いい部屋とは、暮らす人と見守る人の愛しさが重なりあっている
「これ、転がしたらええんちゃうかな」
目の前に鎮座する、四角い一人がけソファをじっと見つめていた母が、ぽつりと言った。
こんなバカみたいに重いものをどうやって、100メートルは離れたゴミ捨て場へ持っていこうかと、私は頭を抱えていたところだった。
マンション中の住民が寝静まる深夜3時。
私と弟は全力でソファを転がし、前へ進んだ。
ゴロン、ゴロン、ゴロン。
シルエットだけ見たら、大きなお金を運ぶ原始人のようだ。
たしか「はじめ人間ギャートルズ」で、こんな光景を見た気がする。
誰かに見られたら、斬新な夜逃げを疑われてしまう。
2月初旬。
3ヵ月ぶりに実家へ帰省した私が、なぜギャートルズになったかと言うと、
母がとつぜん「広い部屋に移動したい」と言ったからだ。
広い部屋とは、私が東京で一人暮らしするまで使っていた子ども部屋のことだ。
子ども部屋とは名ばかりで、そこには私が二十年以上の歳月をかけて集めてきたホニャララや、若気の至りで買ってしまったホニャララなどが、積み重なったままだった。
対して母が昔から使っていた部屋は、とてつもなく狭い。
ベッドを置けば、ほぼ身動きが取れなくなる。
しかも、誰も弾かないピアノまでなぜか置いてあった。
うなぎの寝床を、地で再現する部屋だった。
そりゃ、まあ、移動したくなる気持ちもわかる。
ということで、怒涛の家庭内引っ越しがおっぱじまった。
名誉ある隊長に任命されたのはもちろん、私だ。
正直言って、めちゃくちゃ面倒くさい。
だが、ホニャララを放置し続けた、当然の報いだ。
家庭内引っ越しは困難を極めた。
まず、子ども部屋はバカかと思うほどモノであふれていた。
私のバカ。なんでこんな、いらないものばっか買ったんだ。
なぜか二脚あってどっちも使っていない椅子、さっぱり弾けないエレキベース、一段たりとも残らず壊れたチェスト、3冊も出てきた「これだけ読めば大丈夫!」という謳い文句の書籍。
嫌でも目につくそれらの始末で、一日はかかった。
モノは買うことより、捨てることの方がよっぽど大変だ。
私は齢28年にして、ようやく思い知った。
表面的に積み重なっている、大人になってから買った不要なものを片づけたら、
今度は子どもの頃に買ってもらったものが、続々と姿を現しはじめた。
まるで断層のようだ。
それらをまじまじと見ていて、わかったことがある。
私の部屋は、気に入ったものと、押し切られたものでできていた。
自分で買ったり集めたりしたものは、気に入ったものだ。
でも、明らかに気に入らなかったものもある。
たとえば、勉強机。
私がほしかったのは、夢のようにかわいいサンリオのキャラクターがプリントされ、ランドセルをひっかけたり、宝物をしまったりする引き出しがいっぱいある勉強机だった。
しかし実際は、とてつもなく洗練された、オシャレな無垢材の机だ。
ベッドまで同じデザインで揃えられていた。
デンマークだかフィンランドだかの、伝統あるブランドものだそうだ。
だが、子どもからしたら、洗練など余計な心遣いである。
むしろ洗練のせの字すらない、チープなゴチャゴチャ感こそが憧れなのだ。
幼かった私は、父に訴えた。
「こんなんイヤや!もっとピンクでキラキラで、かわいいのがほしい!」
「アホか。そんなんすぐ飽きるやろ。こっちの方がええぞ、みんな持ってへんからな」
一蹴され、私は下唇を噛んだ。
みんな持ってないものじゃなく、みんな持ってるものがほしいのに。
家具だけではなく、おもちゃでも同じような現象が起こった。
「奈美ちゃんに、おもちゃのお土産買ってきたるわ!」
出張に行く父がかけてくれた言葉に、私の目はらんらんと輝いた。
当時の私は、幼稚園生だった。
なにかな。なにかな。
ラメ入りのアイロンビーズかな。
お手するロボット犬・プーチかな。
なりきりメイクセットかな。
奈美少女は、窓際で頬杖をつき、ウキウキと想像をめぐらせていた。
夜になり、待ちに待った父が帰ってきた。
「ほら!ドイツの木でできたおもちゃやで」
私は愕然とした。
ちゃうねん。そういう方向とちゃうねん。
なんでやねん。なんでそうなるねん。
叫びだしたくなったが、ドヤ顔の父と、よかったねと手を叩く母を見たら、なにも言えなかった。
父が私の部屋に置いていったもの。
板が積み重なったタワーを、ビー玉が騒がしく駆け下りていくおもちゃ。
木の破片をめくり、裏に描かれた絵と同じ破片を探すおもちゃ。
木でできた熊の顔と上半身と下半身がバラバラに分かれており、貧弱なバリエーションで着せ替えを楽しめるおもちゃ。
全体的に、旅行で訪れた長野のログハウスの匂いがした。
待ち望んでいたものとは全然違うおもちゃで、しぶしぶ遊んだ。
でも、子どもというのは、与えられた環境でなんとかかんとか、楽しもうとする天才なのである。
仕方がないから、来る日も来る日も絵合わせをして極めた。
木の絵合わせ選手権大会があったら、西日本代表になれる自信がある。
しかし、遊びにきた同年代の友だちに「熊の上半身と下半身を組み合わせて遊ぼう」と誘ったら、だいたいポカンとされた。
ちょっとショックだった。
とにもかくにも、子どもがほしいものと、大人があげたいものには、マリアナ海溝より深い隔たりがある。
これは世界の真理だ。
話が長くなったが、部屋を片づけていると、それらが山のように発掘された。
もうおもちゃなんて使わないし、捨てようか。
拾い上げて、手を止めた。
捨てられなかった。
なんでだろう。あんなに、欲しかったものとは違うはずなのに。
少しずつ大きくなった私は、少しずつ使えるお金が増えて。
父や母からもらったものの上に、最新のゲーム機や、流行りのアクセサリーを積み重ねていったのに。
どうしてあのとき父は、私がほしくないものを選んだんだろう。
気になって尋ねたくても、父はもう亡くなった。
私が木でできた熊を、ぱち、ぱち、と重ね合わせていると。
リビングから様子を見にきた母が言った。
「うわあ、懐かしい!パパが買ってきたドイツのおもちゃやん」
「うん。めっちゃ遊んだ記憶あるけど、ほんまはテレビでCMやってるような、流行りのおもちゃがほしかってん」
「ああ……パパ、奈美ちゃんには本物に触れさすんや!って言ってたからなあ」
「本物?」
母はごそごそとクローゼットを探り、誇りだらけの写真アルバムを取り出す。
10冊以上あるそれを開いてみると、すべて見慣れない街の写真だった。
家族旅行とはちょっと違う。
レンガづくりの建物、吸い込まれそうなほど深い緑色の森、路面に開かれた市場を行き交う人々。
どう見ても、日本じゃない。
「ドイツやで」
「ドイツなんか家族で行ったっけ?」
「ちゃう、パパだけ仕事で行ってん。めっちゃ良かったらしくて、ずーっとドイツの自慢ばっかりしてたわ」
そういえば、そんなことを言っていた気もする。
だからドイツのおもちゃが多いのか。納得した。
「パパ、マンションのリノベーション建築の仕事してたやろ。古い建物も職人さんがオシャレに修理して、大切に使うドイツの文化に憧れとったんやって」
「たしかに、めっちゃきれいやなあ」
写真は百枚を越えていた。
父はきっと、夢中でシャッターを切ったのだろう。
「これ、クリスマスマーケットや」
ひときわ、賑やかそうな写真があった。
城塞に囲まれた旧市街。
おもちゃ箱をひっくり返したみたいな、数々の出店。
職人が手作りした、かわいい木のおもちゃを、抱えて帰る子ども。
大切につくられたそのおもちゃは、きっと大切にされるのだろう。
子どもの成長を、思い出と一緒に、家で見守ってくれるのだろう。
なんか、それって、いいなあ。
ハッとした。
きっと父は、自分が美しいと思うものを、私に触れさせたかったのだ。
言葉にする代わりに、部屋の家具やおもちゃを、選んでくれたのだ。
「私もパパやるやん!って思ったんやけど、肝心の奈美ちゃんは、他のがほしいって嫌がっとったなあ」
母は苦笑いした。
「うん。でも、今はこれの良さがめっちゃわかるわ。買ってくれてよかった」
よかった。
少なくとも今の私は、父が大切にしていた考えを、大切にしようと思える。
父はもういないけど、父の美学は、生きていく杖になる。
いい部屋というのは。
暮らす人と、見守る人の、愛しさが重なりあってできている。
私の子ども部屋は、とびきりのいい部屋だった。
数日後。
無事に家庭内引っ越しを終えた母から連絡があった。
「奈美ちゃんの部屋、快適やわ」と添えられた写真には、母の好きなものが全部盛りになっていた。とてつもなく、情報量の多い写真である。持ち込みすぎだろ。
私が気に入って買ったカエルのセロテープスタンドには、セロテープの面影がなく、代わりに付箋がぶち込まれていた。完全に、母仕様になっている。
私が好きなものであふれていた部屋は、母が好きなものであふれる部屋になっていく。
でも、そこに、私の美学も残っている。
「あと、あんたが大好きやったぬいぐるみもクローゼットから出てきたから、お風呂に入れてきれいにしといたで。この子めっちゃかわいいな、名前つけよか」とも、付け足されていた。
うん、いい部屋だ。