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深く愛するには、名をつけるのがいい

名をつけると、何度も、何度も、呼べるようになる。
呼んだ数だけ、愛が沈着するような気がする。

別れる男には花の名を教えておけば、毎年咲くたびに自分のことを思い出してくれると、聞いた。

わたしは誰かとお別れする時は、葉牡丹の名を教えると心に決めている。紫か白のキャベツみたいなアレである。夜な夜なノンレム睡眠の瞬間を見計らって、例の枕から音声を流し続けてでも覚えさせてやるからな。

葉牡丹が目につくのはたいてい「これ食べられるかな」とキャベツと見間違えるほどひもじい時か、面倒な役所だか評判の悪い歯医者に行ってゲッソリしながら軒先のプランターを見た時である。葉牡丹はそういうところにこそ咲く。わが祖母の代から続く大偏見なので異論は認める。

そういう最高にイヤな気分になった時に。
君よ、わたしを思い出してくれ。

「ちくしょう岸田め、こんな花を教えやがって!きっと花言葉だって、ろくでもねえんだろ!」

葉牡丹の花言葉を検索すると、なんとドッコイ「慈愛」なのだ!

ユージュアル・サスペクツ以来の全米が震撼するどんでん返し。全身には雷に撃たれたような衝撃が走り、わたしが注いだ深い愛は走馬灯のごとく脳裏を駆け巡り、気づいたら「お前とおったらおもろいわ……!」の衝動に突き動かされ、スマホ片手に連絡を取っている。

そういう執念の算段で葉牡丹の名をこの数年、教えに教え続けてきたが、いまだかつて一度も連絡などきたことがないので、成功体験のある猛者は教えた花の名を今すぐに伝授してほしい。

食べるために買ってきた生き物に、情がわくから名をつけてはいけない、というのもよく聞く話だ。

やっぱり、名と愛は、いい仲にあると思う。ここだけの話、たぶんデキてる。

最近学んだのは、できるだけ、名は自分で考えてつけた方がいいということ。

名というのは、誰かの発明だ。

「奈美」という名前は、父がつけた。

「俺が好きな島耕作のひとり娘が奈美だから」という嘘か真かわからん理由だけが長らく明かされていたけど、どうやら「美しい」という漢字を父が気に入ったという説が近年浮上してきた。それも真かは知らん。母から聞いた。みんな、自分の名の由来は胸ぐら掴んででも言質をとっておこうな。

でもそれは「美しい」という名を作った先人がいるから、つけられた。

すばらしいものを見たとき、心がうっとり震えることを、美しいと名づけた、とんでもねえ語彙力(ごいパワー)の先人がいるから。

ちなみに「ドヤ顔」は明石家さんま、「スベる」は松本人志が発明したそうな。

父はその発明をここぞとばかりに使ったおかげで「うちの赤子は美しいんや」と、盛大に親馬鹿っぷりを発揮することができた。

隙きあらば好きな話しかしないのがチャームポイントなのでするけど、敬意を持って発明を組み合わせて笑いを取る天才はラーメンズ小林賢太郎なので「食後の鈴鹿サーキット」「アワオドリ親ドリ」などのキメラ言葉にはぜひ一度Youtubeでいいから触れてみてほしい。

でも、本当に、本当に誰かに伝えたいほどの感動をこの身に覚えたとき、誰かの発明をポンッとお手軽に使うだけでいいんだろうか。

わたしの弟は、いいやつだ。
わたしの梅吉(犬)は、かわいいやつだ。

つい昨日も、張り切って脱走していった梅吉を、弟がマンションを上へ下への大騒ぎで追いかけ、ようやくお縄についたという連絡を母から受けた。

これが添付されていた現場の写真。

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梅吉、お前、そんなに足がビヨーンって伸びたんか。

弟は「いい」やつ。
梅吉は「かわいい」やつ。

確かにそうだけど、弟だってわたしに似てセコいところはあるし、梅吉だって構ってほしくて老若男女に四六時中吠えまくるというヤバいところはある。

世間一般のデータベースに照らし合わせてみれば、ダメダメな欠点の方が、ずっと多い。

それでもわたしは好きだ。どうしようもなく彼らが好きだ。

その私の微妙なニュアンスと熱意が、すでに発明された名である「いい」「かわいい」だけでは、到底伝わりきらないのが悔しい。

1000文字くらいね、猶予をもらえれば、いくらでも細かく書ける芸風なんだけど。忙しい現代じゃ、言うとる間に相手がおらんくなるよってに。

「理にかなってないけど、憎めないどころか、なぜか愛しくて仕方ないもの」

こういうものが、わたしの周りにはあふれている。むしろ、そればかりが目に入る。でも納得させられる言葉がみつからない。だから多くを語る。不安で多くを語りすぎる。

でも、本当は短く語りたい。名を呼びたい。
名は小さく折りたたんで、持ち運べる。
唇の裏にでも仕込んおけば、いつでも叫べる。

「わたしの弟は、梅吉は、◯◯なんや!」

通行人は振り向く。心地よい響きを口々に確かめる。
新しい概念が生れ、流行語大賞に輝き、世界は動き出す。
弟と梅吉は、今にも増して、愛されるようになる。

そういう名を見つけたくて、もがいて、今日も今日とて、目の端にひっかかる愛しい瞬間をかき集めている。

この調子じゃ、あと何百年かかるかわかんないけど、千年前に、いともサラッと成し遂げた偉人がいたもんで。

清少納言さん。

「枕草子」は、清少納言さんがかき集めた「マイ・好きすぎるんだが・どやさどやさコレクション」が、ものすごいバリエーションと密度でプレゼンされている。

「うつくし(=かわいい))」

という一言に、複雑な美意識を凝縮させた大天才である。

清少納言が語った「かわいいもの」が、このあとの世の中に「これってかわいいね」という納得感を巻き起こした。

瓜に描きたる児の顔。雀の子の、鼠鳴きするに、躍り来る。おいマジかなんとなく書いたら覚えとるやんけ。義務教育ってすごい。

そんなわけでね、今朝は、清少納言の終の地であり芸道の象徴でもある京都の誓願寺にね、お参りしてきました。人生において神か仏にすがるスピードが目を見張るほど速い。神頼みのPDCAを回しまくる女。

追いすがってばかりもいられないので、明日は書評家の三宅香帆さんとそういう話ばかりをして、わたしにできることは何かなって見つけてきて、頑張ろうと思います。


名づけの反対って、なんていうんだろうね。

辞書でいう「逆引き辞典」みたいな意味合いで、使いたいんだけど、語彙力(語彙パワー)がないのでうまく説明ができない。

とにかく、もともと発明された名に、誰も思いつかなかった説明をつける人もいる。40年前に亡くなってしまった、わたしの大好きな作家さんが、それだった。

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。