行きつけのお店がほしくて、母と弟の行きつけを探ってみたら、うらやましくなった
このnoteは、Googleの「#近所は宇宙だ」という取り組みに賛同し、依頼をもらって書きました。個人商店をはじめとしたスモールビジネスは、コロナの影響でたいへん困っています。みんなで「近所のお店」を応援し、冒険と発見で、スモールビジネスを元気にしよう。
「Googleさん、めっちゃええこと言ってくれるやん」と諸手をあげて賛同したはいいが、行きつけの近所の店がまったく思い当たらない。
神戸の田舎町から東京に出稼ぎにきて、もう4年が経つというのに。よく行く店といえば、コンビニ、スーパー、すぐさま飯が出てくるチェーン店くらいだ。
これはやばい。
実はやばさだけは、前から薄々と感じていた。
知らない人との会話が、苦手すぎるのだと。
「何名様ですか?」「ご注文は?」以外の声をかけられると、「あっ」「えっ」と反射的に言ったのち、口をぱくぱくさせてしまう。たとえそれが、どれだけフレンドリーであっても。
「今日はいい天気ですねえ」
「うあっ」
「どこからいらっしゃったんですか?」
「あっ、えっ、線路越えて南の方から……」
「お仕事終わりですか?」
「あい」
このように、基本情報のやりとりだけはどうにかなっても、そこからがパニックの始まりである。なにを話したらいいか、わからない。
ごくまれに喋りすぎることもあるが、あとから「あんなこと話すんじゃなかった〜!引かれてたらどうしよ〜!」と、枕に顔をうずめる。変な沈黙の間があると「申し訳ないことした〜!」と、風呂場で尻を洗いながら泣きたくなる。
仕事で、わたしのことを知ってる人と会うときは、そんなことないんだけどなあ。
というわけで、わたしはなんとなく、マニュアル通りな最低限のやりとりだけで終わる、チェーン店を選びがちになっていた。チェーン店だって、接客が素晴らしいところはあるので、これはこれで良い。
たまに味気ないときも、あるけれど。
「そういうわけで、わたしには行きつけの近所の店がないから、あんたらの店を紹介してくれんか」
こうしてわたしは、母と弟に連絡をとった。
「ええで。そんなに何軒もあるわけじゃないけど」
「大丈夫。わたしは一軒もないから」
「どっか新しいお店に入ってみたら?」
「うーん……また今度な」
だいたい、こういう時の「また今度な」は一生来ないのが、関西人の通説である。一生来なくていいと思っていた。
その価値観が、お好み焼きのごとくひっくり返りはじめたのが、母と弟の行きつけのお店に行ったときだ。
「焼鳥 神戸 拾八番」は、弟を主役にしてくれる
まずは、わたしの弟が好きなお店へ。
神戸市北区有野中町にある、焼鳥 神戸 拾八番だ。
知っている人も多いと思うけど、わたしの弟はダウン症で知的障害がある。めちゃくちゃ明るくて優しくてマイペースだが、うまく人と話すことができない。
だからお店に行っても、店員さんはだいたいわたしや母に注文を聞き、弟は黙々とテーブルの上を食べ尽くす係になる。いつもは。
しかし、このお店では違うのだ!
「キッシー!(地元での弟の通り名)なに食べますかー?」
「からあげー、らーめん!」
「ラーメンは伸びるから、最後に出した方がいい?」
「うんうん、じゃあ、それで」
女将の前島登子さんが、弟に話しかけてくれるのだ。ぶっちゃけ弟は、なに言うてるかよくわからん時も多いけど、そういう時もゆっくり聞き返してくれる。
炭場で焼き鳥を仕込んでる大将も……。
「最近は調子どない〜?」と、わざわざ話しかけてくれた。こんなん、高級レストランでシェフが挨拶しにくるシーン以外で見たことない。それが目の前で起きてる。しかも、弟に。
すると弟も「いやあ〜最近はよくないっすわ〜」と、喋りだす。ちょっとちょっと、あんた、そんな新橋のサラリーマンみたいな仕草できたんかい。姉ちゃん、知らんかった。なんかショックだわ。
自分が主役になったことを自覚すると、いつもは食べる専門だった弟が、とたんにサラダをとりわけ出す。そんなの姉ちゃんもやったことないよ。
そういうのだいたい、ばあちゃんがやるからさ。
しかしこの日ばかりは、お節介気味なばあちゃんも、食べる係になる。この写真、なんでこんな驚いてるんかまったくわからんけど。
ところで、弟の大好物は24年間ずっと「からあげ」「ラーメン」の連立与党だけど、拾八番では両方が楽しめる。
これが「わざわざラーメンだけ食べに来るファンもいるほど美味い」地鶏ラーメン 980円。
〆でなにか食べようと気軽に頼んだら、本格的すぎて、黙って母とわたしは顔を見合せた。
それもそのはず。これは大将が「こだわりすぎて、商品開発で2ヶ月間お店を閉めてでも開発したやみつきの味」なのだ。この本末転倒っぷりが、個人商店の良さなのかもしれない。愛しい。
「このラーメン、姉ちゃんが(noteで)紹介していい?」
ラーメンをすすりまくっている弟に、何気なく聞いてみたら。
「ダメ〜」とのこと。本当に美味いもんは、人には教えたくねえもんな。わかるよ。でもごめんな、姉ちゃんこれが仕事だから、書いちゃうね。
さて。
どうして、大将と女将さんが、わが弟に話しかけてくれるかというと。
ご夫婦である二人のお子さん・まさきくんにも、知的障害があり、同じ学校つながりでキッシーこと弟のことを知ってくれていたからだ。
お店には、まさきくんが描いた絵が大切に飾られていて、お客さんを迎えてくれる。
なんだろう……このクセになるタッチとネーミングは。
「カニクラブ」「サルモンキー」「イルカドルフィン」は、明日から積極的に使っていきたい魅惑の響きを持っている。(例文:お前はカニクラブを見習わんかい)
大将と女将さんに、ちょっとだけ話を聞いてみた。
「コロナで、やっぱりお店は大変ですか?」
「売上は落ちましたね。だけど、うちはいま夫婦だけでやってるから、なんとか。常連さんも来てくれるし」
「常連さんって、やっぱり近所の人たち?」
「うん。まさき(息子さん)と同じ特別支援学校や、支援クラスに通ってた人たちが、自分でお金を稼いで来てくれることも増えて。地元のお友だちと集まれる場所になってるのは、すごく嬉しいです」
先日は、耳の聞こえないお客さんのグループも来られたそう。
わたしの弟や耳の聞こえない人みたいに、店員さんとうまくコミュニケーションがとれないと、お店に入るのは不安だろうな。
以前ニュースで「うちでは手話はできませんから」と言って、障害のある人の入店を断ったお店があった。ジェスチャーでも、筆談でも、注文をとる方法なんていくらでもあるのに。
入店できても、障害のある人じゃなくて、そのそばにいる親やヘルパーさんにだけ話しかける店員さんもいる。気持ちはわかるけど、美味しいものを食べるのに、脇役として息をひそめるなんて、きっとしんどい。
だけどこのお店では、弟を主役にしてくれる。
大将と女将さんの息子さん、特別支援学校の同級生、その家族……近所の人たちが自然と影響しあって、だれでも食事を楽しめる、やさしくておいしいお店ができあがっている。
ああ、こういう、人柄が見えるお店ってステキだなって思って、泣きそうになった。弟、ええ店知ってるやん。串をくわえるな、串を。
「Bar Stair」は、母の時間を戻してくれる
次は、わたしの母が好きなお店へ。
大阪市堂山町にある、Bar Stairだ。
その名のとおりここはバーで、しかもカウンターバーだ。
車いすに乗っているうちの母は、基本的にカウンターしかない狭いお店には入れない。たぶんここは、日本で唯一、母が入れるカウンターバーだ。
どうやって入っているかっていうと。
マスターの船越恒一さんが、えいっと車いすを押してくれ。
「いよっ」
「ほいっ」
(ストンッ)
このようにして、限りなく人力でカウンターに座っている。
普通は、お店の人がこうして母の身体に触れて、ましてや抱きかかえて移動のサポートをすることはないし、危ないからこちらも断っている。圧倒的な信頼感と技術がなければ、任せてはいけないからだ。
だけど、ここのマスターは違う。
なぜなら、母と高校の同級生だからだ。
「船越くん、わたしと同じバレー部やったから背が高いねん。抱っこで席座らせてもらう時もめっちゃ高いから、ちょっとしたUSJのアトラクションやで」と母は言う。USJのアトラクションだったらその後、落とされるんじゃないかと思ったが、黙っておいた。
母はお酒が飲めないのだけど、ちゃんとノンアルコールのシャンパンを用意してくれていた。香りがすごくよくて、甘いのにさっぱりしてて、二人で一本開けてしまった。まさか、母とボトルを開ける日がくるとは。
「最近な、アッコとめっちゃ遊んでるねん」
おもむろに母が、マスターに話しかける。アッコとは母の高校時代の親友だ。
「ほんまに仲ええなあ」
「うちら、免許とったあとも二人で六甲山攻めたりしてたから」
六甲山を?
攻めた?
耳を疑った。
「峠を攻める」というのは、走り屋が山道を高速で敢行することであり、さながら頭文字Dの世界観である。(読んだことないけど)
もちろん、母とアッコさんが高速で敢行したわけではなく、二人でドライブしたことを茶目っ気で「峠を攻める」と言っているだけだけど。
あの大人しくてソコソコ上品な(だと思ってた)母の口から「峠を攻めた」という言葉が飛び出した時の、わたしの驚きっぷりったらない。シャンパン吹くかと思った。
マスターや、ここに訪れる高校の同級生たちは、母のことを旧姓の太田と呼ぶ。戸籍が太田だった頃の母は、もちろん病気なんかせず、歩いていた。
そうか。
ここにいる時の母は、高校生のときの、無邪気で楽しくて、いまよりもっと茶目っ気のある、わたしの知らない母なのだ。
その証拠に、ここで撮った母の笑顔は、いつもより少し違う。母は大口をあけて、ゲラゲラと笑う。
マスターも同じくらい笑う。
「こないだ、○○君が友だち連れてきてくれてんで」
50歳を過ぎると、なかなか集まれない同級生たちも、このバーにはちらほらやってきて、それぞれの近況をマスターに話す。マスターを通じて、みんなが近況を交換しあうという、回覧板みたいな状態になっているそうだ。
「うわっ!○○君って誰やったっけ……?」
「わー、同じクラスで仲よおしとったのに、思い出せへんのか。太田は薄情なやつやで」
「待って待って待って!思い出すから!あだ名の一文字目だけ教えてっ」
名前を思い出すために、このバーにはこんなものも常備されている。
高校の卒業アルバムだ。
高校生の母がいた。はじめて見た。
「その右隣に載ってるやつが、当時、太田が付き合ってた彼氏でな」
「うわー!恥ずかしいわ、やめてやめて!」
「ほんでアッコちゃんはこの人と付き合っててんな」
「そうそう、一緒に部活終わるの待ったりしてたわ〜」
……。
「聞きとうない」
親の高校時代のキャピキャピ話は、聞きとうない。生まれてはじめて得た、感情と虚無の表情である。聞きとうない。
だけど、普段はめちゃくちゃまわりに気をつかう母が、言葉づかいも仕草も気にせず、思いきり笑っているのを見ると、なんかホッとした。
母はいつも、約束の30分前に着くように家を出る。なんなら、家を出る2時間前に起きる。ほかのお店に行くときはいつも、電話で、多目的トイレや駐車場のことをたずねる。
車いすで入れるお店というのは、とても限られている。一度数えたことがあると、なんと、100件に1件しかなかった。せっかくみんなで楽しく食事をしようという時に、「自分のせいで店に入れなかったら」と心配する母は、誰よりも準備して、誰よりも調べる。
歩けなくなってから、母は、気をつかうのが当たり前になっていた。わたしに対しては、だいぶ薄れてるけど。
それでも、歩けていたころの母を知っていて、「生きてるだけでよかった」と喜んで、変わらず歓迎してくれる人たちの前では、母はすこし楽にいられるんだろう。よかった。
「コロナでしばらく休業せなあかんかってんけど、売上よりも、お客さんと話せないことが辛かった。一人ぼっちになって初めて、お店でお酒片手にゆっくり喋ることがどんなに嬉しかったことか、よくわかったわ。俺、死ぬまでこの店に立とうと思ってんねん」
マスターが言った。
そうしてくれると、母はいつでもゲラゲラ笑えるから、とても嬉しいと思う。
好きな自分でいられる、行きつけのお店を探したい
母と弟、ふたりが行きつけにしているお店を訪れて、わかったことがある。
行きつけにする理由は人それぞれ違うけど、ふたりの場合は「好きな自分でいさせてくれる人がいる」お店を選んでいた。
車いすに乗っている母も、うまくしゃべれない弟も、心地よく歓迎してくれるお店を選ぶのが難しい。たぶん他の人より、選択肢が少ない。
お店のつくり、注文の仕組み、いろんなところに“壁”がある。
だけど、その“壁”を取り払ってくれるのが“人”だ。
階段やカウンターがあっても、車いすを持ち上げてくれる人がいれば、母は入れる。注文をしなくちゃいけなくても、メニューをゆっくり見せてもらえれば、弟は頼める。
“壁”がなくなれば、自分に障害があるということすら、忘れてしまうのかもしれない。それは「好きな自分でいられる」お店のおかげだ。だから行きつけになるのだ。
あーあ!わたしも、行きつけのお店がほしいなあ。
自分のこと、もっと好きになりたいなあ。
コミュニケーションが嫌いって思い込んでいたけど、もしかしたら、そういうわたしのコンプレックスをなくしてくれるお店が、どこかにあるのかも。
そうだ。
探しはじめよう。
行きつけのお店を。
Googleで検索すると、近所にあるいい感じのスナックが表示された。
スナック……。
スナックかあ……。
ハードル高いなあ……。
でも、せっかくだし。
こんな時くらいしか、勇気出ないし。
いっちょ行ってみっか!
そう腹をくくって、行ってみたものの。
毎晩行けども、行けどもずっと閉店していらっしゃるので「まずは店が開いてる時を探る」ところから冒険が始まりそうです。(近隣住民の話によると、たまに開いてるとのこと)