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感想をもらうということ、感想があふれるということ

先週、「声」という短編小説をのせました。

これね、実は、一年前に書き終わってたんです。

ウジウジして、ずっと載せられなかったんです。後先考えずにグワーッと走り出してから困り果てる、自業自得界の超新星である、このあっしが。

こわくて。

ずっと、エッセイを書いてきました。家族が大変な目にあったとか、ルンバがハチを食うとか、書くことには困らん日々でした。

でも、ほら、そういうのはね。どんだけおかしな話でも、実話やから笑えるってのが、あるじゃないですか。実話やから応援してもらえてるところってのが、あるじゃないですか。

わたしの作り話なんか、読んでもらえるんかなあって。いや、ここにいるみなさんは、心の広さが琵琶湖で温度が草津なので、読んでくれるよなあ。

……読むのって、時間かかるよなあ。

……忙しいなか、時間をわけわけしてもうたのに、なんじゃこらとガッカリさせたらどないしよ〜〜〜っ!

めちゃめちゃ恵まれた場所にいながら、そんなことばっかり、怯えていたわけです。このまま、なかったことにしようかとすら思ってました。

わたしを見かねて、いつも事務所でお世話をしてくれる武田真希さんが、

「まずはファンクラブの人にだけ読んでもらいましょう!」

と、言ってくれて。岸田団の団員さんに、毎月届けてるメールに載せてくれたんですが、メ、メ、メール!メールて!読みづらあっ!読んでくれへんわ、こんなんっ!

心臓がバクバクしすぎてピタ止まりしそうだったんで、メールの配信日もいっさい聞きませんでした。そしたら数日後、何人かの団員さんから、返信があったと。

感想でした。
浅い呼吸で、片目をつむりながら開くと、よい感想でした。

その時は、嬉しいってか、あんまり信じられなくて。なにが起きたかわからず。ただ、よいと言ってもらった箇所を読み返しながら、

「……ここが心に残るなんて、思ってもみんかったな。もうほんの少しだけ、くわしく書いてみよか」

なんて思って、するすると300文字ほど、書き足しました。せっかくだから、もっと読みやすくなればいいと思って、ほかも書き直しました。

あれ。
楽しいな。

数日前までは情けなくて読み返したくもなかった小説に、ちょっとずつ、自信のようなものがわいてきました。とにかく書いて終わらせるのに必死だったことしか覚えてない小説に、ちょっとはおもしろいのかも、と思えてきました。なんせ、書き直すことがすでに、おもしろいもんで。

ガーッッッて勢いのまま、noteにも投稿しました。

これ、投稿したあとすぐに、長〜いテレビ収録をしてました。反応を見るのが怖くなったから、強制的にスマホを捨て、スタジオへ!

収録が終わってみたら、

めっちゃ感想もらえてた。


Xの返信と引用にも、noteのコメントにも、いっぱい。

ぜんぶ載せられないけど、本当にいっぱい!

すごいんです。よかったところを教えてくれるだけじゃなくて、わたしが心の中で思ってたけど言葉にしきれてないところをスルッと想像してくれたり、わたしがぜんぜん気づけてなかった力を褒めてくれたり。

感想ってさ、書くの大変やん。忙しい合間に見たもんに、作者が目の前におるわけでもあるまいし、書こうってあんまり思わんやん。

ただでさえ今は、自分の意見を書くことで、ワケのわからんところからドヤされることもある世の中やから。

それやのに、書いてくれてん。
なんてこと!

ありがとう。ただ、ただ、ありがとう。これしか書けません。ほんまに嬉しいときって、書いてもらった文字数の半分の半分も、書けへんのやな。

ありがとうを通り越して、許されたような気持ちになってます!

ここにいることを、なにかを思うことを、悲しむことを、笑うことを、許されたような。こうなりゃもう無敵です。任せてください。アタイやれます。町一番の踊り子になってみせます。

ところで、おもしろい感想があって。

「声」は病院で働く人が主人公です。そしたら、読者さんの中に、本当に病院で働いている人や、今まさに入院中の人がいて、自分と重なるところを教えてくれました。

ええ、身の上話です。
身の上話が、感想になってるんです。

しばらくすると、病院じゃなくとも“裏方”で働いている人からも、身の上話がきました。大企業でクレームだけを受ける電話の担当をしてる人のは、めそめそ泣きながら、しゃあなし笑ってるような文章でした。

みんながみんな、同じものを読んで、違う話をしてくれるんです。
思い出したかのように。

なんかそれが、めちゃめちゃおかしくて、嬉しくて。小説で、記憶が繋がっていくんだ、と思いました。


それで、思い出したんですけど。

(お前もか)


先月、俳人の夏井いつき先生とお会いした時のことです。

左が引き合わせてくれた「プレバト!」の水野さん、右が旦那さんで俳人の兼光さん

おいしいご飯の会だったんですが、この時のわたし、記憶がほぼなくて。光栄すぎて、もう二度とないかもしんないと気負って、張り切りすぎたんですね。たぶん、ごっつい焦ってました。いつになったら落ち着くんだ。

目も当てられんほどアワアワしてるわたしが、絶対にこれだけは伝えるぞ、と脳みそに刻みこんでいったものがあります。

夏井先生のエッセイ「瓢箪から人生」の結びの一節です。

病気でお父さまを亡くされる直前、急変したお父さまを車に乗せて、大雪の中を病院まで走っていくという回想です。ちょっと失礼して、引用をば。

母が、きれいな雪があるところで車を止めてほしいという。のろのろ運転の車列から抜け出し、畦道の近くに車を止めると、母は、蜜柑を入れていたビニール袋を掴み、雪の中に走り出た。畦道の誰も踏んでない雪をギュウギュウ固めてはビニール袋に詰め込む。そんな母の姿も、忘れられないものとして私の心に刻まれていた。

父の額に当てた雪は、あっという間に解ける。父の熱を冷ますため、私たちは何度も車を止め、何度も雪を取りに走った。雪の車列は一向に進む気配がなかった。

夏井いつき作「瓢箪から人生」(小学館) p.288より

初めて読んだとき、しばらくページを手で押さえながら、ぴくりとも動けなくなりました。この静かな文章から、悲しいとか、苦しいとか、そんな言葉なんかでは表せないほど、強い感情がぶつかって、染み込んでくる。

すごい。

夏井先生にどうしても伝えたかった。

「あの、わたし、すごく好きなエッセイがあって……」

ご本人を前に、震えて上ずる声で話しはじめました。言葉は次から次へと、あふれてきました。早口だったと思います。夏井先生は、うん、うん、と、たまに目を丸くしながら聞いてくださいました。

いつの間にかわたしは、思い出話をしてました。


しかも、わたしの父の話です。父は急死だったから、あんな風に病院へ送ることもなけりゃ、介抱することもありませんでした。雪も積もらない故郷でした。

なのに、止まらんのです。

父に対する後悔や寂しさ、書いてもしゃーないから押し込めていた些細な記憶の山を、ばらばらと崩れてくみたいに話しました。

夏井先生は、静かに聞いてくれました。

わたしが「しまった、何やってんだ」と我に返って消えたくなっていると、今度は夏井先生が、ぽつ、ぽつ、ご自分の思い出話をしてくれました。お父さまに関することだったんですが、どこかすこし幻想のような、願いの果てに見る夢のような、不思議なお話だったと思います。

あれは会話だったんだろうか。
なんの問いも、なんの答えもないのに。
会話じゃないよな。

ただ、ただ、遠い記憶が、遠い記憶を呼び起こして、全然関係のない話が、とめどなくあふれてきて、わけあっていく。話そうとも思えなかった話が、飛び立っていく。生きていく力がわいてくる。

情けなく涙を流しながら、やけに幸福を味わった夏井先生との時間を、わたしは忘れまいと誓いました。願わくば、わたしもこんな時間を贈れる人になりたいと。

うまく説明できなくて、すみません。

これを読んでるあなたにも、そういう経験があるんでしょうか。

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