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読書感想文のお祭りするから、宮沢賢治のイーハトーブへ行ってきた

いよいよ、11月22日(日)・23日(月祝)は、読書と感想文のお祭り「キナリ読書フェス」です。みんなで同じ日に本を読み、同じ日に語りあい、同じ日に感想文を書きます。

出版社や著者の協力で、総額20万円の賞金と、すんばらしい賞品も用意していますので、どうか参加してくださ〜い!感想文の応募〆切は11月23日21:00。

キナリ杯に引き続き、わたしがぜんぶ読みます。


課題図書のうち、1冊。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」です。

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これを課題図書にした理由は、みっつ。

・自然や動物の美しい描写が、心地いいから。
・好きなアーティストが何人も、作品をモデルに曲を作っているから。(GOING STEADYと米津玄師)
とはいえ読んだとき、よくわからなかったから。

そう。
宮沢賢治好きや文学好きからしたら、しばかれそうな動機であるが、よくわからなかったのである。

そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。
銀河鉄道の夜『五・天気輪の柱』

これは川の描写だけど、とんでもなく美しくて、いきいきしている。ガラスより透き通る、はわたしでも思いつくかもしれないけど。“水素よりも透き通る”は、よう思いつかん。

だから、読んでいてわくわくするし、癒やされる。
でも。

「なんで、あいつが死んでしまうのん……?」
「ほんとうの幸(さいわい)って、なんぞ?」
「銀河鉄道の夜は、4種類もバージョンあるけど、どういうこと?ポケモン赤青緑みたいなやつ?」
「普通に原稿用紙途切れてるやん」

読めば読むほど、腑に落ちないところや、子ども向けの童話のはずが難しい概念が出てきて、アンパンマンやドラえもんに慣れ親しんでいたわたしの脳ではお手上げになってしまうところがいくつかある。バイキンマンをコテンパンにしたら終わりではないのよ。


だから、みんなはこの物語をどう読んでいるんだろうと知りたくて、課題図書を「銀河鉄道の夜」に決めた。普通にズルい理由があった。

ただ、わたしも「読んでもわからないなら、読む以外の方法で、宮沢賢治と銀河鉄道の夜を知ろう」と思って。


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岩手県は花巻市、イーハトーブにやってまいりました!

イーハトーブ(作品の発表時期によってはイーハトーヴォ)というのは、宮沢賢治がつくった言葉で、理想郷のこと。その理想郷のモデルは、彼が生まれ育った岩手県だそうな。外国じゃなかったのか。

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ちなみに、Macでフォントをインストールすると表示される見本にも出現するよ。ハイセンス。

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寝起きによるフラッフラの足取りで、東北新幹線を降りてすぐわかったけど、空気が澄んでいて、田園も川も紅葉も美しい。

自然が豊かだから理想郷なのかな、と思っていたけど。それだけじゃなくて、地震や津波の自然災害を乗り越えた、たくましい土地という見方もあるみたい。

宮沢賢治の多くの作品にはイーハトーブが描かれているので、生涯を賭けて、理想郷を書き、追い求めていたといえる。

すごいな。それくらい熱量を投じられるテーマを、生きてるうちに見つけられたらいいな。

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さて。

作品のスケールもでかいが、岩手県も負けじとでかい。一人で宮沢賢治のルーツを訪ね歩いていたら、日が暮れる。自動車免許もまだ取れてないし。

そこで助っ人に来てもらった。

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ヘラルボニーの代表・松田崇弥さんだ!

障害のある人のアート作品をスカーフやバッグにして、異彩を世に放つヘラルボニーの本社は岩手。「一度、赤べこグッズでコラボさせてもらった」という縁を擦りまくり手繰りまくり、図々しくも案内をお願いした。

「ここは、宮沢賢治が書く世界を再現した“宮沢賢治童話村”です」

「うわ〜!銀河ステーションだ!ここからジョバンニが鉄道に乗ったのか……」

駅舎を見て、じわっと感動。文章だけで読んでると、好きに想像できるのがいいけど、実際に目にするとそれはそれで迫力があって嬉しい。

「ほかにはなにがあるんですか?」

「ほかにはですね……」

崇弥さんが、童話村のなかを案内してくれた。

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「インスタ映えスポットがあるらしいです。ここで撮ると……あっ、ほら、なんかいい感じになる」

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「この景色もなんかインスタでよく見るけど……あっ、こういう構図で撮ると……ほら!いい感じ!」

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「岸田さん、岸田さん。トンボがいますよ」

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「捕まえたあっ!!!!!!!!!」


わんぱくさんかな?


「インスタ映え」「トンボにはしゃぐ」っていう、二大・宮沢賢治とかけは離れた事象と遭遇してしまった。たしかに映えたけども。

ただ、崇弥さんは底抜けに良い人なので、イーハトーブで育つと、このように心も豊かで無垢になるのかもしれません。

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宮沢賢治童話村には、作品をモチーフにしたいろいろな展示があります。これは、街の人々が作った「セロ弾きのゴーシュ」のジオラマ。

そういえば、お土産屋のお爺さんも、チケット売り場のお姉さんも「賢治さん」「賢さん」と親しげに呼んでいる。

わけを聞いてみた。

「賢治さんは童話を書きながら、岩手の人たちに農業を教えてたんですよ。肥料にも賢治さんって名前がついてるくらいで。わたしたちにとっては、文豪より、みんなのお兄さんみたいな先生っていうイメージが強いのかもしれませんね」

直接会ったこともない、もう生きていない人なのに、みんなに慕われているっていいな。わたしの故郷にも、みんなのお兄さんはいるだろうかと思ったけど、思い当たるのがイオンモールにいるやたらと動きが機敏なガードマンのおじさんくらいだった。バリバリのご存命。


「あれっ、そういえば崇弥さんは賢治さんって呼んでないですね?」

「実はぼく、宮沢賢治の作品、ちゃんと読んだことないんですよ」

「えっ!じゃあなんで案内してくれるんですか」

「いやあ、ずっと読みたいと思ってたから、岸田さんと一緒に勉強しようと思って。いい機会だし、アハハ」


そのためにわざわざ車を出して、二日間、イーハトーブを走り回ってくれるので、こちらが不安になるくらい良い人である。

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ちょっと崇弥さんに似ている。わんぱく具合が。


宮沢賢治記念館へ、その生涯を学びにいこう

宮沢賢治を知るために、絶対に欠かせないスポットが「宮沢賢治記念館」だ。この日も、修学旅行生を乗せたバスが次々と到着していた。

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語り部をしてくださるのが、学芸員の牛崎俊哉さん。以前は、この記念館の副館長も務められている人だ。

なんと、崇弥さんの叔父さんである。

「ぼくの叔父さんなんですよ。宮沢賢治がすっごく大好きで」

崇弥さんからはじめて紹介されたとき、腰を抜かすかと思った。

牛崎さんは物腰やわらかくて、前評判のとおり、宮沢賢治愛にあふれた素敵な方だった。そこまでは予想の範囲内。

ここからが予想の範囲外。

「最近、米津玄師の歌に『カムパネルラ』っていって、銀河鉄道の夜の登場人物をモチーフにした歌があるんですけど」とわたしが切り出すと。

「ああ、ハチさんですか。彼の歌は本当に良いですよね」

「よ、米津玄師をハチと……!?」

※ハチ=米津玄師がボカロPをしていた2009年〜2011年に使われていた名前。

「め、めっちゃお詳しいですね」

「最近は鬼滅の刃と宮沢賢治の共通点について考えまして」

「鬼滅の……刃……?」

ことごとく、牛崎さんから投げられるボールが剛速球すぎて、のけぞるかと思った。ちなみにこの話はめちゃくちゃおもしろかったのだけど、書き出すとキリがないくらい濃かったので、キナリ読書フェス・23日19:00〜の対談配信で聞いてね。

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「永久の未完成これ完成である」

宮沢賢治の作品に向き合う姿勢がしめされた言葉だ。

銀河鉄道の夜は、何度も何度も、書き直されている。どれくらい書き直されているかっていうと。

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一枚の原稿用紙に、四種類の物語が上書きされてるくらい。

今ならパソコンで原稿を書くから「原稿_ver.1」「原稿_ver.2」……と違うファイルで上書きするのが普通だけど、完成した初稿の用紙にどんどん書き直していくのは、ちょっと見たことがないよね。

だけど、完成された作品は何度も何度も手直しをして、さらに新しい完成へと導かれていく。

銀河鉄道の夜は、四回生まれ変わった。そのたびに、宮沢賢治が目指す完成像も違う。なるほど、四稿もある理由がわかったぞ。

それと、ここ。

「けれどもほんとうのさいわい(幸い)は一体なんだろう」
ジョバンニが云いました。
「僕わからない」
カムパネルラがぼんやり云いました。
銀河鉄道の夜【9・ジョバンニの切符】

銀河鉄道の夜では「ほんとうのさいわい」を探すことがテーマの一つになってるんだけど、結局のところ、カムパネルラの「わからない」で終わる。

物語、とりわけ童話では、主人公がテーマへの答えを見つけて大団円を迎えるのが普通だ。「友情だ」「努力だ」「勝利だ」など、おいおい納得のいく答えを。

それなのに主人公たちの答えは「わからない」なのだ。


なんらかの納得のいくお土産をもらえるはずだと思っていた甘っちょろいわたしは拍子抜けしてしまい、ここで宮沢賢治は難しいなと思ってしまった。

でも「永久の未完成これ完成である」という宮沢賢治の考え方を知ったら、「わからない」ことが一番大切な気がする。本当の幸せなんて、誰もがそう簡単に出せる答えではないし、生きているうちにコロコロと変わることもある。

だからこそ、自分に問い続けないといけない。未完成な自分へ「わからない」を。わかったふうにしないで。誰かの言葉から、簡単に答えを借りてきたりしないで。


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書き直しといえば、宮沢賢治は絵もたくさん描いていたそうだ。知らなかった。このミミズクの絵は、記念館のバッグとか、街の土産屋のお菓子のカンカンとか、いろんなところに使われてた。

絶対このミミズク、落書きなのに、こんな盛大に使われてるってどんな気分なんだろうな。わたしも落書きには気をつけよう。

「宮沢賢治って、なんでもできたんですね」と牛崎さんに言ってみた。

「いやあ、なんでもできるというより、なんでもやったんですよ」

「そうなんですか?」

「賢治は32歳のときに、病気であと数年の命と知ってから、園芸、オルガンやチェロの練習に熱中したんですよ。亡くなるまでにやりたいことを全部やろうと思ったんでしょうね」

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「熱中しすぎて、2年で体調悪くして倒れてしまうんですけど……」

なんでもやりすぎや……

でもわたしも、同じことをするかもしれないな。できるかどうかはわからないけど、したいよな。

宮沢賢治記念館、牛崎さんとまわると、すごく楽しかった。見逃してしまいそうなところも、味わい方をしっかり教えてくれるからだ。

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年表の「鼻の手術と初恋」とか、めちゃくちゃおもしろいけど、うっかり見逃してしまうところだった。あとから来ていた修学旅行の中学生たちは絶対見逃してた。かわいそうに。

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わたしが一番、牛崎さんに案内してもらって、知ることができてよかった宮沢賢治の言葉はこれだ。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
(中略)
「われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」

わたしは、「世界がぜんたい幸福」とは、この世界中のみんなが幸せで平和であることだと思っていた。戦争も、貧困も、厄災も、病気もない世界。

だけど、牛崎さんの考えは少し違った。

「そういう捉え方をする人が多いんですが、賢治は“一人ひとりに世界がある”という考えをしていたんです。人だけじゃなくて、鳥や虫や無機物にも命があって、それぞれの世界があると」

鳥や虫や無機物にも命。だから、あんなに瑞々しい描写ができるのか。いやそれ以上に、「一人ひとりの世界」というのが衝撃だった。

ひとつの世界を幸せにしても、一人ひとりが幸せとは限らない。

たとえば、車いすに乗っているわたしの母にとっては、凸凹のない平らな道が動きやすいから“幸せ”でも、目が見えない人にとっては凸凹のある点字ブロックがあった方が“幸せ”だ。

温かい方が幸せな人もいれば、寒い方が幸せな人もいる。

石油やガスが豊富にあって住みよく開発される方が人間は幸福だが、動物は森を追われて不幸になる。

一つの仕組みでは、幸福は相反する。だから一つの世界ではなく、一人ひとりの世界を幸せにすることを考えなければならない。

この考え方はすばらしいと思ったし、自分の幸せを他人に押しつけることの恐ろしさが身にしみた。ものを書いているなら、なおさらだ。

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イーハトーブ、もとい岩手県花巻市に来てよかった。宮沢賢治について、知らなかったことを減らすことができてよかった。

これからキナリ読書フェスに応募してもらう感想文を読んで、わたしの知らない宮沢賢治の世界にもっと触れられるのが楽しみ!

みんなが、ほんとうのさいわいを見つけられますように。たとえその答えが、わからない、であったとしても。

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今回のキナリ読書フェスでは「好書好日賞」と「優秀賞」を設けました。

「優秀賞」は牛崎さんと一緒に選び、受賞者には宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が書かれた手帳の精密なレプリカ版を贈ります。みなさんのご応募、お待ちしています。


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