命を守ろうとしたあとの、折り合いって(母の入院)
熱が出てる母、回復しつつあるってこの前は書いたんだけど、ふりだしに戻って、というか戻るどころか悪い方にいっちゃって、おとといから入院してる。
まだ病名すらわかってないし、ぜんぜん落ちついてないので、こんなもん書かんと寝ろよって感じなんだけど、なんか寝れないんですよ。
わたしの頭はピンチのときに急速回転して、自己修復して整理するようにできてるので、回転しっぱなしで言葉と景色ばかり、ポンポン生み出されて、頭でかかえきれん。
ヤマザキパンの工場のベルトコンベアから無限に薄皮クリームパンが流れてくるような。
なので、書こうかと。
薄皮クリームパンを箱に並べて出荷していく作業だわ。
マガジンの読者さん、みんな優しいから、「困ってたら使って」ってサポートしてくれるんだけど、いまはお気持ちだけいただきます。
なにかを言ってもらったり、助けてほしかったり、そういうのではなく、ほんとにただ、書きたいだけなので。
時期が時期なので、病気の話とか読むのしんどい人は、どうか自分のことを一番大切にね。これは別にして、月4本、ほかのnoteはちゃんと書こうと思うよ。
「熱が40℃近くから下がらない」って母からいわれたのが、2月5日の深夜だった。
前回の診察から微熱に戻ってたので、仕事のために一度、東京に戻っていたわたしは、「あっ、これはアカン」と思った。
39℃は経験したことあるわたしだけど、40℃はない。
39℃はマジで獅子身中の虫どころか獅子身中のモスラレベルで体が痛かったし、冷凍庫にぶち込まれたかと思うくらい寒かったし、しんどいという言葉では形容できんかった。それよりも高い40℃は、もうアカン。
熱というのは、夜に上がることが多いらしい。
だからこういう連絡があるのはいつも夜だ。電車も飛行機も動いていない。ただ、朝を待つしかない。待つというのは、一番精神力がいるアクションだと思う。
移動すらできない無力さに、じわじわと心が削られていく。なんの役にも立たない。
でも、わたしの体のよくできているのは、心が削られていくと途端に眠りに落ちていくことだと思う。気がついたら、寝ていた。
朝になって、新神戸行きののぞみのなかで、電話をかけた。
急ぎで検査をしてくれた小さな病院ではなく、10数年前に母が大動脈解離というやばい病気をしたとき、やばい心臓外科手術をしてくれた大学病院に。
「わかりました、すぐに来てください」
よかった。
大学病院はコロナ疑いの発熱外来を受け入れていないので、前は来てはいけないと言われたのだ。先に小さな病院へかかってしまったことを後悔していたけど、そこでコロナが陰性という検査を受けてなければ、こうはいかなかったかもしれない。
しかし、大学病院へは電車で1時間半かかる。母はベッドから動けない。
もうほんとに、今月、何度「はやく自動車免許とっとけばよかった」と思ったか、わからん。なにも言い訳できん。情けない。
地元のタクシー会社に電話してみた。出たのは、ちょっと耳が遠そうなおじいさんだった。
「熱があって、でも検査ではコロナじゃないんです。病院まで乗せてもらえませんか」
「いいですよお。換気してますし、マスクさえしてもらえれば」
おじいさんの一言がとても頼もしかった。ぜんぜん聞こえてなくて、何度も聞き返されたけど、そんなのかまわん。
母にLINEで伝えたら「あー、よかった!」と一安心していた。
のぞみが三河安城を越えたあたりで、急転直下。
タクシー会社の、おじいさんではない人から電話がかかってきた。
「ごめんなさい。さっき、予約担当の者が受け付けたと思うんですけど、発熱の患者さんはダメなんです」
ダメなんかい。ぬか喜びほど、一気に疲れることはない。なにか方法を知ってないか、すがるような気持ちでたずねると
「うーん……予約すると熱があっても乗れる介護タクシーがあるんでそれか、救急車を呼んだ方がいいんじゃないですかね。調べてみてください」
他人事だった。当たり前である。他人なのだ。
どこの誰だかわからんお客を乗せては降ろし、乗せては降ろし、たいへんなリスクをタクシーの運転手さんも背負ってる。家にいられない仕事をする人はみんな、命がけだ。わざわざ熱のあるやつなんて乗せたくないだろう。
介護タクシーに電話すると、予約でいっぱいだった。
となると、奥の手は救急車だ。
たぶん、多くの国民が経験したであろう切実な葛藤に、わたしもさいなまれた。「この程度で救急車、呼んでもええんやろか」だ。
恥ずかしさとか。申し訳なさとか。あるよね。
救急車、めっちゃ忙しいっていうし。
これが、道でぶっ倒れてる見ず知らずの他人とかなら呼べるんだけど、自分とか家族のことだと、なんか途端に葛藤しちゃうよね。しない?
というわけでまず、大学病院に電話をして、聞いてみた。
「うーん、いまは熱だけですよね。意識もありますよね」
「はい」
「じゃあなんとかタクシーに乗れませんか?熱があるって言っちゃダメですよ。言ったら門前払いくらうので」
そんなオーシャンズ11の序盤も序盤みたいな解決策を提示されるとは思わなかった。このときの先生の反応で、たぶん、救急車はたいへんなんだろうなと思った。
オーシャンになったつもりで、別のタクシー会社に電話してみた。
「行き先は?大学病院?あっ、もしかして熱のある方がいますか。そしたらうち、行けないんで」
オーシャンでも無理やろ、こんなもん。
仮にウソをついたとしても行き先は病院で、しかも車いすに乗ってて、あきらかにグッタリしているのだから。バレバレにもほどがある。これで乗り込もうとした時に「ダメダメダメ!」と断られたら、詰む。
そんなわけで救急車を呼ぼうとしたオーシャンのもとに、母の高校生時代の友人から「仕事抜けれたから、車で行くわ」と電話がきた。天の声だわと母は喜んだが、心からありがたい一方で、ちょくちょく縁起が悪いことを言うんだなこの人はと思った。
母は友人の車で、わたしは新幹線から電車で、大学病院で合流することになった。
高校のとき、母のお見舞いでよく通っていた地下鉄に揺られながら、思い出したことがある。
母が大動脈解離で病院に搬送され、救命救急センターに横たわっていたとき。手術は確定だったのだが、手術にとりかかるまで、やけに時間がかかった。
看護師さんから「いまもうひとり、急患が運ばれてきたので、お待ちください」といわれた。騒がしかった。
パーテーションをへだてて、わたしのようにただ祈るしかない家族のすすり泣きが聞こえてきた。
このとき母は「ぜんぜん痛くない。むしろめっちゃ気持ちいい」と言っていたのだが、とりあえずの待機でモルヒネをガンガン打たれていたらしい。人間の錯覚はすごいぞ。
その30分後、母は手術室へ入り、一命をとりとめた。
あとから聞いて、びっくりしたことがある。
実はあのとき、運ばれてきたもう一人の急患は、母と似た症状だった。しかし、この難しい手術が得意な執刀医はいまここに一人しかいない。
どちらを先に手術するか。そういう話が、あのとき行われていたそうだ。
ちなみに、どの病院のどの先生と話しても、母はその先生が手術しなければ救えなかったはずとのことなので、母が先に選ばれなかったら、死んでいた。
このときの感情は、ずっとあらわすのが怖かった。
「命が助かってよかった」というこらえがたい喜びの裏に、ずっと「もう一人の患者さんはどうなったのか」という恐ろしさがある。かといって、母の命を、譲る気にはどうやってもなれない。わたしは、聖人じゃない。
病院で命を救ってもらうというのは、ときに、そういうことで。命はときに、誰かの命が後回しになったり、比べられたりすることがある。
あの日、わたしたちは、選ばれた。誰かより先に。
パーテーションの向こうで泣いていた知らない家族の声が、今でも耳から離れない。
なんでこんな薄ら暗いことを思い出したかというと「救急車を呼ばなかったことで、母が危険な状態になったら」というもしもが、頭をよぎったからだ。
でも、そういうもしもは、たぶんこの先なんの役にも立たない。自分の選択を、励ますように、折り合いをつけていくしかない。
たぶん母は「あのとき、わたしは命を救われたから」と許すだろう。母の今までの生き方には、そういう姿勢がにじんでる。
きっと、今日のわたしたちが呼ばなかった救急車は、もっと困っている誰かを助けに行ったんだ。家族も友人も手が届かず、動けない、誰かを。過去の母のような誰かを。
でもこれはあくまでわたしが勝手に自己修復のために作ったストーリーなので、みんなは救急車を呼ぶか呼ばないか、自分の直感を信じて、判断したらいいと思う。どうなっても、命を守るためにとった行動は、責められるべきじゃないはずなので。ってか、迷うくらいなら、呼びなね。
よし。大丈夫だ。
わたしは折れないぞ。
そういう心の状態にしてから、病院に着き、グッタリした母と合流した。いまにも車いすからズルズルと滑り落ちそうだった。
先生が来るまで待っていたのだけど、とんでもないアクシデントに遭遇した。
大学病院の入り口には医師と警備員がいる。感染対策で、できるだけ入る人を少なくするように、理由や症状を細かく申告しないといけないのだ。コロナの疑いがあると、ここでは検査ができないので、別の病院を紹介される。
その警備員があわてていた。
(以下、個人が特定できる情報はぼかします)
「高熱で動けない80歳の男性が、車いすに乗ってご友人と来られたみたいで……事前に連絡せず飛び込みで」
と、飛び込みで!?!?!!!!?!
コロナのリスクがかなり高いので、大学病院の中には入れられない。そこから感染したら、大勢入院している重症の患者が軒並み危険にさらされるからだ。
これを読んでるみなさん。発熱したらまず、保健所かかかりつけの病院に電話して、指示をもらうのです。飛び込みで行っては絶対にいけません。
「別の先生に確認するからとにかく入り口で待っててと言ったんですけど、わたしの目を盗んで、中に入ったみたいで」
大変だー!!!!!!!!!
警備員の目をかいくぐって、病院の中に入ってきたというわけで。なんなんだ、一体。オーシャンズかよ。もう警備員も先生も大騒ぎである。
「なんのための警備員だよ!トリアージしろっつったろ!どうすんだよ、ここにどんだけの患者が入院してると思ってんだ!」
かけつけた先生が怒鳴り、看護師さんは走り回り、警備員のおじさんはしょんぼりしている。だれも幸せになっていない。つらい。
結局、患者さんはすぐにトイレで見つかった。気分が悪かったので、吐く前に駆け込んだらしい。すぐに経路が確認され、人払いがされていた。消毒するんだろう。エライコッチャ。
警備員のおじさんがしょんぼりしているので、あとで帰るときに「大変でしたねえ」と声をかけた。
「実はああいう人、けっこういるんです」
マジでか。
「あれくらいの年代の方だと、まずネットで調べるとか、できないんですよね。どこに電話したらいいかわからず、不安になって、まず大きな病院に来ちゃう」
悪気はない。そこにもまた、命を守るための、必死さがあるだけだ。うちのバアちゃんだって、奇想天外だから、切羽つまったらなにやらかすかわからん。悪いのはコロナだし、もしかしたら情報の不足なのかもしれない。
救命だけじゃなく、こういう対応にも日々追われてるとしたら、病院の人たちはどんだけ大変なんだと気が遠くなりそうだった。
強烈な出来事を横目で見ながら、母の主治医がやってきた。
血圧と酸素をはかって、肺炎かどうかのCTをとり「今この瞬間、命が危ないというわけではないです。なんらかの細菌感染だと思いますが、原因がわからないので、入院してもらいます」と言われた。
原因がわからないのは怖いけど、入院できた、ということだけで、なんだか安心して体の力が抜けそうになった。自宅で2週間以上も、高熱にうなされていたあの不安からは、やっと解放される。
「入院どれくらいですか?」
「原因がわかるまで1週間か2週間、手術が必要になればもっとです」
「手術……」
「それで、娘さんには申し訳ないんですが」
「はい」
「コロナ対策で、患者さんとの面談は一律お断りしているんです。なので、ここでお母さまとは、一旦……」
心の準備がまったくできないままに、わたしは突然、母と会うことができなくなってしまった。
(ちょっとつかれたので、続きはまたこんど/読んでくれてありがとう)