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祖母がなんでもかんでも凍らせる。きのう巻き寿司、おとといキムチ

深夜ラジオで話すテンションくらいでしか語れない、最近起こったアホな話をいくつかまとめて、德永英明さんのカバーアルバムのように続々とバラエティに飛ばしながら書きます。


祖母がなんでもかんでも凍らせる件

わたしは現代の伏魔殿と呼ばれる東京で暮らし、母と弟とばあちゃんは自然豊かな神戸で暮らしている。出稼ぎというやつだ。

ばあちゃんは、母の母なのだけど、この親子が本当にびっくりするくらい似ていない。母は心配りのうまい(心配ばっかりすると、気が効くのダブルミーニング)人であるのに対し、ばあちゃんは慄くほど大雑把で忘れっぽい。慄くのは誰かと言うと、母だ。ちなみに慄くのは「おののく」と読む。

どれくらい慄いてるかって言うと、母はこれくらい慄いてる。

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Netflixの韓国ドラマに首まで浸かってしまった母がエンヤコラと鶴橋まで行って買ってきたキンパ(巻き寿司)とキムチを、祖母に冷凍されてしまったのだ。

祖母に、冷凍されて、しまったのだ!
それもカッチカチに!

RPGゲームで言うところの、氷属性を司るボスになれると思う。ポケモンなら氷タイプのジムリーダー。っていうかゲームくらいでしか言わんやろ、冷凍されてしまって泣く、とか。

ここで重要なことは、母はきちんと、鶴橋から帰ったらキンパとキムチを冷蔵庫に入れていたということ。大事にナイナイしとく、というやつだ。

それが丸ごとカッチカチに凍っていたということは、わざわざばあちゃんが、食べもしないのに冷蔵庫から出して、冷凍庫に入れ直したということになる。なんでや。マイクロソフトのキリンの入社試験でもやってんのか。

しかし、火の立たないところに煙は立たないのだ。

カッチカチに凍らすのは、ばあちゃんなりの理由があるはず。きっとそうに違いない。わたしは母に尋ねるべく、LINEでメッセージを書いた。

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漬物も塩昆布も何もかも凍らすという、もう前世がクトゥルフ神話に出てくる神獣かなにかとしか思えないばあちゃんだが、なんとなにも理由がないことが判明した。

ばあちゃんはただ、冷蔵庫に入れているものをおもむろに引っ張り出し、食べもしないのに、冷凍庫へ突っ込んでいる。そこに理由はない。

そんなわけあるか、と思って、先週末帰省したときに聞いてみた。


「どうしてばあちゃんは、なんでもかんでも凍らすん?」

ばあちゃんは答えた。

「凍らしてへんよ」


わたしの耳の奥で、急にライアーゲームの序盤にかかるBGMが聞こえてくる。不穏である。まさか一番心休まるはずの実家がライアーゲームの会場になっているとは思わなかった。休まらんわ。


「いや、めっちゃ凍らしてるやん。カッチコチに」

「そうやったか?」

「忘れてるんや。でも、なんで凍らすんやろ」

「さあ、わからんわ。おかしなこと言うなあ」


そしてばあちゃんは、ホホホと上品に笑った。一瞬わたしが、なんでもかんでも凍らしてしまう世界線に飛んでしまったのかと思った。

まあ、結論から言うと、ばあちゃんは最近物忘れが激しい。こういう言葉が適切かどうかわからないが「愉快にボケはじめている」のだ。なんで愉快かって言うと、絶妙におもしろい角度からボケてるからだ。なんでも凍らすってなんやねん。

ばあちゃんは家で毎日のように吉本新喜劇のボケとツッコミを見ていた大阪人なので、人生を賭けてボケようとしてんなら、こっちはホンワカパッパホンワカパッパの出囃子をラッパで吹きながら、全力でツッコミを入れるしかないのではなかろうか。

ばあちゃんは本当に、キンパやキムチを凍らせたことを忘れている。それはもう仕方がない。人生賭けてボケてるから。


ボケてんなら仕方ないねと母と苦笑いしていたという、どうでも良い話を定例会議でコルクの人たちにしたら、こんなことを言われた。


「それおもしろいね」

「まあ、凍らされるものがない人から見たらおもしろいですよね。わたしはおもしろいです。でも秘蔵の梅ジャムを凍らされたら泣きます」

「“世界は贈与でできている”でも、そういう話あったじゃん。岸田さんのおばあちゃんがどうして凍らせるのか、ちゃんと探ったら、それだけで小説になりそう」

「ほほう……」


わたしは最近近内悠太さんの世界は贈与でできている(NEWSPICKS PUBLISHING)を読んで、いたく感銘を受けたことがある。(感銘を受けすぎて、キナリ読書フェスの課題図書にした)

その男性の母親は認知症を患い、毎日16時になると外へ出て行ってしまうという。いわゆる「徘徊」だ。男性は、必死になってその外出を止めようとすると、母親はわめき、暴力をふるう日々が続いた。

これの種明かしは、実は16時というのは、幼かった頃の男性(息子)が幼稚園からバスで帰ってくる時間で、母親は今もその時代を生きていると勘違いし、毎日16時になると息子を迎えに行くつもりで徘徊していた、ということだ。泣ける。

まあ、つまり、一見不合理に見えるようなことにも、合理性を見出すことができれば、そこに愛が生まれることだってあるわけで。

もしかしたら、すんげー大人数の兄妹で生まれ育ったばあちゃんだから、食べ物の恨みは恐ろしく、誰にもよこさないように本能でカッチコチに冷凍してるのかもしれないし。クリームソーダのアイスが好きだったから、凍らせると美味しくなるって思ってるのかもしれないし。なにもかも、知らんけど。

わたしは作家なので、もしかしたら、ばあちゃんの一世一代のボケが、わたしの一世一代の名作になるかもしれないわけで。(ばあちゃん、勝手にネタにするけど堪忍してや。でも、ゼニになる話は好きやったやろ)

あれやこれやと母と話し合った結果、ばあちゃんと話してもらちがあかないので、次の帰省でわたしが寝ずの番をして、冷蔵庫を見張ることになりました。現代の話とは思えん。


天才じゃない。天から与えられたなんて言わせない

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。