものです。
それと正反対の存在が、公園なのです。
公園では、好きな遊具で遊んでいい。ベンチだって、水飲み場だって、遊具にっちゃう。もしルールが必要なら、その場にいる子どもたちが話し合って決めます。そのルールも、日によってコロッと変わる。
「ジブリパーク」には順路がありません。地図も超少ない。そして、いろんなところに、特に説明もなければ元ネタもない水場やベンチがあります。
メーヴェに乗って疾走するジェットコースターも、手を振りながら歩いてくるトトロの着ぐるみも、映えるジブリ飯も、やたらと声をかけてくるスタッフも、ここにはいらない。
ジブリ作品の世界観や設定すら、子どもには必要ないと思っているかもしれない。大人はそういうの、すごく、喜ぶけど。
スタジオジブリほどの器なら「ジブリ作品を一度も見ない子どもたちがここに来ても、なにかワクワクする芽生えを感じてもらいたい」とすら、きっと思っているはず。
みなさんも、自分が子どもの頃、大好きだった公園を思い出してください。おもてなしが足りない、しょぼい……と思ったこと、ありますか?
未来でジブリ作品がいつか忘れられても、公園は残すという強い意志。
ジブリ作品は、多くを語りません。見ている人たちに、よくわからない、だけれど胸をつくような“何か”を感じさせます。
最初はよくわからなくても、何度も何度も、見ていくうちに、その“なにか”に自分だけの名前がついていく。厳しい社会で生き抜くための勇気や優しさをくれる。
「ジブリパーク」のポスターには「ゆっくりきて下さい。」という、手書きの言葉がドンッと載っています。あれは感染症対策で人数制限をしているから空いてるときに来てね、という意味のように思えます。
ですが。
全部をわかろうとしなくていいから、何度でもふらっと足を運んで、公園みたいに遊びに通って、“何か”を育んでねとも、わたしには読めます。
「ジブリパーク」はきっと、そういう奇跡の場所なんです。長い日本の歴史の中で、消えつつあった、大切な奇跡の場所。まるで、トトロの住む森のような。
このnoteの冒頭に書いた、ただのエレベーターに何度も乗りたいと言った女の子は、この地に祝福されたということです。
大人がここで子どもを遊ばせようと思うと、きっとうまくいきません。子どもに任せましょう。飽きて帰ると言っても「せっかく来たんだから」とかガッカリしなくて大丈夫です。帰って、また、思い出したように来たらいいんです。
ごめん、正直言うと、わたしも「ハウルが喋ってくれたらええのにな」と思ったよ、エレベーターで。愚かだ、本当にわたしは愚かだったわ。
10.大倉庫見学路に垣間見る、創作と継続の葛藤
最後に、じゃあ大倉庫見学路の悲しさはなんだったのか、ということを考えて終わります。無理やりにでも終わりに持っていきます。終わらないと。
「ジブリパーク」は公園ですが、普通の公園とは、明らかに違う宿命を背負っています。
それは、莫大な維持費がかかるということ。
奇跡の場所の存続には、お金がいるのです。子どもはお金を持っていません。誰が持っているか。大人です。われわれのようなね、薄汚い社会で汚れた大人がね、くすんだ心に灯る清らかな明かり“ジブリへの愛”を発動して、お金を払うんですよ。さあ、財布の紐を緩めよ!ゆけっ!
オープン初日は、グッズ売り場に2時間半待ちの列ができていました。大人がね、その手に菓子の箱を山積みにして。わかる。
フォトスポットも、SNSで写真をシェアできる大人ウケを考えられて、作られたのがわかります。
けど、それは本来、公園と子どもには、不自然な光景。2005年頃から愛知県が「ジブリパーク」の開設を交渉して、プロデューサーの鈴木敏夫さんたちが合意するまで、10年以上もかかりました。
公園にはショップやレストランなんて、必要ないと考えていたはず。でもお金を稼がないと、パークは存続できない。
このへんの、スタジオジブリとして譲れない線、みたいな葛藤があったんじゃないかな……と勝手に想像します。
わたしも2年前、作家として独立してから「創作することの楽しさと、創作を続けることの苦しさ」が、いやでも目に入るようになってしまった。
クリエイターの心と行動が一致しないというのは、たいてい、辛いんです。それはもう、自分の存在意義を見失うぐらいに。
あの「機動戦士ガンダムシリーズ」を作り続けてきた、富野由悠季監督も、素晴らしい創作者でありながら、壮絶に苦しんだ人です。
戦争の悲惨さをアニメーションで伝えているのに、そのアニメーションを作るためには、自作とはいえ戦争兵器の玩具を売って、お金を稼がないといけない。そんな矛盾の地獄に、富野さんは取り残されていた。
「ジブリパーク」にとって、そこまで深刻な状況じゃないかもしれないけど、やっぱりこのへんの葛藤は、多かれ少なかれ、クリエイターならあるんじゃないかな。
特にジブリ作品は、キャラクターを簡単には売り物にしなかった、尊い歴史があるので。公式ショップだって「どんぐり共和国」って名前なんだよ。共和国のおすそわけなんだよ。お店じゃなくて。パチンコにCRとなりのトトロ激アツ設定〜お前ン家、おばけやしき確定演出〜とかいう新台が出たら、みんなも嫌でしょ!嫌だよ!
「ジブリパーク」の展示やグッズは、クオリティとともに、目に見えない絶妙なギリギリのラインを守っているんです。
「ごめんね。キャラクターに宿った、大切な“命”を売ってるんじゃないよ。あくまでも、倉庫にしまってあった“モノ”を売ってるんだよ」
あの大倉庫見学路には、クリエイターの葛藤と、せめてもの誠意のような、表現のような、言葉に尽くせない何かが、まっくろくろすけのように蠢いて、時折笑い声を立てながら、息づいているような気がしたんです。同時にそれは、わたしたちが創作するということを、祈り、支えてくれてるような実感を伴って。
なのでわたしは、あれをああして公開する覚悟を思い、うちのめされてしまったと。うん。なんかまだうまく言葉にできないけど、今はこれがわたしの精一杯の言葉です。
なにかを作って生きる人ならきっと、あの倉庫の重みが伝わるはず。
11.おわりに
思いがあふれるあまり、深読みしてしまったにすぎません。全力で間違っているかもしれないし、っていうか、むしろ間違ってるんだと思います。大倉庫エリアしか行けてないし。
大人のわたしがあれこれ考えて書くことこそが、意味はない、望まれてないことなので。
ただひとつ、確かなのは、わたしはまた近いうちに「ジブリパーク」へ行きます。来年も、再来年も、ずっと。今までにない、すばらしい場所でした。すばらしさは、みんなが自分で、自由に見つけていいのが、すばらしい。
「ジブリパーク」の「熱風書店」で、たくさん本を買いました。ほんのちょっとの金額だけど、いつかまた、スタジオジブリが新しい作品や世界をつくるときに、役に立ってほしいなと願えるんです。
「ジブリパーク」へ行って、ジブリをもっと応援したくなった。ジブリが描く未来を心強く思った。ジブリが好きな自分を、好きになれた。良かった。
17年前、この場所で開催された万博を、中学生だったわたしは遠足で訪れました。その晩、わたしにとって最愛の父は、心臓病で突然亡くなりました。万博で感じた“何か”を話せなかったことが、悲しかった。
今日は、同じ場所に弟がいました。弟と感じた“何か”を、家に帰って母に話せることの嬉しさを、噛み締めています。弟はね、こんなダラダラと面倒くさそうなこと、きっと思ってやしないけど。
ゆっくり、行きましょう。