四半世紀目の天気予報
わたしの“火事場の馬鹿力”ならぬ“焼け跡の馬鹿力”の活動限界値は、2週間ではないかということを、以前書いたことがある。
どんなに大変な状況でも、2週間だけなら、苦しさや悲しさをそっちのけにして、がんばれる。2週間を過ぎると、ガクッと落ちるのだ。
何気なく見ていた天気予報に目がとまった。
天気予報にも“2週間天気”というのがある。
2週間後の天気は、晴れるらしいぞい。
活動限界値を超えた先で、晴れた冬の空の下で、自分がどんな風にやっていけてるのか想像できない。遠すぎる未来のような気もするけど、天気は決まってるのは、なんか不思議だ。
誰がいても、誰がいなくても、元気でも、絶望していても、当たり前だけど地球は回っている。天気が変わっていく。
清水とおるさんの顔が浮かんだ。
わたしが木曜にレギュラー出演している番組『newsおかえり』の気象予報士。
見よ、このどこからどう見ても、
人の良さそうなお顔を!
3時間にわたる番組なので、3回も天気予報がある。仕方がないことだけど、われわれ出演者は、3回も同じ予報を聞いているのだ。
尾木ママにいたっては東京から来ているので、自分にはまったく関係のない地域の予報を聞きながら、身を乗り出し、あんなににこやかな表情をたたえている。
けれど、3回も聞けちゃうのは、清水さんが話してるからだと思う。
清水さんの予報には、人柄がにじみ出ている。天気がどんなに荒れても、どんなに変わっても、清水さんが言ってくれるなら安心できる。
わたしは清水さんに、電話をかけた。
いきなり。
清水さんはオンエア前で、お昼ごはんを食べていた。
「すんません、かけなおします」
「いえいえ、いちばん暇な時間なので」
いきなり、やさしい。
「どうして天気予報って2週間先まであるんですか?」
この唐突感。校外学習の小学生さながらの。仕事でしか付き合いのない大人から、突然こんな質問の電話がきたら怖すぎるよ。
「ああ、前までは10日間予報だったんですけど、いまは2週間先まで出すようになったんですよ。ええと、アンサンブル予報っていって……ちょっとずつ数値を変えて、何度も計算して、低気圧と高気圧がこのコースを進んだら、だいたいこの天気になるだろうという」
一気に、子ども科学電話相談の雰囲気になった。
「スパコンとかで計算を?」
「そうです、まさに」
スーパーコンピューターの登場で、天気の予想がどんどん先までできるようになったというわけだ。
「とはいえ、2週間先になるとあんまり当たらないんですよね。急に熱波が起きたり気圧が停滞したりで、すぐ変わってしまうんで」
「スパコンがもっとスーパーになれば、1ヶ月先の天気も100パーセント的中する?」
「はは、するでしょうねえ。今もね、1週間先ぐらいなら昔と比べてずいぶん当たるようになりましたよ。25年かな……ぼくが気象予報士になってから」
25年、四半世紀だ。
じゃあ気象予報士のお仕事はずいぶん楽になったのかしらと思ったが、意外とそうでもないらしい。
「いまの天気予報は当たって当然でしょう?気象予報士は、予想が当たって褒められる仕事じゃなくなりました。外れて叱られることはあってもねえ……ああ、ずっと当たればいいなあ」
ずっと当たればいいなあ。
清水さんの苦い呟きは、どこか、かわいらしかった。
たしかに、天気予報が当たって感謝したことはないかも。外れたときに喜んだり、怒ったりしてきたよな。
「気象予報士を辞めたいって思ったことありますか?」
「えっ、いやいや、ないですよ。ないけど、そうですねえ、いつまでできるのかなってふと思うときはあります」
「えっ、まだまだ現役でしょう!現役でいてくださいよ!」
「環境の変化で、天気がね、昔より劇的で猛烈になって。そうなると人の命にかかわる予報になってくる。命を失わせてしまうかもしれない天気を予測するんです。もちろん大切ですが、しんどい天気予報です。年を取っていくたび、ぼくはいつまでしんどい天気予報を続けられるんだろうかということは……よく考えますよ」
熱波。大雨。台風。
猛烈な天気が押し寄せると、テレビにはずっと天気予報が貼りつく。
スーパーコンピューターが計算した予報で、清水さんはそれを読み上げているだけだと思っていた。でも、思い返せば、そうじゃないのだ。
“朝には波が高くなりますので、海岸には近づかないようにしてください”
“バケツや傘など、風で飛んでいってしまいそうなものは日中に片付けておきましょうね”
清水さんは、自分の言葉をそえている。
もう聞き慣れてしまったように思うけど、あれはひとつひとつ、いつ言うか、なにを言うか、清水さんが判断しているのだ。
時々、清水さんには、テレビの画面の向こうの人たちが見えてるんじゃないかって思う時がある。
今まさに、子どもを迎えに行こうと立ち上がる人や、車を洗おうかどうか悩んでいる人たちの姿が。
「四季って、一周して、また巡ってくるものだと思うじゃないですか」
「そうですね」
「天気と毎日向き合ってると、ちょっと違うなって気づいて。同じ春でも、一年経てば全然ちがう。季節は巡るだけじゃなく、時間は前に前に進んでいるんだなあ、と思います」
同じ春は二度とこない。そうだ。今年の年越しは、母が入院している。弟とふたりきり、初めての年越し。黒豆の炊き方もわからない。
時間は前に前に、進んでいく。
「あっ、でもぼく、ついこの前にちょっと思ったことがあって」
清水さんが思い出したように、話しはじめた。
「ぼくがコロナにかかって、番組を休んでしまいまして。いまは元気なんですけど、気持ち的にはずいぶん引きずってるんですよ。あんなに外出も控えて、人に会うのも我慢して、神経つかって消毒して、家に閉じこもってて……かかってしまうのかと」
「ああ」
「あの我慢は、なんだったんだろうなあって。いや、必要だったんですけど。こんなにも我慢して、報われないことがあるのかって、もうほんと、ガクーンッと」
清水さんは、誠実な人だ。わたしはスタジオの一番近い席で見ているので、よくわかる。一挙一動一投足、清水さんはそうなのだ。
「報われないことがあると思い知ってからが、たぶん本当の始まりなんですよね。報われないことをどれだけ受け入れられるか」
この言葉が、ずっとわたしの中に残っている。
報われないことを、受け入れる。
どれだけ天気予報を緻密にやっても。感染症にかからないようにしても。自然の力は強大で、努力なんて報われない時はある。報われていく努力のかたわらで。希望と絶望はいつもそばにある。
わたしと母もそうだった。
傷の治りは、どれだけ栄養を取っても、治療に専念して休んでも、思うようには進まなかったのだ。
報われない、と思い知ってからが、本当の始まり。そこから進むのだ。
わたしは、苦笑いをする清水さんに、もうすこし聞いてみた。
「昔の、ずっと昔の人は、2週間先の天気なんてわからなかったはずですよね?」
「それも“日和見”っていって、土地ごとに天気を見る人がいたんですよ。あの山に雲がかかると雨とか、風車がこっち向きに回ったら晴れとか。いまよりずっと外れてたでしょうね。そもそも人間が見れる地平線って、6kmとかですから……どんな天気が来るか、その日になってみないとわからない」
わたしたちは、2週間先の天気を気にするようになった。自分がどうなっているか想像しきれないぐらい先の天気を。
的中して当然の天気予報が外れると、怒り出すようになった。それはもう、人間には感知できないことであるのに。
「昔の人の方が、報われないことに慣れていたのかもしれませんね」
わたしが言うと、清水さんが電話の向こうで穏やかに笑った。
「その日その日の天気の移り変わりを受け止めて、突然の雪や夕立で、はしゃいでる人や犬もいたんでしょうね」
清水さんは、エビシーがギターを弾いてるのか、ベースを弾いてるのか、すぐに見分けをつけることができる。ほんのちょっとの、手の動かし方の違いで。
目がいいのだ。
ずっと空の天気を、テレビの向こうの人を、見えないものさえ見つめてきた、清水さんは。
不穏や不和は、体にたまってゆくものだと思っていた。
体がズーンと重くなってくると、不調をぞわぞわ感じて、温泉やマッサージに行ってなんとか逃がそうとする。寝て、回復しようとする。
でも管理できないものすら、わたしは管理できていたつもりなのかもしれない。天気なんかは結局、人間なんぞに管理できるものではないのだ。
予報はできるけど、天気の方がいつだって猛烈で唐突なので、あっけなく外れてしまう。
わたしたちは結局、天気を“やり過ごす”ことしかできない。いくら頑張ろうが、我慢しようが、関係なく、天気はわたしたちの上を通り過ぎてゆく。
体にたまっていくようで、本当は、わたしたちの上を通り過ぎてゆくだけ。梅雨雲のように停滞することもあるだろう。切れ間に晴れることもあるだろう。
どうしようもないのだ。あらがっても報われない。
でも、通り過ぎてゆくものは、永遠じゃない。
悲しみも、やるせなさも、怒りも。この言葉にできない情けなさも。いつかは勝手に通り過ぎてゆく。
ただ一人で雨を待つのはつらいから、この世界のどこかに、一緒に「あーあ」と空を見て、マヌケに呆然としてくれる人はいるはずなのだ。