スローインの貴公子、スタジアムへゆく
生まれてはじめて、スタジアムでサッカー観戦をすることになった。
ことの始まりは、ワールドカップである。
ド深夜、煌々と光る液晶の向こうで、次々と強豪をブチ破っていく日本代表に感動し、エイヤでツイッターを開いた。
書いたら、バズった。
バズらせたのは、Jリーグのサポーターたちだ。
「選手たちを育てた地元クラブをぜひ応援してください!」
「お金を払えば、なんと試合が観れてしまうので実質無料です!」
「将来の日本代表選手を、その目で見極めましょう!」
カッパの子たちが、沼の底から次々と飛び出し、手を引くかのよう。勢いに…勢いに飲まれてしまう……!
数日後、レギュラーコメンテーターをやらせてもろとる『newsおかえり』に出演するため、朝日放送テレビ局までノコノコ出かけると。
プロデューサーから呼び出しをくらった。
「岸田さん。実は昨日、局に問い合わせが入りまして」
「わかりました、堂島川に沈みます」
「いや、クレームじゃないです……」
失言か素行不良かとにかく何かをやらかして苦情が入ったのだと覚悟したが、どうやら違うらしい。
「ガンバ大阪さんから岸田さんへ、ホーム開幕戦のご招待がきました」
そんな貴族のダンスパーティーみたいなことあるんや。
ご招待という響きに一瞬浮かれてしまったが、鵜呑みにしてはならない。響き的には、ご招待された先でライアーゲームが始まってもおかしくないのである。このホーム開幕戦には必勝法がある……。
ところがどっこい!
ガンバ大阪のえらい人がツイッターを見て、直々に声をかけてくださったそうだ。
カッパの……親玉まで……出てきちゃった……!
「せっかくですし、取材班も一緒に行って、番組で取り上げようかと」
「おお、いいじゃないですか!」
はた、とわたしは動きを止めた。
「あっ……でも2月25日でしたっけ。その日は弟がグループホームから帰ってくるんで、遊ぶ約束しちゃってました」
「よかったら弟さんも一緒に行きましょうよ。姉弟ロケってことで」
プロデューサーからあっさり言われたので、わたしは返答に迷った。これは真に受けてはいかん優しさのたぐいだろうか。
「……いいんですか?」
「だめですか?」
「いや、だめっていうか、あの、弟は障害があって、ロケってなるといろいろ、その、ややこしくないですか」
あまりに何も確認されないので、しどろもどろになってしまった。
プロデューサーは隣に立ってるディレクターと「???」って感じで、顔を見合わせた。
「楽しんでくれたら、それだけでもう、ぜんぜん」
だ……大丈夫なんだろうか……。
ということで。
2023年2月25日の土曜、わたしと弟はパナソニックスタジアム吹田へやってきた!
最初は弟を
「サッカーの応援に行こうや」
と誘ったのだが、スポーツ観戦にまるで興味のない弟は、うーん、と虚空を見つめて首をかしげただけだった。
「美味しいもん食べられるらしいで」
すると、のっそり立ち上がって、黙ってわたしの後をついてきた。
「岸田さん、良太さん、こっちです!今日はよろしくお願いします!」
プロデューサーの河井さん、ディレクターのツッキー、そして佐藤アナウンサーと合流する。
さっそく、予想外のことが起きた。
東京03の豊本明長さんに激似のツッキーが、弟の首元にピンマイクをつけてくれたのだ。
「弟の声も拾うんですか?」
「あっ、そうさせてもらいたく!」
「弟、ほぼなに言ってるかわかんないと思うし、独り言もすごいんですが……」
こういうやりとりをしている間も、ふと後ろを見れば、弟は「たいほしますっ」や「はんにんはっ、だっ」などの独り言ワールドに没入している。贔屓にしている火曜サスペンス劇場のセリフである。
「大丈夫ですよ!」
「ほんまか?」
「楽しんでる様子が伝われば、それがいちばんですし」
あまりにも無垢でまっすぐな目で言われるので、こうなると、野暮なことを言ってるのはわたしの方のように思えてくる。
ファストフードの屋台や、遊園地みたいな設備が立ち並ぶ中、ロケが始まった。
そして。
天然芝のピッチのそばまで入らせてもらったときも。
モフレムをモフモフさせてもらったときも。
弟がいつもわたしの隣にいる。カメラもずっと、弟の姿をとらえてくれる。
あまりにツッキーがなにも言わずにあたたかく見守っているので、わたしは心配になって、河井さんにコソッと耳打ちした。
「弟がずっと映ってるんですが、脇によせなくて大丈夫ですか?モフレムから剥がしましょうか?」
「な、なぜ……?」
「いいんですね、ほんとに、映っていいんですね?」
こんなにも弟を、縦横無尽に野放しにしていいのか。今だって彼は段取りを丸無視し、モフレムに「でっかいな、でっかいな」とタメ口かまして絡んでいる。
ピッチから観客席まで移動する間も、弟はツッキーとなにかしら楽しそうに、ぽつぽつと言葉を交わしていた。
ニワカのくせにユニフォームへ袖を通し、いざ、試合開始の時が来た。
まさかとは思っていたけど観客席も、佐藤アナ、わたし、弟が並んで座った。カメラの画角内に三人ともぴったり収まる。
河井さんとツッキーは冷える地べたに中腰のまま、試合のあいだずっとカメラを構えて向けてくれていた。むごい。
目の前で繰り広げられた、ガンバ大阪とサガン鳥栖の試合は。
それはもう、大迫力だった。
っていうかドリブルもシュートも速すぎて、最初のうちは目がついていかない。どないなっとんねん。さらにスタジアム内の名店「くくる」のたこ焼きをパクパクしながら観てるので、情緒が忙しい。
鈴木武蔵選手がゴールを決めたとき、あわてて立ち上がり、たこ焼きを天空に掲げながら雄叫びをあげた。情緒が……情緒が忙しい……!
弟はわたしと佐藤アナよりも速く立ち上がり、
「うわーっ!やったあああああー!」
わたしよりも大きく叫んでいた。
あっ、来てよかった。
白熱の試合は、1-1の引き分けに終わった。
盛り上がりすぎて放心していると、佐藤アナが
「なんと……サプライズで、宇佐美貴史選手にインタビューしていただけます!」
「でええええええええ」
さっきまで、宇佐美選手のドリブルさばきに鳥肌を立てていたばっかりなので、もう頭は真っ白である。どうしたらいいかわからん。
ニワカが……キャプテンに……なにを聞けというのだ!?!?!
震えている間に、宇佐美選手がやってきた。ギャアッ。
なにを話したのか、緊張のあまり覚えていない。開幕戦で引き分けてしまったので、キャプテンという立場から、宇佐美選手の表情は少し曇っていた。
ただ、ニワカのド素人がスタジアムまで来たことについて、
「本当にありがたいです!ここまで足を運んで、試合を観てくださるだけで、どんなにチームの力になることか」
と喜んでくれたのと。
帰り際に、わたしの横にスッとかがんで
「ありがとう!」
弟にグータッチをしてくれた。
スローモーションのように、記憶に焼き付いている。宇佐美選手が去ったあと、弟はしばらく、拳をじっと見つめていた。
それから弟は二日間、ガンバ大阪のユニフォームを脱がなかったので、母に「ええかげんにしなさい!」とひん剥かれて、半裸でベッドに転がっていた。
木曜日の『newsおかえり』で、9分間の特集として放送された。
今だからぶっちゃけると、弟の映像や音声はきっとカットされてるだろうな……と諦めていた。
わたしは家族だから弟に甘いけど、家族だからテレビの苦さも知っている。
障害者週間や24時間テレビなどにあわせた“福祉”の特集や、障害のある家族の“感動”のドキュメンタリーなら、知的障害のある人はカメラに映る。
けれど。
そうじゃない“普通”のバラエティや、“普通”のロケに、知的障害のある人は映らない。
わたしの弟は、パッと見ただけで「ダウン症」だとわかる顔つきだ。そういう人が、福祉や感動の脈絡がなくテレビに映って喋っていると、視聴者は混乱してしまう。情報量が多いから。
とにかくわかりやすいのが、テレビの特徴なんだし。
カットだよ、カット。絶対にカット。
そう思っていたのに。
放送された特集には、“ダウン症の弟”なんて説明は一切なく、当たり前みたいに映っていた。
モフレムに抱きつく弟が。シュートに大興奮して立ち上がる弟が。
宇佐美選手にインタビューしたときに
「あー、たろいあっ、えす!」
と、言った弟が。
ちゃんと『楽しかったです!』という字幕と、ともに。
そこに映っているのは、感動の障害者姉弟ではなかった。サッカー観戦に感動する姉弟だった。
楽屋に戻り、メイクさんからそっとティッシュを渡され、わたしはちょっと泣いてることに気がついた。
見送りに来てくれたツッキーに聞いてみた。
「よく字幕つけられましたね、わたしでもなかなか聞き取れないのに……」
「えっ。最初は難しいかもと思ったんですが、何度も聞いてると、弟さんの言葉はちゃんとわかりました」
「あんな風に映してもらうの、初めてですよ」
うちだけじゃない。
たぶん、世界的にも初めてじゃないか。
知的障害のある人が、ロケにずっと出てるなんて。
「スタジアムで、弟さんが僕に一生懸命いろいろ話してくれたから……ああ、これはやっぱり放送したいなって」
なんでわたしが驚いているのかわからない、といった感じでツッキーが言ってくれた。
特集の最後。
わたしは、こんなふうにコメントした。
「自分のことを好きになれました。席にすわって、声を張って応援するだけで、あんなにすごい選手たちの力になれている。わたしでも役に立てることがあるんだって」
それは、画面越しの宇佐美選手と弟の姿から、受け取った確信だ。
弟はかつて、スローインの貴公子だった。
小学校6年間、サッカーを習っていた。
休み時間、いつもひとりぼっちで過ごしている弟を見た母が「みんなで遊べるスポーツをやらせてあげたい」と、始めさせたのだ。
いくつものサッカークラブに電話をかけて、やっと一件、弟を入れてくれるところと巡り会えた。
弟は意外にも、ドリブルもパスもそこそこうまかった。
なにせ目立ちたがりやなので、全力で張り切るのである!
しかし、4年生、5年生、と年次があがっていくと、実践的な試合の時間が増えはじめる。
ダウン症の特徴で足が遅く、パスやフェイントの判断が鈍い弟は、だんだんと活躍できなくなってきた。勝つために必死なので、チームメイトも弟にパスを出せない。
弟は、しゃがんで、下唇を突き出し
「もういやっ」
と、スネて動かなくなることもしばしばだった。
これはもう退部のときだろうかと母は諦めかけたときだった。チームメイトの同級生たちが、弟に叫ぶのである。
「キッシー!スローインやでっ!」
ボールがコート外に出るたび、味方にスローインでボールを回す役目を、弟に任せてくれたのだ。
ひとりだけパッとコートの外に走り、ボールを天に掲げる弟。
一連の動作が、目立ちたがり屋の彼にとっては、願ってもないヒーローの役割だった。弟は、スローインもうまかったのだ。
最初は間違えて、足で蹴りそうになるのだが、
「ちゃうちゃう!手でやってな、手やで!」
チームメイトはちゃんと怒るところは怒りつつ、弟に根気よく任せてくれた。
それで弟は、出番になるとハヤブサのように駆け出し、いいところへボールを投げ、得点へつなげられるようになった。急成長。
「すごいやん、キッシー!ありがとーっ!」
絶対に無理だろうなと母が諦めていた一泊二日の合宿も、子どもたちの様子を見て「大丈夫」とコーチが太鼓判を押し、弟を連れていってくれた。
弟が大喜びで帰ってきて、ボールを抱えて汚れたユニフォームを洗いながら母は、でろでろと涙した。
弟は障害者じゃなくて、スローインの貴公子として、そこにいた。
特性よりも、役割で見てくれる人たちがいたからだ。
シュートを決める人と、スローインを投げる人。サッカーをする人と、サッカーを応援する人。テレビに出る人、テレビを見る人。
わたしたちはいろんな役割を持って生きてる。誰かを助けて、誰かに助けられながら。ときに入れ替わりながら。役割に敬意を払いながら。
「ありがとう」というその言葉に支えられて、自分を好きになれるのだ。